第18話 シバサキファニチャー吉祥寺店オープンです⑤

 類の帰宅は、深夜零時を回っていた。


「ただいまー……」

「おかえりなさい類くん、おつかれさまでした」


 開店初日。さすがの類も、くたくたのよれよれだった。笑顔で迎えたさくらだったが、類はさくらの姿をちらっと見ただけだった。


「シャワー、浴びる」

「食事は?」

「かんたんに、済ませてきた……明日、じゃなくて、すでに今日は、朝の六時に起こしてね。売れちゃって備品が足りなくて、新宿店に寄ってから出勤する予定。だけど、さくら……今夜?」

「もちろんだいじょうぶ、分かっています。先にベッドで待っているね。今日は類くんが満足するまで、いいよ」


「は? 今、なんて言った? 空耳?」


 さくらのことばに、類は目を見開いた。眠気が吹っ飛んだらしい。


「いつも、途中で寝ちゃうさくらが? 積極的で寛大だね。ははあ、さては嫉妬か」

「違うよ、私は明日もお休みだし」


「いーや。叶恵さんに嫉妬でしょ。うわあ、パジャマの下、なにもつけてないの? 初夜の言いつけを守るなんて、はじめてだよね?」

「やだ、めくらないで」


「その白いパジャマも、ぼくとお揃いでせっかく買ってあげたのに、肌が透けるから恥ずかしいって言っていたやつだ……やば! どうしよう、興奮してきた。シャワー、十分……いや五分で出てくる! さくらも早くはじめたいでしょ? だいすきなるいくんがほしいでしょ?」


 さくらに仕事バッグを押しつけ、着ていたスーツを脱ぎながら、類はバスルームへと急行した。


「……類くんってば」


 廊下やリビングに散らかされた類の衣服をひとつずつ拾い上げ、さくらは苦笑した。


***


「世の中の父親と同じで、見られるのは寝顔ばっかりかあ……」


 約束通り、年下の夫は寝室へとやってきた。素早く。十分以下で。タオルを肩にかけているけれど、裸で。パジャマは手に持っている。


 ベッドの真ん中には、あおいが寝ている。

 サイドの淡いスタンドライトを頼りに、類はあおいにすり寄った。熟睡しているので、少しぐらいは夫婦で会話しても起きないだろう。


「あおい、寝ているときもかわいいなあ。動物園はどうだった?」

「大興奮で、大はしゃぎだった。だから、今日は早く寝たよ。『パパ、まつ』とか言っていたけれど、七時過ぎからとろとろして」


 その分、自分の時間が取れたので、さくらは自分が建てたい家の妄想をすることができた。アイディアは忘れないよう、ノートに書き溜めている。いつか、使える日が来てほしい。


「水族館、実現しようね。遊園地はまだ早いし」

「うん。近いうちに」


 とはいえ、しばらく類は土日出勤が続き、本社勤務のさくらの休日とは合わなくなる。三人でおでかけできるのは、少し先のことになりそうだった。


「さくら、おいで」


 真ん中にあおいがいるので、どちらかに寄らなければいけないけれど、類はさくらを手招きした。


「狭いよ?」

「んー。じゃあ、あおいの足もとで、横になろうか」


 類は、さくらを抱きかかえて移動する。我が家のベッドは、モデル体型の類が基準なので、タテにもヨコにも、とても広い。


「ここなの? ここで?」

「うん。早くほしい、さくら。お・待・た・せ」


 そのひとことだけで、さくらは類に溶けていた。


***


「あんまり頑張らなくていいんだよ。年上だからって、さくらはだいぶ気負ってない? 夫婦に、勝ち負けはないんだから」



 翌朝。

 類は簡単に朝食を済ませると、さくらお手製のお弁当を持って出勤していった。

 昨夜、久しぶりに濃厚な夜を過ごしたので、さくらは腰がちょっと痛い。類も寝不足だろうが、あり余る情欲を満たしたせいか、わりと元気なすっきりした顔をしていた。

 でも、すぐに溜まっちゃうのが、我がダンナさまの欠点(利点?)でもある。


「ままー、おはでしゅ」


 玄関のドアが閉ま切りったあと、小さな手で目をこすりながらあおいが起きてきた。


「あおい? 起きたの?」


 もうちょっと早かったら、ふたりで類を見送れたのに。残念。さくらはあおいを抱き上げた。


「おはよう。ひとりで起きてくるなんて、えらいね。あおい、すごいよ」


 褒められてうれしかった様子のあおいは、とたんに笑顔になった。


「あおい、えらいもん。ぱぱは、どこ?」

「今日もお仕事なんだ。あおいとままのために、がんばっているよ」


「ぱぱと、あそびたかった……」

「今日は、ママと公園へ行こうよ。皆くんも一緒に」


 昨日、父にあおいがさんざんお世話になったので、今日は皆を見てあげたい。しかし、あおいの反応はいまいちだった。


「じゃあ、図書館にしようか。絵本、借りてこよう?」

「……あおい、きょはおうちで、どうぶつさんのえをかく。ぱぱにおてがみ、つくる」


 健気だ。さくらはほろりときた。類の小さいころも、こんな感じだったのかなと、ふと思う。


「それもいいね。じゃあ、一緒に描こう」

「うさしゃんかける? まま」

「が、がんばる」


 自身の絵心のなさは、大学時代の建造物デッサンで、いやというほど感じてきた。しかも悔しいことに、なんでも上手い類の絵と比較されてしまったら、敗北感につつまれるだろう。けれど、かわいい娘の願いだ、やろう。


「ぞうしゃん、おしゃるしゃん、かばしゃんとりしゃん……」

「ええ! そんなに?」

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