第12話 やっぱり落ち着くの②
ひととおり玲を使って騒いだあと、あおいは涼一とおふろに入ると言ってバスルームへ。聡子は皆を寝かしつけに移動すると、玲とふたりきり。急に部屋が静かになった。
「そろそろ、帰るわ俺」
「これから?」
時計は、午後八時を少し過ぎたところを指している。
親も気を利かせてくれて、ゆっくり話ができると思ったとたんに、出立のあいさつとは。
「夕方、商談が終わったあと、すぐに新幹線に乗るつもりで、場所を丸の内店にしてもらったんだったけど、ここまで来たらバスにしよう、うん」
バスタ新宿まで歩き、お得意の深夜バスに乗るらしい。守銭奴は健在だ。
「距離、けっこうあるよ? タクシー、呼ぼうか」
「それじゃ、節約にならない。酔い覚ましに歩く」
調子に乗って、涼一が玲をけっこう飲ませてしまった。
「ごめんね、父さまってば。うれしくて、つい」
「いいよ、久しぶりだったし。さくらの手料理も、懐かしくておいしかった。日本に帰ってきたなって感じがした。ごちそうさま。さくらは、酒飲まないのか?」
「酔うとすぐに眠くなっちゃって、だめみたい。特に今は、授乳中だし、お酒は禁忌」
インドでは、地元の染色について勉強してきたという。
「世界周遊や今回の仕事は、お前を諦めたことに対する、母さんからの褒美だ。小さな工房にいる俺が、シバサキファニチャーと直接取り引きできるなんて、光栄だよ」
「あ……私の? ご、めん……」
謝るさくらに、玲は笑った。ちょっと、寂しそうに。
「……皆。お前に、似ているな」
「そ、そう?」
「授乳は早くやめろ。前に会ったときと、胸の大きさがあまりにも違っていて、別人かと思ったし。ずいぶんと、類好みの女になって。調教ってすごいな、はー」
イヤミ、全開。でも、事実なので言い返せない。
「授乳は早くやめなよって、類くんにも言われている。なんとかします」
「……まだ『類くん』、か。いいかげん、違う呼び名にしてやったらどうだ。結婚も四年目? だっけ」
「うー、うん。でも、私にとって、類くんは類くんだし……なんか、玲には頭が上がらないや」
さくらは苦笑した。
「最近ね、ちょっといやなことが続いて落ち込んでいたから、今日は玲に会えてよかった。玲と話すと、すごく落ち着く。たまには、連絡してもいい?」
「……たまに、な。あんまり頻繁に連絡していると、溺愛夫に浮気と思われるぞ? それは困る。俺は、命が惜しい」
「ぷっ。そうだね。類くんに、話があれば伝えておくよ?」
「ない!」
「玲ってば、相変わらず」
ようやく笑えた、心から。ありがとう、玲。お母さん。さくらは、心の中でつぶやく。
玲は立ち上がった。手を伸ばし、そして、さくらの左頬にそっと触れた。
「さくら。笑顔がいちばんきれいだ、お前は。笑っていろ」
***
日付が変わるころ。
ようやく、類が帰宅した。新店舗のオープンを直前に控えているので、このところ毎日、帰りが遅い。残業禁止と言われていても、店勤務の社員にはなかなか難しい。
「え。玲が来ていたの?」
今日のできごとを、さくらはざっと話して聞かせた。
「……ふうん。海外修業で、野性味が加わった玲に、浮気っぽいさくらさんは、心が動いちゃったんじゃないの?」
「突っ込むとこ、そこ?」
「当然。さくらは、うっかりしているからね。ぼくが捕まえているのに、ふわふわ、ゆるゆるは困るよ!」
類の中で、自分はどんな存在なんだ、とさくらは心配になった。
「だいじょうぶだよ。こんなステキなダンナさま、世界中さがしても、どこにもいない」
「お、いいね。『ダンナさま』だって。今夜は、それでいってもらお☆ ああ、それとこれを」
類が、名刺をくれた。『シバサキファニチャー吉祥寺店 柴崎 類』と、名前が入っている。
「あー、いいなあ。ありがと」
本社で内勤の女子には、半年経たないと名刺はもらえないのだ。外で勤務する者には必要なので、会社も対応が早い。
「モデル時代では、自分の顔が名刺みたいなものだったから、いいね。新鮮で」
ほほ笑む類。いや、今でもその顔だけですぐに分かる、あの『ルイくん』だって。
「『こういう者ですが』ってやってみて! サラリーマンごっこしよ!」
「えー、一回だけだよ? ぼくのお願いも聞いてよ? ぼくのお願いは刺激的だよ? では。『こういう者ですが、お嬢さま』」
きらっきらのまぶしい笑顔。きゅんきゅんの声。
頼んでおきながらアレだが、鼻血が出るかと思った。
「それ……ほかの人にやっちゃだめ。特に、女子には!」
「社長に呼び出されて絞られた、かわいそうなさくらには大サービス。こんなこと、さくら以外にはしない。昨日は責めちゃってごめん、頭に血がのぼって。おわびに、キスもつけてあげる」
「るいくん……私も、ごめんなさい。言動には、よく気をつけます」
気にかけていてくれた。こういう、明るいやりとりは好き。楽しい。
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