第23話 深夜の呼び出し②

 保育園へあおいを預けて出社すると、社内は『吉祥寺店に強盗』の話題で持ちきりだった。


「さくらさん! ルイさんはだいじょうぶだった?」


 先輩たちも壮馬マネージャーも総務部の同僚全員が、いっせいにさくらを取り囲んだ。


「あ……ええと。夜中に呼び出されて、さっき帰ってきました。とても疲れた様子だったので、事件のことはなにも聞いていません」

「なあんだ」


 落胆の色が走る。


「店内、荒らされて大惨事みたい。しばらく、営業できそうにないって噂。店長が、強盗と鉢合わせしたとか、人質に取られたとか」

「そんな……」


 現在、職場で類と近い立場にいる、叶恵店長には個人的に嫉妬しているけれど、事件の被害に遭ったかもしれないと思うと、気の毒でならない。


「みなさん、このあと社内放送が入る予定になっています。社長からお話がありますので、そろそろ着席してください」


 壮馬の掛け声で、みな席に座った。



 さくらは、隣の席の壮馬に声をかける。


「叶恵店長、だいじょうぶですか?」

「……私も詳しい話は耳にしていませんが、被害を通報した本人だったようです」


「類くんには、店長さんから深夜の一時前に電話がありました。そんなに遅くまで、お店に残っているものなのですか」

「そこなんですよね。お店の営業は午後八時までです。私も店舗勤務で店長を勤めたことはありますが、いくらなんでも遅すぎますね。彼女は、吉祥寺店から歩いて通える範囲に自宅があると聞いていますが」


 ふたりとも、腕を組んで考えた。

 急ぎの仕事があった? ううん、聡子は残業を嫌っている。仕事以外の理由? まさか『裏の仕事』で、お店を密会に使っていたとか? いやだ、ミステリーになってしまう。


 さくらが考え込んだところで、社内放送が入った。



『みなさん、おはようございます。社長の柴崎聡子です』


 いつもながらよく通る、聡子の美声。


『今朝は、シバサキ吉祥寺店の件をお知らせします。今日、日付が変わったころ、吉祥寺店に三人組の強盗が入りました。事務所にいた店長を脅して売上金を持ち出し、多くの店内商品を破損させ逃走。現在も捜査中です』


 うわあ、という声が多くの席から上がった。


『店側の防犯システムは正常に稼働していました。落ち度はありません。しかし、残っていた社員が、事件に巻き込まれてしまったことはとても残念です。みなさんも再度、身の回りの防犯チェック、過度の残業はしないよう、徹底してください。吉祥寺店は本日より三日間、臨時休業とします。念を押しますが、マスコミや部外者には口外禁止。以上です』


 聡子社長の放送はそこまでだった。

 事件の詳しい内容は分からないけれど、悪いニュースだった。


 めちゃくちゃに荒らされた店内を見て、きっと類も傷ついただろう。類が作った子ども家具売り場は、無事だったのだろうか。そして、叶恵店長はどうなったのか。


 吉祥寺店の件で、総務部には仕事が増えたばかりか、再オープンできるまでの数日間、壮馬が出向することになった。同行者がひとり必要、とのことで、連れて行ってほしいと強く思ったけれど、壮馬はさくらを選ばなかった。

 あちらのお店には、さくらの夫の類がいるのだ、当然だろうがさくらは残念だった。壮馬は先輩社員と、荷物を持って早速出かけた。


***


 お昼休みになると、吉祥寺店の噂はより拡大していた。


『店長が強盗に乱暴された』

『店長は店の休憩室を密会に使っていた』

『店長がルイさんの私物を盗んだ』


 などいう、とんでもない内容まで飛び交う始末。みんな、噂が大好きだった。過去に、噂で振り回された経験があるさくらは、叶恵店長に同情した。


 類からの連絡はない。まだ、寝ているのかもしれない。


 強盗に遭遇してしまった叶恵店長を落ち着かせるために、類ならどんな行動に出るだろうか。女性にやさしい類のことだ、そばについてあげて離れないはず。

 頭を撫で、背中をさすってあげて、抱き締めて、なぐさめるかもしれない。


 もしかしたら、もっと進んだことをしたり……?

 叶恵店長が喫煙者だったら、朝の苦いキスの説明がつく。類の身体に、煙さが残るほど、濃厚に接した?


 類が朝帰りなんて、結婚してはじめてだった。


 叶恵店長と……?


***


 午後五時。終業時刻。


 廊下で、聞き慣れたにぎやかな声がすると思ったら、やっぱりあおいだった。類と手をつないで、いつものように歩いている。

 迎えに来てくれた。そのことは、ほっとするけれど、昼に想像したおそろしい妄想に、さくらはとらわれている。


「ままー、かえろー。ぱぱがね、おむかえ!」


 あおいは類のお迎えがうれしいようで、笑顔だった。朝の『へんなにおい』のことなんて、きっと忘れている。


「あおい、ありがとう」


 たぶん、廊下から類がさくらのほうを見守っているはずだった。けれど、類の顔を見られない。見たくない。


「まま、おててちゅめたい」


 緊張して、指先が冷えてしまった。


「はやく、かえろ! ぱぱねえ、ぱしゅたつくるって。かるぼ」


 ぱしゅた……パスタ。かるぼ……カルボナーラ、だろうか。


 同僚たちも、続々と仕事を終えて上がってゆく。廊下でさくらを待つ類に、声をかけている人もいた。吉祥寺店がどうなっているのか、知りたいのだろう。


「待ってね、荷物をまとめる」


 類と、話したい。知りたい。けれど、怖い。

 さくらはわざと時間をかけて帰り支度を整える。あおいが不満そうだった。


「さくら、遅い。みんな、もう帰っちゃったよ」


 とうとう、しびれを切らした類が総務部のフロアに入ってきた。


「ご、ごめん! 今、行きます」

「まったく。本社の終業は定時なんだから。ちゃんと時計を見て行動」

「は……はい。ごめんね」


 あおいー、と類に名前を呼ばれた愛娘は、うれしそうな笑顔の父にぎゅっと抱き留められた。類は、心の底からあおいを大切にしている。不実なんて、働くはずがないのに。


 ふたりの後姿をじっと見ていると、類が急に振り返った。


「そっか。ぼくがあおいばっかりを優先するから、嫉妬した? さくらも手をつなぐ? 片方の手、空いているよ」

「いいいいいい、いい。私は、いいよ」

「はー。無理しちゃって。それとも、片手じゃご不満? じゃあ、あとでたくさん、特別に甘やかしてあげようね。やきもち屋さんの、さ・く・ら」


 いつも通りだ、類は。変わらない。変わっていない。

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