1 空席
167本の小塔、2000を超える彫刻、美しいステンドグラスで有名なゴシック建築のエンジニアリング教会は、エギザベリア神国王都のシンボルでもあった。毎年多くの信者が礼拝に訪れていた。
そのエギザベリア教会の中で唯一装飾もなく、冷たい白い石を組み立ててできた空間がルルリアナの知る世界であった。
今日は木曜日であり、ルルリアナとレオザルトの週1回の昼食会の日でもあった。
ルルリアナの前には神殿の料理人が作った質素ながらも豪華な料理が並べられていた。
味は美味しいとまでは言えないが、普段ルルリアナが口にする食事に比べたらはるかに豪華な食事で、レオザルトに会えるというだけでなく、決して美味しいとは言えないこの食事もルルリアナにとって楽しみの一つだった。普段の料理よりはほんの少しだがまともだったからだ。
最高級の川魚のムニエルに、旬野菜を使ったスープ、メインは魔牛のステーキだ。
ルルリアナは徐々に冷めつつある昼食を前に、向かい合う空っぽの席を見つめ続けていた。
侍女たちがソワソワしだし、神官がレオザルト殿下を探しまわっている。
レオザルト殿下がルルリアナとの昼食会に現れなくなって、今日で1か月が経とうとしていた。
つまり、レオザルトはルルリアナに1か月会いに来ていないということだ。
今までもレオザルト殿下が昼食会をさぼることはあったが、1か月にも渡り昼食会に参加しないのは初めてのことであった。
空席を見つめたルルリアナはついばむようにスープを口にすると、引き留める神官や侍女たちを無視し、執務室へと戻る。
ルルリアナの顔はいつもと変わらず無表情であったが、ルルリアナの心はズタズタに傷ついていた。
私はレオザルト殿下に愛されてなどいないのだと。
また一つルルリアナの心に言えることのない傷が刻まれる。ルルリアナの心は誰にも気づかれることなく徐々に血を流しており、少しずづ体温を失い冷たくなっているのであった。
難しい内容の書類にサインするためにペンを握る、ルルリアナの指先は氷のように冷え切っていた。
ルルリアナがレオザルトと出会ったのはルルリアナが12歳、レオザルトが14歳の時であった。
雪のようなルルリアナに対し、明るい金髪に青空のような瞳を持つレオザルトはまるで太陽の化身のような美少年であった。
ルルリアナはいつもの白い修道女服ではなく、エギザベリア神国の色であるサルビアブルーのシンプルなワンピースを着させられたいた。腰に可愛らしいリボンが付いたワンピースは、ルルリアナが初めて着た修道女服以外の姿で、髪も優雅に結われたルルリアナは天にも昇る気持であった。
まるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだと嬉しくなりくるくると回る。
はしたないと当時の侍女長に叱られ、シュンとなる。
そして、侍女から今から会うのは未来の夫でありこの国の王子様であると告げらた。
ルルリアナは期待で、心臓が口から飛び出るのではと心配になるほどであった。
国王とレオザルトの到着が告げられ、神官によって扉がゆっくりと開かれる。
扉の前に現れた見目麗しいレオザルトに、ルルリアナは一目ぼれしてしまったのだ。物語の王子様そのものだったから。
その思いは、この後のレオザルトの誓いによって少しずつ愛へと変わっていったのは、孤独な生活しか知らないルルリアナにとってごく自然なことであった。
レオザルトは公明正大な人物で、物事を白黒はっきりさせることを好む傾向にあった。
19歳となったレオザルトはややその傾向は修正されつつあるが、14歳の頃のレオザルトの世界ははっきりと分かれていた。
善と悪。
事実と嘘。
明と暗。
そのため、初めて会ったルルリアナにも容赦することなく自分が感じていた疑問を口にするのだった。
レオザルトはルルリアナの私室を見渡す。
本がびっしり並べられた大きな本棚に、贅沢とは無縁の機能性重視のテーブルとイスのみが置かれたルルリアナの部屋は、レオザルトにはまるで監獄のように映った。
壁を飾る絵画も写真などの私物もない。
いや、監獄の方がましかもしれない。
先日、レオザルトは父親である国王と牢獄を視察していた。その時の囚人たちの牢屋には少ないながらにも私物があった。
それこそ家族からの手紙だったり、写真だったりと。それは大切そうに飾られていた。
しかし、ルルリアナの部屋にはひとつもルルリアナの私物と思えるものはなかった。
「君は私の花嫁に選ばれこのような生活を強いられているわけだけれど、私のことを憎んでいるかい?」
顔を真っ赤にしてレオザルトの顔を見ることができなかったルルリアナの曇り空の瞳と、レオザルトの青空の瞳が初めて見つめあう。
表情を出すことははしたないと言われ育ったルルリアナだったが、レオザルトからの意外な問いかけに目は驚愕に見開かれ言葉を失っていた。
ルルリアナの答えを待っていたレオザルトは返事がないのことを、容認の証と思い話を続ける。
「憎んで当然だな」
冷めた笑いを浮かべるレオザルトに、ルルリアナは慌てて言葉を紡ぐ。
「恨んでなどいません」
「なぜ?」
「なぜって…」
レオザルトはまっすぐルルリアナを見つめる。しかし、その目はルルリアナを責めるものではなく、ただ返事を待っているだけだとルルリアナが気が付いたのは少し時間がたってからだった。
ルルリアナは大きく息を吸い、意を決して自分の考えをレオザルトに伝える。
「なぜって、私はこの生活しか知りません。…なので、殿下を恨むことなどできません。むしろ神官たちからは王家に感謝するように言われております。衣食住に困っていない私は幸せなのだからと。私に生きる糧をお恵み下さりありがとうございます」
衣食住困っていないからと言って幸せとは限らない。そのことすら気が付いていないルルリアナをレオザルトはとても哀れだと思った。
まるでこの
レオザルトは小さな、囁くような声で「わかったと」答え、黙ってしまったのだった。何かを考えているかのように。
ルルリアナは自分の返事がレオザルトを不快にさせてしまったと思い、きつくワンピースの裾を握りしめ、唇をぎゅっと噛み締める。
憎んでいないとはっきり口にしなかったから不機嫌になってしまわれたのだろうか?
レオザルトはルルリアナに対し、どう接すればいいのかわからず考えあぐねていた。
神によって選ばれた花嫁であるルルリアナに特に不満はなかった。それが自分の役割であり、国に必要なことだと幼いころから理解していたからだ。自分の皇后はルルリアナ以外認められないし、ありえないのだと。
レオザルトが会った女の子たちの中で、ルルリアナの容姿は間違いなく美しかった。
本棚に並べられている本から察するに頭もいいであろうし、話していてわかったが礼儀作法も文句がない。
しかし、この胸に潜むのは不満だった。
レオザルトはルルリアナに視線を向け、神が与えた花嫁であるルルリアナのどこが不満なのだろうかと考える。
うなだれ落ち込み、手をきつく握りしめるルルリアナを見て、レオザルトは答えを見つけた。
彼女の笑顔だ――。
レオザルトはルルリアナの笑顔を見ていないことに気が付いたのだ。
あぁ、だから僕は不満なのだ。
こんなにも彼女は美しいのに、輝いていないのだと。
レオザルトが会ったこれまでの女性たちは皇太子である自分に媚びへつらうように笑うのに対し、ルルリアナは俯いているだけだ。中には、わざとらしく顔を赤くして恥じらう令嬢もいるが…。ルルリアナのそれは計算ではないだろう。
レオザルトはルルリアナが座っている椅子の前で跪き、きつく握られているルルリアナの手を取る。
「神が私に君の人生を捧げさせたなら、私は君を私の人生をかけて幸せにするとここに誓う」
そう力強い声で宣言し、レオザルトは体温が感じられないルルリアナの手を握ったまま、ルルリアナはの頭にそっとキスをしたのだった。
レオザルトの手と唇が触れた髪から熱が伝わり顔が熱くなる。ルルリアナは今でもその温もり忘れられずにいた。
ルルリアナは礼拝のために礼拝堂に移動する。
目と鼻の先であるため護衛の騎士は付いていない。最近護衛の騎士が大勢異動や辞職したみたいで、ルルリアナの護衛は以前の半数まで縮小されていた。
ルルリアナは花が咲き乱れる中庭にふと目をやる。
中にはお昼休みを楽しむ王立学院の生徒たちが楽しそうにワイワイと友達と談笑しながらお昼ご飯を食べたり、体を動かしていた。
ルルリアナの目は自然と中庭の一角に吸い寄せられてしまう。
ホワイトローズの髪をした美少女と楽しそうに話しているレオザルトの姿を、ルルリアナの目は見つけてしまったのだ。
レオザルトの口は微笑みが浮かんでおり、少女を見つめる眼差しは愛で溢れていた。
初めて見るレオザルトの表情にルルリアナは体から徐々に熱が奪われ、氷のように冷えていくのを感じた。
ルルリアナは立っていられず、その場にうずくまってしまったが、そのことに気が付くものはルルリアナの侍女以外は誰もいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます