第26話 お見舞いという名の敵陣潜入①

 強盗事件で叶恵が被害を負ったことには、聡子社長も深く傷ついたようだった。


 叶恵は、聡子の直接の指示で『別れさせ屋』として社内で暗躍しており、今回も特殊業務がなかったら、もっと早くに帰宅できていたはずで、強盗に遭遇することは避けられたはずなのに。

 もっと言ってしまえば、聡子は類が叶恵と組むよう、わざとぶつけてきた。

 聡子社長の信奉者である叶恵は、人を好きにならない。ゆえに、類の相手役にはちょうどよい女性だと、判断したものらしかった。たとえ、深い仲になっても、割り切った関係でいられる、と。


 しかし、ものごとは簡単に割り切れるものではない。


 会社が大切なのは分かるけれど、聡子社長のやり方には納得できない。

 ただの新入社員でしかない自分に、できることなんてないかもしれない。けれど、このまま見過ごせなかった。


 さくらが叶恵のお見舞いに同行する件については、すぐに許可が下り、その日の午後に仕事を早めに切り上げて吉祥寺へ向かうことになった。あおいは皆と一緒に、仕事帰りの涼一がお迎えしてくれるという。


 類と合流するべく、さくらは本社から吉祥寺店へ向かった。


***


 荒らされたという店内は、すでにきれいに片づけられており、明日から再オープンする予定だという。視察しに行った前回とは違い、がらんとした広い駐車場が、なんだか寂しい。

 さくらはまず、壮馬マネージャーの姿を捜した。


 到着する時間をだいたい知らせてあったので、すぐに見つかった。フロアで、最終チェックに入っていた。


「おつかれさま、さくらさん」

「おつかれさまです、壮馬マネージャー」


「ルイさんも、準備できているよ。今日は叶恵のことを、よろしくお願いします」


 同期とはいえ、呼び捨てにする仲なんだ。さくらがどきりとしていると、店の奥から類が駆けてきた。


「さくら!」

「類くん」


 お店の中なのに、類はさくらを強く抱き締めた。壮馬マネージャーが苦笑して、一歩下がった。


「よく来てくれたね、うれしい」

「るるるるいくん、ここお店!」


「あ、そっか。ぼくのさくらに逢えたのがうれしくて、一瞬忘れちゃった」


名残惜しそうに、腕を離す。


 現在、午後二時過ぎ。差し入れの品などを揃えてから向かうので、滞在時間は二時間弱だろうか。


「段取り、ありがとうございます」

「さくらさん、これは私からのお見舞いです。叶恵は甘いものが好きなので」


 渡されたのは板チョコレートの束。十枚ぐらいはありそうだった。さくらもチョコレートは好きだけれど、量が多い。一年分、だろうか。


「お預かりします。あと、夜ごはんを作って帰りたいと思うのですが、叶恵さんの好みってご存知ですか」

「食事の好み、ですか……」


 壮馬は少し考えた。


「好き嫌いはない、と言っていたような気がしました」

「叶恵さんなら、なんでも食べるよ! でも、あたため直してもおいしいものがいいね、きっと」


 普通だけれど、カレーとかシチューあたりだろうか、無難に。食材を買い物しながら、また考えようか。


「彼女はお酒が好きなので、つまみにもなるお料理だとうれしいはずですが、現状では深酒の可能性が懸念されます」


 がっちりごはん(炭水化物)を食べさせて、回復させろってこと? まずは体力?。

 でも、問題なのは、心。

 

 叶恵を立ち直らせ、『別れさせ屋』を廃止して会社を健全に持っていかなければ、さくらも類もこの先ずっと悩まされる。

 つまりは、聡子社長の独裁を止めることが必要だった。本人は、皆の育児に専念したいようだが、現在のシバサキファニチャーは聡子のカリスマ性で持っているようなもの。


「オッケー、まかせてください。さくらの腕にかかれば、ごはんの心配はいりませんよ。味は、毎日食べているこのぼくが認めます」


 さくらがもやもやと考えていると、類の明るい声が上から降ってきた。

 一日でも早く、類が聡子と交代できればいちばんいいのだけれども、類は大学を卒業したばかりの二十二歳。全社員を納得させて、引っ張っていけるかどうか。

 ああもう、自分! 家庭や仕事のことで悩んでいるのに、会社の将来までも考えなければいけないなんて!


「ルイさんは、ほんとうに心強い方ですね」


 壮馬は笑った。ああ、癒しですその笑顔。


「じゃ、そろそろ行ってきまーす♪」


 さくらと類は、ほかの社員たちにも見送られてお店を出た。


***


 近くのスーパーで食材を仕入れる。

 最近、暑くなってきたので、野菜売り場には夏野菜がだいぶ並んでいた。

 さくらは洋風の炒め物を作ることにした。カポナータである。なす、にんじん、ピーマン、トマト、ズッキーニ。色どりもいいし、ごはんにもパンにも合うだろう。余った野菜で、スープ、サラダとピクルスも作ろう。


「うわあ、ピーマン……ぎゃお!」


 元アイドルモデルの唯一の弱点は、ピーマンである。

 さくらが疲れていて抱かれたくない夜などは、ピーマンを自分のパジャマのポケットに突っ込んでおくと、類は絶対に近寄ってこない。吸血鬼ににんにく、みたいな感じでけっこう役に立つので、柴崎家の冷蔵庫には常備してある(類には内緒である)。


「ピーマンの肉詰めも作るんだ」

「うわー。まじ、無理」


 あとは、甘いもの。

 類情報によると、チョコレートのほかにはレモンケーキが好きだというので、それも買った。多少、日持ちがするので差し入れにはいい感じだ。



 荷物は類に運んでもらって車に乗せ、ふたりは叶恵の自宅を目指す。


「少しは元気だといいね、叶恵さん」

「あー。電話の様子だと、普通だった」


「電話した?」

「叶恵さんから、かかってくるんだ。お店の様子が気になるんでしょ、きっと」


 ほんとうに、それだけ、だろうか。お店が知りたいなら、シバサキ勤務歴が長い壮馬マネージャーだっているのに。類に……類に、甘えたいのではないだろうか。


「そういえば、見送りの中に例の同期が混じっていたんだけど、気がついた? 永山一福(ながやまいっぷく)。あいつ、函館店行きがなくなったんだって。しくじったよねー、しばらく雑務らしい」


 類の同期は、さくらの同期でもある。


「あ。そういえば、いた!」


 毎日、完璧美男子ばかり眺めているさくらにしてみれば、例の同期の容姿はそこそこという評価しか与えられないけれど、世間的にたぶんなかなかいい感じなんだと思う。だから、社内でモテるんだ。あ、もう過去形にしなきゃ。モテたんだ。社内では、二度とモテないと思う。


「あの夜、あいつがお店を出て行ったあと、わりとすぐに強盗が入った。イップクが叶恵さんを守ってくれればよかったのに。叶恵さん、ほんとうに不運だった」


 不運、なのだろうか。

 納得、いかない。そのひとことで、片づけてしまっていいのだろうか。さくらは考えた。

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