第20話 いろいろとぐだぐだだけど、早く浮上したいので努力します②

 う……重い……。動けない。深夜の類が、自分の身体に乗っかっているみたいな重さだった。

 いや。あんな行為は。されたくない。さくらは、懸命に手足をじたばたさせようとした。けれど、思うように動かない。


「まま!」


 あおいの声で、目が覚めた。……今の、夢だった?


「ままー、おはでしゅ」


 違う。さくらのおなかの上に乗っているのは、あおいだった。


「なんだ、あおいか。おはよう」

「ぱぱが、ままおこしてって」


「……んー、ねむい」


 カーテンの隙間から、朝の陽射しが漏れている。時計を見れば午前七時を過ぎていた。四時間ぐらいしか寝ていないんだと、ぼんやり考えたけれど。

 そこで正気に返った。


「やだ、もう七時?」


 八時までにマンションを出れば、仕事には間に合うけれど、あおいの支度もあるし、朝食を作って食べて、お弁当を作って、全部は無理、絶望的!


「あおい、急いで出なきゃ!」



「おはよう。あわてんぼうさん。起きた?」


 部屋着にカフェエプロン姿の類が、寝室に顔を出した。エプロンも似合うなんて、罪深い存在だ。


「お弁当は作れないけれど、朝食は用意した。食べて」

「類くんが? 朝ごはんを?」


「まずは『おはよう』でしょ。子どもが見ているよ? うちのママは、あいさつもできないママなの?」

「あ、お、おはよう……ございます」


「はい。よくできました。じゃあ、ごほうびをあげようね」


 そう言うと、類はごほうびに軽くキスしてくれた。ちゅっと音を立てて。


「あおいが見ているのに」

「いいのいいの。あおいにもごほうび。おねぼうなママを、よく起こせました。えらいよ、ちゅっ」


 さくらには唇だったが、あおいには頬だった。


「ぱぱー、あおいもちゅっしてあげる!」


 とにかく、さくらはまず朝ごはんをいただくことにした。類とあおいも、それぞれ席に着く。


「今日は、ぼくがあおいと一日遊ぶから、保育園は欠席ね」

「え。いいの?」


 あおいと過ごしたら、類の疲れが取れないだろうに。


「ぼくがあおいと遊びたいんだ、たくさん」

「あおいも、ぱぱといっちょがいい。まま、こわい」


 類とあおいは、顔を見合わせて笑った。


「ほら。そうだよねー? よかったら、仕事帰りにぱーっと買い物でもしてくればいいよ。自分のお給料、ぜんぜん使っていないでしょ。誰かと、ごはんを食べに行ってもいいし。最近、家と仕事ばっかりだったでしょ」


 気をつかってくれている?


「そうだけど……」


 さくらはふたりの顔を見た。類。あおい。どちらもだいすきで、大切な人。


「私も、ふたりと一緒にいたい。類くん、あおい?」


 類は笑って、もう一度あおいの顔を見た。さくらを焦らしている。いじわる。


「どうしようか、あおい? ママも、仲間に入れてあげる?」

「にこにこしてるままなら、いいよ。こわいままは、いや」

「……だってさ、さくら。笑顔でいられる?」


 最近の自分、そんなに怖い顔をしていただろうか。だめな母親だ。ひどい。


「はい。全力で、がんばります」

「じゃあ、オッケー。帰り、会社まで迎えに行くよ。朝は悪いけれど、食器の片づけとかあるし、ひとりで会社へ行って。行けるよね?」

「ひとりで行けます。ちゃんと行きます! しっかり働いてきます」


 でも、なんだか、悪いな……類にあおいを押しつけたみたいな感じで。



 着替えて軽くメイクをしていると、類が洗面台にやってきた。この時間、あおいは子ども向けの教育番組を観ている。


「昨日、っていうか数時間前は、ごめんね。ぼくも、気が立っていて」

「類くん……」


「痛かった?」


 ううん、さくらは首を横に振った。こういうとき、先に謝れる類は素直だなとしみじみと思う。


「私のほうこそ、ごめんなさい。類くんには、類くんの世界があるのに。ちょっとわがままでした」

「もっと信じてほしいよ、ぼくを。ってまあ、さくらと結ばれるまでは、ひどいことしてきた自負もあるし、信用度はかなり低いかもだけど。夜中に眠れないほどぼくがすきなんて、かわいいよ」


 類は天使のほほ笑みでさくらを抱き寄せた。年下なのに、類のほうがなにもかもオトナだった。


「……でも、ああいう荒っぽい絡み方は、すごく感じるんだ。さくらをいじめたい。責めたい。泣かせたい。もしかして、夜の性活が倦怠期なのかな。違う体位とか、おとなの道具的なやつ、試してみよっか」


「……ええ?」


「というのは冗談だけど。ぼくとしてはしばらくの間、さくらは家にいて、専業主婦をやってほしいな。やさしい妻とかわいい子どもが待つ家って、憧れる」


 そこまで言うと、ぱぱを呼ぶあおいの声が聞こえたので、類はさくらから、ぱっと身を離し、リビングのほうへ行ってしまった。変わり身の早さは猫並みだ。


 さくらは、鏡に映った自分を見た。


 類に必要とされて、とても愛されているのに。しあわせそうではない自分が、そこにいる。

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