第34話 6月のチャペルは雨に濡れて②

 スタッフに案内されながら、さくらは類と遊歩道を歩く。雨の日は少し、滑る。若い人はいいけれど、離れ形式だとお年寄りにはきついかもしれない。

 部屋に露天風呂がついているようだが、エントランス棟にある大浴場も気になるので、できたら行きたい。


 用意されていた部屋は、完全プライベートな一棟だった。

 広いリビング空間に、オール電化のキッチンまでついていて、長期滞在が可能である。ベッドルームは背の高い類でもじゅうぶん足を伸ばせそう。お湯がたっぷり張ってある露天風呂も、ゆったり入れそう。アメニティも充実している。


 眺めは、軽井沢の森。耳を澄ませば、小川のせせらぎ。鳥も鳴いている。

 雨の日も、しっとりとした風情があって、いいかもしれない。


「しかもメゾネットだよ、類くん! 京都のマンションを思い出すね」


 やっぱり、おとなの宿だった。螺旋階段の上に、もう一部屋ある。


「さくら、落ち着いて。子どもみたいだね。母親なのに」

「だって、うれしくて」


 はしゃぎながら、さくらは階段を上った。類もついてきた。


「あ。こっちは、畳におふとんが敷いてある……」

「和空間なんだね。照明も和紙、浴衣もある」


「これ、父さまもアイディアを出したのかな」

「少しはそうだろうなあ。ふだんのオトーサンの見た目からは、想像できないけれどね。一泊で和&洋、二度楽しめるって。ああ見えて、オトーサンもけっこうエロの塊……? いい年こいて、母さんに子どもを生ませるんだからなあ。ぷぷっ」


 一階に下りてくるとソファ脇のテーブルの上に、細長くて白いものが置いてあった。封筒だ。先ほどは、はしゃいでいて気がつかなった。


「『さくらと類くんへ』だって。父さまの字だ」


 開いて読むと、旅行中の指示があった。



『問題なければ、次のように行動して採点してほしい。


18時 夕食

20時 チャペル見学


翌日

 7時 朝食

11時 チェックアウト


 元気に帰宅してくれることを待っている  涼一』



「なんだ、決められているのかあ。朝寝、できないじゃん。たまには寝坊したいー」

「仕方ないよ。採点員なんだもん」


「採点採点っていうけどさ、宿のスタッフには、ぼくたちがオトーサンの家族で、採点員だって知られちゃっているし、全力で接客してくると思うよ。それを採点? どんな対応するか、無理なお願いでもしみてみる? 『縛りたいので、ロープがほしいな』とか、『夫婦の営みを撮影してくれる?』……なんてどうかな」



「類くんの変態! それ、言ったら、私帰ります。娘と実家に!」

「冗談だよ、そんなに怖い顔しないでってば」


「……あ、この『チャペル』って」

「ぼくたちがモデルになって模擬結婚式を挙げた、あのチャペルみたいだね。最近リニューアルしたって、ホテル全体の案内図に書いてあるよ」

「行きたい!」


 苦い思い出もあるけれど、見たい。あのときと、違う自分を確かめたい。


「じゃあ、夕食後。この、予定通りに」


 チャペル。


 結婚式の真似ごとだけだと思っていたのに、類に誓いのキスをされてしまい、公衆の面前で、思いっきりアイドルモデルの頬を引っぱたいたという、忌々しい過去があるチャペルだが、ほんとうに思い出深い。目を閉じれば、昨日のことのようなのに。

 今、あのときに交わした誓いが生きている。


「このあとはごはんまで、まだまだ時間があるし、一緒に露天風呂でも入ろうか。それとも、ベッドを使う? 乱れちゃう? 二階のお布団のほうが好み?」

「……おふろかベッド。なんで、いっつもその二択なの?」


 類は、相変わらずだった。でも、たまにはいいか。背伸びしたさくらは類に飛びつき、類の頬を両手でやさしく包みながらキスをした。


「さくらが積極的なんて。旅行っていいなあ。はい、ベッド決定。ぼくのお姫さま、捕獲です!」


 ふわっと、さくらは軽々と類に抱き上げられて寝室へ急行させられた。


***


 夕食は、洋風な和食だった。


 今回の旅行では、『ぜんぶオトーサン払い』なのをいいことに、類はシャンパンの中でも、迷わずドンペリのロゼを頼んだ。ボトルで。たぶん、めちゃくちゃ高い。鬼畜……! でも、さくらも遠慮なくいただいた。おいしい。芳醇なのに、可憐な味わい。


「さくら色だあ!」


 そう言いながら、ミディアムレアのお肉にかぶりつく類。酔いが回っているせいか、視線もしぐさも、いつもの200%増しで色っぽい。


 深く考えないようにしたいけれど、今すぐ押し倒されたくもある。きゃあ!(以下、自主奇声。あ、規制だった)

 自分でも、あほかと思うほど、類にきゅんきゅんしてしまう。どうしよう。すき。ほしい。もっと! 相当、酔っているのかもしれない……


 今なら言えるかもしれないと思い、さくらは白状した。


「お店の事件のこと、なんだけど。一応、類くんだけには言っておこうかなって。信じてくれるかどうか、分からないけれど」

「ぜんぶ、叶恵さんが計画したってこと? もちろん、気がついていたよ」

「え……、ほんとに?」


「でも、暴いても誰も得をしないし、黙っておくことに決めた。母さんも、感づいていると思う。だから、これからも内緒で。さくら、よく気がついたね」

「私。叶恵さん本人から聞いたの。事件の真相なんて、ぜんぜんわからなかった」

「さくらは純真無垢だからね。叶恵さんの境地には一生、たどり着かないよ。たどり着かなくていいけど。さくらには、今のままでいてほしい」


***


 そろそろ、午後八時。夕食も終えた。チャペルの見学へ行く時間。


「あ! 車の中に忘れ物しちゃった。ぼく、取って来るね?」

「私も一緒に行くよ」

「ううん、それには及ばない。また雨が降ってきたし、駐車場まで距離があるんだよね。濡れちゃうかもしれないし、八時にチャペル前集合でよろしく!」


 あと、十五分もあるのに。類と、一秒でも長く一緒にいたいのに。さくらは恨めしくなりつつも、類の背中を見守った。


 エントランス棟には、チェックインカウンターのほかに、お食事処・大浴場・ライブラリ・バー・売店なども併設してある。

 宿の敷地の中ではほとんど人に出会わないけれど、ここまで来ると、さすがにすれ違う。ふらっと一周して時間を潰し、さくらはチャペルに向かった。



 うわあ、懐かしい。

 チャペルの前に立ったとき、心の奥からそう思った。あのときは、類に騙されてブライダルフェアの撮影に協力したのだ。


 すでに五年近く、経過している。


 新婦役は、ただのアルバイト。そう、割り切っていたのに。両想いになって同居して、子どもができて結婚してしまった。


「ご予約をいただいております、柴崎さくらさまでしょうか」


 スタッフが声をかけてくれた。さくらはそれに応えた。

 チャペルのドアを一枚開くと、類が待っていた。


「さくら!」


 驚いた。

 いつの間にやら、類は全身純白の正装だった。まるで、あの日の再現のように。


「るいくん?」

「ぼくのかわいい花嫁さん、こちらへどうぞ」


 類の手で、さくらの頭には花嫁のベールが飾られる。百合の花のブーケも渡される。


「なに、この演出は。類くん?」


 十五分で先回りして準備した?


「あらためて、結婚式。オトーサンとぼくで計画したんだ。最近、すれ違ってばかりだったし」

「意味が分からない。夫婦がすれ違うと、結婚式なの?」

「思いを確かめ合うってことだよ。ほら、腕を組んで歩こう。バージンロード」


 オルガンの音と讃美歌が聞こえはじめた。目の前に伸びているのは、神につながる真紅の道。類が今日、さくらに白いワンピースを着せた理由が今、分かった。もう一度、結婚式をしたかったからだ。


「類くん……ありがとう」


 熱っぽい目で、さくらは類を見た。


「ああ、だめだよ。そんな目で。神さまの前なのに。淫乱すぎるよ、さくら。ぼくがあとで思いっきり解放してあげるから、ベッドに入るまで、もうちょっとだけ我慢して? それとも、もう濡れちゃった? 早く、ぼくの鍵が必要? みだらな鍵穴はちゃんと塞いであげなきゃね。ぎゅっと」


 そんなつもりは一切ないのに、類の瞳にはそう映るのだろうか?


 夜の、ふたりだけの結婚式。


 雨に打たれたステンドグラスが、照明を反射していっそう光っている。きらきらと。愛を、神に誓う。何度だって、誓う。類がすき。だいすき!


 ありがとう。

 ぜんぶ、受け止める。受け入れる。諦めたくない。


***


 類はその夜、さくらにひとつの提案をした。


「あのマンションを出る?」


「最近、ずっと考えていたことなんだ。引っ越してきたばっかりだし、きれいで便利だけど、このままだと親もぼくたちもお互い、依存しちゃうと思うんだ。ぼくとあおいとさくら。引っ越して、親子三人だけで暮らそう。自立!」

「そう、だね。私も賛成」


「オトーサン、さみしがるだろうなあ。さくらには、負担がかかると思う。でも、なるべくぼくも手伝うし。無理しないで、がんばろう」

「類くんがいるなら、だいじょうぶだよ」


 さくらは、頷きながら笑顔で応えた。

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