第五章 ドワーフの逃走

#アシスタントD3342PA備忘録

 シンのゲートの行先が、地球かあるいはそれ以外かで相反する状況が生じます。

 ミドルアースが地球であればゲートは成功、ただし封鎖されたこの星系から自力で帰還することはほぼ不可能です。

 一方、地球でなければゲートの設定に誤りがあったことになります。この惑星が人類版図ガラクティクスの圏内と考えられる以上、自力の帰還にも望みがあるでしょう。

 前者ならフースークの支援が必要になり、後者なら文明の捜索が必要です。いずれに共通する第一義も、汎銀河ネットワークストリームとの再接続に他なりません。

 私が一生懸命ローカルに保持したデータを照合した結果、ミドルアースの正式名称は九四%の確率で地球と判明しました。つまり答えは前者だった訳ですが、同時に百年に渡る禁足地が人類版図ガラクティクスの欺瞞であったという驚くべき事実も判明したことになります。

 もちろん、それは人類版図ガラクティクスの問題であってシン個人の手に余る事態です。故にシンはその問題を早々に切り捨てました。考えるだけ無駄だからです。

 例え足下に宇宙の真理が落ちていてもシンはそれを無視するでしょう。蹴躓く心配がない限り、小石であろうと金貨だろうと拘わらないのがシンの信条です。

 シンにとっての当面の課題は、社会的にも物理的にも地球からの脱出が不可能な点です。この星域には恒星間船の出入りがないのです。

 一方で地球も例外なく汎銀河ネットワークストリームの範囲内にあります。環境がモニタされている限り、端末もどこかに存在するはずです。

 最悪それが発見できない場合はゲートの再構築を迫られることになりますが――シンは意識的にその案を除外しました。

 帝国アウターの技術はシンにとっても理解に遠く、何の保証もなしにそれを使って宇宙に穴を開けるのはできるだけ避けたいのです。

 いずれにせよ汎銀河ネットワークストリームの調査にはゴブリンたちとの交流、社会情勢の調査、文明の成り立ちとその起源の特定が必要となるでしょう。為すべき課題は山のようにあります。

 シンはゲートの再構築と同じくらい、こうしたフィールドワークを忌避していました。私を唯一の例外として、シンはできるだけ人との交流を避けたいのです。それは不明の状況下にあるこの地球においても同様に。

 ええ、そういう意味でゴブリンたちは最悪の存在でした。


 *****


「この先は少し拙いかも。十四、五人の男衆が何度も何度も通ってる」

 斥候に出ていたヨアは皆に駆け寄りそう言った。合流場所で待たず、早々に引き返して来たらしい。ゴブリンたちの雰囲気が変わった。

「山守りにしちゃ変だね、総勢は?」

 訝し気に耳を伏せたカーミラが問う。

「一〇〇以上かな、道を分けてたらもっと居るかも知れない」

 ヨアの答えにルトが首を捻った。

「山を越えて来たなら郷都ゴートの衛兵か。はて、裁定にしちゃ早過ぎるのじゃあないスかね」

 考え込むというより面白がっているようにも見える。ニアベルは頭の中の地図を辿るように呟いた。

「何してんだろうな」

 ニアベルとの間に会話はなかったが、カーミラはその耳先を一瞥するなり釘を刺した。どうやら好戦的なことを考えていたようだ。

「いいえ、野営にでも出会したら面倒です」

 言われて不服そうなニアベルを叱る。

「シンさまだっているんですから、さっさと王里オードに参りましょう」

 ゴブリンたちはよく喋るが、普段のこうした遣り取りは耳の動きで済ませているのだろう。シンを気遣ってのことかも知れない。

「そんなの分かってる」

 ニアベルは口を尖らせてシンに隠れるように擦り寄った。姫の呼称からニアベルが頭領には違いないがカーミラはお目付け役なのだろう。ニアベルに何らかの歯止めが必要なのは、散々振り回されたシンも大いに納得するところだ。

「でも大回りするとなると結局、境里サークの山側を通るね。寄っていく?」

 斥候から帰ったばかりのヨアが提案する。

 シンを気遣ってか歩調は緩いが、交代で斥候を出しながら道筋の確認を繰り返すのは、本来ウルスラや鼻息の荒い輩に出くわさないためだった。

「あそこいら、でかい『逸れ』が出たって話っスね」

 ルトの呟きにニアベルの耳が跳ね上がった。

「『主さま』が迷惑してるならついでに狩っていくか」

「姫さま」

「でかい肉だぞ、シンだって――」

「ひ・め・さ・ま」

 結局、道筋を変えることになった。シンには同じ山中に思えるが、ヨアは別の方を向いて先陣を切った。

 一帯は起伏が激しく谷と尾根が入り組んでいる。稜線は低いが傾斜が急だった。径は無いようで有るのだろう。少なくとも彼らには分かっているようだ。ゴブリンたちは何の迷いもなく薮の中を歩いて行く。

〈こちらも索敵しますか? ゴブリンたちに精度の差を見せつけてやっては?〉

*待機

 ニアベルと出会って以来、シンはまだこの世界の集落を見たことがない。代闘士という役職上あまり人里を経由したくないのも分かるが、ニアベルの山歩きの様子を見るに、単に性に合っているだけと思えなくもなかった。

 辺りの自然には生活のために環境を変えた痕跡がほとんどなかった。かといって自生のままとも思えない。よほど巧みな調整が施されているのか、あるいはゴブリンたちが環境に最適化しているのだろうか。

 文明的な環境改変に積極的な地球原種アースリングとは傾向が異なるのだろう。自然回帰主義の類かも知れない。

「臭いな」

 不意にニアベルが鼻根に小皺を寄せて立ち止まった。言葉はたったそれだけだったが、シンを除いた皆は一斉に配置を変えた。

 ヘスが担いだ荷を置いて大弓を取る。こうした行動の遣り取りがほとんどが耳の動きでなされている。

「おーや、こんな所で出くわすとはねえ」

 木立の向こうに自ら姿を見せたゴブリンの女に見覚えがあった。

 アシスタントのわざとらしい溜息は、彼らの耳先に劣らず「ほら言わんこっちゃない」といった感情を十二分に表現していた。

 ニアベルを不敵に睨め付けるウルスラ、その後ろ四人は見た顔だ。だがその奥に少し毛色の違う男衆が五、六人いる。

郷都ゴートの衛兵です」

 カーミラがシンに囁いた。耳先で状況が共有できないことへの気遣いだ。

 ニアベルたちが避けようとした集団の一派だろうか。功名目当てと噂のウルスラを加えていることを鑑みれば、斥候か目的の異なる別動隊かも知れない。

「先だっては面倒だから見逃してやったが、ちょっかい出すなら狩り捨てるぞ」

 ニアベルが啖呵を切る。

「あいにく今は『小娘』の相手をしている暇はなくてね、見逃してやるからあっちへお行き」

 数で勝ると強気になったのかウルスラはそう切り返した。ほんの一瞬だけシンに目線を投げ、小さく咳払いをする。

「でも、そこの耳なしは置いていきな」

 こうした遺恨も面倒な人間関係のひとつだ。この手の揉め事は身に覚えのない原因でよく起きていた。今回は無関係でもなかったが。

〈ええと、これは〉

「またシンに泣かされたいのかおっぱい女」

「ば、馬鹿にするんじゃないよ」

 ウルスラが耳を真っ赤にしてニアベルとシンを交互に睨んだ。跳ねる自分の耳に気付いて慌てて押さえる。

「何をしたんです?」

 カーミラが責めるような目でシンを振り返った。シンは思わず首を振ったが、ゴブリンの慣習にその動作がある保証はない。

「あいつは鼻と胸しか取り柄がないからな、きっと山狩りに駆り出されたのだ。おいおっぱい女、おまえの獲物は何だ」

 ニアベルが挑発する。

 同時にウルスラの後ろで動きがあった。毛色の違う数人が頭を寄せたかと思うと一斉に森の奥に駆け出した。

「あ、待ちな、こら」

 ウルスラが振り返って声を上げる。走って行く衛兵の背中とニアベルを見比べ、「また今度だ」と叫んで駆け出した。

 ニアベルは玩具を見つけたような目になって太い犬歯を剥き出した。

「追い掛けろ、あいつらの獲物を横取りだ」

「ちょ、姫さま」

 ニアベルが先頭を切って飛び出し、ルトとヨアが追い掛けた。カーミラがシンを振って返り耳先をはためかせる。通じないと思い起こし、ヘスを見上げた。

「シンさまをお願い」

 そう言い残して飛ぶように駆けて行った。

 ぼんやりその後ろ姿を見送って、シンはヘスに目を遣った。ゴブリンの大男はまるで肩を竦めるように耳を振って見せた。

〈やはり野良猫は当てになりませんね〉

 アシスタントが鼻で笑う。

*索敵シークエンスを構築

 こうなれば安全確保をヘスにだけ頼る訳にもいかない。

〈このまま離脱を検討されては?〉

「ヘス、見晴らしの良い場所に行きたい」

 アシスタントが溜息を吐いて見せた。

 ヘスは少し迷った末、荷を拾ってシンに付いて来るよう促した。

 実際、シンは何度も逃げ出そうと考えた。ニアベルやゴブリンとの関係に忌避感は少ないが、距離が近ければ近いほど対人関係のストレスは積もって行く。こうして増えていく柵も、きっと後には重荷でしかない。

 だが現時点では最良の妥協点だ。それを失うのはまだ惜しい。ニアベルたちの後釜を探す方がずっと面倒だ。

 大きな荷を背負っているにも拘わらず、ヘスの動作はゴブリンそのものだった。ニアベルとでは岩と小石ほどに体格が違うが、動作が機敏で足の運びもしっかりしている。シンが付いて来れるか気遣いながらも、ヘスは的確に道を選んで走った。

 ほんの少しの行程でシンは樹々の天辺を下ろす急斜面の縁にいた。もちろん眼下を一望したところでその緑の笠の下は見通せない。

 アシスタントは大きく咳払いをして見せた。このところ、ニアベルに対抗するかのように情緒表現が大仰になっている気がする。

 視野に移動する人影が表示された。五感から情報を漉し出し、推測を加えた配置図だ。ニアベルたち、ウルスラたち、先行する衛兵たち。その先に一点、この追跡劇の得物が表示されていた。

 疲労か負傷か速度が遅い。追手を撒こうとしたのか方向が捩じれ、却ってシンの現在位置からほど近い辺りを向いていた。

〈ゴブリンとの差異が個体差以上です〉

 アシスタントが告げる。どうやら別の種族らしい。

 ほんの少し好奇心が湧いた。ニアベルの言うところ『エフィル』、『ドゥーフ』、『ヌフシュ』などと多彩だが、頻出するのは『エフィル』と『ドゥーフ』だ。

〈あくまで余談ですが〉

 アシスタントは些か判断に迷う口調でシンに告げた。

〈あと二〇秒ほどで逃走者が補足されます〉

 言われて視野の表示を辿る。なるほど先頭の人影は高低差の大きい斜面に差し掛かる。接近しているのは六人の衛兵だ。

 判断の難しい情報だった。シンの中の大多数は係わるべきではないと言っている。ニアベルの側にいる限り確かに郷都ゴート陣営との敵対はあり得るが、彼らの問題に積極的に加担すべきではない。

 一方で少数派の意見はゴブリン以外の種族への関心と、衛兵に追われるからには相応の価値があるのではないかという下心だ。

 これは籤のようなものだ。引かねば外れも分からない。

〈シン、提案があります〉

*殺傷不可、逃亡者の保護を優先

〈迎撃シークエンスを構築します〉

 アシスタントが何を言い掛けたのかは知らないが、彼女はシンの指示に素直に応じた。シンはヘスを振り返る。

「ここで援護を頼む」

 言って斜面に飛び出した。開けたフードはそのままにする。視界の隅に大慌てで大弓を取り出すヘスを眺めた。

 移動はアシスタントの管理するカエアンとヌーサイトに任せた。シンは勝手に動く身体に意識を乗せているだけの状態だ。

〈拡張限界まで二〇〇〇秒を確保〉

 足下の土塊が下生に埋まり、樹の根が畝を作っている。幹に塞がれ目で追えないが、視界には複数の人影が映っている。

〈硬糸生成、射出器充填一万ミリメートル、神経負荷ブリット装填数八〇〉

 シンは衛兵の左後方から直交に近い形で接近している。

 手近の一人に硬糸を撃った。

 照準と射出の意識でガーメントに織り込まれた射出器が糸を吐く。拘束用の糸は三秒で粘性を消失し、一二〇〇秒で自壊する設定だ。

 糸の後端がガーメントを擦り抜け樹の幹に吸着した。不意に引かれた衛兵の身体は、斜め後ろに撥ねて樹に打ち据えられた。後続には目の前の同僚が消えたように見えただろう。

 残りが警戒して立ち止まるまでに二人の足許を絡め捕ったが、なまじの速さに反動が大きく、二人はピンボールのように転がって樹々の間を撥ねて行った。

 激突する鈍い音にシンが顔を顰める。どうにも使い方が難しい。

 立ち止まった衛兵が辺りを探り、シンの気配を嗅ぎ付けた。

 だが相手が行動を起こす前にシンは近づいていた。一人は手に取った得物ごと樹に貼り付け、もう一人は脚を固定して転がした。

 動けないゴブリンが警告の声を上げる。

 なるほど意識を残すとこういう事が起きるのか。シンは二人を気絶させた。

〈残弾数七八、一体がターゲットに接触〉

 先頭のゴブリンは立ち止まらずに獲物を追っていた。

 駆け出せば木立ちが途切れて陽が射した。奥は剥き出しの岩肌だ。シンはゴブリンの背に糸を放ってひき倒し、糸に絡んで身悶えるそれを気絶させた。

 どうにも効率が宜しくない。迎撃シークエンスが上手く構成できていないのか。

〈基本シナリオは光学兵装すらない相手を想定していません、文化ライブラリを参照しますか?〉

*承認

 許可したもののアシスタントがどの時代を参照するか分からない。戦闘前に名乗りを上げるようなことになっては面倒だ。

*実装前に確認

 思い直して付け加えた。

「はて、仲間割れか? ゴブリンだけかと思ったが『エフィル』もいたのか」

 その声に顔を上げる。相手の息は荒いが逃亡者にしては理性的のようだ。

「いや、おまえは何だ」

 竦む男の足下を見て理由が分かった。滲み出した流水の跡がある。奥の苔生した岩肌は登るのも面倒な絶壁だが、縦に割れた細い亀裂があった。谷と呼ぶにはあまりに狭いが、人ひとりは通れるほどの幅がある。

 ここなら少なくとも追手とは一対一になる。多人数の荒ごとには不向きな場所だ。上手く道を塞ぐことができれば大きく距離を稼げるだろう。なるほど無駄に逃げ惑っていた訳ではなさそうだ。

 だが、このまま逃げられるのも困る。

 シンは言葉を選ぶのを後回しにして崖の上を指した。仕草は相手に伝わった様子で、見下ろす位置で大弓を構えるヘスの姿に気付いた。相手の男は耳先を下げて口許を引き締めた。

 四肢の数を見る限りゴブリンと目立った形態の差はなかった。整体改変フォームチェンジを経たような違和感はあるが地球原種アースリングの範疇だ。

 だが獣じみた特徴が薄く体形も容貌も角張っていて彫りが深い。個体差かも知れないがゴブリンとは骨格が異なっている。

 男はシンと動かない衛兵、頭上にヘスの矢先を見て言った。

「まいったな、別口か」

 男は太い指の先で短く髭の刈られた顎先を掻いた。手にはゴブリンのような爪も柔毛もない。何より見た目に肌の露出が少なかった。ゆとりのある上衣とズボン、幅広の腹帯と大きなブーツを身に着けている。

 さてどう切り出したものか。こうして助けてみたもののコミュニケーションの初動が分からない。ゴブリン以外からの多角的な情報を得ることが目的だったものの、どのような会話を経てそこに辿り着くべきか。

〈挨拶と自己紹介からではいかがでしょう〉

「俺は――」

「シン、どうしてシンがここにいる」

 アシスタントに促されるまま口を開いたものの、横手の薮に素っ頓狂な声がした。茂みを割って顔を出したニアベルが枝葉を器用に抜けてやって来る。

「どういうことだ、また落ちて来たのか」

 一目散にシンに駆け寄ったニアベルは鼻根に皺を寄せて顔を近づけた。

「むう、おまえはシンだな」

 当たり前だ。ゲートには物質の再構成も同一性の揺らぎも存在しない。

「ニアベル?」

 男が呆れたような声を上げた。

「ガリオンまでいるぞ、シン、何がどうなっているのだ」

 こっちが聞きたい。

〈固有名ガリオンはニアベルと同じ代闘士だと記録しています〉

 確かに聞き覚えのある名だった。

〈『ドゥーフのガリオン』を確認。呼称を登録します、種族名:ドゥーフドワーフ

 アシスタントは義務か当然の権利のように宣言した。原音と似た名称にも引用の必要があるのか、その必然性すら分からない。理解不能の趣味の域だ。

〈ぴったりの出典を発見したので。先が楽しみです〉

「ニアベルの知り合いなら俺も一息吐けるということだな?」

 ガリオンはシンに目線を遣って確かめるようにそう言った。

 答えようとして言葉に迷う。結局ただ頷いたものの、それが同意を示す身振りで使われているかどうかも分からない。

「調べ物があるとか言って宵限ヨイキリの調査をオレに投げ出した癖に、どうして郷都ゴートの兵隊なんぞに追われているのだ」

 責めるようにガリオンに言いながらも、ニアベルは何故かシンの周りをうろうろする。何か変な匂いがついていないか確かめるように、ときおり鼻を近づけて嗅ぎ回っている。

〈残弾数七七〉

*迎撃シークエンス終了

 殺気立ったアシスタントに告げると舌打ちのような音が返ってきた。

 ヌーサイトとカエアンが連携してシンの身体を冷却する。ガーメントを使った吸排気を拡大する際、アシスタントはニアベルを狙って袖口から熱風を噴いた。

「うおう」

 ニアベルが声を上げて飛び退き、耳先を振りながらまた近寄って爪の先で袖口をつつく。

「ああ、うん。『ラーナ』の近くを調べる内に衛兵隊に出くわしてな、何処に行くのか覗こうとしてこの様だ」

 ガリオンは律儀にニアベルの質問に答えつつ、シンとニアベルを興味深げに見比べていた。シンはここに至ってガリオンの耳もまた忙しなく動いていることに気付いた。ドワーフの耳はゴブリンのそれより厚くて短めだが、恐らく同様に感情を表している。

 ガリオンは何か伝えようとしているのかも知れないが、もちろんそのニュアンスはシンには読み解けない。

 異なる種族がわざわざ同じ不随意器官を設けて言語外の情報交換を共通化している。言葉が使えない環境があるのか、言語そのものを変えようとしたのか。そのように整体改変フォームチェンジされた理由がわからない。

 シンの中でテーマパークと環境実験のニつが仮説に昇格した。

「ついでに追われるとは間抜けだな」

 ガリオンを振り向いて鼻根に小皺を寄せるも、ニアベルはすぐにシンを見上げる。シンが何も言わないことに痺れを切らしたのか、とうとう目の前に回り込んで大声を上げた。

「早くウルスラがどうなったかを聞け」

 怒って詰め寄りみゃあみゃあと鳴く。

「首尾はどうだ」

「あいつら泣きながら逃げて行ったぞ。オレがウルスラを丸裸にしてやったからな。ルトの奴が止めなかったら毛もぜんぶ刈ってやったのに、残念だ」

「そうか」

「違う、そうかじゃない」

「みな無事か」

「違う、違う」

 ニアベルが上目遣いに睨んで地団駄を踏む。

〈………褒めなさい、シン〉

「よくやった」

 そう言うと、ニアベルの耳がぴんと吊り上がった。鼻からふんすと思い切り息を吐いて、薄い胸が空を向くくらい踏ん反り返る。

「当然だな」

 何をしたいのだ、こいつは。

 シンに向けられたアシスタントの溜息もよく分からない。

「シンもよくやった。まさかガリオンと知り合いとはな」

 すっかり機嫌を取り戻したニアベルは適当なことを言う。

「たまたま助けられたのだが」

 ガリオンの耳を眺めてニアベルはきょとんとする。何らかの情報交換があったのか、今更ながら木立の方を振り返って倒れた衛兵を見た。

「シンがやったのか」

 確かめに行こうと飛び出すニアベルをシンは無意識に捉まえた。背中から両腕を抱えて吊り上げる。糸の粘性は蒸発していてもニアベルが勢いで引けば指を落としかねない。

「おーう」

 シンに抱えられて両手を前に突き出した格好のニアベルは、地に足が届かず、でろんと身体を伸ばした。

「姫さま何やってるんスか」

 ようやく追い付いたルトが茂みから顔を出しニアベルを眺めて絶句した。

「なーう」

 ニアベルはぬいぐるみのように抱え上げられまま、きょとんとしている。

「シンさま? おや、ガリオンさままで」

 ルトを横手に押し遣り、カーミラとヨアが顔を覗かせた。

 思わずニアベルを抱えたものの、どうしたものかとシンは途方に暮れた。

「じゃあ、向こうのあれはシンさまが?」

 カーミラが指しているのは森の中のゴブリンたちのことだろう。

「ここに屯してまた追われるのもかなわん、とりあえずは河岸を変えようか」

 ガリオンが皆に声を掛けた。

 アシスタントがガーメントを揺らしてニアベルを放り出すと、ニアベルは蹲って何が起きたのかと問うようにシンを見上げる。

 目を逸らすようにシンが目線を上げると、ヘスはまだ崖の上にいた。慌てて手を振るとヘスは大弓を仕舞って薮に姿を消した。

「シンといったか、何処から来たか訊いても良いか?」

 ガリオンが訊ねる。

「不躾な奴だな、ガリオン」

 伸び上がるようにニアベルが間に割り込んでガリオンを責めた。見た目に親子ほど歳も違う相手にもニアベルは遠慮がない。

 礼儀や道徳を学ぶ相手としてニアベルは最も不相応な人選かも知れないが、それでも他者に根掘り葉掘り問うのは忌避しているようだ。恐らくニアベルさえ従うような道徳規範があるのだろう。

「それはすまん。だが、これは生まれついてだろう?」

 ガリオンは耳を指してシンに言った。

「見る習慣もないようだしな」

 ガリオンには観察力があり、思考も柔軟だ。ニアベルの剥き出しの好奇心とは少々具合が異なっている。

「こら、シンはオレが拾ったんだぞ。勝手に喋るな、遠慮しろ」

 立ち塞がるようにぴょんぴょん跳ねるのが鬱陶しく、シンはもう一度ニアベルを背中から抱え上げてぶら下げた。

「おーう」

 またきょとんと大人しくなった。ゴブリンの皆が集まって互いに不思議そうにニアベルを眺めている。

「拾った? 確か宵限ヨイキリに行ったはずだな」

「いえ結局、裁定場に行ったのは姫さまだけなんですが」

 カーミラが補足する。

「その、拾われたのは裁定場か?」

 シンは答えようとして拾われたと認めるのもどうかと思い、言葉を探すのを諦めてニアベルを放り出した。

 シンはニアベルに問われて以来、追及されないのをよいことに素性の筋書きを考えていなかった。隠すようなものではないが説明が面倒だったからだ。

「あー、気付けばここにいた。記憶があまりない」

 およそ稚拙な言い訳だ。ガリオンは困ったように短く唸った。

「俺に分かるのはこの世界の者じゃなさそうだってことだけだが」

 そう呟いて太い指で顎の先を掻く。

「ニアベルに拾われたとなると、いろいろ苦労してそうだな」

「何だとガリオン、オレはちゃんと面倒をみているぞ」

 不服そうに叫ぶニアベルと一斉に耳を隠したゴブリンたちを尻目に、ガリオンは耳を振って見せた。それが笑っているのか呆れているのか分からないが、ここに至ってシンは初めて話の通じる相手に出会えたような気がした。

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