第5話

「夢見、当たらないな。出会ってないだろ? 今回は外れじゃないか?」


 彼の夢を見てから二週間。

 トーヤの言うように彼には会っていない。と言うか、家から一歩も出ていないから会う訳がなかった。


「彼が……竜人の国に来る理由もないと思うけど」


 朝食のソーセージにかぶりつく。

 噛むと口の中に肉汁が広がり、その美味しさに嬉しくなる。このソーセージもトーヤの手作りだ。


 トーヤは皇子の身分とは思えないほど何でも出来る。

 料理は勿論、洗濯、掃除。いつ眠っているのかと思うほどいつも動いていた。


「観光で来るかも知れないだろ。規制されていない森や街は、人間も他の種族も入れるからな」


 確かに竜人の国と言っても、街には人間も住んでいる。他の種族、エルフやドワーフも。私が気になるのは、もふもふの獣人達だ。


 挨拶はするが、トーヤ曰く、見た目とは違うから仲良くは慣れないと言われた。詳しくは教えてくれなかったが距離を置いている。

 様々な種族がいるからこそ、私も肩身の狭い思いはせずにすんでいた。


「……ファシー、今日お使い頼めるか? 師匠から、クーデル爺の店で蜂蜜を貰って来いと連絡が来た。俺は今日、治療日だから時間がなくて」


 トーヤは週に一回、森の奥に一人で住んでいる竜人の診察に行っている。


 そろそろ寿命を迎えるその竜人は、思い出の詰まったそこから決して離れないらしい。

 安否確認も兼ねていると、苦笑しながらトーヤは言っていたが、師匠からは、トーヤの元、教育係りだと教えて貰った。

 問題が起こると、必ずトーヤが相談する相手がその森の竜人だと。


「大丈夫よ。今日は調子も良いから一人で行けるわ。二週間も家にいると、することがないから暇で困っていたの」


「気を付けろよ。竜人は問題ないと思うが、何かあったら必ず笛を吹け」


 本当にトーヤは心配症だ。

 そんなトーヤを安心させるように、私は大きく頷いた。





「ファシー、持てるか? 無理だったら後から届けるよ」


 持って来た籠に蜂蜜を詰めていると、竜人のクーデルさんが心配そうに見つめている。

 白い立派な髭がトレードマークのクーデルさんは、師匠とは旧知の仲らしい。その縁で私にもあれこれ世話を焼いてくれる優しいお爺さんだ。


「大丈夫よ。これくらい持てるわ。だって小さな瓶二個じゃない。トーヤもクーデルさんも心配しすぎよ。じゃあ、行くわね、ありがとう」 


「……そうは言ってもなあ」


 蜂蜜屋の前で話していると、ふいにクーデルさんの目つきが鋭くなる。そして辺りを見渡すと、私の腕を引いた。


「ファシー、もう少し待て。……仰々しい人間達が来る」


 クーデルさんが鼻を鳴らすように匂いを嗅ぐ。

 すると、周りの店からも竜人達が警戒するように出て来た。その人数は多く、あっと言う間に人垣が出来た。


「えっ。……人間?」


 思わず身体が強張り彼を思い出す。


 ――白銀の髪と緑の瞳の彼を。


 やはり夢見通りに会ってしまう運命なのかと怖くなり、クーデルさんの後ろへと隠れた。


「ファシー、大丈夫だ。脆い人間など竜人達の相手ではない」


「そうだぞ。俺達が傍にいるから大丈夫だ」


「ファシーは怖がりだな」


 怯えた私を見て、クーデルさんは勿論、近くにいた顔見知りの竜人達が口々に励ましてくれた。


「う、うん。皆、ありがとう」


 強張った表情でそう言うが、身体の震えは止まらない。

 また夢見が当たるのなら、私は彼に会った時どうすれば良いのだろうか。


 あれから五年。


 私がいなくなればアデル王女との結婚に何の支障もない。二人はすでに結婚しているかも知れない。

 そう思うと、もう終わったことなのに胸にチクリと痛みを覚えた。


「来るぞ」


 一人の竜人が遠くを指さす。

 遠くから物々しい厳重な警備の一団が向かって来た。


「……アリーシェ国のものだな」


 ビクリと肩が揺れた。


 そんな私の反応に、周りにいる竜人達は気づいているのに見て見ぬふりをしてくれる。それどころか、私を隠してくれるように何人かが前に出る。


 私が五年前に死にかけて、トーヤと師匠に拾われたことはほとんどの竜人が知っていた。


 だが、私が何処でどんな暮らしをしていたかはトーヤ達にしか話していない。そんな素性不明な私にも、竜人達は優しく接してくれて今日まで暮らしてきた。


 なのに、何をしに誰が来たのか。それが気になって、男達の隙間からこっそりと行列を盗み見る。

 兵士や騎士達が警戒して固める中心には、王家の紋章が入った立派な馬車が一台。どうやら王族が乗っているようだ。


「……あ」


 その馬車の近くで警戒している人物に目が釘づけになった。


 長かった白銀の髪はばっさりと切られ、どちらかと言えば中性的だった雰囲気は無くなっていた。それどころか精悍さと男らしさが増している。

 五年前は柔らかな雰囲気だったのに、今はそれを感じない。まるで別人を見ているようだった。


 真面目さと厳しさだけが伝わってくる容貌に、何が彼をここまで変えたのかと慄いてしまう。

 誰も寄せ付けないような切れ長の瞳は鋭く、その眼差しは何かを感じたのか、ふいに私へと向けられる。


 正確には私ではなく、私がいる一角に。


 だけど目が合ったような気がして、思わずクーデルさんの服を縋るように掴んだ。

 人間よりも身体能力がずば抜けて良い竜人達は、私とあの騎士が知り合いだと悟っただろう。


「……大丈夫だ。君がいるとは気づいていないよ。ファシー、トーヤは今日、いつ帰って来るんだい?」


 なぜかクーデルさんがトーヤの帰宅時間を聞いて来る。

 こんなことは初めてだ。今まで、誰にもトーヤや師匠の行動を聞かれることはなかったから困惑してしまう。


「夜よ。森の奥へ行く日だから」


「ああ、そうだったね。ファシーよく聞くんだよ。帰ったら鍵をかけて誰が来ても入れてはいけない。知り合いの竜人でも……人間でもだ。家に入れて良いのはトーヤと師匠だけだよ。良いね? 外出も駄目だ」


 こんなことを言われるのも初めてだった。

 周りにいる竜人達もアリーシェの一団がいなくなると何処かへ消えて行く。


「は、はい」


「送って行きたいが、私達が連れだって歩くと目立ってしまう。一人で帰れるかな?」


 目立つ……? どうしてだろう。 二人で歩いていても今まで問題なかったのに。

 いつもではないが、時間がある時は普通に家まで送ってくれる。どうして、クーデルさんがこんなことを言うのか不思議でならない。


「大丈夫です。家まですぐそこだから」


 クーデルさんのお店から家までは普通に歩けば十分。だが、私の足では二十分はかかってしまう。


「……あの人達は何をしに来たのでしょうか?」


 それが一番気がかりだった。

 馬車の中に乗っているのは多分王族だろう。ピリピリとした雰囲気からして、ただの外遊ではなさそうだ。


「ファシーは知らないのかい。アリーシェでは今、疫病が流行っているらしい。その特効薬を探しに来たのだろう。竜人の鱗や皮膚、爪は薬にもなるからね」


「……疫病?」


 初めて聞いた事実に驚きを隠せない。トーヤはそんなことを一切言ってなかった。

 頭に浮かんだのは、そこまで仲が良くなかった家族のこと。


「疫病は酷いの? そんなに広がっているの?」


「……ファシー、今の内に帰るんだ。あとはトーヤに聞きなさい」


 クーデルさんは、また何かの匂いを嗅ぐように鼻を鳴らすと目の色が濃くなった。しかも、皮膚にうっすらと鱗が浮かび上がる。

 こうなると、戦闘民族の竜人には何を聞いても無駄だろう。

 気にはなったが、大人しくトーヤの帰りを待つために、家路へと急ぐことにした。


「わかったわ。蜂蜜ありがとう」


「ああ、気を付けて」


 クーデルさんに手を振ると歩き出す。

 あんなにも見物に出て来た竜人達は、アリーシェの一団に付いて行ったらしい。店と言う店は閑散とした雰囲気が漂い、とても静かだ。


「何か珍しい物でもあったのかしら。竜人を惹きつける何かが……」


 後ろを振り返ると遠くに人垣が見えた。

 これから竜王との謁見があるのだろう。

 ゆっくりと杖で身体を支えながら歩き、さっき見たルーファス様を思い出す。


 すると、またちくちくとした痛みを覚えた。


 彼は夢見通り騎士になっていた。それも立派な騎士に。

 それはそうよね。文官になったのはルーファス様の意志ではなかったのだから、私が居なくなったのなら騎士に戻っても誰も何も言わないわ。


 私、一人だけが文官になって欲しかったのだから。


 杖をつき、もう片方の手に籠を持っているせいで、溢れてくる涙を拭うことが出来ない。涙が零れてしまわないように、顔を上げて瞬きしないように我慢した。


 転ばないように慎重に歩いていると、後ろから馬の蹄が聞こえてくる。それも凄く急いでいるようだ。

 何だか怖くて道の端へと身を寄せる。


「ファシーユ」


 いきなり名前を呼ばれ背中に嫌な汗が流れ落ちた。

 空耳かと思ったが、大好きな人の声を私が間違える訳がない。


「ファシーユ!」


 その声は徐々に、そして確実に近づいて来る。

 懐かしいその声に思わず振り向くと、そこには馬から下りたルーファス様がいた。


「――っ!」


 逃げようとするが、上手く歩けない足では機敏に動くことが出来ず、一歩後ずさるだけで精一杯。しかも、動揺したせいで蜂蜜入りの籠も杖も落としてしまった。


 焦っている私に近づいてくるルーファス様は、眉間に皺を寄せて怒ったような顔を私に見せる。


 ――怖かった。


 何を言われるのか想像がつかない。彼がアデル王女と結婚した話も聞きたくなかった。

 思わず目を瞑る。


「……ファシーユ。無事で良かった。ずっと探していた。……生きていて良かった」


 そう言うと、ルーファス様が私を抱き締める。

 訳が分からなかった。


 ……私を探していた? 嘘だ。彼が私を探すはずがない。だって、私は彼にとっては邪魔な存在。それに、もう、あんな苦しい思いはしたくない。


 彼と王女が抱き合っている姿や、まるで恋人のように語り合う姿なんて見たくない。

 なにより、彼は、溺れる私よりも王女を選んだのだから。


「い、いや。――離して! 触らないで!」


「ファシーユ?」


「いや!」


 思いっきり突き飛ばそうとするが、体力の落ちた身体では無意味で、彼の腕の中から逃れることは出来ない。


「落ちついて、ファシーユ。お願いだ、こっちを見てくれ」


 懇願するような彼の声を聞きながら、何とか逃れようと身体を捻る。

 すると視界に入ったのは銀色の笛。

 それを掴むと、思いっきり笛を吹いた。


 ――助けて。と、心の中で何度も叫びながら。


 だが、いくら吹いても音が鳴らない。何も聞こえないのだ。


「どうして……」


 トーヤが嘘を付いたのだろうか? 必ず助けてくれると言っていたのに。

 また、裏切られた?

 そう思うと涙が溢れる。


「ファシーユ、泣かないでくれ。一緒に行こう。話さなければならないことが沢山ある。お願いだ……」


 抵抗を止めてボロボロと泣き出すと、困ったようにルーファス様が私の顔を覗き込む。

 静かに泣く私の肩にルーファス様が手を置くと、ザワリと空気が変わった。


 それは私だけではなくルーファス様も感じたようで、辺りを警戒するが変わった様子は何もない。


「ファシーユ、行こう」


 そう言うと私を抱き上げようとする。




「――あら、人間って野蛮ね。女性の扱い方から学んだ方がよろしくてよ? その汚い手をお離しなさいな」


 聞こえてきたその声に、さらに泣いてしまった。

 見捨てられていなかったのだと安心したから。



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