第28話 お見舞いという名の敵陣潜入③
「いいこちゃんには別世界の話。聞かせてあげましょうか、ルイさんが帰ってくるまで」
叶恵の独白がはじまった。
***
母はいなかった。男ができて、出て行ったらしい。
残された父に育てられた。
育てた? 違う。私を家に置いていただけ。働かないし、家事もしないし、昼夜問わず女が出入りするし。私を売ろうとしたこともあった。襲ってきたこともあった。今思うと、母の連れ子で、血縁ではなかったみたい。でも、だからって、ねえ?
十歳ごろに保護されて以降は施設で育った。同じような境遇の子がいたけど、心を開けなかった。悪いグループに入って遊んだりもしたけれど、それだと父や母と同じ運命をたどるだけ。
だから、私は勉強した。最低なあいつらとは違う世界で生きてやるって、決めた。あたたかい家、すてきな家族。憧れを実現したかった。
どうにか中堅の公立高校に進学できたころ、聡子社長を知った。大学卒業まで学費を支援してくれるという、シバサキの奨学金がほしかった。私は聡子社長に手紙を書いた。会って、自分のことを全部、話した。聡子社長は泣いて、私を受け入れてくれた。若いとき苦労した社長とは少し、境遇が似ていたみたい。
聡子社長は、『学費』という高い値で、私を買ってくれた!
猛勉強して、いい大学へ入って、箔をつけて、晴れてシバサキに入社できた。自分をよく見せるために、美容も研究した。体型維持のトレーニングも欠かさなかった。
聡子社長は、私のためにたくさんお金を使った。大学の授業料だけじゃなくて、交通費や書籍・文具代、通信費も支援してくれた。
シバサキに入って、ようやく恩返しができる、と思った。
当時、聡子社長は社内で起こる恋愛問題で悩んでいた。
聡子社長が選んだ、若い社員が多い会社だから仕方ないけれど、あっちこっちでくっついたり別れたり、仕事にも差し支えるレベルだった。聡子社長を誘う鬱陶しい男どもも、あとを絶えなかったし。
私は手を挙げたの。『それ、私が解決します』って。
容姿は磨いていたし、経験も積んでいたし、どんな男でも陥落できる自信もあった。
はじめはもちろん、聡子社長は断った。
でも、私はやった。
社内で問題になっている男に近づいて寝取ってやれば、男女の仲はだいたい壊れる。あとは社長の名前を出して脅せば、いいだけ。『これ以上続けるなら、会社にいられなくなるようにしてやる』って。簡単。
ほんとうに辞めちゃう人もいたけど。
繰り返してゆくうちに、聡子社長は申し訳なさそうにしながらも、私は強い信頼を勝ち取ることができた。この、裏の仕事は、私にしかできないもの。
入社して半年ぐらい、六年ほど前のこと。
『北澤ルイ』が社長の息子で、いずれシバサキの後継者になるのよって、社長室でルイさんを紹介されたことがあった。
人を好きになんてならないって思っていたのに、ルイさんは違った。当時十六でしかなかったのに、光り輝いていてまぶしくて、ほんとうに太陽みたいな人だった。
社長はこうも言った。『類を助けてね』って。もしかして、聡子社長はいずれ、ルイさんと私を結婚させるつもりなのかもって、どきどきした。
まあ、それはあなたが出てきて、あっさり破られたんだけど。
そうよね、私はルイさんより六歳も年上だし、汚れた女だもの。
あなた、ルイさんに出逢うまでは処女だったんでしょ? なに、顔を赤くしちゃって。あー、やっぱり? 初キスの相手すら、ルイさん? いいわねえ、初めての相手がルイさんだなんて。こっちは、どこの誰とも知らない男に買われたっていうのに。
……シバサキへの生贄は、清らかな乙女でないとね。
そんなこともあって、聡子社長には憧れつつも、恨みも募っていった。
私の暗躍が相当お気に召したのか、ほかにも何人か作ったのよ、『別れさせ屋』の社員を。私の存在は次第に知られてきたし、年も取ってきたから、そろそろ使えなくなるとでも考えたのかもしれない。すごく悔しかった。まだまだできるのに。
私は、ルイさんがほしい。ずっと願ってきた。でも、ルイさんはあなたしか見ていない。
今回、『息子夫婦に手を出して、ちょっとだけ波風を立ててあげて』と言われたとき、大きなチャンスだと思った。ルイさんはさらにステキな男性に変貌しているし、聡子社長の話によれば、夫婦仲はいいけれど、あなたがルイさんの荒ぶる性欲に参っているっていうじゃない。
事件を起こして、私が少し傷つけばいいだけ。
聡子社長が困る。
ルイさんが私を心配する。
あなたが悲しむ。
ほら、思い通りの結果。うふふ、あははっ!
***
不思議と、涙は出てこなかった。
強盗事件に、叶恵の強い思いが込められていたなんて。そして、悲しくも一途な気持ち。誰かに必要とされたい、愛してほしいと叶恵は全身で訴えている。
ひとつ間違えば、さくらが叶恵で、叶恵がさくらだったかもしれない。
目の前で自嘲している人を見て、さくらの心は痛んだ。
なにか、自分にできることはないだろうか。もちろんさくらだって、余裕も自信もない。けれど、見過ごしたくなかった。
「叶恵さん。いま、しあわせですか。楽しいですか? 思い通りになったんですよね? 充実していますか。そんなふうには、全然見えません。最近、ある人に言われました。『自分を大切にしなさい』って。実は、私も、まだまだできていませんが、大切にしたいって思います」
「な……なによ、いきなり。計画は、うまく進んでいる。でも、あなたがもっと傷ついて、ルイさんと不仲になってもらわないと」
「類くんと私は、よくけんかします。我慢もします。毎日身体を求められて、それが結婚の目的なのかって、あきれたりもします。一緒に住んでいても、分からないことがたくさんあります。でも、私は明るくて前向きな類くんがすきです。彼が、ほんとうの『柴崎類』になれるのは私の前でだけ、なんです。支えたい。守りたい。助けたい。類くんも、私のことがだいすきです。だから、渡しません。負けません。これからもどうぞ、ぶつかってきてください、全力で。必ず、諦めさせます」
「……あんた、バカなの? どこまで、いいこなの? 夫を寝取ろうとしている女に、そんなことがよく言えるわね。同情も、ほどほどにしなさい」
「目的のためには自分を傷つけても……という、叶恵さんの考え方はよくありません。でも、私はあなたを救いたい。胸を張って自慢できる仕事を、いつか一緒にしたい。類くんはあげられませんが、叶恵さんの憧れに近づけるよう、お手伝いします」
「お話にならない。あなたは、たくさん持っている。聡子社長やルイさんに守られていればいいだけでしょ。シバサキのきれいなお人形さんで、無知な新入社員風情のくせに」
インターホンが鳴った。会話はそこまでだった。類が戻ってきた。
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