第31話 ラスボスとの対決再び②
リビングへ戻ると、あおいは食事を終えており、類にだっこされていた。
「ありがとう」
気づいた聡子が、すぐに皆を受け取ってくれた。
「お母さん。私からも、お願いがあります。叶恵さん、総務部に来てもらえませんか。私、叶恵さんが完全復帰できるよう、助けます。心機一転、転職するのがいちばいいと思いますが、叶恵さんのように仕事ができる人をよそへやるのは惜しいんです。最終的に、選ぶのは本人ですが、総務部には叶恵さんの同期の、壮馬マネージャーもいますし」
聡子はじっと耳を傾けてくれている。さくらは続けた。
「入社したてての身で、生意気を言っています。社員さんたち全員が、心地よくお仕事に打ち込めるよう、サポートするのが総務の仕事だと思っています。総務部で一生を終えるつもりはありませんが、今できることをしたいんです」
隣にいた類が驚いている。
「いい案だけど、いいの? 叶恵さんは、さくらのことを敵視しているよ。とても」
「もちろん、分かっている。でも、言わせて。聡子社長、『別れさせ屋』は、廃止の方向で行きましょう。奨学金制度からの吸い上げ入社もよろしくないと思うので、学生支援機構に寄附という形で、続けていきませんか。このままだと、第二第三の叶恵さんが生まれてしまいます。シバサキのロボットは、もういりません」
心配そうに類がさくらを見ている。でも、だいじょうぶ。今、伝えなくてはならない。
「なるほど。美麗な叶恵さんに、これ以上ちょっかい出されたら、あやういのね……というのは冗談だけれど、分かったわ。でも、口頭ではだめ。会社なのよ。企画書を作って、提出して。タイトルは『シバサキファニチャーにおける学生支援制度の変更・別れさせ屋廃止及び更生プログラム』でマル秘扱い。完成したら、社長室まで直接持ってきて」
「は……はい!」
さくらはポケットからメモ帳を取り出し、要点を書き込んだ。お店で、叶恵がそうしていたように。
「叶恵さんの処遇はもう少し考えさせて。本人の希望を聞きたい。もともと現場希望だったから、類と組ませるっていう今回の人事は、わりといい感じだと思ったんだけど」
図々しいと思うが、さくらは勢いに乗ってたたみかけた。
「あと。そろそろ、授乳を卒業させてください。類くんの望みは、私の望みでもあります。授乳を止めたら、たぶん妊娠すると思います。会社には迷惑をかけますが、辞めるつもりはありません」
「さくら……さくらっ」
耐え切れないといったふうに、類がさくらを抱き寄せた。類にだっこされたままのあおいも、さくらの頬をそっと撫でた。三人は、離れない。
「これは、私のわがままです。でも、諦めたくない。類くんの妻でいたい。あおいの母でいたい。でも、私は『柴崎さくら』なんです。将来はシバサキを辞めて、独立する。シバサキの経営術を学んで建築事務所を作る。シバサキにあるもので役立ちそうなものなら、ぺろっと全部いただきます。でもその前に、シバサキファニチャーの腐った根性をたたき直します。聡子さんには引退してもらって、育児に専念です。類くんを社長にして、体制一新! そうですね、三年以内に!」
そこまで一気に言い切ると、廊下のほうから拍手が沸いた。
「よく言った! さすが、さくらだ」
父の涼一だった。いつのまにか帰宅していたらしい。涙声だった。
「父さま……」
「私たちは、さくらのやさしさに頼りすぎていた。そうだよな! もっと、自分を優先させていいんだぞ。今みたいに」
「そうね、いいこちゃんなのは助かるけれど、それだけじゃしんどいわよね。苦しいわね。まあ、三年っていうのは、無理があるかもだけど。社内が、そんなに腐っているって感じているの? ここぞとばかりに、ずいぶん口出ししてくれたわねえ。いつものさくらちゃんじゃないみたい。焚きつけた効果?」
微妙な顔つきだが、聡子も同意してくれた。
さくらは、そっと類を見た。目が合ったが、類は視線をそらした。まっすぐな類にしては珍しいことだった。
「……三年で社長。さくらがいてくれれば、なんでもできるよ。ぼく、そういう本音、聞きたかったんだよ。働きたかったんだね。早く言ってくれればいいのに。『専業主婦になって』とか、ぼくはさくらを傷つけていたのか」
「それも分かる! かわいいあおいと、ずっと一緒にいたい。類くんに、毎日おいしいごはんを作って、家で迎えたい。たくさん愛し合いたい! 心も身体も、類くんでいっぱいに満たされたい! 男の子もほしいから、生まれるまでがんばりたい」
「さくら。オトーサンが灰化しちゃうんで、そのへん具体的には濁して」
あ。そうだった。熱くなりすぎた。
「うん、いいんじゃない! ぜひ、がつがつと働いてもらいましょ! 盗めるもんなら盗んでみてよ。あなたが考えているように甘くはないし、簡単にはうまくいかないから。でも、わが社には、そういう元気なさくらちゃんが欲しかったのよ。若いし、妊娠出産したぐらいじゃ、辞めさせない。げんに、この私もそうだもん」
確かに、聡子は一月に出産したばかりだった。エネルギーにあふれているので、ときどき忘れそうになる。
「私も、できたら女の子が生まれるまで、がんばりたいし?」
「ええええっ?」
まったくこの父、灰化したり、驚いたり、たいへんな存在である。
「もうひとりぐらいなら、いけるでしょ涼一さん。それで現役引退なら、本望。子育て、思いっきりがんばりたいし!」
「それは……どうだろうか……皆で、手いっぱいなのに」
涼一の目が泳いだ。素面ではいられなくなったようで、買ってきたばかりのワインをさっそく開け、類にも勧めてぐいぐい飲んでいる。
「私の計画のキーマンは父さまだよ、がんばって! おんなのこ!」
「うおおおお、さくらに子作りを頼まれるとは」
「まあ、その問題は、あとで考えることにして。皆の、授乳のことだけれど」
「はい。私がはじめてしまったことで、みなさんに期待をかけてしまいました。軽率でした」
「そんなことはないよ。皆に母乳を与えてくれて、ほんとうに感謝している。母乳には、たくさんの免疫があるというし、きっと強い身体の持ち主になる」
「それで、百%ミルク育児だったぼくは、小さいころに身体が弱かったのか!」
「もう。いろんな事情があるんだから、ミルクのせいにしない。類のときは母乳が出なかったの、仕方ないじゃない」
「あれ、玲のときは……」
「あの子のときは、それなりに母乳だった」
「ぼくだけミルク?」
なんだか、類はショックを受けていた。
「ま、まあまあ! さくら本人も、完全ミルク育児だったし。頑丈だったけれど、個人差個人差。それに今、類くんはさくらの乳に毎晩お世話になっているんだろう?」
「ほら類くん、気を取り直して。それで、皆くんのことはどうしましょうか」
よし、話をもとに戻せた。『乳にお世話』ってことば……変だけど。
「こちらの希望としては、やっぱり、離乳食がはじまるまで」
「というと、半年。七月をめどに?」
「どうかしら。さくらちゃん、類?」
さくらとしては異論はない。あとは、類の答え。不満そうだったが、頷いた。
「分かった。弟のためだもんね。でも、近々乳母解放。よろしく」
「こちらもそのつもりで準備をしよう。ところで、さくら。類くん」
話が落ち着いたところで、涼一が切り出した。
「ふたりに、依頼がある。近々、軽井沢へ行ってくれないだろうか」
「「軽井沢?」」
さくらと類はことばを揃えて訊き返した。
「そうだ。私の手掛けた宿がもうすぐオープンするのだが、実際に宿泊して辛口採点してほしい。私には、生まれたばかりの皆がいるし、聡子も」
「連休は取れそうにないの。ずっと仕事で」
「というわけで、旅行できそうにないのでね」
この春、父は何度も軽井沢へ通っていた。そういうことだったのかと、さくらは頷いた。
「うちだって、同じようなものだよ父さま。あおいが……」
類に似たのか、同年代の女の子に比べて、ちょっとやんちゃなのだ。
四月生まれで体格が大きいこともある。態度も大きいらしい。たまに、保育園のスタッフにそれとなく注意される。周囲の人間に溺愛されている、という点も大きいだろうが、旅行は不安だ。
「あおいちゃんは、ひと晩うちで預かる。助っ人を頼むつもり。類と、さくらちゃんの休みを合わせるよう、指示を出しておく。夏休みに入る前に行ってきて」
「社長みずからが、社員の休みを操作?」
「いいじゃない。ふたりきりで旅行してきてよ」
旅行なんて、いつ以来だろうか。
ふたりきりの同居をはじめて、わりとすぐにあおいを授かったし、類がモデルを続けている以上、三人では近所ぐらいしか動けなかった。
「初夜以来だ。となると、新婚旅行だね」
類が、ぼそっとつぶやいた。ひとつにとけた、類とのはじめての夜。そんなに前なんだ。
「ハードルはない。悩むこともないよ」
そう言って、父はさくらの背中を押した。たぶん、さくらに負担をかけたお詫びで、新婚旅行をプレゼントしてくれているのだ。
「……ありがとう。類くん、一緒に行きたい」
「ぼくもだよ、かわいいさくら。たくさん愛しちゃう」
さくらは類を見て笑いかけた。類も、うれしそうだった。
「えーと。ところで、いくら社長とはいえ、聡子は会社を私物化しすぎじゃないか、聞いてないぞ。詳しい話をしようか、さあ座って」
酔った涼一が説教モードに突入したので、類はあおいをだっこして、さくらも荷物をまとめて両親宅を退散した。
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