第7話

「あ、あの。私がここに来てから、どのくらいの時間が経ちましたか?」


「二時間ほどでしょうか……。もう少しお待ち下さいませ」


 顔馴染の侍女からそう言われ、大人しく頷いた。


 だが、正直そわそわと落ち着かない。

 テーブルの上には追加で焼き菓子が置かれた。


 甘いブルーベリーパイ、アーモンドを敷きつめたタルト。フルーツいっぱいのパンズにスコーンなど、甘い食べ物でいっぱいだ。

 侍女は冷めた紅茶を取り換えると、一礼してその場を去って行く。


 私が今いる場所は、王宮の庭園。


 そこにある真っ白な八角形のガゼボでお茶をしている。それも一人で。

 周囲を見渡せば、緑豊かな木々が風に吹かれ気持ち良さそうに揺れていた。花壇には、色とりどりの大輪の花達が鮮やかに咲き誇っている。


 そんな自然豊かな庭園に連れて来られて二時間が経過した。


 師匠に王宮へと連れて来られると、なぜか私一人だけ庭園にいるように言われた。一緒に来たルーファス様は師匠に連れて行かれてしまい、何をしているのか不明なまま。


 ルーファス様はアデル王女の元へ戻ったのかと思うと、心がもやもやと霧がかかったように晴れない。

 あんなにも会いたくなかったのに、会ってしまえば気になって仕方がなかった。


「――ファシー」


 自分の名を呼ぶ声に、考え込んでいた思考が現実へと戻される。

 声の主を探すと、遠くからトーヤが手を振っていた。


 しかも、いつも市井にいるような身軽な服装ではなく、漆黒の軍服を身に纏っていた。髪も適当に流しているのではなく、ちゃんと整えている。


「トーヤ……」


 意外なトーヤの姿に椅子から立ち上がった。


 すると、トーヤの後ろから女性の姿も見える。

 どうやら手を引いてエスコートしているらしく、トーヤの影から蜂蜜色の長い髪が見えた。その髪色に胸がざわめく。


 なぜなら、アデル王女の髪の色だったから……。


「ごめんね、待たせて。思ったよりも話が長引いてさ。あれ……? 菓子は口に合わなかった? 全然食べてないみたいだけど。ファシーが好きそうな菓子を用意させたのに」


 トーヤはテーブルの上を見て残念そうな表情を浮かべた。

 そんなことよりも、今はトーヤの顔が気になった。

 なぜか左頬が赤く腫れている。

 どう見ても誰かに殴られたばかりだ。


「う、ううん。美味しかったわ。でも、一人でこんなにも食べられないわよ。それよりも、トーヤ……顔はどうしたの?」


「うん? ああ、これは気にしないで良いよ。俺の自業自得だから。そうそう、紹介するね。こちらは、セラ……」


 そう言うと、トーヤに手を引かれて蜂蜜色の髪をした女性が私の前へと歩み出る。

 アデル王女かと思っていた女性は別人で、私を見ると嬉しそうな笑みを浮かべた。

 その女性は私よりも随分年上のようで、竜人のトーヤよりも外見は上に見えた。


 アデル王女と同じ蜂蜜色の髪に青い瞳。

 だが、目の辺りがアデル王女に似ている気もする。


「はじめまして。アリーシェ国、第一王女、セラティアと申します」


 今は平民同然の私に向かって、優雅に一礼する王女の言葉に私は目を丸くした。


 なぜなら、アリーシェの第一王女は生まれつき身体が弱く、公の場に一度も姿を現さないと有名だったから。


 噂によると、病気療養のため遠く離れた離宮で過ごしていると聞いた。

 本当に実在するのか、貴族達が疑問に思うほどその姿を見た者はいない。

 そんな第一王女が目の前に現れて戸惑わない訳がなかった。


「……セラティア様?」


 驚きすぎて棒立ちになっていたが、慌てて礼をとる。

 だが、途中で止められてしまった。


「ふふ、私にそんな畏まった挨拶は不要ですわ。それに、足に負担がかかってしまいます。お気になさらずに。座ってゆっくりとお話をしましょう」


 王女と名乗る女性は、気さくに声をかけてくる。

 そして、私の身体を気遣うように長椅子を勧めてくれた。

 勧められるままに座ると、なぜか私の隣にセラティア様が腰を下ろす。

 トーヤは私達の正面の椅子に座った。

 すると、テーブルの上の菓子を皿に取り分け始める。


「まずは二人共、お菓子食べて。残すと料理長が悲しむからね。あ、お茶も淹れるね」


 そう言うと、トーヤが紅茶を慣れた手つきで淹れ始めた。


「ありがとうございます。とても美味しそうですわ。わたくし、離宮では菓子を食す機会が少なかったものですから新鮮です」


「セラは小さい頃から甘い物が好きだったからね」


「ええ。トーヤ様が持って来て下さるのを楽しみにしておりましたもの」


 困惑する私を余所に、二人は和気あいあいと楽しそうだ。

 しかも、会話を聞く限り昔からの知り合いのように感じる。


「さてと、じゃあ、ちゃんと紹介するね。彼女はセラティア。俺のお嫁さんになったからファシーも仲良くしてね」


「えっ……?」


 いきなりのトーヤの爆弾発言に、私の頭の中は思考が停止したように真っ白になった。


「えっと、トーヤは、アリーシェの王女様と結婚したの?」


「うん。あ、二番目のお嫁さんね。僕の一番目はアリアだけだから」


 アリアとはトーヤの番だ。


 二十一年前に亡くなったと聞いた、トーヤが唯一愛していた人。その人は人間だった。


 そして、今も愛する人。


 そんなトーヤが、番以外を正式に妃に迎えた事実に、どう反応して良いのかわからなくなる。

 しかも隣には新しい妃がいるのに、その人の前で堂々と二番目と断言している。何だかとっても居心地が悪い。


「ふふ、気になさらないで下さいませ。ファシーユ様はお優しいのね。わたくしは全て承知の上でこの場にいるのです。今年で三十九になる私は意外と神経が図太いのですよ」


 三十九には見えないセラティア様を、行儀は悪いがじろじろと見てしまった。


 そんなセラティア様は、まるで子供のようにきらきらとした瞳で目の前のブルーベリーパイを見つめている。

 それを手に取ると、嬉しそうに頬張り始めた。


「セラ、美味しい?」


「ええ、満足ですわ。二十一年間我慢したかいがありました」


「それは良かった。僕も願いが叶って嬉しいよ。まだまだあるからね」


 二人の会話は訳がわからない。

 だけど、二人はとても仲が良さそうだ。

 年齢の割に子供っぽいセラティア様を、トーヤがかいがいしく世話をしている。


「……あの、それでアデル王女はどちらに?」


 ルーファス様がいたから、馬車に乗っているのはアデル様だと思っていたのに、現れたのはセラティア様。

 アデル様は何処にいるのかと緊張しながら二人を交互に見ると、セラティア様が不思議そうに首を傾げた。


「アデルですか? アデルはアリーシェにいますわ。竜国に来たのはわたくし一人です。あの子も今度結婚致しますのよ」


「……結婚」


 あの時の光景が蘇った。

 川に落ちる前に見た、アデル王女とル―ファス様の、恋人同士のような幸せそうな姿が。


「……そうですか。お似合いの二人ですものね」


 途端に胸が苦しくなる。


 五年も経っているのに、あんなことがあったのに、私の心はまだ整理出来ていないらしい。


「あら、ファシーユ様はご存知でしたの? でも、お似合いかと言われると微妙だと思いますわ。だって、お相手はアデルよりも三十も上の五十二歳ですわよ。国のためだと言われても、あの方と結婚するくらいなら、わたくしは逃げ出しますわ」


「えっ……。五十二歳?」


 話が噛みあわなくて、俯いていた顔を上げると、セラティア様がスコーンを手に持ち頬張っていた。


「セラ……慌てなくても誰も取らないからゆっくりと食べてくれない? 王女様に見えないよ」


 トーヤが手を伸ばし、セラティア様の汚れた手を苦笑しながら拭いている。


「だって、こんなにも自由な時間は初めてですもの。何をしても怒られないし監視もいません。ゆっくりしている時間が勿体ないわ」


 もぐもぐと咀嚼するセラティア様と、まるで親鳥のようなトーヤに頭が追いつかない。


「あ、あの……。アデル様はルーファス様と結婚なさるのでは?」


 私の言葉に、セラティア様は驚いたように首を横に振る。


「騎士のルーファスですか? 違いますわ。アデルが結婚するのはアリーシェの隣国、エーデルの王弟です。わたくし、あの人が大嫌いですの。ガサツで横暴。恰幅が良いと言うよりは、ただの樽ですわ。しかも、いつも上から目線ですもの」


「本当はセラティアが嫁ぐ予定だったんだよね?」


「トーヤ、それを言わないで下さい……思い出すだけでも吐き気がします」


 その時のことを思い出したらしく、食欲が無くなったのか、セラティア様は手に持っていたスコーンをテーブルの上に置いた。

 トーヤは面白そうに笑って私達二人を眺めている。


「アデル様のお相手はルーファス様ではないのですか?」


「勿論ですわ」


 その返事に、気が抜けたように長椅子の背もたれに身体を預けた。

 ……アデル様と結婚しなかったんだ。あんなにも親密そうだったのに。アデル王女に惹かれたって言っていたのに……。本当に、もう何とも思っていないのかしら?


 あんなことがあったのに、私はまだルーファス様を気にしてしまう自分が恨めしい。


「ご安心なされましたか? ルーファスはあなたが行方不明になってからも、あなたが生きていると信じて五年間ずっと探していましたよ。文官を辞め騎士になっても。周りが諦めろと諭しても聞かずに、あなたの無事を信じていました」


 どうして離宮にずっといたセラティア様が、ルーファス様の行動を知っているのか不思議だった。


「まずは……わたくしの生い立ちからお話し致しましょう。ファシーユ様が知っての通り、わたくしは生まれてすぐに離宮へと連れて行かれました。表向きは病気療養ですが、実際は違うのです。実は、母は王妃殿下で間違いありませんが、父は……国王陛下ではございません」


 その衝撃発言に顔が強張る。


 まさか王妃殿下に愛人がいたとは思いもよらなかった。

 どう反応したら良いのかわからず、背筋を伸ばしトーヤに助けを求めるように視線を送る。

 トーヤは知っているらしく優雅にお茶を飲んでいて話に加わる気はないらしい。


「驚くのも無理はありませんわ。内々に処理されましたから。私の本当の父親は、国王陛下の弟である、アリスター公爵です」


 これはまた思いもよらなかった相手に目が虚ろになった。

 本当にこのまま話を聞いても良いのかと。


「あ、あの。どうして、このような話を私に?」


「必要だからです。全てがファシーユ様に繋がります。……お身体はいかがですか? 申し訳ありません。本当に……申し訳ありません」


 私の両手を手に取ると、うっすらと涙を浮かべながら私に謝罪を始めた。だが、なぜ初対面のセラティア様に謝られるのか不思議でしょうがない。


「あ、あの……」


「額にも傷が残ってしまったそうですね。なんとお詫びしたら良いのか……。わたくしがあの時、確認していれば、こんなことにはならなかったのに」


 眉根を寄せ、悲痛そうに話すセラティア様の話についていけない。助けを求めるようにトーヤを見た。


「セラ……。そう思い詰めないで。全部、俺と師匠の責任だ」


「……トーヤはもう少し反省して下さい」


 セラティア様が鋭い瞳でトーヤを見た。


「それは凄く反省してる。だから大人しく殴られたんだよ。あ、ファシーも後で俺を殴っても良いからね」


「殴る……トーヤを? あの、意味がわかりません」


 セラティア様もだが、トーヤも何を言っているのかわからない。


「ファシーユ様の身体のことです。川に落ちた後、無事に竜国へと辿り着く予定だったのに、アデルが余計なことをしたせいで怪我を負わせてしまいました。まさか、髪飾りを自分の分も作っていたなんて……。そのせいで、竜国の至宝の加護が半分無くなるとは予想出来なかったのです」


「えっ……?」


 なぜ、あの場にいなかったセラティア様が髪飾りのことを知っているのだろうか? 


 途端に心がざわめく。


「ごめんね、ファシー。実はね、俺達は君が、未来を視ることが出来ると知っていた。君が生まれる前から。……君が川に落ちたことは偶然ではなく仕組んだんだ。俺達、竜人が君を、夢見の力を手に入れるために」


 トーヤの告白に頭が真っ白になった。

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