第10話シナーク現地司令部

「それで?結局マイル伍長以下、新放牧場建設の為の土地確保を命じた8名と、ライファル軍曹以下、シナークの街道関所街警備に当たった25名がいずれもその持ち場で地面に突っ伏してグースカ寝てたと?」


 ウィルとメルがラグナと出会って関所街に逃げ込んだ翌日、メルの家であるトバル家の邸宅は現地司令部として半強制的に召し上げられた。もっとも家主は皇都に行ったっきり帰って来ず、娘のメルも召し上げた方からすれば「失踪した」という扱いなのだが。

 そして皇都より現地司令部長として着任したラティール=コルセア大尉は、着いて早々呆れた顔で部下からの報告を聞いていた。


「ロヴェルの名を冠し、皇子からの覚えめでたき機甲師団第二聯隊の軍人がこのザマか。全く本部も使えない奴を寄越したな」

「申し訳ございません、詳細はそちらの報告書の方に」

 そう言って部下はコルセア大尉の目の前の机に置いた報告書を指した。その報告書には前日の夜、このトバル家の前で何があったのかの顛末が書かれていた。


「あぁ大体読んだよ。色々と気になることがあるが、まずこのトバル=メルーナともう1人の同い年くらいの男。この2人はどこへ行った?」

「その2人は行方不明です。報告書の後半に書かれていますが、謎の巨大な鳥のような影が空に現れて、その騒ぎの中で逃走したようです。追いかけはしたようですが捕まらなかったようです」

「その男の素性は分かっているのか?」

「残念ながら…」

 ウィルも言い争っていた軍人に誰何こそされたものの、結局名前を答える前にあの騒ぎだったので誰も名前を知らなかったのだ。


「ほう、まぁいいだろう。ではこの計33名もの兵隊が眠らされたと言うのは?」

 コルセアは少し機嫌の悪そうな声で部下に改めて問いただした。

「あの33人の中では最高位になるトイナ=ライファル軍曹に聞いたところ、『それがわからない。警備に当たっていたところ突然視界がぐらついて、気がついたら地面に倒れていた』と言っていました。念のため関所街の警備に当たっていた他の者にも聞きましたが答えはほぼ同じでした」

「ではこの邸宅前での話は?鳥のような影とはなんだ?」

 コルセアは報告書を持っていない方の手先を机にトントンと叩きながら聞いた。コルセアの苛ついている時の癖だ。

「そちらも8名全員に聞きましたが、『空に突然鳥のような影が現れて、急に捕縛しようとした2人の縄を切り、しかも縄を持っていた仲間を火だるまにした。ならば敵だと思って発砲したものの、弾は一切その影に当たらず気がついたら地面に倒れていた』と全員そんなようなことを言っていました」

「火だるまにされた?そんな奴いたか?」

 コルセアはさらに怪訝な顔をした。着任前に部隊について確認した際には負傷者や死亡者はいなかったはずだ。

「いえ、我々が現場に入った際にはそんな者はいませんでした。地面が焼けていた形跡もありません」

「と、なるとそいつはどうなったんだ」

「それが…他の兵隊と共にその場で寝てました」

 コルセアは報告に来た部下を怒鳴りたい衝動を必死に堪えていた。

 意味がわからない、馬鹿馬鹿しすぎる。今すぐ精査して報告書を出し直せ……と言いたいところだが、それは部下に言ってもしょうがない。努めて冷静な声で質問を続けた。


「ほう。その火だるまになったらしい者に火傷は?」

「いえ、調べましたが外傷はありませんでした。念の為師団病院で検査させています」

「で、その者も含めて全員が書いてある通り、全員その鳥のような影に眠らされたと?」

「はい、そのようです」

「話にならんな、そんな話を皇都司令部が信じるわけがない」

 そう言うとコルセアは大きなため息をついて、持っていた報告書を机に放り投げた。部下もそりゃそうだと言うような顔をしている。


「オルトゥスの方には検査を要請したか?」

「オルトゥスにですか?」

 部下は何故?と言うような顔をしてコルセア大尉に向き合った。

 イグナス連邦軍にはロヴェル機甲師団とオルトゥス魔法師団の、どちらもルメイ・イグナス叙事詩の英雄の名前を取った二つの師団があり、オルトゥスの方とはつまりオルトゥス魔法師団を指している。


「いえ、まだ何もしていません。とりあえず大尉に報告をと思いまして…」

「ではオルトゥスに連絡して現場と眠らされた全員を調べてもらえ。もしかするとちょっと面白いかもしれないぞ?」

 そう言うとコルセアは不敵に笑った。

「面白い…ですか?いや、わかりました。とりあえずオルトゥスには話を付けておきます。それと逃げたと言う2人はどうされますか?追いますか?」


 そう部下に問われてコルセアは少し考えた。

 順当に考えるのなら追うべきだ。いくら領主の16歳の娘と同い年ぐらいの子供とは言え、現場では捕縛すべきと判断されたのだから。…もっともその判断が正しかったか否かも当事者に聞かなければならないが。


 だが追うとなればこの報告書を皇都に報告した上で、しかるべき手続きを踏んで正式に2人を手配するべきだ。

 しかし冷静に考えればこんな話が信じられるわけがない。"鳥のような影"だなんて荒唐無稽もいいところで、その荒唐無稽のものにまんまと負かされて罪人も逃しました。なんて報告書を皇都に報告したら、むしろ現地司令部長たるコルセア大尉が叱責されかねない。そしてそうなると予見できるのならばコルセアが取る行動は一つ。


「いや、その2人は追わない。この報告書も俺は見なかった。いいな?」

「それで良いのですか?いや、コルセア大尉がそれでよろしいのであればこの報告書は無かったことにしておきます。

 あとオルトゥスへの調査依頼はどうされますか?表立って追わないのであれば聨隊間で話を付けるのは少しばかりややこしくなりますが」

 部下の言うことはもっともで、聨隊内ではいくらでもごまかしや粉飾などできても、聨隊間ではそうはいかない。いくらコルセアがこの報告書を握りつぶしたとしても、他の聨隊に何か調査を依頼するのであればそれ相応の理由が必要なのだった。


「そっちはやってくれ、気になることがあるんだ。理由はそうだな…『若干名が襲撃を受けた。魔法を使える敵方が侵入した可能性があるので、その痕跡を探ってほしい。味方を混乱させたくないので内密に頼む』ってところだな。あと当事者の33名は、オルトゥスの調査が終了次第元の任務に戻らせろ。調査結果はまず俺のところまで持ってくるように」

「承知しました。ではそのように」

 そう言うと部下は一礼し、司令部長室から退室しようとしたのだがコルセアに呼び止められた。

「お前はその鳥の影についてどう思う?」

「私見でよろしければ…話を聞いた限りではもの凄く大きい影だったようです。野生の鳥であんな大きさは見たこと無いと言ってる者もいました。

 そうでなければ、例えばオルトゥスの第二聯隊最高峰の魔術師と匹敵するような何者かが巨大な鳥の影を幻影のように見せて撹乱し、逃げたという2人を何らかの理由で手助けをしたとか…浅慮でしょうか?」

「いや、常識的に考えたらそうだろうな。ありがとう、下がっていいぞ」

「は、失礼します」

 部下は今一度礼をして、司令部長室を出た。


 現地司令部の外には兵舎や倉庫代わりとなる天幕が多数設営されている。前線基地になる司令部であれば弾薬や砲弾を置いたり武器を置いたりする倉庫が多数設営させる。だがこの司令部は戦闘の前線基地ではない割には、倉庫となる天幕がかなり多かった。

 窓からその天幕だらけの光景を眺めながら、コルセアは皇都を出発する前に交わした兄のアマルス中佐との会話を思い返していた。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「竜?竜だって?あの伝説の生き物とされる?」

 そう言ってコルセアは思わず兄、アマルスの顔を見た。

 アマルスは冗談を言うような男ではない。それが大真面目な顔で言っているのだから、伝説の生き物を見つけ捕らえたと言うのは本当だろう。

 稀に「竜を見た!」なんて嘘か本当かわからない法螺話を吹き込んでる者もいるが、そんなわけがないとまともに相手する人などいなかった。それがまさか本当に見つかるとは…


「そうだ、竜だ。あの伝説上の生き物である竜だ。まだ上層部しか知らない話だから他の誰にも話すなよ?

 どうもウチの第二聯隊とオルトゥスが共同で捕まえたらしい。どこで見つけたかは教えてくれなかったけどな。

 俺も見させてもらったがあのトーナル少佐よりももうひと回り大きかった、それもうずくまってた状態でだ。しかもそれでどうもまだ幼獣らしい」

 トーナル少佐と言えば背がとても高い男で、誰と並んでも頭一つほどは飛び出すほどだった。コルセアとは直接関わりは無いが、背の高さから否応無しに目立つので名前は知っていた。

「うずくまっててあのトーナル少佐より大きいのか…」

「ああ、全くあの化け物じみた生き物をどう捕まえてきたんだかって思うぐらいだ」


 確かに化け物じみている。竜だかなんだか知らないが、それだけの大きい獣を捕まえるのは並大抵ではないはずだ。

「いやすごいな、それでその竜をどうするつもりなんだ?」

 コルセアは驚嘆しながらも兄に問うた。するとアマルスはここからが本題だと言わんばかりに少し声を潜めて話し始めた。


「これもまだ上層部しか知らない話だが、どうもモロス皇子の発案で騎馬兵ならぬ騎竜兵隊を作るらしくてな」

「騎竜兵隊?」

 コルセアは疑問の目で兄を見た。

「だそうだ。いや、正直俺も実感は湧かない。それに第一皇子の発案だしな」

 聞きようによっては皇子に対する侮辱とも取れるアマルスの発言だが、コルセアは頷いた。

「それでだ、その竜の研究兼訓練場として沿岸の街であるシナークを選定したようで、そこに現地司令部を置くそうだ」

「シナーク…あの沿岸の港町か。あそこにそんなよくわからない部隊の司令部を置くのか?危険な気もするが」

「確かにな、シナークからソトール海を挟めばリハルト公国だ。そこは俺も分からなかったんだが、皇子がそこにしろと譲らなかったらしい。理由は知らん」

 そう言うとアマルスは踵を揃えて弟の方を向いた。

「そしてここからは中佐として命令だ」


 同じロヴェル機甲師団第二聯隊に所属するラティール兄弟だが、当然軍隊内では兄が上官。コルセア大尉も直立不動の姿勢で兄の方を向いた。

「命令、ラティール=コルセア大尉。本日をもって現職、第18防空隊隊長の任を解く。明日正午を以ってロヴェル機甲師団第二聯隊カグル駐屯地司令、ナック=ヤルハート大佐の指揮下に入り、シナーク現地司令部の指揮を執ること」

「受領しました!」

「詳しい作戦書なんかは着任後に現地に届く、まだ詰めきってないようだからな。お前も明後日にはシナークに移動のようだからその準備はしておけよ」

 受領しましたとは言うものの、コルセアは内心嬉しさ半分疑問半分といったような感じだった。

 これまでは一部隊長だったが、現地司令部の長となれば少佐も見えてくる。しかし任務が任務、正直騎竜兵隊なんて意味不明だ。

 ー何がなんだか…まぁ行ってみればわかるさ。

 そう呟いて荷造りやら引き継ぎの準備に取り掛かった。命令されれば従うのが軍人、なぜここまで異動命令が直前になったのかなど深く考えることなど無かった。


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 ドアをノックする音で回想から覚めた。

 入れ!と言うと、先ほどとは別の部下が封筒を持って入ってきた。

「失礼します!コルセア大尉宛の封書を持って参りました!」

「ご苦労、そこに置いておいてくれ」

「は!失礼します!」

 そう言うと部下は分厚い封筒を置いてすぐに退室した。襟章が第三聨隊の輜重隊のものだったので天幕等々の設営に忙しいのだろう。

 コルセアは「いよいよ来たな」と呟くと、封筒を手に取り封印を解き中の紙束を取り出した。

 その紙束の表紙には極秘の印と皇室枢密院の印共に「作戦 竜騎兵計画」と書かれていた。

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