第4話 総務部の一風景

 ランチを終えて、さくらは総務部へ戻った。フロアは二十階。ここが、自分の職場。


 配属されて、約半月。


 上司や先輩社員の顔と名前を覚え、少しずつ親しくなっているとは思うけれど、なにせさくらは社長の娘で次期社長の嫁。本音では語り合えないだろう。ましてや、会社の愚痴などは。


 二十三歳にして子持ちという、華麗すぎる経歴にもたぶん引く人が多いと、自分でも思う。そして極めつけが、ダンナさまが『北澤ルイ』だったこと。

 さくらとしては、これは現実なのだが、他の人には共感してもらえない。



「さくらさん、この書類をコピーしていただけますか」

「はい」


 マネージャーの高尾壮馬(たかおそうま)は、さくらにあたたかく接してくれる。

 二十八歳の男性マネージャー、独身。でも、結婚を意識している恋人はいると聞いた。きっちり揃えられたオールバックの黒い前髪には、毎朝一ミリの乱れもない。


 自己紹介で、さくらが冷え性だと言ったら、さくらの席をエアコンの風が届きづらい……つまりいちばんの奥の、高尾の隣にしてくれた。


 さくらに対する嫉妬やいじめがないかどうか、監視する意味もたぶん含まれているのだと思う。私物はなるべく会社に持ってこないようにしているけれど、それでもときどき机の上からモノがなくなっている。

 さくらの使っていたボールペンが、いつの間にかゴミ箱に入っていたなんて、しょっちゅう起こる。


  だが、これぐらいでは、めげないし、詮索もしない。京都にいたときも、嫌がらせはよくあった。


  総務部に、お茶を給仕するしきたりはないけれど、コーヒーを淹れるときはついでに声をかけている。会社の人間関係は、育児よりも骨が折れる。


***


 シバサキ本社では、基本的に残業を認めていない。

 終業時間五分前になると、聡子社長が選んだ今週の音楽が流れはじめ、社員はあたふたと帰り支度をはじめる。


「ま、まー!」


 社員机と机の間を、とことこと歩いてきたのは、娘のあおい。


「え、あおい? どうしてここへ」


 がぷっと抱きつかれてしまい、さくらも思わず抱き締めた。


「ぱぱが、ままをおむかえにいきなちゃいって」


 フロアのすりガラスの向こうで、笑顔の類がさくらに向かって手を大きく振っている。類が研修している営業部は十五分早く始業するぶん、十五分早く終わる。自分の仕事が終わったあと、保育園まであおいを迎え、さくらがいる総務部へ来たのだろう。


「そっか。おむかえ、どうもありがとう」

「かえろ! きょうは、じいじが、ごはん、つくってくれるって!」

「うん」


 じいじとは、さくらの父・涼一を指している。

 あおいの登場はうれしいけれどしかし、社員の視線が痛い。


「さくらさんの娘さんですか、とても愛らしいですね」


 その場をフォローしてくれたのは、やはり壮馬マネージャーだった。つられて、ぞろぞろと同僚がさくらたちの周りに集まって来る。


「かーわいいー、ルイくんそっくり」

「まじ、美少女間違いなし」

「まつげ、長っ!」

「お肌もまっしろ」


 次々に褒めてくれる。あおいにとってはいつものことなので、まったく動じない。大物感、ある。


「あおい、会社のみなさんにごあいさつ、できる?」

「うん!」


 あおいは髪を揺らしながら、ゆっくりと頷いた。


「しばさきあおい、さんさいです。すきなたべものは、あいす! しょうらいのゆめは、ぱぱのおよめさんでっちゅ!」


 これには、同僚全員大爆笑。

 当人だけが、なぜ笑っているのか分からない様子できょとんとしている。


「で、では、今日は終わりにしましょう。みなさん、おつかれさまでした」


 壮馬のひとことで、社員たちが散った。

 さくらも、あおいの手を引いておつかれさまでしたを述べ、類が待っている廊下へと駆けた。

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