第6話
「……師匠」
突然現れたのは、紫紺の豪奢なドレスを身に着けた長身の美女。
腰までの長い髪は歩く度に艶やかに揺れ、黒い瞳は妖艶に私を見る。
それは、トーヤから歳を聞いてはいけないと念押しされている竜人の師匠で、微笑を浮かべながら私に近づいて来た。
「また昔のような泣き虫に戻ってしまったの? 泣くだけで、言いたいことを言わない女は都合よく捨てられるだけ。あれだけ教えたのに……ファシーは忘れてしまったのかしら? 私が言いたいことはわかるわね?」
漆黒の扇子を優雅に広げて口元を隠した師匠に寒気がした。
……これは怒っている。
私が竜国に流れついてすぐは、生きる気も治療をする気も起きなくて、うじうじと自分の殻に閉じこもっていた。そんな時に説教された、あの表情そのまま。
当時はあまりにも私の態度が悪かったせいで、怪我をして動けないにもかかわらず、夜中に川へと投げ込まれた。
その場を苦笑しながら収めてくれたのは勿論トーヤだ。
師匠の嫌いな言葉は「時間の無駄」と「二度手間」。私はそれ以来、忠実に師匠の教えを守るようにしている。
「は、はい」
師匠の圧力を受け、冷静さを少しずつ取り戻した。
一旦、深呼吸をした後、私の手を離さず、師匠を威嚇するようにじっと見つめたままのルーファス様に向かって口を開く。
「ル、ルーファス様。……手を離して下さい。お、お話しは伺いますが、私は一人で歩けます」
まだ地面に座り込んでいるままの私が言うのでは、説得力はないだろう。だけど、一人でも大丈夫だ。
守られているだけではそれが当たり前になってしまう。
誰かが助けてくれないと何も出来ない女になるなと師匠が教えてくれた。自分で考え、その場に流されず、最善の道を自分で選択するようにと。
大好きだったルーファス様の緑色の瞳を見つめると、動揺するように揺れた。とても寂しそうだと思ったのは私の勘違いだろうか。
すると離してくれると思っていた手は、なぜか私を引っ張る。
「――ルーファス様!」
抗議するように声を上げた。
だが、立たせてくれたのだとわかった後、優しく身体を支えられた。
「その足だと立つのも大変だろう。……すまない」
最後の謝罪が何に対してのものかはわからなかったが、ぎこちなかった空気が少しだけ柔らかくなる。
すると彼は私から離れ、転がっていた杖を拾ってくれた。
「……ありがとうございます」
杖を受け取る。
上手く笑えなかったが、そう言うと彼は苦しそうに私を見た。
どうやら、思うように動かない私の足を気にしているようで、今にも泣き出しそうな顔をしている。
昔からルーファス様は私の前では表情豊かとは言い難かった。
そんな彼が項垂れた、捨てられた子犬のように落ち込んでいる。
もしかして、こんなにも雰囲気が変わったのは、私が原因だと己惚れても良いのだろうか。
私が死んだと思って、自分のせいだと責めて、今でも私を探していてくれたと。
――少しでも、私を好きだと思う気持ちがあったと期待しても良いだろうか。
「泣いたら、せっかくの男前が台無しですよ。確かに痛かったし悲しかったけど、今の私は優しい人達に囲まれて幸せです。だから……そんな顔をしないで下さい」
自然にそんな言葉が出た。
思い出は決して良いとは言えない。
だって、私の目の前で王女と恋人同士のように振る舞うし、私に同じ髪飾りを渡してくるし、何よりも……助けてくれなかった。でも、それは……。
「……あなたが心を痛める必要はありません。あなたがとった行動は王家に仕える者としては当たり前の行為です。婚約者よりも王族を優先して助けたあなたを、私は誇りに思います」
私は上手く笑えているだろうか。
傷ついている彼の心が少しでも楽になるように。
「……責められるよりも残酷な言葉だ。どうして助けてくれなかったと、どうして自分を助けず王女を助けたのだと、君が俺を罵倒してくれた方がこれからも罪を背負っていけるのに。それさえも君は与えてくれない。いつも物わかりが良くて……」
「物足りませんでしたか? だから、アデル王女を好きになられた?」
どうせこれが最後なら、聞きたかったことを聞こうと思った。
私達の会話を何も言わずに静かに見守ってくれている師匠は、こう言う修羅場が好きなのか、子供のようにきらきらとした瞳でガン見している。
しかも、いつの間に来たのか、いつも師匠の護衛と言う名の見張りをしている竜騎士達の姿も見えた。
彼らも生温かい瞳を向けてくる。その保護者のように見守る姿勢が、何とも言えずむずがゆく恥ずかしい。
「言い訳はしない。いつも笑顔で気さくで、王女としての驕りがない。そんな王女に惹かれるように周りには人が集まった。自分の意見をはっきりと伝える強さ。だから……そんなアデル王女に惹かれた……。でも、それが間違いだと気づいたのは君がいなくなった後だ」
「えっ?」
ルーファス様がアデル王女の何処を好きになったのか、覚悟して聞こうと思ったのに、話が逸れた。
「君が流された後、王女は自分でなくて良かったと泣きながらに周りに言っていた。ファシーユに対して一言の謝罪も感謝もなく、自分を助けたのは当然だと」
……その時の様子を思い出したのか、ルーファス様の顔が怖い。しかも、今にも血が出そうなほど手を固く握り締めている。
「ル、ルーファス様。お、落ち着いて下さい」
思わずルーファス様の手をとると、反対に強く手を握られた。
「だから文官を辞めた。文官だと国外に行ける機会が少なく制約がある。君を自由に探しに行けない。騎士としてなら文官の時よりも自由がきく。君を絶対に見つけ出したかった。何年かけても。そして、謝りたかった……あの時、すぐに助けに行けなくてすまなかった。……ファシーユ、辛い思いをさせて、ごめん。生きていてくれてありがとう」
触れている彼の手は、とても震えていた。
五年越しの懺悔は私の心を酷く穏やかにする。
俯いている彼の頬へと手を伸ばした。
「ルーファス様が……泣くとは思いませんでしたわ。でも、私が言うのも可笑しいですが、目標だった騎士になられて良かった」
私が奪った夢を自分の力で叶えた。それが一番心苦しかったから。
泣いていたのが恥ずかしかったようで、ルーファス様が乱暴に袖で涙を拭った。
「違う。ファシーユのせいで文官になった訳じゃない。俺が文官になりたかったんだ。君が……あの時に……」
えっ……。私があの時?
「はいはい! もう少し二人きりでお話しさせてあげたいけど時間よ。頑張ったわね、ファシーユ。良かったわ、あのまま泣いてばかりだったら、また川へ沈める所だったわ。それとルーファス、職務放棄ね。王女様が痺れを切らして待っているわ。二人共、王宮へ」
師匠の魅惑の笑顔は何よりも怖い。しかも、また川へ沈めると言い切った。
でも何よりも驚いたのは、師匠の口から出た「王女」と言う言葉。
確かに馬車には王家の紋章があった。王族が乗っているのは当たり前だ。
……来たんだ。ルーファス様と一緒に王女様が。
それを聞くと、また私の顔が強張って心が重くなった。
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