第10話 仕組まれた再会
「さくらさん。急ぎの荷物を、丸の内店まで届けてほしいんです」
午後三時過ぎ。社長の美人秘書が、さくらを指名してきた。
「私が、ですか?」
「業務完了次第、直帰して構いませんが」
「え……でも、私は社内の保育園に娘を預けていますので、直帰は難しいです」
「ああ。そうでしたね。では、娘さんもご一緒にいかがでしょうか。この業務は、社長直々の指示ですので」
あおいと丸の内? 類のいる吉祥寺店なら、喜んで行くのに。
さくらは、ちょっと戸惑って首をかしげた。けれど、聡子じきじきのの命令とあっては、行くしかない。何か、思惑があるのだろう。気晴らし、だろうか?
隣の席に座っている上司、壮馬マネージャーの顔をそっと窺った。うん、とはっきり頷いてくれた。笑顔で。了解のしるしだった。
美人秘書から紙袋に入った荷物を預かり、さくらは早退のあいさつをして総務部を出た。着替えて保育園へ向かう。
「まるのうち? まるちゃんのおうち?」
「うーん。まるちゃんのおうちじゃないんだけど」
そもそも、まるちゃんって、誰? あおいはかわいい勘違いしてくれたが、おでかけを了承してくれた。
オフィス街なので、子どもが行ってもあまり楽しいところではない。荷物を届けたら、東京駅ナカでアイスでも食べさせようか。パンがなくなりそうだったから、浅野屋で買って帰ろう。浅野屋は、軽井沢にあるパン屋さん。
さくらも類も、軽井沢には思い入れがある。ふたりで、模擬結婚式を挙げた思い出深い土地。さくらは、なかば騙されて花嫁モデルを務めたのだが、類の気持ちを本気で受け止めはじめたころのこと。
***
無事、丸の内店に到着。
荷物を置いて帰ろうとしたら、受付嬢に『直接担当者に渡してほしい』と言われてしまった。
「私、直帰なので子連れですよ?」
「構いません。了解は取れています、どうぞ」
その場にさくらはしゃがんで、あおいの目線に合わせる。
「あおい、ごめんね。もうちょっとだけ、がんばってもらえる? あとで、おいしいおやつを買ってあげるから」
「あいすもある?」
「うん、あるよ」
アイスクリームはあおいの大好物である。ふざけた類がクチ移しで食べさせたら、めちゃくちゃ気に入ってしまった。絶対にやめろ、二度とやめろ、いくらかわいくてもあおいに虫歯菌がうつると、さくらは類に激怒した。
そんなことも知らずに、さくらと手をつないだあおいは、オフィスの廊下を軽やかに歩いている。
「失礼します」
案内された先の会議室には、予期しない人物が待っていた。
「さくら……」
「れ、玲?」
驚いた。
たまに手紙をもらうけれど、実際に会うのはたぶん、一年ぶりぐらい。
高校の同級生で、類の兄。かつて、さくらと両想いだった、玲。なのに、さくらは玲を裏切って類を選んでしまった。
体格にはほとんど変わりはないけれど、肩に届きそうな長髪で、ヒゲを生やしている。それも、かなり盛大に。口を一周し、あご、耳下までふさふさだった。服装は、アウトドア。会社を訪問するには、まるでふさわしくない。
しかし、まずは預かった荷物を渡さなければならない。
「あの、本社の秘書からの、届けものです」
「ありがとうございます」
荷物は、シバサキ丸の内店の担当社員が受け取った。
とても離れがたい気持ちだった。玲が目の前にいるのに、話ができないなんて。
それでも、長居は無用。仕事中なのだ。さくらは玲と担当者に一礼して、部屋を出ようとした。
「待て、さくら」
なのに、玲が呼び止めた。
「今、西陣織を、シバサキの家具として扱えないか、話を進めているところなんだ。あの、こいつ……さくらは五年ほど京都に住んでいた、俺の妹なんです。アイディアも持っていると思うので、参加させませんか」
担当者は目をぱちぱちとまばたきさせていたが、すぐに思い当たったようだ。
「ああ。今年入社、社長の娘さんですね」
「頼む、さくらも。三十分いや、十分でいい」
了解したさくらは席に着き、あおいを膝の上に座らせた。あおいには紙とペンを渡し、しばらくお絵描きしてもらう。
さくらが運んできた荷物の中身は、西陣織のサンプルだった。手が込んでいてうつくしいけれど、それだけ高い品物で。
着物業界は、景気が冷え込んでいる。伝統ある西陣織とはいえ、着物以外の道を模索しなければならない。
「京都もそうですが、浅草などでは和装の観光客をよく見かけますよ」
「あんなの、着物じゃありません。ただのコスプレです。つるつるのナイロン、ポリエステル。化学の合成繊維ですよ。着るもの以外の用途を拡販したいんです」
シバサキならば、家具。室内にふさわしい、布。とはいえ、西陣織をじゅうたんやカーテンにするわけにはいかない。
「小物がいいですよね」
「そうですね、小さいサイズのほうがお手頃価格になるので、売れると思います」
「営業部の、女性社員のスカーフ。あれはとても評判がいいんですが、シバサキのシンボルみたいなものですので、商品にはできませんし」
玲と担当者は頭をかかえている。
さくらは、恐縮しながら口を挟んだ。
「あの、手ぬぐいみたいにするのはどうでしょう」
「手ぬぐい? 西陣織が?」
さくらの提案に、玲はぽかんと口を開けた。
「もちろん、実際に手を洗ったり、汗を拭いたりはしません。そんなもったいないこと、できません。京都のおみやげ屋さんによくあるように、タペストリー風に仕上げるんです。長さは一メートルぐらい、幅は三十センチ。壁にかけて、インテリアにして。いくつか柄を織って……季節感や京都の行事の柄を出すのもいいですね。おみやげにもなるはずです」
「ま、待ってください。今のところ、もう少しゆっくり説明していただけますか」
担当者がパソコンに文字を打ち込んでゆく。
「壁掛けの西陣織……っと。いいかもな」
玲もメモを取った。
「あ、あともうひとつ、思いつきました。イスの座面に、西陣織を使うんです。特に、ダイニングのテーブルセット。革を張るのが一般的ですが、部屋がより華やかになると思います。これは、私もほしい」
ふとした考えだったけれど、さくらは提案してみた。
「ままー。あいす、まだ?」
あおいがさくらの袖を引っ張る。もう、だめだ。これ以上待たせたら、ぐずる。
「うん、そろそろ行こうね」
「あおい、ちょこあじがいい。いちごも」
「すみません、私はこのへんでよろしいですか」
さくらはあおいをだっこして立ち上がる。担当社員も立ってあいさつしてくれた。
「ありがとうございました。大変参考になりました」
「安直ですが」
「いいえ、そんなことはありません。ですが、先ほどの提案は、社長のアイディアではありませんよね?」
「ただの……私の、思いつきです。西陣織の商品化の件は今、ここで知りましたし、なにも準備してきていませんし」
さくらが話したアイディアは、社長の入れ知恵と思われたらしい。傷ついたが、これぐらいで動揺してはいけない。
退室しかけるさくらに、玲が声をかけてくる。
「さくら、終わったらすぐに電話する。東京駅の近くにいてほしい」
「……ん、分かった」
***
アイスを食べているあおい。チョコレート味といちご味のダブル。
授乳中ゆえ、カフェインの入っていないデカフェのホットコーヒーを飲むさくら。
そのとなりに座り、これまたコーヒーの、玲。
「三歳に、アイスは早くないか?」
「そうだよね……でも、おいしいって。今日はがんばって丸の内まで来てくれたし、特別」
「お前にお使いの指令が下るなんて絶対、母さんの策略だよな。俺たちを、再会させようっていう魂胆。はー……」
玲はため息をついた。
「同意。今日は、どうして東京へ?」
「三時間前、インドから戻ってきたんだ。成田空港便でね。もともと、京都へ帰る前に、西陣織の商談をしましょうっていう予定だったんだ。新宿の本社は面倒で寄りたくないって言ったら、丸の内店を指定されてさ」
「ひげの意味は?」
「あっちの人たちに、若く見られないように威嚇? そっちのお嬢さんがおびえているようだから、剃るよ」
「周囲にヒゲの人がいなくて。免疫ないんだ。ごめん。あおい、この人はお兄ちゃんだよ。類くん……パパとママ、それから皆くんの」
「しげのおに?」
あおい的には、『ヒゲ』(しげ)+『おにいちゃん』(おに)で、『しげのおに』。けれど、『髭の鬼』にしか聞こえない。
「『しげ』じゃなくて、ヒゲな。赤ちゃんのころ、何度もだっこしてやったのに、忘れたか。玲だぞ?」
「あおい、もうあかちゃんじゃないもん」
「くっくっく……類にそっくりで、口が達者」
「そうなの。三歳なったばかりにしては、とてもよくしゃべるの。あおい、このお兄ちゃんはね、オルゴールのお兄ちゃんだよ」
そう言い聞かせると、あおいは目をぱちぱちとさせた。
「おうごるの? おうちの、かぎいれの?」
誕生祝いに玲からもらった、銀の小さなオルゴール。今は、自宅の鍵を中に入れている。
「今でも使ってくれているのか。それはうれしいな」
「おうごる、あおいのたからもの! ぱぱのおしゃしんと、おなじぐらい!」
そう言って、あおいは保育園バッグについているパスケースを玲に見せた。天使のほほ笑みを浮かべた、北澤ルイのキメ顔である。
「ぶっ、アイドルモデル時代の……懐かしすぎ……!」
「笑っちゃだめ、玲。あおいには大切なものなんだよ」
「あー。ごめん。あおいは、ほんとうにパパが大好きなんだな。かっこいいもんな」
「うん! しぇかいでいちばんかっこいいの! ぱぱだあいすき!」
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