第3話 社長室ランチ

 社長室は、本社ビルの三十五階に位置している。


「きんちょうする」


 直通の専用エレベーターを使い、上階へ。社長室前の受付に座っている、聡子の秘書に用件を伝えた。


「きんちょうする……!」


 ここに来るのは、二回目。

 一回目は入社式の翌日。『社内探検』で、訪問した。本社ビル内の各所に、会社に関するクイズが隠されていて、正解するとスタンプがもらえる。全部集めると、社食の無料券と交換できる、というイベントを新入社員向けに毎年開催しているらしい。聡子は、遊び心を忘れていないトップだ。

 さくらも、社長の美人秘書からスタンプをもらった。


 ここの秘書さんは美人揃いで正直、息苦しいんですが。毎日、類や聡子という美形に触れている自分だけれど、それにしたって、ま・ぶ・し・す・ぎ・る!



 天井までいっぱいの、全面窓ガラスからは東京の高層ビルが見渡せる。おもちゃみたいな車が、首都高をぎゅんぎゅん通り抜けてゆく。


「ようこそ、さくらちゃん。まあ、今でもお弁当なの?」

「はい。なんだか、つい習慣で」

「ということは、類も? いいなあ、愛妻弁当かぁ。まじ羨ましい。しっと! じゃあ、座って。この時間、ふたりにしてって言ってあるから遠慮なく。十二時四十分まで『お母さん』だからね」


 聡子の笑顔はいい。華やかで、心が和む。


「では、失礼します」


 さくらは勧められたイスに座った。これもシバサキ製のイスだろうが、さすが社長室のお客さま用。ふかふかだった。


 さっそく、お弁当を広げる。

 聡子は社員用に用意されているデリだった。


「あおいちゃんは、かわいいわね。見た目は類、内面はさくらちゃん。ふたりのいいとこ取り」

「そうですか? 中身も、類くんそっくりですよ? 三歳になったばかりなのに、おしゃべりも達者で」

「まっすぐで素直なところは、さくらちゃん二世。愛されて育っているようで、うれしいわ。でも、夫婦の生活は、あおいちゃんに見られないようにね。子どもは素直なぶん、容赦ない。ああやって口外されたら、あなたたちの評判にかかわる」

「はい……軽率でした」


「でも、仲よくしていいのよ、存分に。だから、かわいいあおいちゃんが生まれた」

「類くんは溺愛ですよ。成長したあおいが、家に彼氏を連れてきたら、類くんがどうなっちゃうか。想像するだけで、今から怖いです」

「言えてる」


 ふたりは顔を見合わせて笑った。噂された類本人は、今ごろ盛大にくしゃみをしているに違いない。


「でも、類はふたり目、なの?」

「はい。東京に帰ってきて、お互い社会人になったし、そろそろ、いいんじゃないかって」


「うーん、そうねえ。類の気持ちは、分かる。でも、せっかくあおいちゃんに、手がかからなくなってきたところで、また妊娠出産となると」

「そうなんです。それで、困っているんです。私も、もうひとりぐらいはいいかなって思いますけど、類くんはいつも、子どもは五人ぐらいほしい、と公言していて」

「聞いたことあるような気がするけどあれ、本気だったの? どんだけ好きなの?」

「はい……いろんな意味で……好き、みたいです」


「さくらちゃんを一生、家に縛りつけるつもりかしら、あの子ってば!」


 聡子は、デリの照り焼きチキンに、ぐさっとフォークを突き立てた。


「乱暴だけど、対策案はある。類を、地方に飛ばして単身赴任させるの」


「地方ですか?」


 爆弾発言だった。


「うちの新人社員は通常、地方の支店で修業をさせることになっている。でも、類だけは私の手もとで育てたくて地方へは行かせなくて済むよう、京都にいるとき、京都二号店の開店フォローをさんざんさせたでしょ。今回も、自宅から通える、吉祥寺店の立ち上げに関わらせようと思ったんだけど」


 看板社員かつ次期社長の類だ、地方には飛ばしたくないだろう。


「函館の赤レンガ倉庫に、大きなお店を作る計画があって。そこの配属にすればいい。短くても半年、一年はかかる。それ以上かも」

「函館。北海道に、ですか」

「その間は、類と交渉しなくて済む。さくらちゃんは、落ち着いて働ける」


 類と、離れる生活に耐えられるだろうか? まるで、自信がない。なんだかんだ言って、頼りになるダンナさま。あおいも、さみしがるだろう。


「第一、さくらちゃんひとりが、類の性欲を受け取めるのは大変。あの子、精力絶倫でしょ? あなたたちが夫婦円満なのは分かるけれど、この際、割り切った関係の女性を何人か用意してもいいのよ?」

「それは、公認の浮気相手……ということですか」

「浮気、とは違うわね。完全に身体だけの関係っていうべきかしら。完全に、類の性欲処理用の女性」


 そんなの、いやだ。類が積極的で困るとはいえ、ほかの女性が類に抱かれるなんて。想像もしたくない。


「それは、無理です。絶対に絶対に、受け入れられません!」

「あらやだ、怒っちゃった? さくらちゃん、ごめんなさい。しかも、昼間っからこんな話題で」

「……いいえ、分かっています。お母さんは私のことを思って、提案してくださったって」

「でも、考えておいて。さくらちゃんの答えひとつで、人事は動かせる。なんたって、私は社長だもんね!」


 聡子は、強い!

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