終章 異世界債権

 まるで溢れた雨の雫の跡を辿るように幾筋もの隊列が裁定場から流れて出していく。

 嵩のある一団は貴人の車を、歩調を落として追う塊は怪我人を乗せた荷車を擁している。まだ動かすのも侭ならない重症者は、草原の縁の天幕で治療を受けていた。とはいえ郷里の境なく並んだ病床は幸いそれほど多くない。

 シンは皆をその場に待たせ、ニアベルと二人で退出の最後尾となった王里オードの控えを訪れた。

 今となってはシンもその耳を隠しておらず、王里オードの皆はその姿に身を強張らせた。中には傍のニアベルが誇らしげに揺らす尻尾に目を奪われている者もいる。

 普通に考えればおかしな格好だと思うのだが、ニアベルはその尻尾が気に入ったらしくゴブリンの皆にも自慢して回っていた。

「今更ながら貴殿には世話を掛けた。館でのことは謝罪のしようがない」

 バルターはシンを迎えてそう言った。見渡せば複数の官吏や側仕え、後ろには白い頭巾の算術士たちがいる。ニアベルはその中にヴェルナを見つけ、殺意を隠そうともせず睨み付けた。

「こちらこそ」

 シンは肩を竦めて応えた。仕種が伝わるとも思えないが、バルターの目許は何となく読み取れる。耳を失ったことで感情が顔に顕れるようになったのだろう。皮肉にもそれが分かるのは耳の動かない世界から来たシンだけだった。

「審神者と成られたからには貴殿の望みにも応えねばなるまいな」

 バルターは顔に再び薄絹を戻していたが、郷から同行した古参の官吏は別として、先の議論で初めて素顔を知った者も多いに違いない。

「これでよかったのか?」

 バルターは魔王になり損ねた。トロルによる圧倒的な暴力と恐怖をシンの馬鹿げたパフォーマンスが上書きしてしまったからだ。

「里として十分な勝ちは得た。それに比べれば何ものも惜しくはない」

 大仰なことを言う。シンは気後れして口許を顰めた。

「もちろん今後も郷は我らを『欲しがり』と罵るだろう。まだ理解し合えるとは思えない。だが、ようやく始まった」

 シンは感嘆の息を吐いた。正直、少し呆れてもいた。やはり自分には面倒で出来ないことだ。決して同じ境遇とは言えないが、互いに理不尽を礎にしても行き着く性格は違うのだ。

「あんたたちの寿命は長い、せいぜいゆっくりやることだ」

 シンはそう言ってバルターにも分かるように後ろに目を遣った。

「すまないが、俺の世界の物は返して貰う」

 目線を受けてヴェルナが後退った。籠飾りに入った探査プローブだ。ノームの見せた人のような仕草に周囲の官吏が驚いていた。

「今さら拒みはしない」

 シンが訪れたときから予想していたのだろう、バルターはあっさり同意した。

「力尽くにならなくて幸いだ。それなら少し甘えさせて貰おう」

 シンはヴェルナに手を差し出した。

「ヴェルナ、それと一緒に俺の所に来い」

 頭巾の縁がびくりと震えた。

〈シン〉

 デルフィの責めるような舌打ちと同時にニアベルが思い切り腕に爪を立てた。軍用兵装のガーメントがあっさり爪を通したせいで思わず悲鳴を上げそうになる。

「そういうのはオレにしか言うな」

 ニアベルは犬歯を剥いてシンを睨んだ。

〈調子に乗るんじゃありません、ニアベル〉

 面倒になったシンはニアベルを引き摺ったままヴェルナに歩み寄る。近くの側仕えが慌てて退いた。身じろぐヴェルナの手を取り、少し強引に引き摺り出した。数歩を引かれ、ヴェルナは観念したようにシンに付いて歩いた。

 シンがヴェルナを欲した理由は単純だ。探査プローブと交信している以上、ヴェルナも手元に置かねば管理ができない。それは今後の計画にも係わることだ。分かり切ったことなのに、二人が騒ぎ立てる理由が分からない。

 シンはそのまま去ろうとして、ふとバルターを振り返った。

「それと、気が向いたらアルヴィを寄越せ。あの子には世話になった。気休めでよければこちらで診よう。少なくとも親よりは長く生きられるよう努力する」

 束の間バルターは呆然とシンを見つめ、次いで胸に手を当て深く頷いた。それは確かターヴにも見た仕草だった。エルフの礼か何かだろう。シンは勝手にそう思うことにした。少なくとも拒まれてはいまい。

 ヴェルナは朱い目でシンを仰いでいる。手を引かれて歩くうちも、ずっと逸さずに見つめ続けていた。ニアベルはその反対側でシンの腕を掴んだまま、こちらもずっとヴェルナを威嚇し続けている。

〈固有名を登録します。人名:スメアゴル〉

〈彼女はヴェルナだ。間に合ってる〉

〈おや、そうでしたか〉

 デルフィは鼻を鳴らすような音を立てた。

 シンを迎えたガリオンとターヴは、シンと二人の少女を見てただ肩を竦めて見せた。カーミラたちゴブリンもひとしきり耳先を振って息を吐く。どうにも居心地が悪い。こちらの仕草を真似るにしても、何か言って欲しかった。


「しかしアニさんも無事でよかった。会いに行った姫さまごと行方知れずで随分経っちまいましたからね」

 天幕では堂々としていたものの、辺りが見知った顔だけとなるやルトは子供のように大きな声を上げた。気の良い美丈夫は相変わらず騒々しかったが、案の定カーミラに鬱陶しいと蹴り飛ばされた。

「ですがシンさま、いきなり旗揚げだなんて。先に知らせておいてくれたら根回しもできましたのに」

 言葉の意味が微妙にわからず、シンはカーミラに訊ね返した。

「草原を借りるだけだぞ?」

「でもここですよね? 裁定場」

 シンは頷くもカーミラと二人してきょとんとする。郷里のほかに土地を管理する組織があるのだろうか。領土の線引きや地税は目的に応じで生じるものと理解していたのだが。

「シン、裁定場は霊峰と同じ公益地だ。『種衆』と数えられた者だけのものだし、まして専有となればシンも異人でいるわけにはいかん」

 ガリオンが残り少ない顎髭を扱きながらシンに言った。

「ここ千年はなかったが、新興の種衆を名乗ることにはなるだろうな」

「領地と宣言したからには国のひとつもないと格好がつきませんからね」

 呆れたように続けたターヴは、ことの重さにも拘らず口許に笑みを堪えていた。

「こちらの決まりごとですから諦めてください。雄弁も考えものですね」

 言葉をなくしたシンに向かってデルフィは他人事のように囁いた。

〈これは、これは。思ったより大事でしたね〉

 アシスタントの口調が気にならないほどシンは狼狽えていた。あまりの面倒に気が遠くなる。胃痛に血を吐く寸前だ。また調子に乗ってしくじったらしい。

 だが、もとを正せばこの場所が必要なのは頭上にゲートがあるせいだ。それもゲートそのものではなく、実験殻の固定座標として。

 それは万一の保険であって、シン自身は人類版図ガラクティクスとの繋がりに固執していない。目的を果たすまでの居場所さえあればよかった。

〈デルフィ、ゲートの蒸発シークエンスを――〉

「まあ落ち着きなさいよ」

 不意にシンの耳許にフースークの声がした。思わず辺りを見回すものの姿はない。

「ともあれ先にここと汎銀河ネットワークストリームを繋げて欲しいかな」

 呆然とするシンに追い討ちを掛けるように能天気な声が続ける。

〈シン、時限コードが仕込まれています。いつの間に――〉

 焦るデルフィを遮ってフースークが応えた。

「これは応対プロラムだからね。何を言ったってぼくには聞こえないよ?」

 予め仕掛けておいたのだろう。シンの債権者であるフースークには、アシスタントも含めてすべての装備に上位権限が設けられている。

「もちろんゲートはとっくに固定したからね。消してしまうなんてもったいない」

 ゲートの工作も知られていたようだ。生成できるのがシンだけといえ、固定されてしまえば手が出ない。むしろ物質化した空間と同じで破壊しようがない。

 消失させる手もなくはないが、その結果の不確定さに気が遠くなるほどの指数が付く。異世界に穴を開けるどころでは済まないだろう。

「何を企んでる」

「企んでるのは君の方だろう?」

 しれっとフースークは言葉を返した。

「そうだね、例えば行方知れずの探査プローブの捜索とか?」

 シンは大きく息を吐き、観念して心の中で両手を上げた。

「きっとその世界のあっちこっちの時間に飛んで、影響を与えているんだろうね。下手をすると、これほど彼らが地球原種アースリングに似ているのにも訳があるのかも?」

 いちいち肺腑を抉られるようだ。

「聞いてくれ」

「止めやしないよ」

 フースークの声が重なった。

「言っただろう、修正するならこれも債務の内だ。まあ、できれば経費は抑えた方が君のためだ、山のように追加した装備も含めてね」

〈もうばれているみたいですね〉

 デルフィが呻いた。

ゲートもその世界も全部君の担保として認めようじゃないか、僕は太っ腹だからね。君の完済を期待してる」

 言いたいことだけを言って、フースークの応対プロラムはさっさと自壊してしまった。

 シンは暫し頭上のゲートを見上げ、今すぐ行ってフースークに直接抗議すべきか迷った。あの惚けた資産家の真意がまるで分らない。

「どうした、シン」

 立ち尽くすシンを怪訝に思ったのか、ニアベルが腕を引いて顔を覗き込んだ。

「腹が減ったのか?」

 シンは頭の中を整理しようとしてニアベルの髪を掻き回した。怒ったように口を尖らせながらもニアベルは掌に額を擦り付け、ぐるぐると喉を鳴らした。

 蛇のようにくねるニアベルの尻尾を、カーミラたちは後ろから微笑ましくも羨ましそうに眺めている。

「さて、何にせよ忙しくなりますね」

 ターヴがシンに微笑んだ。顔に表情を作るのもすっかり手馴れた様子だ。

「とりあえず陣幕の資材をかっぱらって来ましょうかね」

 ルトの声にシンはぼんやりと頷いた。当面はこの場所に腰を据える必要がある。

「そうだな、あれに届く高台を造るか」

 シンはゲートを見上げて溜息を吐いた。

「そりゃあ大変っスね」

 ルトがぽかんと口を開ける。

「住むところも造らないとだね」

 途方に暮れつつヨアとヘスも顔を見合わせた。面倒ごとは増える一方だ。片付けねばならない問題が山ほどある。最初は、そう、せめて夜露を凌ぐ場所くらいは必要だろう。

「なに、トロルたちも働いてくれるだろう」

 ガリオンはきょとんと佇むヴェルナに目を遣り、少し複雑な顔をして言った。

 シンは皆を見渡して、この日何度目かの小さな溜息を吐いた。ずっと人と係わらないよう生きてきたつもりがこの有様だ。

 彼らとは世界が違う。生態も慣習も何もかもが違う。きっといつまでも全員がとひとつ所にいるのは無理だ。シンの許容する世界はそう広くない。今も小さな箱庭のように偏狭なのだ。

「シン、何が食べたい? 兎か猪か、魚でもいいぞ? 獲り方も教えてやる」

〈何度言ったら分かるんですニアベル、爪を立てるのはやめなさい〉

 それでも、そんな場所に勝手に住み着く猫くらいはいるかも知れない。

 今のシンはそう思う。

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愚者の箱庭 marvin @marvin

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