第15話 シバサキファニチャー吉祥寺店オープンです②

 聡子社長は、列を無視して吉祥寺店に乗り込んだ。

 これ、聡子(怒)だよ。(激怒)だよ? まずい……さくらは類の身を案じた。

 よくよく見ると、普通のお客さんは普通に出入りしている。『ルイくんと写真を撮りたい方はコチラ』と、小さい張り紙があるところに、人が集中していた。


「店長、どこ? 吉祥寺店店長、出てきなさい! 私、社長の柴崎聡子です!」


 怒り心頭の聡子はメガネを外して啖呵を切った。近くにいた従業員が、血相を変えて店の奥に飛んで行った。

 こんな……お忍び視察って……ないと思います。


 さくらは、類の姿を捜した。店内にも、ルイ目当ての列が続いている。たぶん、列の先頭にいるのだろうが、聡子のそばを離れるのも危険だ。


「私が店長です!」


 濃紺の制服に身を包んだ女性が、小走りで登場した。店勤務の女性社員にのみ支給されている、シバサキのスカーフが首もとで揺れていた。


 え、店長って、女の人? さくらは驚いた。

 壮馬マネージャーの同期とは耳にしていたけれど……しかも、メガネで巨乳。髪が長くて色白の、お色気たっぷりな年上女性とか、かつての万年発情期青年のツボをおさえまくりの、お手本みたいな外見。

 この人と類を組ませたの、誰……あ、隣にいた。聡子社長……この人事、間違いなく、聡子が仕組んでいる! こんな肉感たっぷりの女性と、類は連日夜遅くまで働いていたの?


「聡子社長、詳しい話は奥で」

「まずは、この列を解消しなさい。類を使って業績を上げようなんて、姑息の極み。認めません」

「はい、ただちに。ですが、店側にも事情がありまして」

「なにが事情よ、無秩序な列が外の道路まで続いている。警備もないし、このやり方はだめ」


 うわあ、聡子社長って、本気で怒るときは怒るんだ。さくらは冷ややかに見つめた。


「待って、母さん……じゃない、聡子社長!」


 颯爽と類があらわれた。こちらも、店の制服を着ている。ネクタイは自由なので、今日はさくらが選んだ淡いピンクのものをつけていた。


「叶恵(かなえ)店長を怒らないで。ぼくが提案したんだ、これ」


 するりと、聡子と叶恵店長の間に入った。そして店長をかばう。


「叱るなら、ぼくを。でも、今はお客さんが待っている。説教なら、あとでたっぷりと聞くよ」

「ルイさん、社長には敬語を使ってください」

「あ、そうか。いつもの調子だった。ええと、社長。お願いです。目の前のお客さんに、真摯に誠実に対応したいんです。一時間、いいえ三十分だけ、ぼくたちに時間をください」


「三十分で、列を解消するのよ?」

「了解です、社長! 行こう、叶恵さん」


 類は、自然と店長の手を取って走った。その行動に深い意味はないと思う。店長が、急ぐにふさわしくないパンプスを履いているから、気を遣ったのだ。


 しかし、類はさくらのほうを向いてもくれなかった。

 声をかけるどころか、たぶん、気づきもしなかった。なのに、ほかの女性と手を握って消えた。


 緊急事態とはいえ、さくらは深く傷ついた。


「さくらちゃん、ぼやっとしていないで、私たちも手伝いましょ?」


 聡子はバッグの中からシバサキのスカーフを二枚、取り出した。

 シルクのスカーフは、日本古来の天然染料の糸で作られており、伸縮性がある。西陣織だという。ただし、玲が働いている工場とは関係ない会社の製品で、普段使いができるモダンな織物を作っているところらしい。玲との商談は、これから行われるという。


「本社勤務のあなたは、持っていないわよね。はい、貸してあげる」


 そう言って、聡子はさくらの首もとにくるくるとスカーフを巻いてくれた。入社式で借りて以来の、シバサキスカーフ。これで、シバサキの関係者だと、たぶんお客さんにも分かるだろう。でも、今のさくらには、それどころではない。


「あの、お母さん。あの店長さんってまさか、以前私に提案してくれた、類くんの浮気用の……」

「しっ。今は、お店のことを優先させて。私たちも、涼一さんとおちびさんたちを待たせているし、あと五十分で公園へ戻りましょう」


 聡子は否定しなかった。じゃあ、やっぱりあの女の人は、類の浮気用候補の女性!

 さくらは、類と店長が消えた先に視線を移した。


 類は、行列しているお客さんに対して丁寧に頭を下げて謝り、笑顔で握手をしている。三十分では、写真撮影まで対応できないと判断したようだ。


 店長は、壁際や階段の脇にお客さんを並べ直し、少しでも詰めて列を短くしようと努めている。店外の行列を誘導するために、従業員がひとり、外に出て行った。


「なるほど、連携が取れているわね。店内は、任せたほうがよさそう。じゃあ、私たちは手薄そうな屋外へ行きましょうか」


 類と店長は、アイコンタクトを何度も交わし、阿吽の呼吸で列をさばいてゆく。


 知らない。こんな類、知らない。分からない。その場から動けない。だめだと思いつつも、さくらはさらに激しく動揺した。

 自分は、類にとって、子どもを生めための女で、家を守る人? 類の隣には、立てないの? 一生どころか来世も誓ったはずなのに。


「私的な感情に左右されちゃだめ。今は仕事。業務なの」


 不意に、聡子に声をかけられたさくらは我に返った。


「でも、類くんが」

「だいじょうぶ。叶恵さんがいても、あなたとあおいちゃんは、絶対で特別の存在」


 聡子はさくらの肩をやさしく、ぽんっとたたいた。

 たまに、考える。この、さくらの継母も、実はさくらを利用しているだけではないのか、と。信頼されたいのに。好きでいたいのに。嫌いになりたくないのに。


 きたないことばかりを想像してしまう、自分がイヤで仕方ない。

 暗い、暗い、闇の中へ吸い込まれてゆくようだった。

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