第三章 ゴブリンの手下

#アシスタントD3342PA備忘録

 汎銀河ネットワークストリーム人類版図ガラクティクスの圏内で途絶するなど、とにかく有り得ないことです。それは私たちの混乱に輪を掛けました。

 私もシンのインプラントも、恒常的に汎銀河ネットワークストリームにリンクしています。機能の大半がそこにあるのです。

 いわゆるネットワーク依存などではなく、常時遠隔制御のペースメーカーを付けている状態、と言えばお分かりいただけるでしょうか。

 私たちがこうして生存しているのは、偏に過酷な帝国アウター出張の賜物でした。たまたま優れた自立性を有していたからにほかなりません。

 もっとも言語解析ひとつとっても運用は厳しい状況です。転換プラントを使ってリソースは融通できるのですが、それゆえ配分を誤ればシンの安全確保が手薄になってしまいます。

 鉄器を振り回す蛮族が闊歩するこの世界で、それだけは何としても避けなければなりません。殲滅する方がよほど簡単なのですが、シンときたら――(以下、八五六二文字を割愛)。

 もちろんこうした厳しい状況がプラスに働く場合もあります。私とシンの絆は言うまでもありませんが、シンの対人忌避症も目の前の危機に対しては改めざるを得ないでしょう。もちろん相手の人選には細心の注意が必要です。

 忌まわしい生物的な性対象などもってのほか、庇護欲の対象もあり得ない選択肢です。特にあの不潔な野良猫は間違いなくシンに面倒を呼び込むに違いありません。絶対にダメです。


 *****


 陽気に歩くニアベルに引かれ、シンはただ後を付いて歩いた。

 ニアベルは気まぐれに辺りを進んで行く。道のあるなしも関係ない。およそ無計画にあちこちにシンを引っ張り回した。

 目的地は何処だとシンが訊ねると、しばらくぽかんと考えた挙げ句、何やら急に柔毛に縁取られた長い耳先をぴんと立て、王里オードという名の集落に行こうと言い出した。

 何も考えていなかったのかも知れない。

 ニアベルの言うところ、シンの耳の形やおかしな身形からして異人に違いない。だが、あまりにものを知らないのは、きっと頭の打ち所が悪かったせいだ。

〈頭が悪いのはこの原住生物の方では?〉

 つまりニアベルはシンを医者に診せたいらしい。王里オードまではまだ多少の距離もあるが、そこならニアベルのツテがある。何よりこの辺りでは最も大きな集落だという。

 シンはその一点で同行に同意した。この場を離れるのは不安だが、消失したゲートを復旧させる手段は実験殻にない。シンがここにいる以上は不可能だ。

 ゲートを再生成しない限り、シンの帰還は否応なく物理的な距離を渡らねばならない。その最大の課題が汎銀河ネットワークストリームとの再リンケージだった。

 例えニアベル自身が知らなくても、この世界の何処かに人類版図ガラクティクスの手掛かりがあるはずだ。大きな集落なら探索に好都合だった。

 できることなら独りでいたい。相手が陽気な猫でもだ。だが危機感もさることながら、感情不要のコミュニケーションが容認されたことで、シンの対人距離の気後れは一時的に棚上げされていた。

 もちろん彼らのコミュニケーションは共感が主流だ。恐らくシンは工業機械以下の無表情に見えているだろう。それでもシンが受け入れられたのは、ニアベル自身の性格に因るところが大きいに違いない。

 シンは会話も得手でなく、質問にも訥々と答えるだけだが、ニアベルはそんなシンに向かって、脈絡なく笑ったり怒ったり拗ねたり自分勝手に迷走する。

 気まぐれな仔猫に行き先を委ねるのは、シンには思いのほか気が楽だった。

王里オードまではまだまだ歩くぞ。ここいらには『旅小屋』もないし、今日は野天の飯と寝床だ。心配すんな、オレが用意してやるからな」

 ニアベルはすっかりシンの保護者気取りだ。とにかくよく喋る。前を歩き、振り返り、横に並んでは、あちこち見たり匂いを嗅いだり、くるくると周囲を廻ったりする。実に落ち着きがない。

 会話は適当に流せたものの、いたずらに語彙だけが蓄積され、その都度アシスタントの愚痴と命名宣言が脳裏に響く。それだけが鬱陶しかった。

〈拘束と尋問を提案します。ゴブリンが地球原種アースリングに準じる精神構造であれば、四二通りの洗脳を試みることができます〉

 アシスタントはニアベルに手厳しい。そもそもシンと意見が食い違うのは、ニアベルらゴブリンを地球原種アースリングの別種と定義していることだ。

 帝国アウター を訪れた経験上、これほど地球原種アースリングに酷似した生物が異種族であるはずがない。感覚的にも認め難かった。

「人に会う前にその耳を何とかしなければな」

 ニアベルが思案している。シンが頭を打った拍子に耳も外れてしまったのだ、くらいのことを考えているに違いない。シンはニアベルへの説明や説得を早々に諦めていた。

 異人という癖にニアベル自身はシンに忌避も畏怖も感じている様子がない。ニアベルが勝手に納得しているものを、わざわざ複雑な解説で否定する必要はないだろう。シンはそう結論付けた。要は面倒だったのだ。

 とはいえ放置すればどんな破天荒なことを言い出すか分からない。ニアベルがシンの耳を引っ張って伸ばそうとしないうちに、シンはガーメントのリソースを割いてフードを作った。

 この世界で耳を見せないことの社会的意味に不安はあるが、隠せば当面の問題からは逃れられるだろう。

 ガーメントが勝手にフードを紡いでいくのを、ニアベルは文字通り目を丸くして眺めていた。やはり彼女の周囲に普及している技術とは格差が大きいようだ。

「何とかさまになってるな。『ヌフシュ』みたいで変だけどな」

 ガーメントのフードをつついてニアベルは耳を震わせた。

「ヌフシュとは?」

「シンは何にも知らないな」

 ニアベルは犬歯を剥き出した。自分が偉くなった気がするからか、シンが訊ねるたびニアベルは楽しそうにする。もちろん本当の感情はよく分からない。どうやら不随意らしいゴブリンの外耳を読み解くのは思いのほか難しかった。

「オレもよく『世間知らず』と呼ばれたが、シンは酷い、オレより酷いな」

 読み解けない語彙に引っ掛かったが、今は敢えて突っ込むまい。

「だから――」

「しまった、まだ飯を捕ってないな。今日はどうしよう、『兎』にしようか、『魚』より兎だな。よし、ちょっと待ってろ」

 ニアベルはひとりで言って納得すると、するりと茂みに入ってしまった。

 シンはポツンと取り残され、その場にひとり立ち尽くした。万事がこの調子だ。出会って間もないのに、すっかりニアベルの気まぐれに振り回されている。

〈私の提案を再検討すべきだと思いますが?〉

*却下

 ニアベルは素直で正直だ。一見は粗野だが知性も高い。だが自分の理解の及ばない状況に頑なで、すぐに思考を放棄する。話を聞こうとしないのだ。

 あれはゴブリンの性格か。それともニアベル個人の資質だろうか。いずれにせよ情報源としてのニアベルはまるで役に立たない。

〈私のカウンセリングが必要ですね? 今こそ信頼のおけるパーソナリティとの対話がシンのお役に立つはずです〉

*自己診断開始

〈五七〇秒前に実施していますが〉

*自己診断開始

 シンは自身の人嫌いを自覚しているが、もしかしたら原因の一端はすぐ近くにもあるのではないか。そんな気がしてきた。

〈はい、はい。自己診断を開始します〉

「晩メシだ」

 不意に茂みから腕が突き出した。ニアベルが和毛の哺乳類をぶら下げている。

 兎のようだが記憶にあるものと比べて体形や色合いが地味だ。どうやら原種に近いらしい。環境の再現性がマニアックだ。

「二人だからな、これだけだ。シンはたくさん喰うか?」

「いや」

 むしろ動物を解体して食べるなど、できれば遠慮させていただきたい。

「そうか、だからそんなに細いのか、もっとたくさん喰った方がいいぞ」

 犬歯を剥き出してニアベルが言った。踊るようなその耳先を見ても、笑っているのか心配しているのかよく分からない。表情の変化が少ないからだ。溜息を吐いてニアベルを眺めた。

 茂みに分け入ったにも拘わらず、ニアベルの滑らかな肌には傷ひとつなかった。二の腕、膝下の柔毛の他は剃ったようにつるんとしている。こうして肌を晒している割には色も艶のある淡い褐色に留まっていた。

 あのウルスラもニアベルも肌の露出が多い。四肢は付け根の近くまで、腹も臍まで剥き出しだ。山歩きはもちろん、日常的に刃物を振り回しているにしては軽装過ぎるような気がした。

 彼らがどこか作り物めいて見えるのは、そうした装いのせいかも知れない。

「何だ、ゴブリンが珍しいのか?」

 ニアベルが耳の先を赤くして身を捩った。鼻根の皺や充血は身体的な反応だが、これも耳の動きと合わせて複雑な感情を表現している。実にややこしい。

 それらを体系化して整理すれば少しは理解もできるだろうが、結局は感情の発信に難がある。耳の動きを伴う彼らの共感性はハードルが高い。何よりシンが他者に感情を伝えるハードルは、それ以上に高かった。

「ゴブリンは皆そんなに身軽なのか?」

 思案とは別にシンはそう訊ねた。

 身なりは気候や服飾技術の問題でもなさそうだ。加えてニアベルは手持ちの荷物もほとんどない。細々としたものは腰帯に下げているが、目に付くのは尻の上に佩いだ鉈くらいだ。

「シンみたいに身体をたくさん覆うのは山歩きが遅くて不器用な証拠だ。『ドゥーフ』も『エフィル』も恰好が悪い。オレはそんな格好の悪い服は着ない」

 身を躱す技術にステイタスがあるということだろうか。社会性に裏打ちされた布地の少なさなら、なおのことゴブリンに生まれなくてよかった。

「着てみたいのか? オレのと交換するか?」

「遠慮する」

「そうか、勝手に繕う服なんて珍しいもんな。格好悪いから羨ましくないけどな」

 耳がそっぽを向いている。

 不意にニアベルはシンに兎を突き出した。おまえが持てというのだろう。シンが兎の耳を掴むと身体が垂れてゴムのよう跳ねた。それがどうにも不安定で、仕方なく両手に抱える。

 シンのその姿を見てニアベルはまたひとしきり耳を震わせた。

 ニアベルが再び先頭を切って歩き出す。道々唐突に薮に入ったかと思うと、薪や山菜を集めてシンに抱えさせる。アシスタントは非難頻りだが、シンは文句を言うのも煩わしく大人しく荷持ち役を務めて歩いた。

 ニアベルが夕餉の場所に選んだのは川縁の近くだった。

 手慣れた様子で調理場を組むや、大鉈と小振りな刃物を取り出して器用に兎を捌いた。一部は焼いて夕食に、残りは洗って次の食材にと葉物で包む。

 土手に上がって簡単な竈を拵えると、兎を山菜と一緒に焼き始めた。碌な道具もなしに器用なものだ。シンは手の出しようもなく終始手持ち無沙汰だった。

「喰ったことあるよな?」

 串に通した肉の具合を確かめ、ニアベルはシンにそう訊ねた。

 あるわけがない。とはいえ説明するのが面倒で、シンはそのまま口に運んだ。

 帝国アウターには自分の手を喰わせる者もいた。よりによってシンの手も食べさせられそうになった。そんな食事に比べればまだましだ。

*減菌して摂取

〈対応酵素を解析、生成します〉

 味も匂いも咽るほど情報量が多い。しかも雑多な要素が混成された偶然の風味だ。基本食材にフレーバーを付加する人類版図ガラクティクスの調理方法とは根本的に手順が逆だった。

「串まで喰おうするなんて、よっぽど腹が減ってたんだな」

 見よう見まねで片付けを手伝っていると、ニアベルは真顔でそう言った。いや、その耳先は踊っている。呆れているのか笑っているのか。たぶんそのどちらもだ。

 串は食べていない。木の柄を少し齧っただけだ。それも言い訳じみていると思い直し、シンは説明を省いた。初めて食べたにしては上出来だったと内心は憮然とする。

 陽が落ちると辺りはあっという間に真っ暗になった。大気が澄んでいるのか、成層圏から見るほど星の数が多い。ただ人工的な光はもちろん、位置の関係か衛星も見当たらなかった。

 晩メシと言う割に早い時間だと思ったが、なるほど通常の可視領域では何も見えない。灯りは足許の焚火だけだ。

 だがこの頃合いにしか出来ないこともある。星がよく見えるのは好都合だ。

*座標計測、星系を特定

〈参照データがありません。文化ライブラリを検索、シミュレーションしますか〉

 失念していた。確かに汎銀河ネットワークストリームに照合できなければローカルデータに手掛かりを探す他ない。

 *余剰リソースを使用

〈優先度低で実行、残り八七〇〇〇秒〉

「あのウルスラを負かしたのが、こんな世間知らずなんてなあ」

 薪を突つきながらニアベルが喉の奥でぐるぐると音を立てた。耳の先がそよぐように動いている。含み笑いのようなものだろうか。ニアベルの機微はよく分からない。

 だがそんなのは今までの生活でも同じだった。相手がどう思っているかなんて分からないし、どう伝えてよいかも分からない。

 だがここでは彼らにとってもそうなのだ。シンには伝えるべき耳がない。単にニアベルがお構いなしなだけだ。

「あの女が言っていたが」

 なのでシンもニアベルを真似て、お構いなしに言ってみた。足許に放り出したウルスラの山刀に目を遣って訊ねる。

「代闘士って何だ」

 ニアベルがきょとんとする。

「本当に何も知らないんだな」

 さすがに心がささくれた。これでも気の遠くなるような億劫さを乗り越え、あえて無為なコミュニケーションに挑んだのに。

〈相手は野良猫です。シンの理解者はこの私の他にありません〉

 ニアベルは顎をつんと上げ、どことなく自慢気に話を続けた。

「オレがそうだ。八軒王里オードの『客兵』で里の代闘士。他にはまあ『ガリオン』と『ターヴ』もいるが、オレが一番強い。あいつらは『学者』で選ばれた口だからな」

 どうやら里は小規模な自治国家で、紛争解決の代理人としてニアベルのような代闘士チャンピオンを雇い入れている。そういうことだろうか。

「ウルスラは郷都ゴートの客兵だけど、代闘士の次点だからオレより弱いな」

 ニアベルが属するのは王里オードもしくは八軒王里オードで、敵対するのが郷都ゴートだ。

 里と郷の区別はまだよく分からない。集落には変わりないが、規模や統治形態、あるいは都市機能が異なるようだ。

 いずれにせよ、知らない間に巻き込まれた厄介事は晴れて組織紛争にまで格上げされた。ニアベルに付いて行くんじゃなかった。

「ニアベルみたいな子供が代闘士なのか」

「誰が子供か、十五だぞ」

 シンの見立てが気に入らなかったのか、ニアベルはみゃあみゃあと喚き立てた。

 いや、子供だろう。ゴブリンの生育が一般的な地球原種アースリングと同じだとしても、見掛けはまだ二次性徴前だ。

「オレは皆より早く大きくなったんだ。黒顎クラギの郷長だったんだぞ」

 その歳でか、と言いかけて口を噤んだ。これ以上地雷を踏みたくない。

「言ってなかったか? オレのところは変わっていてな、『英傑』の血縁が跡を継ぐんだ。だからオレには親の名が付いている。ニアベル・『グルンシルト』だ」

 それがニアベルの本名らしい。正直、血縁が跡を継ぐのが変わっているというのは、見た目に想像する社会性とは印象が異なっていた。

「変わっているのか」

「この世間知らずめ、普通は姓に郷を名乗るだろう。でもオレは郷を出たからな、クラギもグルンシルトもおこがましい。だからただのニアベルだ」

 どうにも紛らわしい限りだ。

 ニアベルは郷の出だが今は里の代闘士をしているという。ならば里と郷は必ずしも対立するものではないのだろうか。

「まあ、それはな。郷都ゴートはここいらの元締めだから黒顎郷クラギが郷に付くのは道理だろう。でもうちは他と違って血も継ぐし、若い衆も多い。子育てと供養だけじゃ人を持て余すからな。オレは里に付くことにしたんだ。その方が仕事も増えるしな。だから郷長は下に譲った。今のオレに郷の名はないのだ」

 ひとことで言えば複雑な事情というやつだ。

 ニアベルの話を漫然と聞いて、シンは動かせない耳の代わりに肩を竦めた。頭の中では頻出したラベルに対してアシスタントの命名宣言が続いている。

「余所者が関わる話ではないし、興味もない」

 そう呟くとニアベルは口を突き出した。

「いい話なんだから、ちゃんと聴け」

 耳をぴんと張って爪でシンの胸をつつく。恐らくニアベルは不貞腐れている。シンの態度が不服だったようだ。今さら取り繕うのも面倒で、シンはそのまま話を続けた。

「ウルスラが俺に代闘士かと聞いたのはどうしてだ」

「自分を負かしたんだから、そりゃあそう思うだろ」

 原始的な理由だった。もっともそれは単なる技術格差であって、シン自身が強い訳でも何でもない。意気がる方が恥ずかしい。

 とはいえ今後は一方的な制圧で目を惹くのは避けるべきだろう。権力者に近い代闘士なら恐らく情報収集も捗るだろうが、なるべく政争には係わりたくない。

 むしろそんな事態を考えただけで思索のリソースが枯渇しそうだ。身の回りの危険を排除するだけならともかく、余計な戦闘などカロリーとバッテリーの無駄だ。

「空から降ってきた代闘士も面白いぞ。もっとも『スナムチ』だったら代闘士は無理だが」

 ニアベルが喉の奥でぐるぐると音を立てた。

「俺が落ちてきた所を見たのか?」

「そうだ、けっこう高かった。よく無事だったな。ああ、無事でもなかった」

 ニアベルの耳が忙しなく動いている。気の毒がっているのか面白がっているのか、その耳はどっちだ。シンは不貞腐れながらニアベルに訊ねた。

「俺が落ちてきたところに黒い板のようなものはなかったか?」

「黒い板?」

 不意にニアベルの瞳孔が丸くなった。鼻根に小さな皺を寄せてじっと考え込む。耳が頭にぴたりと張り付いていた。そこまで外耳が可動するとは思わなかった。

「大事なことか?」

 ニアベルが訊ねる。

「それが残っていれば帰れた」

 シンが答えるとニアベルの瞳孔はますます丸くなった。

「帰れないのか?」

「まあな」

「そんなの、オレが面倒を見てやるから心配するな。シンはオレが拾ったんだしな、とにかくオレに任せろ」

 ニアベルは早口にそう言って耳を張った。

「ちょっと狩りに行って来る、先に寝てろ」

 唐突に立ち上がってシンにそう言い残すと、ニアベルは足早に歩いて行ってしまった。

 また取り残されてしまったが、逃げるようなニアベルの背中にシンは声を掛けなかった。生理現象かも知れず、引き留めるのは無粋だろうと気を回したからだ。

 ひとりで思案する時間も欲しかった。

 このままニアベルに付いて行けば都市間の紛争に巻き込まれる可能性は益々高くなるだろう。ウルスラのような個人レベルの刃傷沙汰では済まない。技術的な優位はあれど大規模紛争に対して今の装備は心許なかった。

 シンが政治的中立に固執しない以上、勝ち馬に乗るのが得策だ。とはいえニアベルの情報だけでは判断材料も少なすぎる。

 もちろん単独行動の選択肢もあった。それなら今がその機会だ。

 だが新たに誰かを捉まえてコミュニケーションを取り直すのはもっと億劫だ。ニアベルの過剰な保護者感と拾得物扱いは面倒だが、不思議と忌避感はない。

 人との関りは最小限に留めたい。その意味でニアベルは最悪ではなかった。むしろこれまでの人生で研究所の黒猫の次に付き合いやすい相手だ。

〈シン〉

 くどくどと悩むうち、アシスタントが遠慮がちに呼び掛けた。

〈個体数四の接近を感知、戦闘行為が予想されます。対応に割くリソースを指定してください〉

 シンは抱えた膝に突っ伏して呻いた。

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