第8話 気持ちは同じはずなのに①
基本、ランチはいつもひとり。
お弁当なので、外へ行くこともないし、社員に開放されている七階の空中庭園など、眺めがいいので、晴れている日はそこで食べることにしている。
本社に類がいて、時間が合うときは一緒に(たまにいちゃついて)食べていたけれど、それももう、ない。保育園のあおいの様子を見ながらでもいいのだが、脚が進まなかった。
ぼんやりできる時間も貴重なのだが、要するに、さくらには仲がいい社員がいないのだ。
表面上は平和。仕事はうまくいっていると思う。しかし、さくらと踏み込んで付き合いたい人が、会社にはいない。類が言うように、専業主婦になって家に入ったほうがいいのだろうか。
「ふう」
忙しいのだろうか、類は。お昼休み、きちんと取れているだろうか。
時間がないと、すぐに食事を抜いてしまう芸能人時代の癖がまだ抜けていないので心配。
毎日、お弁当を持たせるのは、きちんと食べてほしいからだと気がついてくれているだろうか。一応、いつも残さずカラにして帰って来るけれど。
「さくらさん、おひとりですか」
すぐそばに、コンビニ弁当を下げた高尾が立っていた。
「壮馬マネージャー?」
「お昼、ご一緒してもよろしいですか」
「ええ、どうぞ」
さくらはベンチの隣を空けた。
では、とひとこと声をかけて高尾は座った。ちょっと距離を置いて。類とは違う、スパイシーな香水がさくらの鼻をくすぐる。
「ルイさんが本社からいないくなってしまったので、さくらさんは残念ですね」
「でも、類くん本人は、店舗勤務を楽しみにしていますよ」
「そのようですね。話を聞いています。吉祥寺店の店長に選ばれたのは、私の同期なんですよ。とても仕事熱心な人なので、ルイさんもやりがいがあると思います……さくらさんは手作りのお弁当なんですね。毎日ですか?」
「なんとなく、つい癖で。中学校のころから、だいたい」
数えてみると、十年以上お弁当を作り続けている計算だった。父に、類に、あおい。聡子に玲。友人に渡したこともある。たくさん、たくさん作ってきた。
「……夫に、『類くん』と呼んでいるのですか。なんとも、初々しいですね」
「あー、えーと。類くんと知り合ったときは、私が年上でしたし、なんとなくそのままで。結婚してからは、四年目ですけれど」
「その歳で、結婚していて子持ちなんて、素晴らしいことです。大学もきちんと卒業なさったんでしたよね」
「一年、休学しましたが。大学は京都だったんです、よかったですよ。四季がきれいで。ああでも、娘が生まれてからはそれどころじゃなくなって」
休憩が終わる十分前まで、さくらが主にしゃべった。会社で、社員相手に雑談をするのはほとんど初めてだったので、とても楽しかった。
「では、そろそろ戻りましょうか。午後も、よろしくお願いします」
「はい」
***
その夜。
あおいは今夜も、九時まではがんばって目をこすりつつ、『だいすきなぱぱ』の帰宅を待っていたけれど、倒れるように寝てしまった。
十時を過ぎたころ、類が帰ってきた。さくらは類を迎えに玄関まで出た。
「おかえりなさい、類くん」
だが、類は答えようとしないで、さくらの顔をまっすぐ見てきた。機嫌の悪いときの顔をしている。仕事で、疲れたのだろうか。
さくらはもう一度、言ってみた。もっとやさしく。
「おかえり、類くん? ごはん、あるよ」
それでも、類の表情は変わらなかった。代わりに突きつけられたのは、携帯電話の画面だった。
「ねえ。なに、これ?」
そこには、楽しそうに笑顔で歓談している男女の図。場所は、会社の空中庭園。
「え……?」
今日のお昼の、さくらと壮馬マネージャーの姿だった。
「本社の女の子が送ってくれたんだけど、なにこれ」
「類くん、女の子と連絡先交換しているんだ?」
「問題はそこじゃない。ぼくだって、もう社会人。同期や、つながりを持ちたい人とは、交換ぐらいするよ。もちろん、仕事用の連絡先だけどね。で、なにこれ」
「上司だよ、上司! やましいことなんて、ひとつもない。壮馬マネージャー、婚約者さんがいるし」
「ぼくが異動になったとたんに、こういう行動は困るよ。ただでさえ、ぼくたちは注目されているんだから。誤解を生むようなことは禁止」
「ごはんを一緒に食べるのも、ダメなの?」
「うん。厳しいね。周囲は悪意を持って、色眼鏡で見るから。『ルイくんがいなくなった途端に、速攻で不倫ランチかよ』って」
「違うのに!」
「でも、まわりはそう見ない。ぼくも、こんなのを見たら、さくらが信じられなくなっちゃうよ!」
類はさくらを抱き締めた。強く!
「るいくん?」
「ぼくのことがすきなら、いいよね。今すぐ、確かめたい。さくらが浮気していないっていう、証拠を。ぼくだけがすきっていう気持ちを」
「なに? どうしたの? 待って」
「拒否しないで。壁に向いて、手をついて、早く。最近、ぼくがやさしいだけだと思ってない? ぼくがケダモノの野獣だってこと、忘れてない?」
性急にさくらを求める類が、荒々しくパジャマの中に手を突っ込んできた。
「やめて、お願い類くん。こういうのは、いやだ」
「いいから、ほら。あおいが起きてきちゃうよ。ねえ、そういえば最近、生理がないんじゃない? 病院へ行って診てもらったら? もう、できているかもよ。ふたり目」
「ううん、たぶん……それ、違うの。皆くんに授乳しはじめて、止まっちゃったみたい」
「なに、それ?」
「あおいのときも、出産後はしばらく生理がなかったでしょ。女性って授乳すると、妊娠しづらいようになっているみたいだよ」
「は? それは困る。だったら、皆への授乳、やめて」
「でも、かわいそう。私が、はじめちゃったことだし」
「はー。なんか、むかつくな。かわいそうなのは、ぼくだよ。どんなに愛し合っても、子どもができないなんて。授乳はラクだけど、誰のためにもならないから、もう卒業。それと、一応病院。いいね。次の土曜日。あおいの面倒は見ておく。ぼく、お店が開店したら土日はまず出勤だし、次の週末ぐらいしか、さくらの予定には付き合えないよ?」
***
昨夜、類は夕食を食べずにシャワーを浴びると、さっさと先に寝てしまった。
朝も、いつもより早くに出かけて行ったのでお弁当も持たず、会話すらなかった。
ああいう類は、いやだな。さくらは思った。
自分の軽率な振る舞いが、類を傷つけたことは分かっている。けれど、だからって強引に乱暴してくるなんて、ひどい。
こうやって、少しずつ夫婦はすれ違っていくものなの……?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます