第25話 深夜の呼び出し④

 自宅を出て、車でお店に到着したのが午前一時半ごろだったかな。すでに、警察やら野次馬やら、たくさん集まっていて。これは、まじで事件だって思った。


 眠気、吹っ飛んだ。


 お店には、電気がついていた。でも、停電している個所もあったな。

 駐車場には、割れたガラスが散乱。

 店内もさんざん。荒らされて、ひどい。たくさんの家具が倒れているし、割れものが床にぐちゃぐちゃ。ソファやベッドなんて、ナイフかなにかで切りつけられているものもあって。

 ぼくの作った子ども家具売り場も、悲惨。破壊の極致で世紀末状態。出入り口に近い場所だったせいかも。

 その場にいた警察官に、身分証明書や社員証を見せて事情を話したら、お店の事務室に連れて行かれた。


 そしたらさ、お店の商品だったブランケットを頭からかぶっている叶恵さんが、女性警察官に付き添われて放心していた。

 泣き腫らした顔で、頬に何ヶ所か切り傷もついていた。メガネも、なくなっていて。


 ぼくは唇を噛んだ。

 見て、すぐに分かった。

  

 ああ、叶恵さんも被害に遭っちゃったんだ、と。


 声をかけていいものか、ちょっと迷ったけれど、ぼくは名前を呼んだんだ。『叶恵さん』って。


 そうしたら叶恵さん、真っ赤に腫れた目なのに、ぶわって泣いちゃって。隣の女性警察官が『またか』っていう、ものすごいイヤな顔をしてきて、叶恵さんの身体をぼくに押しつけてきた。


 泣いている女性って、ほんと困るよ。さくらもそうだけど。

 でも、放っておくわけにもいかないし、とりあえず、泣きやむまでついていようって思った。上司だもんね。そのうち、違う社員が来てくれるかもしれないし、それまでは。


 落ち着くように、名前を呼んであげたんだ。もう一回、『叶恵さん』って。


 そうしたら、『叶恵』って言ってみてって、懇願された。仕方ない、ぼくは呼んであげた。背中をさすってね。

 ぼくの声で、叶恵さんは少し気分を取り戻したのか、泣き声が小さくなった。でも、まだまだだった。気の済むまで、名前を呼んであげることにした。

 そのうち、ぼくの胸に寄りかかるように身を預けてきたんだ。このまま、寝てくれればいいと思ったんだけど……


 ま、そうもいかなかった。人の心って、簡単じゃないね。


 とにかく、気が立っていて、過敏っていうのかな。感情の揺れ幅が大きいの。事件に遭って、警察にあれこれ訊かれて、ほんと大変だったと思う。

 だからぼくは、叶恵さんが落ち着くまで、待つことしかできなかった。冷静さを取り戻せたら、今後の指示もあるだろうし、叶恵さんはぼくの上司だからね、少し待ってもだめそうなら、母さんに報告しようって。


 ぼくが寛容なのをいいことに、叶恵さんはぼくにキスをしてきた。

『ルイさんがほしい』って。何度も何度も何度も、執拗なキス。悪夢のような記憶を消したかったんだろうな。


 もちろん、叶恵さんはそれ以上のことを望んでいたみたいだけど、ぼくは最後の一線だけはやんわりと断った。

 ごめん、さくら。ほんとうにごめん。

 さくら以外とあんなのことになったの、久しぶりだった。若いときはけっこう無茶したけど、さくらとあおいに一途だもん、今のぼく。


 でも、緊急事態だったし、一度ぐらいは許してくれるよね。ぼくだって、好きであんなことをしたんじゃない、なぐさめるための行為。治療っていうのかな、憐憫。同情だよ。


 は? そこ、どうしたかって、もうちょい具体的に知りたい? 夫婦に隠しごとはなし? いいけど、あとで『聞きたくなかった』とか、言わないでよ?


 だ・か・ら、舌を入れてめちゃくちゃ濃いめのキスして、緊張が解けるように胸も揉んであげて……触りましたよ、叶恵さんの全身をくまなく! ぼくの指と舌で、やさしくとろけるようにしてあげたよ、奥の奥までね! とろっとろだった!

 乳くさいさくらじゃ、到達できない女体の境地。でも、裏切りじゃないよ。身体じゅう、傷やあざだらけで……かわいそうだった。


 え? なんとなく、気がついていた? さくらのくせに、まじ?

 ああ……たばこ?

 叶恵さん、ヘビースモーカーなんだよね、参っちゃった。匂いが移るまでキスされるって、どういうことって? ごめん、ほんとごめん。ふだんの叶恵さんはタバコの匂いに気をつけているのに、昨日だけは動揺していて、ぼくが到着するまでに、何本も続けて吸ったみたい。ぼくが隣にいても、しきりに吸っていて。健康に悪いけど、止められなかった。


 まあしかし、さすがは年上女性のハードなキス。ねちっこく絡みついてきて、気持ちよかった……あ。今の話、なし! なしなしなし、なし! 叶恵さんには悪いけど、ぼくは大嫌いなピーマンのことを考えてやり過ごしたし! ぼくは、越えていない!



 その後、お店のスタッフが数人出社してきて、ようやくぼくは解放された。叶恵さんは検査入院したけれど、異常はないみたいで、自宅療養。



 叶恵さんが、社内で『別れさせ屋』をしているっていう話は少ししたよね。

 昨日も、とある男……って隠しても仕方ないか、ぼくたちの同期……函館店への辞令が出ていた、一応の今年度のエースのやつね、あいつとお店で密会するつもりだったらしいんだ。

 北海道への転勤だから、いろいろと準備があったみたいで函館へ行くのは来週からだったっていう話だけど、抜擢されたってことは期待の星だからね、社内の女の子がちやほやと群がったらしいんだ。


 そいつも、そんな外野なんて放っておけばいいのに、突如モテモテになって調子に乗って、群がる女子社員のつまみ喰いを派手に繰り返したらしい。それが母さんの耳に入り、叶恵さんが制裁を加えるってことになったみたい。

 同期も、ばかだよねー。いくら叶恵さんが魅力的だからって、お店に呼び出されてほいほい答えちゃうあたり。


 防犯カメラの映像も見た。

 同期がお店に来たのは、午後九時。帰って行ったのは、十時半ごろだった。一時間半の間に、叶恵さんが身体を張って同期に釘を差したんだろうけど、そのあと……叶恵さんが帰ろうとしているときに、強盗に遭遇して。その映像も確認済み。

 気丈にも抵抗する叶恵さんが、三人組の強盗に店内へ引きずりこまれて……もっと早く帰っていれば。

 犯人どもは、店内を荒らしまくり、叶恵さんに無体を働き、売り上げ金を持って逃げた。


 どうにか、正気を取り戻した叶恵さんが通報、ぼくのところにも連絡が来た。

 不運が、重なった事件だった。


***


「真相は、こんな感じだよ」


 類は、さくらの目ををまっすぐ見つめた。嘘のない、きれいな目だった。

 女の子にやさしいのは知っている。傷ついている人を放っておけない気持ちも分かる。


 だけど……だけど、無理に言わせたのも、さくらだけれど、涙がこぼれそうになってきて仕方がない。どうして、類なのか。さくらの類なのに。



「……あと、叶恵さんはひとり暮らしだから、スタッフでお見舞いに行こうって話になったんだけど、何人も入れ替わりで訪問されたら叶恵さんが迷惑かもしれないし、代表してぼくが行くことになった」


「類くんが? ひとりで? いやだ、食べられちゃう」


 さくら、即答だった。酔っていた。


「ばかだな、そんなわけないじゃん。ぼくが、どんだけ修羅場をくぐってきたと思っているの? 叶恵さんは魅力的だけど、だからって陥落するようなぼくじゃない。ぼくには、さくらがいる」

「やだ。行っちゃ、やだ。女性のひとり暮らしの家になんて。類くんが行くなら、私も行く。療養中なら、ごはんを作るし」


「さくらが?」

「うん」


「食事、か。それはいいかも。さくらのマネージャーに相談してみる」

「お願いね、絶対絶対一緒に行く」

「ふふっ、懇願のさくらはかわいいなあ。きゅんってきた」


 類は、さくらの手からシャンパンのビンを取り上げると、残りを一気に飲み干して脇に置き、さくらを抱き寄せた。酔っているせいか、類の唇はいつもよりもいっそうやわらかく感じた。さくらは懸命に応えた。


 そのつもりが類になくても、叶恵は違う。

 一度があったなら、きっと二度、三度目を願うだろう。


 類を信じているけれど、叶恵がこわい。おそろしい。


 ……守る。類は、自分が守る。誰にも、渡さない。

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