第15幕 規格外の爆弾

 この『きさらぎ』という異世界は、常に夕闇に包まれている。そんな曖昧な闇が、何処か幻想的で、物静かな雰囲気を醸し出す。

 しかし、今は、そんな異世界に、雄々しい大きな音が、連続的に響き渡っている。

 刻は、星海燕が織乃宮紫慧の御技で、蒼鬼姫の屋敷の外へ出る、少し前――。

 周囲に響き渡る音は、蒼鬼姫と八尺様との闘いの、攻防の激しさが増しているを物語っていた。

 八尺様は、異様に伸びる腕を駆使して、蒼鬼姫に攻撃を仕掛けようと、巧みに拳と平手、しなる腕をも使い分ける。

 対して蒼鬼姫は、その様な攻撃を、その服装からは想像もつかない動きで躱す。そして――空間から突如現れる青鬼の太い腕。それは先程、八尺様によって、黒い塵と化した青鬼の腕である。それが、八尺様の顔面へと一撃を喰らわせると、また黒い塵として消えた。そして、直ぐにまた別の青鬼の腕が現れて、八尺様へと打撃を加えていく。それはボクシングで言うところの『ラッシュ』の様である。

 それこそが先に、蒼鬼姫が青鬼達を『一鬼当千』で八尺様と闘わせた、もう一つの理由であった。

 織乃宮紫慧が『只のエネルギー体』と言っていた様に――蒼鬼姫が生み出す青鬼は、瘴気のエネルギーで出来ている。

 八尺様により、黒い塵へと化した青鬼達は瘴気へと戻った。つまりは周辺の大気の瘴気はより濃いものへとなった訳である。その事で、蒼鬼姫は周辺に漂う瘴気を使い、部分的に再生して、攻撃しているのである。

 現に今も、次々と現れては打撃を与え、黒い塵へと変わる。

 突如として姿を現す青鬼の腕に、なす術も無いのであろう――格闘ゲームの技コンボの様に連続した打撃はまるでハメ技の様に、八尺様をサンドバッグ化している。

 青鬼の部位を形作る事が出来る程の、瘴気エネルギーが漂う、この場所に置いて蒼鬼姫に軍配が挙がるのは確実であろう。


 腕組みをして仁王立ちの蒼鬼姫。

 その額には青い光を纏うものが見える――3本の角である。

 それは、本気を出している時に現れる容姿であり、蒼鬼姫の本来の姿であった。

 次々と攻撃を八尺様に与えているにも関わらず、その顔には苦虫を噛み潰したような表情を浮かべている。

「……八よ……お主は本物の化け物か……」

 そう呟くと、彼女の感情を表すかの如く、額の3本の角を纏う青い光がバチリと音を立てた。

 如何やら焦っている様である。

 とは言え、八尺様の撓った腕が目の前に迫ってきたところを、難無く躱す。


 一方、八尺様はというと、あれだけの連続した青鬼の腕による打撃を受けたにも関わらず、無表情で黒い穴しか空いていないその顔にも、そして、赤黒い痣が浮かぶ肌にも、ダメージの痕跡さえ無い。

 それどころか、先程よりも、しなる両腕の動きに、切れと力強さが感じられた。


「……ここ迄とは思わなんだ……」

 舌打ちをし、蒼鬼姫は呟いた。


 蒼鬼姫に躱されたとはいえ、あれだけの攻撃を受けながらも、八尺様の腕による攻撃が、蒼鬼姫の処迄及んだ――それには理由があった。

 瘴気に魅かれる鬼化の力の根源も、瘴気のエネルギーなのである。

 鬼化予備軍の人間は、無意識にそれに魅かれて、このきさらぎにやって来る。そして、瘴気が漂う大気をある程度吸い、鬼化へとなる。

 つまりは鬼化になった八尺様も、そのエネルギーを吸い込む事で力へと変えるのだ。

 当然、その事は蒼鬼姫も知っている。その上で、青鬼達を使い、周囲へと瘴気を撒き散らしたのである。

 しかし、彼女の想定外の事柄は、相手の、その吸収する速さと量であった。

 青鬼達を贄として、大気をエネルギーで満たし、青鬼達を部分的に生成しての連続集中攻撃――短期決戦型の戦い方である。

 計算で言えば、時間的にも、大気中の瘴気エネルギーさえも、お釣りが来る筈だった。しかし、今やその計算も大きく狂い、破産もいいところだ。しかも、その許容量も計り知れない。


 蒼鬼姫に或る考えが過ぎる――あの時の、爆砕して厄災を振り撒いた、友人の残した爪痕。

 最悪の上を行く事態が頭を過り、蒼鬼姫は冷たい汗を背中に感じる。

 以前は、高々数える程度の人間達の瘴気を吸収して、消滅した。しかし、その爪痕は凄まじかった。空間全てが毒となり、全てが歪んだ物となった。

 そして今、その怪物は、あの時以上の瘴気エネルギーを身に宿し、そして、尚も吸収し続けている。

 この爆弾を突き続ければ、何時、爆砕するか分からない。そして、それによる厄災――その力は計り知れない。

「……人間達の世界もただでは済まんじゃろうな」

 そう呟き、少し間を置いて、自らの言葉に自虐的な苦笑をしてしまう。

“この状況で、人間達の世界の心配とはな……”

 とは言え、この『きさらぎ』だけでなく、人間達が居る世界迄もその災厄に見舞われる事は、避けなくてはいけない。

 特別、人間達に肩入れ等ありはしないが、生粋の鬼である以上、それは避けねばならない――それが彼女にとっての存在理由だからだ。

 ふと、人間界から異界『きさらき』へと来た、あの優しい人間と、面妖な生簀かない女子の事が、頭を過ぎった。

 他人の――いや、人外に起きた出来事で、あれだけ涙を流す星海燕。あれは何を感じて流した涙なのだろうか?

 悲しいと感じたからであろうか――いや、違う。じゃあ、何故、涙を流した?

 そう、あれは……あの瞳は「悔しい」と物語っていた……?

“……そうか。……お主は妾の想いを感じたという訳か。……ほんに、何処までお人好しで、良い男じゃ”

 あの様な者を、こんな事に巻き込み、犠牲にしてしまっては……鬼神として――いや、女子として、情け無い。何が何でも、それだけは避けねばならない。

「……こんな熱い展開、『少年漫画』位しか味わえないと思っておったがのぉ――」

 そう言い放つと、蒼鬼姫の額の角に纏っている青い光が、炎の様に燃え上がる。

 すると、蒼鬼姫の体から淡い青い光が放たれ、それを全身に纏う――それは形の無い鎧。

「……ほんに、何処迄も本気にさせてくれる奴じゃの」

 ニヤリと不敵に笑みを浮かべると、手にしていた扇子をパチンと閉じ、蒼鬼姫は目を閉じる。

 再度、彼女の角の青い光が燃え上がり、全身から光が放たれる。そして、手にした扇子に光が吸い込まれていく。すると、青い光を纏いながら、その扇子が形を変える。

「この増長天【ぞうじょうてん】の太刀を使うのも久しぶりじゃな」

 自らの手にする得物をチラリと見遣ると、下から上にかけての一閃――何時の間にか目の前に迫って来ていた八尺様の手の平に、一太刀を浴びせる。すると、火花の様な光とバチッという音。そして、その大きな手の平を、蒼鬼姫は舞を舞うかの如く、その一閃の一部として、素早い跳躍で華麗にヒラリと躱す。


 伸び切った腕は動きを止める。と言うよりは、八尺様自体の動きが止まったのである。それはまるで、八尺様の周りの時間だけが止まってしまったかの様である。

 八尺様の表情は常に変わりはしない為に、分からないが、輪を掛けて無機質さが感じられる。


 八尺様のありとあらゆる箇所を殴っては消え、現れ続けていた青鬼達の無数の腕は、火花と共に一度、塵へと帰ったが、また現れ、打撃を始めた。


 よく見ると、蒼鬼姫を掴もうと伸ばしていた手の平には横一文字に線が描かれていた。間を置いて、ボタリボタリと4本の大きな指が次々と地へと落下し、その傷口から真っ黒な鮮血が飛び散る。

 焼けた硫黄の様な匂いが一気に周囲に広がる。

 青鬼達の無数の打撃を受けても、ものともしない八尺様であったが、その様子から、ダメージを受けたのは確かである。


 蒼鬼姫が手にしている『増長天の太刀』は、青を基調とした宝飾を施した、只の宝剣の様に見える。しかし、その実は青い電気エネルギーを纏った神剣である。

 そもそも、『増長天』とは何か?

 仏教の中に出てくる『四天王』と呼ばれる鬼神の1体の事である。

 別名は毘楼勒叉【びるろくしや】と言い、梵名はヴィルーダカと言う。

 ヒンドゥー教やバラモン教、インド神話では雷神インドラ(帝釈天とも言う)の配下とされている。

 故に『増長天の太刀』は雷の加護――つまり、電気の属性を持つ神具である。『インドラの矢』程とはいかない迄も、その力は未知数である。

 現に、八尺様の指を切り落としただけでは無い。それと同時に電気ショックを与えていたのである。だからこそ、筋肉硬直を起こしているのだ。人間ならば、全身が一瞬にして焼け焦げる程の威力であるも、それさえ、最小限に抑えた結果である。


 何しろ、複数の相手を前にしても、それを激減し、何時爆砕するかも分からない超化学兵器ともあれば、慎重に成らざる負えない。

 

 筋肉硬直が治まったのか、首がグルリと回り、その暗黒とも言える2つの穴が、蒼鬼姫を捉える。

 その間も青鬼達の腕は、無数に現れ、目標を捉え続けているが、八尺様の動きを止めるどころか、鈍らせる事さえも出来ない。

 もはや、『怪物』を通り越して、底知れぬ不気味さを携えた『モノ』と化している。

 そして、振り返る様に上半身を捻り、今度は横殴りに大きな手を繰り出した。


 青鬼達の無数の腕がその行手を阻もうと現れるも、無惨に塵へと変わって行くだけである。


「!――ちッ‼︎」

 先程の電気ショック等恐れもしない執拗な攻撃に、蒼鬼姫は舌打ちをしながら、太刀を構え直す。

 そして、刀身が、舞踊の様な輝く円を描き、蒼鬼姫は跳躍で宙を舞う。

 今度は手を斬り落とす筈であった。

“ ――⁈なっ――?”

――そこにある筈の手が無い。

 手応えの無い空間に、刀身は空を斬り、蒼鬼姫の目は、獲物を捉えるべく、素早く動く。


 しかし、それは在るべく場所には無く、更に素早く動いている最中であった。

 それは、物理法則と力学を無視した様な動き――。


 蒼鬼姫は瞬時にそれを理解する事が出来ずに判断を遅らせてしまう。そして、それは痛恨の痛手というべき結果へと繋がっていく。

 完全な死角である背後から蒼鬼姫は襲われて、その身は、大きな手によって掴まれる事となる。

 蒼鬼姫は何が起きたか分からず、突如、胴体を圧迫する力に、思考が真っ白になる。

「⁈――くッ、うッ!」

 胴体部をしっかりと掴まれ、声が漏れた。

 今や、蒼鬼姫の身体は、八尺様の巨大な手により、しっかりと握られ、自由を失っていた。


……何が起きたか、説明しよう。

 指を失った手とは反対の腕で、横薙ぎに、蒼鬼姫へと迫っていた。

 それを跳躍で躱しつつ、八尺様の手を斬り落とそうとした蒼鬼姫。

 その瞬間、その腕は、骨や関節という概念を無視して、異様な部分から反対へと折れ曲がり、更に、次々と素早く折れ曲がっていったのだ。

 それに気が付かず、蒼鬼姫は太刀を振るったのだか、当然、その場所には何も無い。

 そして、宙を舞う蒼鬼姫の背後に回って来ていた八尺様の巨大な手は、大蛇が獲物に喰らい付く様に、その小柄な体を掴む事に成功したのであった。

 大柄とはいえ、人型実体である八尺様の腕を、人間の骨格の様に解釈してはいけなかった。不気味な容姿とはいえ、人間の女性の姿に、ついつい、それを腕だと解釈してしまう。

 簡単に言えば、触手――いや、腕自体が、それこそ、蛇の全身の様に、自在に動くのだ。

 自在に伸びる時点で、警戒すべき事であったが、八尺様が、鞭の様に動きつつも、人間の肘に当たる部分を軸にして、しなる様子を見ていた蒼鬼姫は、最も簡単に騙されてしまったのだ。

 正に、八尺様は『異形な怪物』なのだ。


 蒼鬼姫の胴体部を握る手に、更なる力が入る。


 青鬼達の腕は、主人の危機に、更にその数を増し、万力の様な――その大きな拳に取り付くも、意味を成していない。


 苦しみのあまり、蒼鬼姫は声にならない声を上げながらも、体を捩り、逃れようとする。しかし、身動きが出来ないどころか、更に圧迫されていく。

 堪らず、一層その表情を歪ませる。

 そして――増長天の太刀を握る手の腕を動かす事が出来る為に――逆手持ちに素早く変えると、無謀にも突き刺そうとする。


――その瞬間、大きな鈍い音が聞こえ、そして、直ぐに、弾ける様な更なる激しい音が響き渡る。

 力を加え続ける八尺様の巨大な手は、蒼鬼姫の体を守り続けていた形の無い鎧を砕いたのだ。


 八尺様の手と青鬼達の腕の間から青い光が飛び散り、まるで火の粉の様に輝きを散らし、消えていく。


 そして、八尺様の手は、蒼鬼姫の青い着物へと到達し、小柄で華奢な体へと、力が直接入っていく。


「――ッあガァァァァァァァ!!」

 蒼鬼姫の声とは思えない様な怒号にも似た悲鳴が周囲に響き渡る。

 可愛らしい幼女の様な蒼鬼姫の顔は、凄まじい苦痛の表情になる。それは狂気の表情と大差無かった。


 人間ならば、とっくに握り潰されているだろう――その力は一層強くなる。


 そして、とうとう、蒼鬼姫の手から増長天の太刀が目的を果たせずに離れ、落ちていく。

 太刀が地に落ちて、地面を転がる虚しい音は、蒼鬼姫の咆哮に掻き消された。


 あれだけ現れていた青鬼達の腕も、今や、姿が無い。それは、周囲の瘴気を使い果たした事を意味していた。

 いや、『怪物』否、『モノ』の中へと吸収され、消えていったのだ。そうでなければ、この桁違いの強さの理由が分からない。


 次第に、一つ、また一つと……蒼鬼姫の『音』が消えていき……彼女は、色を失っていく。


 そして――もう既に『八尺様』という存在は消えてしまっていたのだ。

 神さえもどうしようもない、とんでもない存在に成り果ててしまった。


 蒼鬼姫という鬼神が、その一端を担っていた事は確かであり、愚行であり、愚策だったのかもしれない。だが、それを叱責するのは間違いであり、それこそ本当の愚か者のする事だ。

 彼女は自らの失態を自覚し、償う為、必死になって足掻いたのだ。それこそ、自らを擲って。

 だからと言って、自らを擲つ事が正義ではない。

 自覚し、行動し、償ったという勲章を欲しがらない生き方が出来るかという事だ。

 貴方にそんな生き方が出来るであろうか?

 いや、出来る出来ないの話ではないのかもしれない。

 ただ、その生き方を貫く――それだけなのだから……。


――この異世界に静寂が戻ってきた。


 そして、『モノ』という存在は、自らの手に握り締めた気高き存在を、要らなくなった物の様に、投げ捨てた。

 蒼鬼姫の身体は、薄闇の中を切り裂きながら飛んでいき、無惨にもバウンドしながら転がっていく。

 そして――その先には、蒼鬼姫の屋敷門があり、2つの影が佇んでいたのである。

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