第11幕 鬼の幼女の昔語り

 時間を少し遡り――。


 八尺様として覚醒転生した南條優奈を追って、蒼鬼姫の元へと辿り着いた星海燕と織乃宮紫慧は、彼女の導きにより、湖の畔を歩いていた。

 蒼鬼姫の鬼火が次々と周囲の暗闇を照らし出してくれたおかげで、歩く事に不便は無かった。

 そうして、湖の畔に沿って少し歩いていくと、灯火が見えてくる。

――蒼鬼姫の棲家である。


 その灯火に向かって歩いて行き、次第に見えてくる建物に、星海燕は目を見張る。昔話に語られる様な――日本様式の貴族の宮廷を想わせる邸宅に、星海燕は驚きを隠せない。

 まるで、旅行先で遺産的建築物を見ているかの様な表情である。


「まあ、そう畏まらずとも良い。……何しろ、お主の住居にもなるかも知れんからの」

 そう言って、チラリと星海燕を見遣った。


 当の本人は、言われた事の意味を理解出来ないでいるのか、不思議そうな顔をしている。


 当然、その隣では、織乃宮紫慧の眼飛ばしが炸裂している。


「……ウザったらしいのぅ〜ぉ」

 そう呟き、大きな門構えの開き戸を押すと、ギィィ〜と音を立てながら開く。


 3人は門を潜り、その邸宅内へと入っていく。


 そこは大きな屋敷があるだけであった。


 これ程大きければ、手入れのされた庭等有りそうなものだが、何も無い。

 植物の痕跡さえも無い。


 そんな、何処か寂しさを感じさせる地面を踏みながら、屋敷の玄関へと辿り着いた。


 屋敷内部は、外見よりも広く感じられる位、長い廊下と部屋が数多くあるが、造りは極めて質素で、華やかさは無い。


 暫く、迷路の様な廊下を歩き、一つの部屋の前で襖を開ける。


 畳敷の部屋は、上座が一段高くなっており、蒼鬼姫はそれに上がると、座布団にドカリと座った。

 見た目が着物姿の幼女だけに、まるで武将の真似をしている様な違和感を感じさせる。


「さて、お主達には訊きたい事が色々あるが……」

 やっと落ち着いたとばかりに、扇子を取り出し、自らを仰ぐ。

 そして、下座に有る座布団を指し、星海燕と織乃宮紫慧に『そこに座れ』とばかりに促した。


 星海燕は促された通りに座ろうとするも、織乃宮紫慧をチラリと見て、2つの座布団を近づけてから、それに2人は座る。


 そんな様子を見ながら、蒼鬼姫は目を細める。

「……そうじゃの。先ず、何故、妾の事を知っておった?」

 口元を隠しながら尋ねた。


「それは、隣に居る織乃宮さんが……え〜と、何というか、物凄く物知りなので……」

『アカシックレコードのパーフェクトリーディング者』と言っても、更なる説明が必要になる。

 だから、『物凄く物知り』と説明したのだ。


 そんな説明であった為、「ふ〜ん」と目を細めるも、それを察したのか、「……あい、分かった」と膝を打った。

 そして、「……次にじゃ」と言葉を続ける。

「『八』とはどういった関係じゃ?」


 唐突に『八』という名称に、少し戸惑いつつも、それが該当する存在に当たりを付け、星海燕は答える。

「あの……『八尺様』?……とは直接の面識はなかったんですけど、友達の優奈ちゃんの……『覚醒転生』?……した姿だと、さっき、知りました」


 その返答に「……その事も、その面妖な物知りから教わったと言う訳か?……」と織乃宮紫慧を見遣る。


 当人である――織乃宮紫慧は、態とそっぽを向く。


 そんな様子に苦笑しながら、横で星海燕は頷いた。


 そんな2人を見て、また目を細める。

 扇子で口元を隠し、表情が読めないが、先程迄と違う、別の意味を持っている様である。


「……あの……」


「……なんじゃ?」

 星海燕の呼びかけに、蒼鬼姫は少し不機嫌そうに返事をした。


「あの、優奈ちゃん、いや、『八尺様』とはお友達なんですか?」


 あまりの間の抜けた様な質問に、蒼鬼姫は半ば呆れながら、「……腐れ縁じゃよ」と答える。


 その雰囲気から、何やら事情があるらしい事は、頭の中がお花畑の星海燕でも分かった。

 だからこそ、どういう風に訊いていいのか分かりかねる。


 そんな様子の星海燕を見て、大きな溜息を吐くと、「どれ、八の奴がここに来る迄、まだ少し時間も有る事じゃし、ちょいと、昔話でもしようかの」と呟いた。


「――えっ⁈ここに向かって来ているんですか⁈」


 そう驚く星海燕に、また大きな溜息を吐いた蒼鬼姫が「お主は何の為に、儂にのこのこと付いて来て、座っておるのじゃ?」と呆れる。


 そんな風に言われ、少し間を置いて、「あっ!」と思い出した星海燕。


 再度呆れた蒼鬼姫は、「……まあ、良い。話を聞いておれ」と言うと、話し始めたのである。




 儂が生まれたのは、少し前になる――と言っても、お主達のような人間にとっては、かなり昔になるがの。


『生まれた』と言っても、人間の様に、女の腹から生まれたのではない。……現れた?いや、『発生した』が、適切じゃろう。


……ん?儂は鬼じゃから、姿は変わらんよ。人間の様に、稚児子で誰かにおしめを変えてもらう様な趣味はあらりゃせん。




 そう言うと、ニヤリとして星海燕を見た。

「主はそんな趣味があるのかの?ならば、その趣味に付きおおてやってもよいがのう」


 その言葉に、慌てる様に横に首を振る星海燕。


 そして、その横には、物凄い形相で眼を飛ばす織乃宮紫慧。


 そんな2人を見て、首を竦め「一生、若いままの、儂の様な魅力的な女子の身体を堪能出来ると言うのに……」と呟くと、つまらなそうに「まあ、なんだ……だから、儂はこんな姿をしておるが、人間にとっては昔の昔の話じゃ」と話を続けた。




 その頃、人間達の社会では、権力者達が戦を好んでやっておった。


 まあ、儂が発生したのも、それが関係あるのじゃろうなぁ。

 人間達の争いに恨み辛みは当たり前じゃ。

 そうなれば、人間が鬼化になるのは必然じゃからの。

 ましてや、権力者達の争いともなれば、それに巻き込まれる人間も多くなり、鬼化も増える――となれば、儂の様な生粋の鬼が狩らねばならぬ――という訳じゃ。




 目を細めた蒼鬼姫の瞳には、何処か哀しげな色が漂った。

 見た目は幼女だか、多くの人間達の哀しみを見てきたのであろう。




 ある時、儂の事を知った或る権力者が、鬼退治とばかりに、儂の討伐を部下達に命じおったようでの。多くの侍や間者等の人間供が、儂を殺そうとやって来おった。

 儂は鬼化しか狩らんから、最初は適当にあしらっておったが、そのうち、其奴らは更に数を増やし、手段も選ばず……終いには、山に火をかけおったのじゃ。


 そうなれば、関係の無い多くの命が失われる。

 鬼化を狩る立場の儂が、鬼化を増やしては、本末転倒じゃろ。

 儂は逃げる事にしたのじゃ。――人間如きに逃げる事になるのは癪じゃったが、仕方がなかった……戦略的撤退というやつじゃ。




『鬼は、鬼化した人間を喰らう時、人間の頃の断片的な記憶も喰らう』という。

 この蒼鬼姫という鬼が時折話す、人間の俗世間じみた言葉は、その為かもしれない。




 その頃じゃ。『八ちゃん』こと、彼奴に出おうたのは。


 彼奴は、何をするわけでも無く、ただ丘に座り、村を見ておった。


 儂の彼奴の第一印象は『阿呆』じゃった。

 文字通り『うどの大木』みたいなデカイ図体。

 白い肌にニタニタした顔で、あの頃ではあり得ない着物を来ておったからの――やたらひらひらした……わんぴぃす……じゃったか?

 兎に角、全く畏怖というものが欠けておった。

 見るからに人外と判る彼奴の容姿にも、小動物達も集っておったからの。人間でさえ、畏怖位は持ち合わせておるのに……。

 本当の阿呆でなければ、ああはなりゃあせん。




 そう言いながら、その時の事を思い出したのであろう――蒼鬼姫は、ククッと笑う。




 そんな彼奴を見ていると、儂に気が付いたらしく、近づいて来おった。あのニタニタした顔で。

 その時じゃ……彼奴の神格の匂いに気が付いたのは……。


 儂は身構えた。


 いくら阿呆のようでも、神格を持った、ましてや人外じゃ。当然じゃあろう。


 すると、彼奴はあの大きな手を差し出して来た。

 その手の平の上には、笹の葉で包んだ握り飯が、ちょこんと幾つか乗っておった。


 どうやら儂に「喰え」という事らしい。

 儂はそんな物等喰わぬのに。

 儂の事を人間とでも思うておったのじゃろう。


 仕方がないので、儂は自らが生粋の鬼で、高貴な存在である事を説明してやった。

 だが、理解してない様で、握り飯を勧めて来る。

 儂が困り果てておると、何やら騒がしい声がしおった。

 儂が其方を見遣ると、麓の村の童供が叢から出て来おった。

 身なりも見窄らしい童供は、儂等を見ると、驚いて畏れている様だった。


 神格を持ったモノは、人間に見えのうなったりするもんじゃが、どうやら童供には見えておる事に驚いた。


 儂は「握り飯なら、あの童供にやったらどうじゃ」と彼奴に促すと、彼奴は童供に近づいて、握り飯を儂の時の様に差し出した。


 童供は、暫く固まっておったが、1人がその握り飯に手を伸ばした。

 腹でも空いておったのじゃろうな。

 手にした握り飯に齧り付いて「美味しい!」と言うと、黙々と食いおった。

 それを見た他の童供は挙うて握り飯に手を伸ばし、分けたりしながら、それを食ろうた。


「八尺様、ありがとうございました」


 握り飯を食い終わった頃には、彼奴に慣れたのか、礼をして、「やっぱり、八尺様は優しいんだ」等と口々に話しておった。


そして、高貴な儂に向かって「それより、お前、何処の子?」とほざきおった。




 蒼鬼姫の顔が苛立ちを隠し切れないと言わんばかりに、苦々しい顔になる。

 余程、子供達に「お前」呼ばわりされたのが、悔しかったのであろう。




 儂は、ちぃとばかし腹が立ったが、儂が偉大な鬼姫である事を教えてやった。


 すると、童供の大将らしい童が「ふぅん。そうか。じゃあ、お前も一緒に遊ぼうぜ!」と、事もあろうが、儂の様な高貴な鬼に、鬼ごっこの鬼をさせおったのじゃ!




 その光景を思い描いた星海燕は、クスクスと笑ってしまう。


 蒼鬼姫は、そんな様子の星海燕を見て、睨んだ。


「あっ、いや、とても、微笑ましい光景だろうなぁって。蒼鬼姫さんが寛大な心の持ち主って分かるから……」

 そう弁解する星海燕に、フンッと鼻で遇らいながらも、口元を扇で隠しつつ「ふぅん。そういうのが好みなのかの」と意味深な笑みを浮かべる。


 その様子に織乃宮紫慧は、その意を感じとり、また、眼を飛ばす。


 そんなものなど相手にしないという、風格を演じながら、蒼鬼姫は話を戻す。




 まあ、そんな寛大な心の持ち主の儂に、童供は畏敬の念を示し、懐いたので、彼奴の事を訊いてみた。


 彼奴は「八尺様」と呼ばれる――災厄から村を守り、繁栄を齎す――村の人間が造り出した豊穣の神だという事じゃった。

 なんとも神を造り出そう等、愚かな所業とも思うたが、何せ、世が世じゃ。そんな事を思い付く輩が居てもおかしくはなかったのかもしれんの。

 彼奴の待遇も神として崇められ、それなりにちゃんとしていたようだし。




 それを聞き、星海燕は少し疑問に思った。


『人間が造り出した神』なんてあるのだろうか?


『神を造り出そう等、愚かな所業』と、何故言うのか?


『彼奴の待遇も神として崇められ、それなりにちゃんとしていた』と、何故言うのか?神様なら、崇められるのが当然ではないのか?


 そんな事を考えていると、それを察したのか、隣にぴったりとくっ付いて居た織乃宮紫慧が説明を始めた。


「そもそも、神を造り出すなんてのは、人間が昔からしている行為で、神が居ると考える時点で、神を造った事になるんですよ。どんな神も、神なんて存在は、人間が造り出したモノなんですよ。『神格』と言うのは、人間に崇められる事で、神だけに使える力――と思ってもらえれば良いと思います」

 つまりは、人間が神という概念を、その対象に当て嵌める事が、神を造るという事である。そう考えれば、全ての、神と呼ばれる存在は、人間によって造られたといって良い。

 また、神格とは、人間の信仰心をエネルギーとした特殊な力という事である。


 織乃宮紫慧に話を中断され、機嫌でも損ねるかと思いきや、蒼鬼姫は黙ってその説明を聞いている。


 織乃宮紫慧は説明を続ける。

「あの八尺様とか呼ばれるモノは、人間の女の子を、生まれた時点で、神にする為に隔離し崇める事で、神に姿を変えた成功例なんです。大抵は、只の怪物となって災厄を振り撒いたり、神化出来ずに幽閉されて無駄死にするのが、ざらだったみたいですね。……そもそも、人間にとって、不完全な神造法なんですよ。女の子を死ぬ迄閉じ込めて、神化するかも判らないのに、崇めて……。人身御供や人柱と変わらない、言わば、人道に反する方法だったんです」

『神を造る事が人道に反する』という考えの一端には、こういった過去の事例があったからなのかもしれない。


「神を求める事自体、欲という感情があっての事だから、その線引きが難しいんです。だから、神はロクでもない厄災の素なんです。他者に頼り、他者の所為にする、自分勝手な人間が造り出した存在でしかないんですよ」

 織乃宮紫慧の口調が強くなり、後半は、僅かに怒りが見えた。その勢いがあってか、こう続ける。

「女の子を人間として扱わずに村の男供が手籠めにしつくして、神化出来なくし、怪物にしたり……。終いには『神と交われば、強くなれる』なんて戯言をほざいて、村の若者の筆下ろしや村の男供の欲望のはけ口にされたり……。本当に人間なんて、愚かで、醜い、汚れた存在なんですよ!」

 そう人間批判をして、ハッとして横を見る。


 星海燕の表情が曇っている。

 星海燕以外どうでも良い織乃宮紫慧には、星海燕以外の人間批判だったのだが、星海燕は自らの罪の様に感じていたのだ。


 星海燕の優しさを知っている織乃宮紫慧としては失言である。

 そんな星海燕の様子に言葉を詰まらせる織乃宮紫慧。


 すると、蒼鬼姫がその合間に割り込んできた。

「神なんかと交われば、イチモツ等もげてしまうだろうに愚かじゃな……妾は生粋の鬼じゃから、大丈夫じゃぞ。どうじゃ、妾と契りを結んでは?」

 蒼鬼姫はそう言って、星海燕に色目を使って魅せる。


 その途端「お前なんかとヤったら、チンポが腐るわ!」と、織乃宮紫慧が怒りを露わにする。


「――なんじゃと!?言うに事欠いて、『チンポが腐る』じゃと!?そんな事ある訳なかろう!儂の様な妖艶なピチピチな生娘に向かって、その言い草はなんじゃあ!儂と交われば、若返るどころか、千年以上生きるぞ!生き返るぞ!お主こそ、得体の知れない女子のクセに――。お前の肉壺など、汚物まみれじゃ!」

 織乃宮紫慧の言葉を聞き、売り言葉に買い言葉とばかりに、暴言を吐く蒼鬼姫。

「あぁ〜。ばっちいのぉ〜」と口元を扇で隠し、目を細めて挑発する。


「――!?わっ、私のアソコはすっごく綺麗で、柔らかくて、すっごく、良い匂いがするに決まってるだろが!!お前なんかとスペックが違うんじゃい!気持ち良いに決まってるだろうが!――ね!?そうですよねぇ〜。星海さん!」

 そう反論して、星海燕の腕にしがみ付いた身体を更に密着させ、星海燕を誘惑しつつ、蒼鬼姫にそれを、此処ぞとばかりに見せ付ける。


「儂の方が良いに決もうておろうが!鬼姫で生娘の妾の肉壺は、極上じゃ!天にも登うてしまう勢いじゃ!」

 そう言うと、上座から下り、星海燕の手を引っ張り、織乃宮紫慧から、引き離そうとする。


 そんな蒼鬼姫から、愛する人を奪われんと物凄い力で、星海燕にしがみつく。

「そもそも『生娘』という事は、処女って事なんですよ?極上とか、解る訳ないですよね!星海さん!」と、星海燕に同意を求める。


「そんなの当たり前じゃろうが!人の時にして、何百年の間、処女だったのじゃ!極上に決まっておろうが!」


 そう返す蒼鬼姫に「だったら、私だって処女ですもんね〜。ねぇ?星海さん!星海さんの為に処女なんですもんね~!?」と、蒼鬼姫を形勢しつつ、「大体にして、何百年も処女じゃ、使い物になるのかしらねぇ〜?」と蒼鬼姫の方など、見ようともしない。


 その間に居る星海燕は、余りの、女の子としては恥ずかしい暴言に、曇らせた顔が、次第に赤面して行き、織乃宮紫慧と蒼鬼姫の引っ張り合いの頃には、恥ずかしさと逃げたい気持ちで、真っ赤で訳の判らない表情になっていた。


「ねぇ!?私の方が良いに決まってますよねぇ!?」


「妾の方が良いに決まっておるな!?のう?主よ!?」


 そう、必死ながらも可愛らしい表情の織乃宮紫慧と、妖艶さを醸し出し出そうとしている幼女の蒼鬼姫の間に挟まれた星海燕は、訳も分からない表情で、こう答える。

「紫慧ちゃんは可愛いし、蒼鬼姫さんは魅力的だし、決められません!」

 そんな、優柔不断な浮気男の様な言葉しか思いつかなかった自分に、自己嫌悪を抱える。


 すると、織乃宮紫慧の顔が一瞬、明るくなる。『〜ちゃん』と『可愛い』辺りの言葉が効いたのかも知れない。

 しかし、すぐ、正反対の表情になり、背中に闇が見えるかの如くの口調で「あんなペタン胸のちんちくりんの何処が魅力的なんですか〜?いつの間にか、好みが変わられたみたいでぇ〜」と星海燕の片頰を摘むと引っ張り始めた。


 それを見つつ、蒼鬼姫はため息を吐いた。

「全く、落第点もいいとこの言葉を吐きおって……。そこの乱暴女子位は口説けても、妾の様な、気品ある高貴な存在には効かんぞ」

 そう言う事で――織乃宮紫慧の『ペタン胸』や『ちんちくりん』に反撃しつつ、星海燕の腕を離した。

「ほんに、どうしようもない男じゃ!」

 2人に背を向け、上座に戻りつつ、ふと、歩みを止める。

「しかし、古来より『男は女子が育てる』と言うしのぅ。……何よりも、こんな上玉、後にも先にもあらゃあせん……」

 口元を隠し、流し目で星海燕をチラリと見る。

 その隠された表情は、値踏みをする商人の様であった。


 そんな蒼鬼姫の様子に、完全に威嚇体制の織乃宮紫慧。


 しかし、それを「ふんっ」と鼻であしらい、上座に戻ると、ドカリと腰を据え、「さて、昔話に戻るとするかの……」と涼しげな顔をしてみせた。

「何処まで話したかの?……ああっ、そうじゃった、そうじゃった」

 蒼鬼姫は何事もなかったかの様に、話し出した。




 儂も、腰を据える様な場所が欲しかったからの。良き事に、彼奴の為にこさえた立派な社台もあったから、この地で落ち着く事にした。


 そして、同居する彼奴は「八ちゃん」と呼ぶ事にした。


 神なんぞに「〜様」等と付けて呼ぶなんて、儂には耐えられんからの。

 末広がりの八とも言うし、おめでたい頭の彼奴にはぴったりじゃ。

「〜ちゃん」だから女子らしいしのぅ。


 彼奴と住まいを供にする様になって、彼奴が、常にニタニタとだらし無い表情を変えない事や、何も食わんし、何もせん事等、彼奴の阿呆度合いを知り、呆れ返る毎日だったがの。


 しかも、日が昇ると、儂らのところに童供がやって来ては、遊びおる。

 次第に彼奴にも完全に馴れたのか、彼奴も混えて草臥れる迄遊んでは、日が沈む頃には楽しげに帰って行きおった。


 そんな騒がしくも穏やかな時が暫く続いた……。


 そんなある日じゃった……奴等が来たのは……。


 儂の討伐を命じられた侍供が、儂を追い、あの地に足を踏み入れてきたのじゃ。


 奴等ときたら、長く厳しい追跡生活で、多くの仲間を失い、心身供に疲弊した中で、野盗化しておった。


 そんな奴等が、麓の村を襲ったのじゃ。


 その時、儂らは童供と、社台の近くの小高い丘で何時もの様に戯れておった。


 麓の村に火が上がり、その煙で異常を知り、皆で駆け付けた時には、もう、既に事が終わった後じゃった……。


 鬼が地獄を語るのも片腹痛いが、それは酷い有り様での……。

 食糧は奪われ、家屋に火を付けおって……。

 老若男女構わず殺し、至る所にその躯が転がっておった。

 それも、ただ殺すのでは無く、女は犯して殺し、そうで無い者も弄んだ形跡もあって……食ろうた後もあり、侍供の骸も幾つか転がっておったから、鬼化になった者がいたんじゃろうな。




 蒼鬼姫は、星海燕が表情をまた曇らせたのを見て、「お主が気に病んでも、如何にもなりゃあせん。もう、過去のことなのじゃからの」と宥めた。

 そして、「全て、儂が招いた事なんじゃから……」と呟き、言葉を続けた。




 儂は自分の浅はかさを呪うた……。

 愚かだった……。

 気が付いた筈じゃ。鬼化が如何やって生まれるかを、誰よりも良く知っておるのだからのぅ。

 此れが天命を怠ったつけだと言うならば、そうなんじゃろう。


 しかし、天とは残酷での……。悪い事は続くもんじゃ。


 その有り様を見た童供の1人が、あまりの光景に鬼化になってしまったのじゃ。


……あの時程、鬼としての責務を投げ出したいと思うた事はありゃあせん……。


 その童は誰よりも彼奴を信じておった。 

 だからかも知れんの……。

 村の守り神に裏切られ、家族を失い……怒りや恨み辛みに心を支配され、鬼化に堕ちるには、充分じゃった。


 先ずは、その鬼化になった童の側に居た童の体が宙を舞った……。


 悲しみや絶望に、泣き叫んだり、惚けておった童供の心が、恐怖に変わり、中には、それで鬼化になった童もおった……。

 童供は次々と鬼化になった仲間達に殺されていきおった。


 そんな中、儂と彼奴は、何も出来ずに、その光景を見ておった。


……いや、彼奴は何もしなかった。何時もの、半笑いの様な顔を少しも変えずにそこにおった。


 村の守り神と言っても、言わば、象徴的なもので、事実、その様な事等せんのかもしれんの……。


 今となっては、わからん……。


 神など、役立たずじゃの……。


 だがのう、一番の役立たずは儂じゃった。




 蒼鬼姫はそう言うと、一層、自らを責める表情を強くした。


「村が襲われる元凶でありながら……。あれ程の光景を目にし、自らを責めておきながら……。童供が鬼化になっても、何も出来んかった……。鬼化を狩る立場の儂が、一番の役立たずじゃ!」


 そう言うと、幼女の拳が上座の床に叩き付けられる。ドン!という物凄い音と供に、それに似合った振動が、辺りに伝わった。まるで、大砲でも打ち込まれたかのようであったが、部屋の中は勿論、上座の床でさえ、異常は無かった。


 身体をわなわなと震わせながら、下を向いた。


 僅かな時間、静寂に包まれた。


 暫くすると、「ふうっ!」と自らに喝を入れた蒼鬼姫の息が聞こえ、頭を上げた表情には、悔し涙の後があった。


 しかし、それを断ち切った様子の真剣な顔で「見っともない所を見せてしもうたの」と、話を戻した。




 儂の失態は、先見と己の使命を怠った事、鬼化以外と関わり合いになった事じゃろう。


 心を通わせれば、鬼化といえども、狩れなくなってしまう。

……もっと言えば、それを乗り越える心の強さも、あの時の儂には無かったのじゃ……。


 呆然と立ち尽くした儂と彼奴の前には、鬼化等しかおらんようになってしもうた。獲物を喰らい尽くした鬼化供は、今度は儂らに襲い掛かって来おうた。


 儂はそこで、儂のすべき事を思い出した。


……ほんに情けのうなるわ……。

 己が襲われて、己のすべき事を思い出すなど、バテレンの使い古された“あくしょんえいが”でもあるまいにの……。


 儂の青鬼供は、元童だった鬼化を難無く狩ってみせた。


 しかしじゃ、彼奴の方にも、一匹の鬼化が向かっておった事を失念しておった。


……今になって思えば、その一匹こそ、始めに鬼化になった童じゃろうな。

……気が付いた頃には、立ち尽くした彼奴の首元に、あの鬼化が噛み付いておった。


 すると、その鬼化を引き離そうと彼奴は、あの大きな手で掴み、力強く引っ張りおったのじゃ。


 しかし、鬼化は突き立てた牙を離そうとはしなかった。それだけ、裏切られたという恨みの念が強かったのじゃろうな。


 そんな鬼化を、彼奴は半笑いの顔のままで、更に力を込めて引っ張りおった。


 鬼化の至る箇所の皮膚は悲鳴を上げ、肉が裂け、骨が接合部分から引き剥がされ……あれは、多くの鬼化を狩ってきた儂でさえ、不気味に思うほど、異様で気味の悪い光景じゃったよ。

 何よりも、彼奴を知る儂だから、そう感じたのかもしれんの。


 その鬼化の頭は絶命した後も、自らの血に塗れ、顔の形を変形させて、ぶら下がっておった。


 それを彼奴は、あの大きな手で掴み、投げ捨てると、儂を見おった。


 彼奴の、白い皮膚や白いわんぴぃす、そして、にやけ顔も、元童の真っ赤な血に染まり、村の守り神とは言い難い姿だったよ。


 すると、彼奴に異変が起きおった。


 表情は変わらんかったが、よほど苦しいのか、頭を抱えて体をよじりだしての……。


 ほんの僅かな時間じゃったろうが、それは、儂の目には長く感じての……そして、儂は感じたよ。彼奴の神格が失われていくのを……穢れた何かに変化していくのを……。

 儂は見たよ。彼奴の頭に、鬼化の角が生えたのを……。


 儂は、その間、身動ぎ一つ出来んかった。


 彼奴は一頻り苦しむと、儂を見おった。

 彼奴の顔には、あの――半笑いのだらしの無い――表情は無かった……いや、目も口も無くなって、其処にはただポッカリと黒い穴が開いておった。


……彼奴は、『闇堕ち』したのじゃ。


 神とは難儀なものでの。

 神は、穢れたり、人間供の信仰心を完全に失ってしまうと、神格を失うだけでのうて、悪しきモノになってしまうのじゃ。

 神格を失うとはいえ、一旦、神になれば、其れなりの力を身に付けるモノもいるからの。

『闇堕ち』すれば、それは――先程、其処の乱暴女子が話しておった『怪物』や『化け物』より、厄介なモノになってしまうのじゃ。

 ましてや、彼奴は鬼化にもなっておった。

 神が鬼化になるなど、思いもせなんだが、きっと、人間を基にした為じゃろうな。


 彼奴は表情一つ変えず、事の顚末を眺めておるだけじゃったが、阿保の彼奴にも、感情というものがあったんじゃろう。

……まあ、それが仇になったとも言えるじゃろうがのぅ。


 儂は身構え、青鬼供を新たに出して、本来の儂のすべき事をしようとした。


……何って?


 狩るのじゃ。彼奴も鬼化になったのじゃから、当然じゃろ。


 しかし、彼奴は青鬼供を意図も簡単に退けて、逃げおった。……というより、彼奴は、仇とも言える奴等の残党を殺しにいったのじゃ。


 奴等の中でも、まだ人であった者達も居たようでのぅ。追う最中も、その躯が至る所に転がっておっての。鬼化となった仲間に殺されたか、それとも、彼奴に殺されたか、判らん程の数じゃった。


 そして、その鬼化供も、無残に殺されておった。あれは、確実に彼奴の仕業じゃろうな。あんな殺し方は青鬼供でもせんわ。


 彼奴しか考えられんかった。


 そして、彼奴を追って暫くして、彼奴も死んでおった事を知る事になった……。


 闇堕ちは神にとって不治の病みたいなもんじゃ。


……彼奴の骸等は残っておらんかったが、闇堕ちしたモノは短命で、その命が果てる時は、周囲に厄災を振り撒き、爪跡を残す。

……酷いもんじゃったよ。


 しかし儂はのぅ……少し安堵したのじゃ。


……彼奴を、役目だからと割り切って、他の鬼化供の様に狩れるかは、正直、分からんかったからの……。


 もう二度、あんな失態はしてはならん。


……もう、懲り懲りじゃ。あんな想いをするのは……。


 儂は彼奴の死を確認した後、この地にやって来たのじゃ。


 この教訓を活かして、人間世界から離れるべきと考えたからの。


 ここは人間供から隔絶された地……来るのは、瘴気に誘われたモノ……大抵は、鬼化か鬼化になりかけた人間ぐらいじゃ。


 儂はそういったモノを狩れば良い。何とも、合理的かつ効率的な方法じゃろ?


 まさか、主達の様な者が来るとは思うてもいなんだがの……。


……まあ、なんだ、八とはそういった経緯があったって話じゃ。儂の昔話はこれで終いじゃ!




 そうして――話を締めた。

 そして、少し呆れた様な口調で「……ところで、主は、何故、そんなに泣いておるのじゃ?」と、目の前の星海燕に聞いた。

「先にも言うたが、主が気に病む事は何一つ無いのじゃぞ」


 そう言われるも、鼻を啜りながら「……だって、だって……」と大粒の涙をボロボロと零す星海燕。


 横では、何処から出したのか、ティッシュペーパーの箱を片手に、涙と鼻水まみれの星海燕の顔を拭う織乃宮紫慧。


「ほんに、お主は、童の様に泣き虫じゃのぅ……男とは思えん程じゃぞ……」

 そう言いながら、星海燕に近づくと、頭を撫でながら「……しかし、優しい人間じゃのぅ……こんなくだらない話を聞いて、心から涙を流すとはのぅ」と呟いた。

 蒼鬼姫の顔には、慈愛の表情が浮かんでいた。


 僅かな時が流れた――。


 そして、「さてと……良い頃合いじゃな」とポンポンと優しく叩くと「――今度こそ、しっかりと役目を果たして、決着を付けねばならんの」と呟いて、星海燕から手を離し、襖に向かって歩き出した。


「……何処に行くんですか?」

 そんな蒼鬼姫の背中に、星海燕が声を掛けた。その声には、何かを感じ取った雰囲気があった。


「儂の青鬼供が、鬼化の匂いを嗅ぎつけたようでの。狩ろうとしたが、返り討ちされた様じゃ……彼奴じゃろうな」

 そう答えると、蒼鬼姫は襖を開け、廊下へと進む。


「……どうしても狩らなきゃいけないんですか?八尺様――優奈ちゃんは、いい子です。鬼化になっても……闇堕ちだって、何とか出来ると思うんです。……そうじゃなきゃ、おかしいって思うんです!」

 蒼鬼姫の歩みを止めようと、星海燕は立ち上がり、食い下がった。


「――お前に何が解る!何が出来るというんじゃ!たかが、人間風情に!相手は元とは言え、神ぞ!」

 蒼鬼姫は感情的な口調でそう言ってから、少し間を置いて「……すまなんだ。今のは、儂の失言じゃ」と落ち着きを取り戻した口調に戻る。


「彼奴がお主の友人に転生したのじゃったな。しかし、覚醒してしまってはどうにもなるまい……。お主が如何に強いかはわかっておる……。儂の青鬼供をああも、あしろうたんじゃからの……。でも、それだけじゃ。鬼化から元に戻す事も、況してや、闇堕ちさえも、お主にはどうにも出来んじゃろう?」

 星海燕を背にして、子供を諭す年長者の様に話し、更に言葉を続ける。

「ほんに、聞き分けの悪い童の様な奴じゃの……。だが、優しく、良い男じゃ。儂が見込んだだけあるの」

 そこまで話して、少し口調が強まる。

「――しかしじゃ!これは儂が決着を付けねばならん事じゃ!鬼として役目を果たさなかった過去への報いなんじゃよ!例えお主でも、その邪魔をする事は許さんよ!」

 そうして、また口調が戻り「……だから、お主達は、ここで、大人しく待っておれ」と言葉を締め、星海燕に反論を許さないかの様に襖をぴしゃりと閉めて、その場から去って行った。

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