第9話ラグナ-ユラフタス

「君は…誰なんだ?」


 ウィルはメルを庇うようにしてその少女に静かにそう問うと、戦うつもりで構えていた廃材を下ろした。その人影は腰に短刀を提げていたが抜くつもりは無いらしい。


「私はラグナ、ラグナ-ユラフタスと言います。エルストス=イルカラさんとトバル=メルーナさんですね?あなた方を探していました」

「ユラフタス?ユラフタスって確か…」


 聞き馴染みのある単語を聞いて、ウィルは幼かった頃、育ての親が話してくれた昔話を思い出していた。



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『〜〜竜は先人達らを祝福し、先人達をユラフタス〈盟友の民族〉と呼んで歓迎した。』

「ウィルや、この地は竜によって育まれた土地だ。お前も“竜の地”にいた子なのだから、この先きっと何があっても竜が見守ってくださる。大丈夫だよ」


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「〈盟友の民族〉ですか…?」


 そう言った瞬間ラグナの顔が驚きに満ち、そして一気に表情が明るくなった。


「そうです!まさかこの地でまだその名前で呼んでくれる人がいるなんて……」

「ウィルー?めいゆうのみんぞくって何?ユラフタスって言ったら”霧間の民族”のことじゃないの?ほら、瞳も青いし」

 メルが何が何やらわからないと言った表情でウィルと、ラグナと名乗る女性を交互に見ている。突然起こされたので兵隊が追ってきたと思ったら目の前には少女がいて、しかも自分たちを探していたと言うのだから無理はない。


 だがメルの言うことの方が正しい。ユラフタスとはイグナス連邦では〈霧間の民族〉のことだ。その名の通り森の深い霧の中で生活し、時折山で採れた野菜や果物、野草を街に売りに来る、青い目をした少し背の小さめな人達のことを指している。

 そしてラグナはその通り青い眼を持つ、メルよりも少し小柄な人だった。


「そうです、私は霧間の民族。皆さん、イグナス連邦に住む人たちにはそう呼ばれています。ただ正しくはイルカラさんの言った〈盟友の民族〉の方が正しい呼び方なのです」

「なるほど、なんだかよくわかりませんがとにかく私たちに用事があるのはわかりました。ただここに長居するのはよくない、とりあえずいったん離れて…」

「いえ、追手のことなら心配しなくても大丈夫です。この辺りの兵には全員眠ってもらいましたから」

 そう言ってラグナは歩き出そうとしたウィルとメルを引き止めた。

「眠ってもらった?」

 そう言ってウィルが訝しげな顔でラグナの方を見た。

「ええ、この街の警備兵とあなた方を捕まえようとした兵隊たちにも眠ってもらいました。とりあえず私たちが使っている隠れ家が近くにあります、詳しい話はそこでしましょう」

 対してラグナは万事お任せとでも言いたげな顔をしている。

 ラグナと名乗る女性が敵か味方か判然としないものの、こうして居場所が知れている以上は選択肢など無い。もし敵だったとするならば、逃げたところで結果は同じだ。


「わかりました。メルもそれでいいな?」

 メルも頷いた。家はどうなったかわからないし親もいない、どのみち後戻りはできないことをメルもわかっていた。


 *


 表通りに出て早々、目の前を兵隊が倒れていてウィルとラグナは思わず後ずさった。

 ラグナは「眠らせた兵士ですよ」と言っていたが、それよりも昨夜のことを思い出し捕まらなかったのがつくづく幸運だったと思い知らされたのだ。

 そんな夜明け前の無人の街中を歩いて少しのち、3人は関所街の中心にある一軒家に着いた。


「ここなら安全です」

「この家が?空き家にしか見えませんけど…」

 見た目は周りの家と変わらず年季の入った家だったが、窓には板がはめ込まれていてまるで空き家のようだった。

 窓から入ってくる太陽の光で床が日に焼けたり、家具が変色したりするのを防ぐために、空き家や長期間人が住んでいない家には窓と明かり取りの天窓に板をはめるのが普通だ。ここは鉄道開通と共にかつての活気を失った街道の関所街なので、そういう家があっても不自然ではない。


 ラグナは戸の前に立つと、戸の脇にある不自然な穴にポケットから取り出した木のカードのようなものを差し込んだ。

 すると戸に付いている鍵には触ってないのに、鍵が音を立てて外れる音がした。

「一応ここは私たちユラフタスの隠れ家ですので、侵入者防止の為にこうなっているのです。戸に付いている方は偽物で、この穴の方が本当の鍵なんですよ。それで、この木を差し込んで特殊な魔力を流すと鍵が開くんです」

 そう言ってラグナは木のカードを引き抜いた。

「ずいぶん手が込んでるんだなぁ…」

 ウィルが感心したように見ていると、

「普段はもっと戸の鍵を開けるように自然にやるんですけどね。でも今は兵隊には眠ってもらってますし、イルカラさんとメルーナさんしか見てませんので」

 とラグナは少し笑いながら先ほどの木のカードを抜いて戸を開けた。


 家に入ると中には簡単な机と椅子があり、そして何より壁一面の本棚が存在感を放っていた。

 定期的に使われているのか埃がたまっていたりもせず清潔に保たれている。

「すごい本棚ですね」

 思わずウィルが感嘆の声を上げる。

 ラグナは腰に提げていた短刀を置くと、ウィルとメルのための敷物を敷いた。

「とりあえずここなら落ち着いて話ができますね。お茶を淹れてくるので少し待っててください」

 そういうとラグナは他の部屋に行ってしまった。


「ねぇウィル、あのラグナって人は私たちに何の用事があるんだろうね?」

 ラグナがいなくなった途端にメルがウィルに囁いた。

「全くわからん。あんまりユラフタスって関わり無かったし、目的もわからん。と言うか俺とメルじゃなければいけない理由がな…」

 そう言うとウィルはラグナが置いていった短刀に目をやった。

「ただ俺たちの敵なら、ああして武器になり得る短刀を置いていくのは不用心が過ぎる。逆に言えばあの人に敵意は無いってことだ、やろうと思えばいつでもあの短刀を奪って逃げられるのにな」

 そうして小さい声で話していると、ラグナが盆に碗を2つ乗せて戻ってきた。そして碗を置くなり、話を切り出した。

「ここまでの経緯を話すと長くなるのですが、まず結論から先に申し上げます。イルカラさん、メルーナさん、私たちの盟友である〈竜〉を助けてほしいのです。」


 ウィルもメルも一瞬呆気にとられてしまった。というのも竜なんて神話か物語の中での生き物とされており、ごく稀に皇都で「竜を見た!」なんて狂言だか大ボラだかわからない噂話で聞く程度のものなのだ。竜だなんて子供だって本当にいるとなんて思っていない。

 それをまさか面と向かって、いたって大真面目に竜がどうのと言われるとは思わなかった。


「竜?竜ってあの??いやそんな突然竜だなんて…」

 一瞬破顔しかけたメルだが、真剣そのものといった表情のラグナを見て慌てて押し黙った。

「……そうですよね、普通はそうだと思います。あれは神話の中の生き物と思われてるようですし。

 ただ…本当に竜はいます、実在します。あの時、あなた方が縄を打たれそうになったときに空に現れたでしょう?あれはあなた方を助けるために私の相棒の竜と飛んだのです」


 ーそういえばあの時空に突然現れた影…あれが竜だったと言うのか…?

 ーあの時は逃げるのに必死でろくに見る暇も無かったけど、確かに翼があった。空も飛んでたし。だけど鳥だとすれば不自然なほど大きかった、あんなに大きい鳥がいるなんて聞いた事も無い。


 竜ってあんな風に鳴くのか?どこに住んでるんだ?など聞きたいことは山ほどあるが、ウィルとメルにとって今言うべき言葉はひとつだ。

「ありがとうございます。あそこで兵隊の目を引きつけてくれなければ今頃自分もメルーナも牢屋の中でした」

「そうだ、ありがとうございました。貴女のおかげで私たち助かりました」

 そう言って2人揃ってラグナに頭を下げた。


「いえいえとんでもない!むしろこの時期にイルカラさんとメルーナさんに出会えた事は私たちにとっても僥倖でした…」


(僥倖って何?)

(ラッキーだったってこと)


 コソコソと話しているウィルとメルを見てラグナはちょっと笑っている。


「さて、あんなところで眠っていたら疲れも取れないでしょう。詳しいことは明日話しますので今はゆっくりお休みください」

 そう言ってラグナは奥の部屋から寝具を準備してきた。


 確かに今は寝た方がいい、メルも態度には出ないが疲れが顔に出ている。あんな路地裏で座ってるだけで疲れが取れるはずもない。

 ただウィルには寝る前にどうしても聞きたいことがあった。

「ラグナさん」

「どうしました?」

「どうして自分とメルなんですか?その、竜を助けるのならもっと屈強な人の方がいいと思うんですが…」

「ああ、確かにその理由をまだ説明していませんでしたね」

 そう言うとラグナは寝具を準備する手を止めた。


「まずメルさんには素質があります。竜と意思疎通をして、竜を操る素質が」

 寝具の準備をしていたメルが手を止めて目をぱちくりとさせてラグナを見た。

「私が…竜を…?」

「メルさんは魔法は得意なんですか?」

「あ、えーと、シナークの魔法学園に通ってますがその中では結構成績もいい方だと思います」

 そう言うとメルは照れ隠しのようにうつむいた。が、いい方と言うかメルは主席だろ?と、横やりを飛ばしてきたウィルをはたいて「それはいいの!」と言うとまた寝具の準備を再開した。


 それを見ていたラグナが、

「おふたりはとても仲良しなのですね」

 と笑うものだから2人して「幼馴染です!」と言いつつ顔を赤らめていたが。


「でもやっぱりそうなんですね。実は竜も魔法を使いますし、私たちユラフタスも魔法を少しは使えます。そしてユラフタスが竜と意思疎通をする時、魔法を使うのと似たような原理で行うのです。なので魔法が使えて、かつ得意な人ほど竜との相性もいいのです」

 なるほどという感じでメルは頷いた。


「なるほど。だとすると魔法なんてからっきしの自分は?」

 ウィルがそう問うとラグナはウィルに改めて向き直った。

「イルカラさん、貴方は私たちの言うところでは『ユラノス』という人なのです」

「ユラノス…とはなんですか?」

 ウィルは思わず聞き返した。メルと違って魔法学園ではなく普通の学園を出ていて魔法は使えない、それなら関係無いのではと思ったらまたよくわからない言葉が出てきたからだ。

「ユラノスとはつまり、ユラフタスの血を引いていて、かつ"竜の地"の力を持っている人のことです。私たちにとっては"竜の地"は禁忌の地、普通立ち入ったりはしないところなのですが…」

「ユラフタスの血を…?私がユラフタスの血を引いているというのですか?」

 ユラフタスと言えば碧眼、と言ってもいいほど青い目の印象が強いユラフタスだが、ウィルの目は普通の黒目だ。

「はい。と言っても私も、私たちの長からの指示であなた方2人を連れて行くのであまり詳しいことは聞いていません。ただ一つ言えるのは、イルカラさんの父親はユラフタスだったということです」

「私の父親がユラフタス?」

 ウィルは戸惑いを隠しきれなかった。孤児であることは知っていたが生い立ちの話など誰もしてくれなかったし、大方事故かなんかで両親ともに亡くなったのだろうと思っていたウィルにとっては、その父親がユラフタスというのは意外でしかなかった。

「そうです。そこまでは私たちの方で調べがついているようなのでおそらく間違いありません」

 話したこともないユラフタスの人に突然そんなことを言われても俄かには信じられなかったが、状況が状況だし今は親より今後の話なのでとりあえず納得しておくこととした。そういった疑問は後からでも解消できるが、これからのことは今からでも変えられる。


「なるほど…では”竜の地”と言うのは?」

「竜の地と言うのは地下に大量のエネルギーを秘めた土地のことで、イグナス連邦ではアロウ平原と呼ぶところだそうです。このシナークから割と近いところにあったと思いますが」

「え…?」

 ウィルとメルが同時に声をあげた。


 外はいよいよ夜も明けてきて、夜間外出禁止令の時間を過ぎたのか少しずつ人の声が聞こえてきていた。

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