第21話 リベンジ・ランチ
その日のお昼、さくらは決心して総務部の先輩に声をかけた。
「あのう! わ……私、今日はお弁当を持ってきていなくて! よかったら、ランチに私も混ぜてくださいっ!」
社長の娘なんて面倒。『ルイくん』の嫁なんて、嫉妬と羨望しかない。断られたらどうしようと思いながらも、さくらはどきどきしながら答えを待った。
「おー。いいよ、行こうよ」
「パスタの予定なんだけど、好き?」
「お弁当、忘れたの? 珍しいね」
なんだ、拍子抜け。あっさりと受け入れてもらえた。
「あ、寝……ねぼうしちゃって……」
さくらは正直に答えると、笑いが返ってきた。
「しっかりしていそうなのに意外。ルイくんが、なかなか寝かせてくれなかったとか?」
「さくらさんっていつもお弁当持ちだから、声かけづらくて」
「これからも、たまには食べに行こう。総務部唯一の新入社員よ!」
先輩たち三人が案内してくれたのは、シバサキ本社から歩いて五分ほどの場所にある、小さなイタリアン。運よく、四人テーブルの最後の一卓に滑り込めた。
テレビや雑誌で見たことがある、イタリア国内の風景写真が飾られている。それと、陽気なBGM。
「なんでもおいしいよ。トマト系・クリーム系・オイル系、ラザニアなどなど。サラダと食後のコーヒーもついて、千三百円也」
「あ……」
およそ二十種類ほどが書かれているメニュー表の、クリーム系パスタのところでさくらは指を止めた。
「どうした、あった?」
「いいえ、なんでも」
否定したけれど、突っ込まれた。
「言ってみ。食物アレルギーでもある?」
「ち、違うんです……その、る……類くん、クリームパスタが好きなので……で、今日は類くん、お休みなんですけど、お昼はなにを食べるのかなって……娘も押しつけて来てしまったので……うわあ! すすすす、すみません! 私のつまらない妄想を聞かせてしまいました!」
そこまでさくらが告白すると、先輩たちは揃って大爆笑した。
やっちゃった! さくらは恥ずかしくて、メニュー表で顔を覆い隠した。
「ほんっとに好きなんだねえ、ルイさんのことが。いいねえ」
「子どももいるのに、らぶらぶかあ」
「若いけど、けっこう長いよね。お子さん、三歳だっけ。学生結婚だったよね。おばちゃんたちに、ふたりのなれそめを語ってよ?」
ああもう。類とは今、近くにいないのに、どうしたって思考が類に飛んでしまう。なにをしているのか、気になる。自分、どんだけ好きなのか。ほんとに恥ずかしい。
そっと、メニュー表から顔を出したさくら。
「……ええと、まずはラザニアセットを、頼みます!」
「「「クリームパスタじゃないのかい!」」」
***
類との結婚にいたるまでは、いろいろあったので、親どうしが再婚して同居しているうちに仲よくなって、という短い内容で済ませた。
兄の玲のこととか、類が京都まで追いかけてきたとか、でき婚は周囲に反対されたゆえの極秘作戦とか、詳しく話すと一時間の休憩では、とても足りない。
「義理のきょうだいとか、危険な香りしかしないよ。あのルイさんと、結婚だもんねえ。え、十九だった?」
「当時、若気の至りだと思っていたな」
「私だったら無理! きらきら過ぎて、無理!」
自分でも、そう思う。
苦笑しながら、さくらは食べ進める。ラザニアのソースの味付けを薄くすれば、あおいも食べられそうだ。チーズは好きだし。今度、家でも作ってみよう。
「さくらさんって、聡子社長の秘蔵っ子だから、完璧すぎて付き合えないかと思っていたけれど、中身は普通だね」
「そうそう。出身大学も一流だし、雲の上の人って感じだった」
「写真の件のときは、かばってあげられなくてごめんね」
ああ、気にかけてくれていたんだ。さくらはじんわり来てしまった。
「聡子社長や類くんは、きらきらでまぶしい存在ですけれど、私は普通なんです。父子家庭に育ったので、ちょっと家事が得意なぐらいで。大学も補欠……追加入学でしたし、私のほうが年上なのに、類くんには叱られてばかりです」
「家事が得意なら、言うことないよ」
「そうそう、立派な主婦」
「自慢の奥さんじゃん。いいなあ、私も奥さんがほしい」
そう、なのか。他人が見たら、そう、かもしれない。
さくらの得意は家事。さくらの得意は仕事ではない。
家庭を支える、普通の主婦……類が望んでいるものになら、今すぐにだってなれそうなのに。
さくらがやりたいことは、主婦ではないのだ。
この気持ちは、ただのわがまま、なんだろうか?
***
「まままままっままままっまままままあ、ままー!」
午後五時。
終業の音楽とともに、総務部のさくらの机の場所まで、あおいが突進してきた。
「あおい?」
なんと、朝と髪型が違う。前髪はさくらが定期的に切っていたけれど、伸ばしっぱなしにしていた髪を、肩下できれいに切り揃えてある。類が切ったのか、それともサロンへ行ったのだろうか?
おでこの右脇に、桜模様の髪留めをつけている。
「おむかえ。やくそくの」
そうだった。帰りはふたりが来てくれると言っていた。総務部の外の廊下を見ると、類がさくらに向かって手を振っていた。
私服で、皆をだっこしている。スカイブルーの七分袖サマーニットに白いチノパン。今でも、雑誌の表紙を余裕で飾れそうだ。
「ありがとう。髪、すごくかわいいね」
「ん!」
さくらはあおいを抱き上げた。小さく生まれたので心配していたが、最近、ぐんぐんと重くなってきている。かわいいと言われたので、とても気分がいいらしい。自信たっぷりで、天を見上げている。
「ぱぱ、よるごはんもつくったよ」
「そうなんだ、うれしいな」
周囲の同僚も、徐々に帰りはじめている。残業すると、ボーナスの査定が下がる。というか基本、五時半には全フロア消灯となる。
さくらも、あおいと帰り支度を整えてあいさつをし、廊下に出た。
「おつかれさまでした、さくら」
「お迎えありがとう。類くん、あおい。夜ごはんも類くんが?」
「ちょこちょこっと、お惣菜を買い物してきただけだよ」
「助かる」
「きょはね、ぱぱとこうえんいった!」
「よかったね、ぱぱと公園」
「ぱぱと、ぶらんこのって、おすなした!」
ブランコ……いいなあ。一緒に乗りたい。さくらはあおいがうらやましくなった。
でも、類のことだ。接近したら、きっとあぶないところに手が伸びてきて大変なことになる。昼間の公園ではできないオトナな展開になる。いやだ、恥ずかしい。
そこまで考え、さくらは妄想を断ち切った。類がこちらを見て笑っている。たぶん、さくらの妄想すら、読まれているのだ。
「砂というか、お水を砂場に入れたら、服も道具もどろどろになっちゃって、ふたりとも着替えたんだよ。洗濯物、増えちゃった」
「砂遊びは、たぶん今しかやらないし。いいよ、気にしないで」
モデル時代は日焼け厳禁だったので、屋外の公園で長時間遊ぶなんてできなかった。今の類の存在が、ほんとうにありがたい。
「午前中に公園。買い物がてら、ごはんも調達して帰宅、食事、昼寝。そのあと車で移動。さくら、ミノルさんって覚えている?」
「もちろん。メイク担当の」
「そうそう。働いているサロンに連絡したら、ミノルさんが切ってくれるって言うんで、会社に寄る前、あおいの髪をお願いしたんだ。ぼくも、前髪だけ切ってもらっちゃった」
「うん。いい感じだよ」
「あおいの髪、勝手に切ったら、さくらに怒られるかなとも思ったけど」
「洗いやすそう」
あおいの髪は、たっぷりとしていて量が多い。中間できれいに削いであるので、助かった。
「でも、よくじっと座って我慢できたね」
「もちろん、ぼくの膝の上に乗せた。今はいいけど、これ以上大きくなったらどうしようか」
四人は車で帰宅し、聡子が帰ってくるまでは皆をこちらで預かることになった。
さくらが授乳しようとすると、類はいやな顔をしたが、皆を空腹のままにしておくわけにもいかない。皆は満腹になると、うとうとしはじめた。
さて、その次はごはんの仕上げ。
メインのお料理は類が仕入れてくれたので、さくらはあおい用のお味噌汁とごはんを準備した。オトナには、野菜が足りないなと感じたので、冷蔵庫の中にある食材でサラダと和え物を追加。ついでに、明日のお弁当の下ごしらえも済ませてしまう。
「さくらって、スーパー主婦だよね。建築士より、そっち方面で稼げば? 『北澤ルイくんの妻』で、売り出そうよ。テレビに出て、その手技を披露。そんで料理本、お掃除本。今度、事務所に言っておこうか」
「はいはい、戯れ言は後回し。お皿、運んでね類くん」
あおいが『おなかしゅいたー!』と叫びながら、ソファの上でじたばたしている。さくらに無視された類は残念そうにしていたけれど、取り合わなかった。
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