第10幕 闇の中へ

 闇は得体の知れない恐怖を生み出す。

 南條優奈達に迫り来る存在は、まさにそれであり、祭り櫓を取り囲む提灯の光の下へ、その姿を現すのに、其れ程時間は掛からなかった。

 暗闇に包まれた薮から姿を現したのは、全身が青く、顔の無い、角を持った怪物であった。

 読者の皆様はお判りであろう。蒼鬼姫の青鬼である。

 しかし、南條優奈やイェンは知る筈も無く、その新たな脅威に身構える。

 然も、1体ではなく3体も――暗闇から、その巨体を現したのだ。

 自然と身構えるのも無理はない。


 青鬼の1体が近付いて来て、倒れている鬼化の所迄来ると、その頭をむんずと掴み、軽々と持ち上げる。


 頭を掴まれた鬼化は意識を失ったままであるらしく、四肢を垂らし、力無く、為すがままになっている。


 今度は、空いている手で、2つある鬼化の角の1本を掴んだ。その手に力が入るのが分かる。

 異様な音が周囲に響く。

 その手に握られた角を引き抜こうとしているのである。

 鬼化の額の皮膚が裂け、ドス黒い液体が飛び散り、ミシミシと嫌な音が響く。

 黒い線みたいな物が見え、それはまるで根っこの様に鬼化の額から生えている。

 それがブチブチと音を立てながら切れ、黒い液体を撒き散らす。

 そうして、黒い根が張った角を、無理矢理引き抜き、天へと掲げた。


 角を引き抜かれた鬼化は、流石に意識を戻したらしく、ジタバタと手足を動かすも、青鬼の握力と体格差の前に、為すすべが無い様である。


 一方、青鬼の顔はのっぺらぼうであったのだが、顔が横にメリメリと裂け、大きな口となり、引き抜いた鬼化の角を無機質にその大きな口に放り込んだ。


 そんな機械的な一連の動きに、不気味さが漂う中、南條優奈は動けなかった。足が竦んでしまったのだ。


 イェンも動かない。此方は威嚇の表情を崩さず、その青鬼の後ろに控える2体の青鬼に、睨みを効かせていた。

 いつ動いてもおかしくない2体の青鬼が、これも無機質に、陣形を崩さずに立っている。


 そして、鬼化が手足をばたつかせる中、頭を掴んでいた青鬼は力任せに鬼化の頭を捻った。


 手足がだらしなく垂れる。


 鬼化が大人しくなると、青鬼は鬼化の頭を離した。


 それは、ドサッと人形の様に倒れ込む。


 そして、その青鬼は残っている角も掴むと、今度は、足で頭を押さえる。

 嫌な音を立てて、再び、その低音が響き渡る。

 そうやって、残っていた角をも引き抜く。


 そして、先程と同じ様に、黒い根と共に抜けた角は、再度、その青鬼の、あの不気味な口へと運ばれた。


 南條優奈は、あまりの光景に、口を押さえる。今迄の一連の出来事に、今になって気持ち悪さが込み上げてきたのだ。


 食事を終えた青鬼は、南條優奈達に、その不気味な顔を上げる。


「――ひっ!」

 南條優奈は息を飲んだ所為で、変な声を上げてしまった。


「こりすがりじゃっ!」

 先程迄、唸っていたイェンが背中越しに、南條優奈に声を掛けた。それは「大丈夫!守るから!」と言っているのであった。


 そんなイェンに対し、南條優奈は「……うん」と返したが、何処か不安げな口調である。


 とは言え、今の南條優奈の側には、高スペック式神のイェンが居る。

 ゲームの中では、『英雄』や『勇者』として魔王も倒すスペックを持っているのだ。 

 その能力からすれば、人間である星海燕さえもあしらう事が出来た青鬼等、問題にもならないであろう。


 そう言った事を知らない南條優奈ではあったが、それを差し引いても、青鬼達の放つ異様さは、其れ以上のものであった。


 青鬼達は、不意に、力強い足取りで歩き出した。


「すらっしゅっ!」

 イェンは、先程の様に片手に握った大剣を振るう。先頭を担う青鬼への攻撃である。


 鬼化の時の様に、地面に叩きつけられる筈であった――が、青鬼は片手を翳した。物凄い衝撃を片手に受けながらも、その衝撃を弾く様に受け切ってみせたのだ。

 歩みを一瞬止めるも、また歩き出す。


 リキャストタイムの為、同じ技が出せないイェンは、今度は「しーるどあたっくっ!」と鬼化を突き飛ばした技を繰り出す。


 しかし、それも、青鬼達の歩みを、また止めたに過ぎなかった。


 今度は、不意に、青鬼達が走り出す。


 イェンは素早く身構えると、再び、「すらっしゅっ!」と叫んで、大剣を振り下ろす。


 先頭の青鬼が、其れを再度、難無く受けると、背後に控えていた青鬼2体が、その巨体に似合わず、素早くもするりと躱し、イェン達に迫る。


 大剣を構え直すと「しーるどあたっくっ!」と、盾を構えて、宙に踏み出す。


 目を持たない青鬼達であるが、まるで、見えない大きな盾が見えているかの様に、其々、それも躱し――リキャストタイムの為、攻撃の術を無くしたイェンに、更に迫る――。


 そして――イェンの横を通り過ぎていく。

 はなから青鬼達はイェン等、眼中に無かったのだ。その青鬼達の標的は――南條優奈であった。


「――こりすがりじゃっ!」

 イェンが叫ぶ。

 それは「早く逃げて!」と叫んでいる様に思えた。


 しかし、当の本人の足は、震えて動かない。

「……あっ、あ……」

 恐怖で、声がうまく出せない。


 青鬼達が迫る。


「ていくたぁげっとっ!」

 イェンが叫んだ。


 ナイト職の基本スキルである『テイク・ターゲット』は、周囲の敵の意識を自身に向けさせるスキルである。

 簡単に言えば、敵の攻撃対象を、無理矢理、自身に向けさせるスキルである。


 スキル発動と共に、3体の青鬼達に囲まれたイェンは、宙を駆ける。

 自らを的にし、南條優奈から青鬼達を出来るだけ離そうと考えたのだ。


 青鬼達は、宙を駆けるイェンを追い詰める為、陣形を崩さない様に追いかける。

 星海燕の時もそうであったが、素早いイェンの動きにもついていける――その巨体は、容易く、イェンを捉えていた。

 鬼化の角を喰らった青鬼が、駆け抜けようとしたイェンに、拳を振るう。


 弾かれる様に、イェンの体が宙を飛ぶ。

 咄嗟に防御体勢をとったイェンであったが、衝撃が大きかったのは、殴り飛ばされた勢いで、解る。


 そこに、別の青鬼が狙いを定め、同じ様に、殴り飛ばす。

 それは、まるでボールをパスをする様に、また別の青鬼へと、イェンは殴り飛ばされる。


 先程より勢いが増している状態で3体目の青鬼へと飛ばされているイェンは、防御体勢を取りながらもダメージは受けている様で、苦悶の表情を浮かべている。

 しかし、やられっ放しのイェンではない。だって、彼は勇者なのだから……。


「しーるどあたっくっ!」

 3体目の青鬼がイェンを殴り飛ばすも、しっかりと盾を構え、先んじて拳を捉えていた。

 3体目の青鬼の指が歪に変形している。イェンの『シールド・アタック』が功を奏したのだ。

 とは言え、青鬼の拳の力も強く、勢いが弱まったとは言え、1体目の青鬼へと飛ばされながら「こ、こりす……がりじゃ」と、中指を立てた。「ざまぁみろ」と言わんばかりの表情で……。


 そんな最中、1体目の青鬼の拳がイェンに迫っていた。


 ダメージを受け、飛ばされつつも、イェンは振り返り、「すらっしゅっ!」と叫び、大剣を振った。

 体勢がままならない中、放った『スラッシュ』も、1体目の青鬼の拳に命中した。

 小手を狙った技は功を奏し、手首より先が垂れ下がっている。どうやら折れたようである。


 しかし、1体目の青鬼はそのまま豪腕を振り抜いた。

 その為、クリーンヒットはしなかったものの、イェンの体は南條優奈の前へと、地面を転がる様に飛ばされた。


「――イェン君‼︎」

 南條優奈は駆け寄ろうとする。


 しかし、南條優奈に「こりすがりじゃっ!」と、イェンはそれを制す。

「離れていて!」と言っているのだ。


 何故ならば、イェンの後ろに居る南條優奈へと、青鬼達の意識が向いていた為だ。

 どうやら『テイク・ターゲット』の効果が切れたらしい。


 イェンは、度重なる青鬼達の攻撃に更なるダメージを負いながらも、直ぐに立ち上がり、宙へと戻る。


「ていくたぁげっとっ!」

 青鬼達が動き出そうとする間を与えずに、イェンは叫んだ。

 リキャストタイムが経過し、再び、自らを的にする。


 動き出した青鬼達は、突如として走り出し、尚もその豪腕により、拳を放とうと構えていた。

 そして、先程のイェンの攻撃による――拳のダメージ等無いかの如く、その拳を無機質に構え、距離を詰める。


 当然、その先にはイェンがいて、その背後には南條優奈が居る。

 幾ら『テイク・ターゲット』の効果があるとはいえ、イェンが避ければ、現時点でイェンとの距離が近い南條優奈に、その攻撃が向かってしまうだろう。


「しーるどうぉーるっ!」


 これもナイトの基本スキルであり、一定の攻撃を一定時間無効化するスキルである。

 但し、他の基本スキルと違い、リキャストタイムが多く掛かる。

 つまりは、『頻繁には使えないスキル』という事である。


 青鬼達は次々と拳を叩き付ける。折れていようと関係無しだ。

 しかし、まるで見えない大きな壁の様なものが、イェンの前に聳えているかの如く、その攻撃を阻んでいる。


 その盾を構えて、それに耐えるイェンに、苦悶の表情が伺える。

 青鬼が放つ拳は、『シールド・ウォール』の一定の攻撃量を超えている証拠であった。

 一つ一つは然程大きなダメージでは無くとも、手数でそのダメージ量が増えていく。

 次第に後ろへ下がり始めるイェン。


 その背中を見ながら、“もうやめて!”と心の中で叫んでいた。


「こ……りすがりじゃあァ!!」

 その声は「負けるものかァ‼︎」と叫んでいた。


 南條優奈の心の中が熱くなる。


 小さなナイトの英雄は、こんな状況でも、決して、諦めていない。

 真っ直ぐに前を見て、困難に立ち向かっている。


“……それなのに、私は……"


 小さな背中は、力強く、それを語っていた。


“目の前の大きな怪物に怯え、頼ってばかりで、身を呈して自分を守ってくれているイェン君を信用していなかった……”


 そうして、真っ直ぐに、イェンの背中越しに、青鬼達を睨む。

“気持ちで負けちゃ駄目だよね⁈イェン君!"

 そうして、焦点をイェンの背中に合わせた時だった――。


 一陣の風を感じた。


 イェンの背中は其処には無かった。


 南條優奈は、静かに後ろを振り返る。


 それは直ぐに分かった。


 小さな体でも、南條優奈には、イェンの姿を見つけられない筈が無いのだ。


 少し離れた場所に、無惨にも地面に転がっている姿を……。


 既に『シールド・ウォール』の効果時間等、過ぎていたのだ。

 それでも尚、イェンは青鬼達の攻撃を受け続けていたのである。

 先には殴り飛ばされていたイェンであったが、その拳を耐え抜いていたのだ。


「――っ!!イェン君‼︎」

 再び、そう叫び、イェンが飛ばされた元に堪らず駆け寄る南條優奈。


 身に纏っていた甲冑はボロボロになって、へこみや亀裂が見てとれた。

 一目見ただけで、攻撃が余程のものだった事が分かる。


 それでも、その小さな体を震わせながら立とうとする。

 しかし、体を起こす事もままならず、転がってしまう。

 余程のダメージがあるのにも関わらず、戦おうとするが、這い蹲る事しか出来ないでいる。

「…こ、りす…がり…じゃ…あ…」

 闘志を燃やそうと言葉を口にするが、その愛らしい声が掠れている。

「まだ…だ。まだ…戦え…るんだ」と言っている様に聞こえる。


 南條優奈は堪え兼ねて、しゃがみ込み、震える手で、その小さな体をすくう様にして手に乗せる。


 全身の痛々しい傷が、瀕死である事を物語っていた。


 そんなイェンの姿を見て、南條優奈は苦しくなる。


 感情のパニックが起きて、思考が追いつかない。


 言葉も出てこない。


 その瞳には、涙が出てこない。


「ううっ…あっ、ぐっ」

 その結果、南條優奈の口からは、そんな、鳴咽に似た声しか出ない。


 視界が歪み、その姿もはっきりと見えていない。


 いつの間にか瞳が潤んでいる。


 そんな状態で南條優奈には視認出来てはいなかったが、イェンの体は少しずつ透けて、時折、ノイズの様なものが入っていた。

 そして、イェンの身体は異常な位軽くなっていた。


「…こり、す…が…」

 そう呟くような小さな声を発した。


 そして、片手を伸ばし、宙を掴もうとする。


 しかし、その瞬間――。


 イェンの体は、シャボン玉が弾ける様に、光の粒となって消えた。


 それが意味する事は、「死」と言う一文字であり、それは誰が見ても理解出来る事であり、火を見るよりも明らかであった。


 光の粒は舞いながらも徐々に輝きを失い、火の粉が、その身を燃やし尽くしたかの如く、消えていった。


 その光の粒をただ呆然と見るだけの南條優奈。


 潤んだ瞳は、光の粒と同じ様に光を失い、意味を失っていた。


……声が出ない。


 時が止まったかの様な静寂の中、南條優奈の頭の中は真っ白になっていた。


 感情と思考が合致せず、静かなパニック症状で泣く事も出来ない。

 それは強烈な悲しみを表していた。

 頭で理解していながらも、感情が追いついて来ないのだ。


 酷い頭痛と吐き気で、視界が歪む。


 脳内麻薬の異常分泌の為だろう。

 アドレナリンとノルアドレナリンの異常分泌とセロトニンの過剰減少が、南條優奈を苦しめる。


 酷い耳鳴りがして、目眩を起こし、鼻の奥に何かが焼けた匂いがし――。


 南條優奈は膝をついたまま……倒れた。


――そして、強い光を発し始めた。


 意識が遠のく中、とある記憶が蘇っていた。

 それは悲しい記憶であった……。

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