第27話 お見舞いという名の敵陣潜入②

 インターホンを押すと、叶恵はすぐに出てくれた。


「ルイさん、わざわざ来てくれてありがとう! そちらの人は、ルイさんの……でしたっけ?」


 類には笑顔を向けたのに、さくらには不審な眼差しを送ってきた叶恵に、ちょっと戸惑った。ふたりで訪問するという話は、壮馬がしてくれていたはずなのに。


「こんにちは叶恵さん。あらためまして、ぼくの妻のさくらです。オープンのときも、母さんと来てくれたよ?」


 引っかかるモノを感じたようだが、イヤな顔をせずに類は答えた。さくらも丁寧にあいさつをする。


「柴崎さくらです。よろしくお願いします」

「……そう。どうぞ上がって」


 あれ、やっぱり! さくらにはとんでもなく素っ気ない態度だった。類に好意を持っているせいなのか、同性にはこんな感じなのか、判断に迷ったけれど、あまり気にしないことにした。


 最近感じていることがある。さくらは、『女運が悪い』!。



 類も叶恵の微妙な態度に嫌悪を感じたようで、励ますようにさくらの肩をぽんぽんっとやさしくたたいてくれた。

 そ、そうだ、相手はひどい事件に巻き込まれたばかり。配慮できないことも多いはず。


 室内は、よく片づけられている。ひとり暮らし、1LDKなのだという。


「おやつ、持ってきました。あと、妻のさくらが夜ごはんを作りたいって言うので、キッチンを借りてもいいですか?」

「レモンケーキ! うれしい。ルイさん、私がここのお菓子を好きだって、覚えていてくれたのね」

「もちろんですよ。何度も教えてくれましたし、実際にいただきました」

「ありがとう。食べながら、お店の報告を聞いてもいい?」


 叶恵は、さっそくメモとペンを手にした。さくらのことは、ほぼ無視だったので、類がもう一度聞いてくれた。


「あの、キッチンは使えますか?」

「……ああ。勝手にどうぞ。私、あんまり自炊しないから、キッチンまわりは充実していないけれど」


「だいじょうぶです。お借りします」

「悪いけれどさくら、適当にお茶を出してくれる?」


 納得いかないこともあるけれど、さくらは黙って頷き、キッチンに入った。



 よく整えられているものの、ほんとうに、調理器具やお皿も調味料も少なかった。冷蔵庫もカラに近い。ほとんど、ビール専用庫だった。


 類と叶恵は、楽しそうに談笑している。

 直属の上司だし、今は事件のことで深く傷ついているのだ。叶恵のほうに特別な感情があっても、類には(たぶん)ない。ときどき寄りかかってくる叶恵の身体を、類はやんわりと冷静に笑顔で押し戻している。


 仕事中には、ひとつにまとめていた髪を、今日の叶恵は下ろしていた。療養中なのに、ばっちりメイク。メガネをかけていないので、さくらにもよく見えるその双眸には、強い意志を秘めていた。思わず、さくらですら、引き込まれてしまいそうになる。しかも丈の短いスカートを生足で履いていた。やけに女っぽくて、嫉妬してしまう。

 近い! 寄るな触るな、それ、うちの夫!


 だいじょうぶ、類を信じている。類は自分の夫、あおいの父。見た目がよくて誘惑されやすいけれど、類にもまごころはある。持っている。


 ふたりに紅茶を出し、さくらは持参したエプロンをつけ、腕まくりをして気合を入れて料理にかかった。


 さくらは圧倒的なアウェー感に包まれている。

 しかも。


「……酢。が、ない」


 困った。酢がないと、ピクルスが作れない。買ってきた野菜がもったいない。このまま、置いておけない。


「類くーん、買い出しの追加をしてきていい?」


 わざと大きな声で呼びかけると、類がさくらのほうを見た。


「ぼくが行く。吉祥寺周辺、さくらは不案内でしょ」


 類が立ち上がった。


「でも」


 叶恵と、ふたりきりになるのも気まずい。かといって、類と叶恵を残す気にもなれない。


「いいからいいから。電話もしたいんだ。十分、いや十五分で戻る」


 押し切られてしまった。仕方なく、買い物リストのメモを書いて渡した。類が出かけようとするのを、さくらは玄関先で見送る。叶恵は優雅にお菓子を食べている。


「……叶恵さんに、なにか言われても真に受けないでね。ちょっと変だよ、今日」

「だいじょうぶ。気にしない」

「いいこだね、さくら」


 さくらの唇を舐めるようなくすぐったいキスをすると、類は外出した。


 いいこじゃないのに。動揺しているのに。自分の気持ちを隠して、嘘ばっかりついているのに。



「……あなたたちって、ほんとうに仲がいいのね。お店のバックヤードだけじゃなくて、人の家でもキスするなんて。しかも、舐めたり、舌を入れたり、いやらしい。今ので、あなた濡れちゃったんじゃないの?」


 振り返ると、タバコの煙をくゆらせながら、しらけた顔の叶恵がさくらの背後に立っていた。


 そうですよ! 私たちは来世も誓った仲なんです! このあと、まだまだ子どもを生みますよ! 誰も入り込めません! 毎晩、すごいんですから! いやらしくて万歳!


 ……と、断言できたら爽快なのに。

 なにも言い返せない。叶恵の背中をにらむぐらいしか、できない。

 現実では、ため息をつきながら苦笑いを浮かべるさくらだった。


***


 類が出て行ったあとの、沈黙が痛い。身に刺さる! 叶恵店長と、なにを話せばいいのか、さくらは困った。


「ええと叶恵さん、お茶のおかわりはどうでしょうか」


 それぐらいしか言えない、無力な自分に腹が立つ。


「そうね、いただこうかしら」


 えっとぉ……平常心で笑顔? 叶恵は飄々として、壮馬差し入れのチョコレートをバリバリ喰らっている。それ、何枚目ですか?


 さくらは思い当たった。叶恵は誰かに似た話し方やしぐさだな、と思ったら聡子だった。


「ルイさんの奥さんにしてはあなた、ほんっとに普通」


 厭味か。


「よく言われます」


 せめて笑顔で返す。


「もっとゴージャスで豊満か、売れっ子芸能人なら許せるのに」

「それも、よく言われます」


 ああ、ばちばちと視線だけで火花。こういう展開は正直、きつい……類の帰宅を心待ちにしてしまう。


「まさか、あなた。あの件が偶然だと思っている? あれ、私が仕組んだの。私を襲ってお店を荒らしてって。お金まで取られたのは予想外だったけれど」

「しくんだ? 叶恵さんがあの件を?」


「そうよ。出来過ぎでしょ、いろいろと。インターネットで知り合った人間に、お店でちょっと暴れてくれと依頼した。今ごろは海外に逃げているでしょうね、捕まらないわ。事件の被害に遭えば、ルイさんの同情を惹けるし。実際、うまくいった。ルイさん、女性の扱いが上手ね。さすが百戦錬磨」


「類くんの気を向かせるために、事件を起こしたんですか!」

「そうよ」


 ひどい。なんて、ひどいことをしてくれたのか。


「今回の事件で、みんな、傷つきました! たくさんの人が。商品も。お店も。なのに……類くんと聡子さんに、言います!」

「あなたにできるの? 実は、叶恵店長が真犯人ですって報告したら、いちばん傷つくのは、あのふたりなんだけど。それに証拠がない」

「あなたがやったって、ふたりの前に突き出し……」


 たりしたら、さくらが非難されるだろう。叶恵への嫉妬のあまり、頭が混乱していると思われるのがオチだ。『襲うように依頼した』なんて、信じてもらえそうにもない。

 叶恵は自分を犠牲にして被害者になりすまし、類のやさしさにつけ込んだのだ。


「うふふ。言えないわよね、あなたには。なんといっても、いいこちゃんだから。たくさんの愛を受けて、まっすぐに育った素直でかわいい女の子。同じ父子家庭でも、私はまるで違った……私は、暗い家で生まれ育った……思い出すのも忌々しい、あの家で」

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