第19話 いろいろとぐだぐだだけど、早く浮上したいので努力します①

 月曜、朝。

 いつもの日々がはじまった。

 お弁当を作り、朝食の準備をして類とあおいを起こす。あおいは、朝起きたら隣に類がいたので、大喜びだった。今日は遅番の類も、さっそくあおいにほっぺすりすりで応える。


「会社まで、送るよ」

「ええ? 悪いよそんなの。類くんだって、このあとはお仕事なのに」


「少しでも、あおいと一緒にいたいー」

「あおいも、ぱぱといっちょがいいー」

「「だよねー!」」


 ああ、このふたり……らぶらぶでべたべたの、ちゅっちゅである。もう、勝手にしてくれ。

 類とあおいと、三人で出勤するのは久しぶりだった。


「そうそう、今夜は開店祝いをしようっていう話になって、お店の近くのイタリアンを貸し切りにするんだって。ぼくの夜ごはんは、いらないよ。帰りも遅くなるだろうし、先に寝ていてね。電車で通勤しなきゃ。きんちょうするな」

「……ふうん、そうなんだ」


 あの店長も、来るのだろうか。やだなあ、きっとお酒を飲む席になる。類に絡んでこなければ、いいけれど。


「は。なに、その深刻そうな顔? 明日休みの有志が中心になって、スタッフで集まることになっただけ。まあ、叶恵店長もたぶん来ると思うけれど、彼女は明日も出勤だし、あいさつ程度に顔を出すだけになるはずだよ」


 な……なにい! 心の不安が、ぜんぶ読まれている。そんな顔、していたの自分?


「き、気にしてなんか、ないよ! 飲み過ぎないように、気をつけてってこと!」

「はいはい、ぼくのだいすきなお姫さま」

「ぱぱのおひめさまは、あおい!」

「そうだったね、かわいいお姫さまの、あおい」

「ぱぱは、あおいのおうじちゃま!」


***


「て言っていたのに、もう二時なんだけど……どういうこと!」


 深夜二時。

 類の帰宅を待っていたら、こんな時間になってしまった。十二時まで待つが、一時になり、現在午前二時。

 眠いけれど、目が覚めているというか、気になって寝られない! 結婚して以来、帰宅がこんなに遅くなったことはない。まさか事故とか、悪いことに巻き込まれていないだろうか?


 それとも、女子の誘惑にハマった? ハメられた? まさかまさか、酔った勢いで、誰かに持ち帰られて外泊とか、ないよね?


 何度か、プライベート用と仕事用、両方の携帯に連絡を入れてみたものの、返事がない。


 昨日と同じパジャマを着て待っているんだよ、類くん。お願いだから早く帰ってきて。無事な姿を見せてほしい。


「類くん、類くん……!」


 さくらが一心に祈っている、午前二時十四分。

 かちゃりと、玄関のドアの鍵が控えめにそっと開いた。ようやく!


 はっと、伏せていた顔をテーブルから飛び上げ、音のしたほうへ急いで走る。


「お、おかえりなさい……るいくん……!」


 息を切らして登場したさくらに、類は目をこすった。


「なに? まさか、起きていたの? ずっと?」

「う、ん。心配で」

「このばか女! 明日っていうか、今日も仕事でしょ! 自己管理がなっていないよ」


 類は怒った。つい、さくらも声を大きくしてしまう。


「なんでそんなに怒るの! 私が待ちたくて待っていたんだし、待っていてもいいじゃない。いきなり怒鳴るなんて、ひどい!」

「きみは妻で母で、社会人なんだ。人に迷惑をかけるような行動はやめなさい」


「だって、類くんが心配で。類くんが遅いから」

「……酔い潰れちゃった子をふたり、タクシーで三鷹と中野に送り届けていたら、こんな時間になっただけ。どうってことないよ」

「子? 女の子? それって、わざとじゃない? 北澤ルイに送られるなんて、狙ってやっているんだよ、絶対! その子の家に上がったり、していないよね?」


 さくらは類の身体に、しがみついた。まさか、店長?

 類のスーツからは、いかにも女の子が使いそうな香水の薫りがして、思わず身を離す。


「くさい。女臭い」


 類は自分の袖の匂いを嗅いだ。


「ああ、これ? 車の中で寄りかかられて寝られちゃって、ついたみたい。別に、さくらが想像しているような、やましいことなんてなにもないよ。ただのスタッフの女の子だもん。先に言っておくけれど、叶恵さんでもないよ」


 その名前、いやだ。聞きたくない。


「あの人の名前なんて、言わないで。いや」

「さくらって、どこまでばかなの? 名前呼びは社内規定だよ」

「でも、いや! 親密そうで、いや。やめて」


「眠くて、気が立っているんだよ。もう寝よう。すぐ眠れるように、だっこしてあげようか」

「いや。ほかの女の匂いがする類くんなんて、いや!」


「はー。いやいやうるさいなあ、もう。何時だと思ってんの? ぼくだって大変だったんだ、早く休ませてよ。言うことを聞かないなら、ここでひどいことをするよ?」

「できるなら、してみればいいじゃない! 私、類くんのおもちゃじゃない! 類くんの言いなりになんか、ならない!」


「うっさいなあ。そんなに、ぼくからのおしおきがほしいの?」


 与えられたのは、苦いキスだった。とてもお酒くさい。しかも、唇を噛まれた。切れてしまったようで、血の味がする。

 さくらの体は床の上に倒され、類が上に乗っかってきた。どうにか抜け出そうとがんばるものの、体格差がありすぎてまったく無理だった。


「いやだ、類くんやめて?」

「挑発したのはそっち。もう止めない」


「いやあ!」


「静かにして! なんだ、今夜もそのつもりだったんだ。ふーん。下着、つけてないし。ぼくがほしかったんなら、ちょうどいいじゃん。ほら、いやいや言いながらも、身体の奥は正直に濡れてきた」


「こういう……類くん、は……きらい」


「ぼくも、こういうわからずやのさくらは、きらいだね。きらい、大きらいだよ」

「わたしだって、大きらい。こんなことする類くん、私の類くんじゃない」


「ぼくは本来、こんな感じ。さくらには、今までやさしすぎただけ。調子に乗ると、こういうことになるよ」


 ランチ盗撮のときよりも、類の手つきは乱暴だったが、急に途中で止めた。ため息をつきながら立ち上がると、さくらを促した。


「……あおいが起きちゃった。泣いている。ねえ、早く行ってあげて」


 半裸のさくらを置き去りにして、類はバスルームへと逃げた。

 急いでパジャマを着直して寝室へ飛び込むと、薄暗い中、あおいがベッドの上に座って泣いていた。


「ぱぱ、いない。ままも、いないー! うわーんっ」

「ごめん。ごめんね、あおい。ままなら、ここにいるよ」

「いないー! くらいー!」

 

 寝ぼけているあおいを抱き締める。ぎゅっと。小さい身体を震わせて泣いている。


 でも、泣きたいのは、こっちだ。さくらは思った。

 同居して、夫婦なのに、類の気持ちが分からない。分かったような気になっていたのに、やっぱり類は遠いのだろうか。どうしよう。うまく、いかない。身体はつながっても、心が違うほうを向いている。


 とうとう、類はベッドに入ってこなかった。ソファで寝たらしい。

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