第8話

 師匠もトーヤも、私の力について何かを強要することはなかった。


 なのに、トーヤはこの力が必要だと言い切った。そのために私の人生を変えたんだと。


 困惑している私を横目に、トーヤがテーブルの上にある物を置く。

 白銀に翡翠とアメジストの石があしらってある髪飾りと、タンザナイトとアレキサンドライトの石がついた髪飾り。


 私が貰った物とアデル王女の物だろう。でも変だ。川に落ちた後、髪飾りも失くしたと思っていたのに、それが目の前にある。


「どうして、この髪飾りがここにあるの?」 


 トーヤを見ると、なぜか申し訳なさそうな顔をして説明を始めた。


「ファシーと一緒に流れついた。この石は始祖である竜王が身につけていた貴重な石で、竜気が溜めてある。その石を身につけた者は加護を受け守られる。だから、川に流された程度では怪我もしないし死なない。この……アメジストとアレキサンドライトがそうだ。ファシーユ、本当は君の髪飾りにこの二つの石がつくはずだったんだ。それが……どうして失敗したのか悔やまれるよ」


 トーヤが髪飾りを手にとる。


 そして、おもむろに私へと差し出した。それに誘われるように髪飾りを受け取る。


「これが竜王様の石?」


 まだ磨く前の原石のような濁った石は、どこにでもありそうな、少し高価な石程度にしか見えない。

 確かに、トーヤと暮らしてみて疑問に思うこともあった。


 どうして、人間の私にそこまで優しいのか。

 どうして、衣食住まで与えてくれるのか。

 どうして、私があそこで倒れているのがわかったのか。


 初めて聞いた時は「偶然通りかかった」と教えられた。でも、今は偶然ではなかったのだとトーヤの表情を見て確信した。


「どうして、私が川で倒れていたのがわかったの?」


 するとトーヤは、まるで質問の内容がわかっていたようで力なく笑った。


「アリアだよ。アリアが死ぬ間際に未来を予言した。自分の力を受け継ぐ者が生まれると。そして、どんな手を使っても竜国に呼ぶようにと遺言でね」


 トーヤの番が人間だとは聞いていた。

 亡くなった原因も寿命である老衰だと。

 トーヤは番であるアリアさんと契約をしなかった。自分の竜気を分け与え、人間の寿命を伸ばす契約をアリアさんが拒んだからだ。


 その意志をトーヤは尊重した。


 自分の愛する人が老いて先に死んでしまう事実に何度も耐えられなくて、説得を試みたが、笑って拒否されたと。

 でも、私と同じように未来が視えるとは聞いた覚えはない。


「どうして私を……?」


「これからの竜国の未来に必要だからとしか教えてくれなかった。アリアが教えてくれたのは、君の存在と婚約者はルーファスになること。ファシー一人でも良かったんだけど、二人の仲を考えると二人纏めて連れて来ようか迷ったんだ。」


 でも二人を攫ったら外交問題に発展しそうだから。とトーヤが笑った。

 確かに、私はともかくルーファス様は侯爵を継ぐ身。

 王太子様や高位貴族との交流もある。彼自身の能力も高く消えたとなると問題だろう。


「ファシーの能力を他の誰にも知られなくなかった。だから計画した。君が自然な方法で竜国に来る方法を。だって、あんな濁流に落ちたら誰も助からないと思うだろ?」


 背中に冷たい汗が流れる。

 いつも優しく接してくれたトーヤとは全く雰囲気が違った。そこにいたのは、強く、時に冷酷な判断を下す竜人の皇子。


「酷い……」


 それだけしか言えない。

 あれが仕組まれていたなんて思いもよらなかったから。


「そうだね、それは否定しないよ。俺も皇子として竜国を一番に考える。でも、ルーファスがあそこまで君を探すとは思わなかった。一年ほどで諦めると思っていたのに、まさか五年も探すなんてね。……短いようで長いよ。よっぽど、ファシーのことが好きなんだね」


 そんなことを言われても今更だ。

 ルーファス様が私を探していたのは償いと義務からだろう。彼は真面目だから。


「本当はさ、ルーファスにファシーが生きているとすぐに伝える予定だった。でも、ファシーが落ち込んでいて会いたくなさそうだったから止めた」


 何と言えば良いのか言葉に詰まる。


 もしかして、すぐにアリーシェに帰りたいと、ルーファス様に会いたいと願ったら、すぐに会えたのだろうか。

 でも、私はそれを願わなかった。

 だって、会いたくなかったから。アデル王女を選んだルーファス様を、もう見たくなかったから……逃げたんだ。


「ファシーユ様。ルーファス様とはまだじっくりお話はしていませんね? あの方は、仕事は有能なのですが、ファシーユ様のことに関しては残念なのでわたくしから補足させて頂きたいのです。でないと、また誤解がとけない可能性がありますでしょう?」


 トーヤに任せておけないとばかりに、セラティア様が私の手に触れた。その手は小刻みに震えていて、まるで懺悔のように頭を垂れる。


「実は私が独断で動いた件があるのです。トーヤは知りません。あのお茶会で、ファシーユ様を竜国に行かせるために、私は事前に噂を流しました。ルーファスがアデルに惹かれていると。あなたが竜国に行った後、帰りたいと思わせないために」


 離宮に住んでいるセラティア様が、どうやって噂を流したのか気になった。この様子だと、他にも協力者がいるのかも知れない。


「噂を流さなくても、ルーファス様がアデル王女に惹かれたのは事実です。私がいなくならなくても二人は結婚したと思います」


「結婚は絶対にありえません」


 確信があるように断言するセラティア様は、なぜか咎めるようにトーヤを見る。だが、トーヤは目の前のスコーンに夢中だ。


「どうしてそう言えるのですか? ルーファス様自身が私に言いました。アデル王女に惹かれていたと」


「それは、本当に恋なのかしら? アデルは自分が恵まれた容姿であること、そして王女という地位を理解しておりました。それを非常に上手く使っていましたのよ。おかげで男性には人気がありましたが、女性からは嫌われていましたわね」


 ふふっと可憐に笑うセラティア様は、どうやらアデル王女のことが嫌いらしい。


「でも、ルーファス様とアデル王女は仲睦まじい様子でしたわ」


「アデルは男性なら誰とでもあんな感じですのよ? ファシーユ様はルーファスしか見ていなかったから知らないでしょうけど……。アデルの周りの男性達は、皆、勘違いをしていましたわ。自分がアデルの一番であると。アデルもその様子を楽しんでいましたし」


 アデル王女の人物像ががらがらと崩れ落ちた。

 あの可憐で儚い容姿も、まさかの計算だったとは……。アデル王女は凄い。私はルーファス様一人でもいっぱい、いっぱいなのに、何人もの男性と恋の駆け引きをするなんて……。


「凄いですね、アデル王女は」


「……そこは尊敬しなくてもよろしいのよ。あの子の話術と計算しつくした仕草に嵌ると、誰でも恋をしているかのような錯覚に陥るようなの。一種の病みたいなものね」


 セラティア様が言うには、夜会には身分を隠して時々出ていたらしい。王妃殿下と実の父である公爵様のはからいで。


 もちろん国王陛下には内緒だったと言う。

 そこでアデル王女を含め、半分血が繋がった他の王女様達を観察していたらしい。それに私のことも。


「ルーファスはファシーユ様のことを愛しておられましたよ。だって、ファシーユ様はルーファス様としかダンスを踊らないでしょう? あの方、ファシーユ様が思っているよりも独占欲がお強いようなの」


 本人には全く伝わっていないのが残念ね。とセラティア様は苦笑した。


「で、でも。川に落ちた時、ルーファス様は一番にアデル様を助けられました。私を愛していたなら……」


 ――一番に助けて欲しかった。


 でも、それは口には出せない。その理由も理解している。


「アデルを最初に助けたのは、王家に仕える者としては当然です。もし、アデルではなく国王陛下だったら? 誰もが皆、陛下を助けるでしょう。それが貴族として王家に忠誠を誓う者としての義務です。でも、その後はどうでしたか? ルーファスはあなたを助けに行きませんでしたか?」


 まるで見ていたような情景で語るセラティア様に圧倒されながら、嫌な記憶を辿る。


 水に沈みそうになりながら最後に見た光景を思い出す。

 確かに、助けようとしてくれていた。

 必死になって、私へと手を伸ばしてくれていた。でも、それを止めた人がいる。


「……助けに来てくれようとしていました。でも、止められました」


「誰に止められていましたか?」


 真剣な表情のセラティア様に息をのむ。

 そして、気づいた。……重要な事実を。



「カサート様です……。公爵家の……」


「わたくしの弟です」


 思わず涙が出た。


 あれも、仕組まれていたのだとわかったから。

 

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