第8幕 ツルペタ幼女の鬼神

『きさらぎ』と呼ばれる場所は、人間の住む世界から隔離された空間であり、『鬼化』になる者達が、集まってくる場所でもある。

 それは、『きさらぎ』を漂う『瘴気【しょうき】』に、鬼化が惹かれるという習性の為である。


『瘴気』は19世紀迄、悪い土地や空気・水から生まれるとされ、熱病――マラリアやハンセン病、敗血症、コレラやペスト、赤痢、天然痘、インフルエンザに至る迄、それが原因とされた。

 現代において、それらの熱病は、ウィルスや細菌が原因と解明されており、『瘴気』という存在に対して、否定的認識をされている。

 しかし、『瘴気』は実在する。

 ただ、現代科学では、非科学的と解釈されているだけなのだ。

――端的に言えば、『瘴気』は負のエネルギーの事である。

 そのエネルギーは、他の物質を侵食し、物質そのものを変化させ、更なる『瘴気』を生み出す。

 だからこそ、『鬼化』は、圧倒的に元人間が多いのだ。何故ならば、不完全な存在で、感情と言うエネルギーを持っているからである。

 怨念・悲痛・恐怖等といった、強い負のエネルギーは、『瘴気』となって侵食し、蝕んでいく。

 そして、『瘴気』には、もう一つ特質がある。

――それは、『瘴気』となった物質同士、惹き合うという、特質である。

 だから、『きさらぎ』という空間には、『鬼化』予備軍とも言える者達が、時折、迷い込んで来るのだ。

 昔から『神かくし』等と呼ばれて、消えた者達の中には、『鬼化』になる要素があったが為に、『きさらぎ』に姿を消した者達も少なくない。


 そして、現代では、『きさらぎ駅』という都市伝説として、その名を残している。

 その都市伝説で語られる話の中に、『きさらぎ駅』から歩いて帰ろうと、SNSで助けを求めた被害者に対し、一般人によって書き込まれた内容に『その場所で飲食をすると、戻れなくなる』というのがある。

 一般人のアドバイスとは思えない内容に、何とも胡散臭さが感じられるが――これが、満更、デタラメとも言えないのである。

 この事は、古事記や日本書記によって『黄泉戸喫【ヨモツヘグイ】(または、【ヨモツヘグリ】)』という言葉によって、記されているのだ。これには、『死の世界の物を口にしてはいけない』という教訓を記している。

 つまりは、このエピソードに語られる書き込み主は、『死の世界に迷い込んでいるのかもしれない』と、危惧しているのだ。

 この懸念は、正確ではないが、間違いでも無い。

 それは、『黄泉(死の世界)』と関係が無いとも言えない所為でもあり、更に言及するならば、『飲食どころか、その場所に居るだけでも、人間の住む世界に戻れる確率が、滞在時間に比例して、低くなっていく』からである。

 これには『大気』が関係してくる。

 先にも述べたように、『きさらぎ』は『瘴気』が漂う世界で、『瘴気』は侵食する性質を持つ。

 となれば、『きさらぎ』に長い時間、ただ、過ごしていたとしても、『瘴気』に汚染された『大気』を体内に吸収してしまうという要因が、それに繋がっていく事は、賢明な読者の方々には、御理解頂けると思う。

 つまり、『鬼化』の要素が無くても、『鬼化』になってしまう事は、在り得るという事である。


 星海燕がそんな空間に何時迄も居る事を、織乃宮紫慧は許す筈も無く、現在、その事について、2人は揉めている最中であった。


「紫慧は、説明しましたよね?『瘴気』に晒されていると、『鬼化』になってしまうって!」

 とは言え、実体を持たない織乃宮紫慧とって、星海燕に触れなければ、『瘴気』による影響は無い。

 それどころか、織乃宮紫慧にとって、この空間に居続ける事は、問題無いのだ。何故なら、実体化で、空間に漂う物質を自動錬成し続けている。それは『瘴気』も例外ではない。『瘴気』でさえ、全く別の物質へ錬成出来てしまう事で、影響も無い。

 しかし、星海燕は別である。

『瘴気』に晒された状態では、その影響を受けてしまう。

 だからこそ、今直ぐにでも、この『きさらぎ』を去るべきだと言っているのである。


 しかし、星海燕は、『鬼化』として『覚醒転生』した『八尺様』――南條優奈を元の人間の世界へ連れて帰る為に、後を追うべきだと言っている。

「それは分かっているけど、南條さんを放っておけないよ」


 だが、織乃宮紫慧にとって、南條優奈がどうなろうと構わない。

 寧ろ、そんな事を言う星海燕が、『瘴気』によって、身体に少しでも影響を受けてしまうかもしれない事の方が、重要である。

「あんな『覚醒転生者』の女の事なんて、どうでも良いじゃないですか。もう、『鬼化』として『覚醒転生』しているんですから、放っておけば良いんですよ」


「そんな事、出来ないよ!」


 先程から、頑として退かない星海燕に、織乃宮紫慧は、少しイライラとしている。

 自分に対して、星海燕が反論する事が、その理由ではない。

 他の女を理由に、星海燕が反論する事が、気に入らないのだ。

「――ッもう!何で分かってくれないんですかっ!あの女は、もう、手遅れなんですよっ!元から『鬼化』だったんですっ!しかも、元神だったのにですよっ!そんなの、人間にどうにか出来ると思いますかっ!病院に行って治る病気とは、訳が違うんですよっ!大体、あんな女を――」


「――っ!だとしても、行かなきゃいけないよ!」

 織乃宮紫慧の言葉を遮り、星海燕も反論の声を上げ続けた。

 織乃宮紫慧が言う事は、間違っていないのだろう。

 何しろ、相手は『全知の錬金術師』なのだから。

 そんな事は、星海燕も理解している。

 でも、これだけは退けなかった。

「目の前で、困っている人が居たら助けるのは、当たり前の事だよ」


「そんな事は、紫慧だって知っていますよ。でも、そうやって、自らを危険に晒す事が、美徳だとでも言うんですか?紫慧から言わせれば、只の、無責任で、自己満足に浸りたいだけの、考えの足りない愚か者にしか見えないんですけど」


 冷たい事を言うようだが、確かにそうだ。

 いくら正しい事をするにしても、無謀な行動が正しいとは言えない。

 無謀でなくても、危険性が僅かでもあれば、それは努力を怠っていたツケが回ってきたという事だ。

 織乃宮紫慧の『只の、無責任で、自己満足に浸りたいだけの、考えの足りない愚か者』とはそういう事だ。


 それでも、星海燕は食い下がる。

「……南條さんは、とても優しくて、良い子なんだ。そんな子を助けてあげられないような大人には、俺はなりたくないんだよ」


「そんな格好付けな言葉で体裁を繕っても、所詮は駄々っ子じゃあないですか。何が『大人』ですか」


「……友達を助けたいんだ」

 星海燕は呟きながら、声を振り絞る。

 それは心からの声でもあった。

「出会って日は浅いけど、南條さんは友達なんだ。そんな南條さんに、良くない事が起きている……。しかも、一般の人には出来ない、俺の専門分野じゃないか。しっかりとした知識も無いし、凄い事も出来ないけど、せめて、解決する迄、友達として、側に居てあげたいんだ。今、それが出来るのは俺達だけだから……」


 そう言った星海燕の真剣な眼差しに、「……ふ、ふぅ〜ん。と、とっ、友達ねぇ〜」と、少し動揺をしつつ、織乃宮紫慧は呟いた。

 そして、「……ずっ、随分、年が離れた、友達ですね」と動揺を隠そうと、茶化す様な事を言った。


「だって、友達には、年齢は関係ないよ」


 織乃宮紫慧は、大きな溜め息を吐くと、自棄になったとばかりに声を上げる。

「あアアッーっ!――もうっ、わかりましたよ!協力しますよっ!」

 そう言って、織乃宮紫慧は、そっぽを向いたのであった。






 2人は、先程迄居た、『きさらぎ駅』を後にし、夕闇に包まれた道を慎重に進んでいる。

 周囲は駅以外、何も建物等無く、木々に囲まれた、舗装されていない田舎道であった。

 生き物達の声や気配も無く、夕闇も相まって、不気味さが漂っている。

 ここが『きさらぎ』という異世界だと知らなくても、その異様さは、身を以って知る事となるだろう。


 織乃宮紫慧を先頭にして、その手を握った星海燕がその後に続くという構図は、何とも歩きにくそうに思える。

 しかし、それにはちゃんとした理由がある。


「ちゃんとしっかり手を握ってくださいね!じゃないと、紫慧は、干渉が出来なくなっちゃうんですから!……それと、少しでもずれただけで、空間移動先が変わっちゃいますから、ちゃんと私の後ろを歩いて下さいね!」

 少し気乗りがしない様子の織乃宮紫慧ではあったが、後ろ手に差し出した手と星海燕の手を恋人繋ぎにする事は忘れていない。

「本当に危険なんですからね!紫慧としては今直ぐにでも、こんな場所、帰ってほしいんですからね!」

 小言の様に、星海燕に話しかけているが、満更でも無いシチュエーションに、内心は、口調程には、機嫌は悪くない。


『瘴気』が周囲を覆っているが、此方には、何せ、優秀万能な『全知の錬金術師』が居る。

 2人の周囲は、その御業とも言える、錬金術により『瘴気』は浄化され、人間の世界の大気と、何ら変わらない。


「先程の遣り取りは何だったのか?」と言いたくもなるが――ただ単に、織乃宮紫慧のヤキモチだったのだ。

 だからこそ、星海燕の真剣な眼差しに、折れるしか無かったのである。

 何しろ、織乃宮紫慧にとって、不可能は無いのである――星海燕に関する事以外……。


 さて、2人が向かっている先は、或る者の居る場所である。

 それは、先に、逃げる様にして、『きさらぎ』の夕闇に消えた――『鬼化』の『八尺様』が向かった場所でもあるのだ。


「何で、南條さんは、その『蒼鬼姫【そうきひ】』さんの所へ向かって行ったの?」


「話せば、長い話になりますから……簡単に言えば、『前世の因縁』でしょうね……」


「……そうなんだ」

 星海燕は、そう言うと、周囲を見渡す。

「何だか、さっきから同じような景色だね」


「周囲に見えている景色は、『鬼化』達の記憶から創られた映像に過ぎませんからね。電車内で見た、外の映像と同じようなものと解釈して貰えば良いです」

 織乃宮紫慧はそう言って、潜る様な仕草をした。


 星海燕も、それに倣う。


「まあ、もう直ぐ着きますよ。あの元『人造神』よりは早く着きます。何しろ、この『きさらぎ』は複雑な空間ですから。こっちは近道してますしね」


 目的地が近い所為か、先程迄とは違い、周囲の変化が現れ始める。

 そんな空間移動する際の、周囲の変化は、不可思議と言うよりは異様であった。

 言わば、モーフィング映像の様に、自然と周囲がいつのまにか変化していくのだ。


 そんな景色変化の中で、普通ならば、酔ってしまいそうだが、星海燕の三半規管は鈍感なのか、優れているのかは定かではないが、しっかりとした足取りで、織乃宮紫慧の後をついていく。


 いくつかの空間を掻い潜り、僅か十数分――今迄とは違う景色の場所に出た。


 夕闇に包まれた雰囲気は変わらなかったが、視界の前はぼんやりと明るさがある――それは光を放つ球体であった。

 それが、3メートル位の高さで、宙に浮かび、周囲をぼんやりと照らしている。

 そして、織乃宮紫慧の後ろ姿越しに見える先には、湖であろうか、暗闇を溶かした様な水面が、光を浴びて鈍く輝いていた。

 その水場の中、2人の約5メートル先に人影が見える。


 その姿を視認した時、織乃宮紫慧は慌てて振り返る。

 しかし、余程慌てていたのか、手を繋いだままで振り返った為に、2人は体勢を軽く崩し、その為に、手が離れ、織乃宮紫慧の姿は消える。


 体勢を立て直しつつ星海燕は、透けた織乃宮紫慧の姿越しに、湖に佇む姿を凝視する。

 しかし、透けているとは言え、織乃宮紫慧を通して見ても、その対象ははっきりと見えない。


 星海燕の目には、はっきりと見えていない姿の正体――それは裸の幼女だった。

 華奢で凹凸の少ない体つき。

 白い綺麗な肌。

 濡れた長い黒髪は湖面に流れているが、幾つかの纏まりが出来てしまい、背中や腰やお尻の肌が隙間から見えている。

 幼いながらも整った顔立ちではあるが、何処か違和感がある。

 平安時代の貴族の女性の様な眉が、その元であり、短く揃えられた前髪によって、それは顕になっていた。

 星海燕達に対して、半身になりながらも、顔はこちらに向いて、表情は固まっている。

 その様子は、誰も居ない湖で水浴びをしていたら、裸を見られた女の子といったところである。


 すぐに、織乃宮紫慧の、女の子らしい柔らかい手が、星海燕の両目を塞ぎ、実体化した事で、見え辛い視界が完全に塞がれた。

「あんなの見ちゃいけませんっ‼︎」

 無駄に息切れをしながら、織乃宮紫慧は叫んだ。

 呼吸に意味を持たない織乃宮紫慧にとって、息切れをする事は無い筈だが、星海燕に他の女の裸を見て欲しく無い一心が、無意識にそうさせたのかもしれない。

 まあ、星海燕自身には、ほぼ見えていなかったので、全く意味を持たない行動なのだが……。


 そんな2人の遣り取りを尻目に、裸を見られた当人はあまりの驚きに、暫く、思考も動作も停止していた。

 しかし、間を空けて、意味を持たない奇声の様な悲鳴を上げ、しゃがみ込み、激しい水音を立て、湖の中に裸身を隠す。


 大抵の場合、ラッキースケベイベントとして、女の子のビンタ等で終わるのであろうが――そんな生易しいオチ等は用意されていなかった。


 恥ずかしさと怒りで赤面し、しゃがみ込んでいる幼女の後方上部には、真っ黒な円が現れていた。

 上部に浮かんでいる光体の放つ光さえ呑み込む程、それはポッカリと空間に空いた半径1メートル位の穴である。

 そして、突如出現した穴の縁を、青い色をした大きな手が、まるで、窓にでも捕まるが如く、ガッシリと掴む。

 力を込めているのであろう――指のひとつひとつが歪な形を成し、その先にある、青い頭部が穴から姿を見せる。

 それは、角を持ったのっぺらぼうであった。

 そして、弾け出されるが如く、穴から、青い其れが飛び出した。


 そんな事が起きているにもかかわらず、星海燕は織乃宮紫慧ともめている。


「こんな事してる場合じゃあないよ」


「そんなにあんなちんちくりんの裸なんか見たいんですか⁉︎」


「そういう事じゃなくて――」


「――あんな俎板みたいな胸を見たくなきゃあ、何を見るつもりなんですか⁉︎」


「そういうんじゃあ無くて!――何か誤解されている気がするから、あの子に説明しなきゃ――」

 そう言いながら、視界を塞ぐ織乃宮紫慧の手を、星海燕は掴むとグッと後ろに引っ張った。

 そして、織乃宮紫慧の前に出て、その手を離す。


“「誤解も何も、裸を見たって事実は変わらないんですからね‼︎」”と叫びながら、織乃宮紫慧の姿は消える。


 僅かな苦笑をしつつ星海燕は、眼前に迫る大きな青い存在が繰り出す拳を、体捌きでヒラリと交わす。

 目隠しはされていたが、気配を感じていた為、裸の幼女の方から、何かが物凄い勢いで迫って来ている事は分かっていた。しかし、それが何かは分からなかった為、正体を視認して、苦笑の表情を驚きのそれに変化させた。


 2メートル位の筋肉質の人型をした何かであった。

 肌は青く、とても、人間とは思えない。角を持つ事から、『青鬼』を連想させた。

 しかし、昔話で語られる、恐ろしい表情を持つ鬼とは違い、のっぺらぼうの顔は無機質さを持ち、より不気味さを醸し出していた。

 それは、次々と同じ様に、あの穴から姿を現し、此方へ向かって来ている。


 ほんの僅かに表情を変えた星海燕だったが、直ぐに次の刺客の拳も難なく躱す。

 今や、同じような肌の青い人型が計6体も現れていて、次々と襲い掛かるも、それらの攻撃を、これまた難なくいなす。


 肌の青い人型の怪物の動きが悪い訳では無い。むしろ、動きは素早くも力強く、6体の連係も取れ、的確で無駄が無い。


 しかし、相手が人外であり多数であったとしても、星海燕にとって、何の障壁とはなり得ない。

 それ程、星海燕の格闘技のレベルは、卓越していた。

 攻撃せずに、ただ避けるだけを繰り返すというスタイルを続けるには、人並み外れた格闘センスと経験、体力が必要である。

 そして、相手との格闘技レベルの差が大きくなければ、それは成立しない。

 このスタイルを貫き通してきた星海燕には底知れないものがある。


 人間には到達出来ぬであろう芸当を披露してみせる星海燕であったが、そんな最中、星海燕に対して“「そんなに裸が見たいんですか⁈」”と怒りを露わにした――星海燕にしか見えない――織乃宮紫慧迄も加わった事により、事態は急変し始めた。


「――ちょっと!今はそういう場合じゃあないんだってば!」

 そんな星海燕の声は、今の織乃宮紫慧の耳には聞き入れられない。

 青い肌の怪物達を、意図も簡単に遇らう星海燕であっても、必死になって捕まえようとする、織乃宮紫慧を躱し切るのは至難の業であった。

 人間離れした捌きをみせる星海燕さえも動揺させる織乃宮紫慧も流石である。


「――っ捕まえたっ‼︎」

 数分の後に織乃宮紫慧の姿が、星海燕の背後にしがみ付いた姿で現れた。

 しっかりと組み付き、逃がさないといった形で、身動きが取れない。

 両足に絡みつき、両腕も勝手が効かない。

 まるで、プロレス漫画に出てくる必殺技の如く絡みついた織乃宮紫慧は、女の子としての恥じらい等念頭に置いていないのだろう。


 その瞬間、青い肌の怪物が一斉に襲い掛かった。

 織乃宮紫慧の姿が現れても、何の躊躇いも無い。

 そもそも、視覚を持ち合わせているのかも分からないが――。


 流石の星海燕もかなり慌てた様で、それでも、何とか織乃宮紫慧を庇おうと体制を変えようと試みる。

 しかし、以外と力の強い織乃宮紫慧によって極められた技はそれをさせなかった。

“――ヤバい‼︎”

 星海燕はそう思った瞬間に「……うざっ!」と、低くて小さな呟きを、耳元で聞いた。

 それは無機質な、怒りと言った感情も無い、冷たい声であった。


 それと同時に、周囲に迫っていた青い肌の怪物達は、一瞬にして消え去ってしまった。

 まるで、溶けるかの様に――。


「――ッ‼︎紫慧ちゃんっ‼︎」

 星海燕は普段荒げない声を上げた。


 織乃宮紫慧が、あの6体の青い肌の怪物に、何らかの攻撃をしたのは明白であった。

 織乃宮紫慧にはその錬金術師としての力がある。


 どの様な相手でも、傷付ける事を良しとしない星海燕が普段、相手の攻撃を、敢えて反撃もせずに躱すだけのスタイルをとっているのも、その為であった。


 一方、織乃宮紫慧は、星海燕以外の事には、全くと言って良い程、興味が無い。

 だから、迷いや憂い等無く、まるで生理現象の如く、星海燕以外の相手を殺す事に何の躊躇いも無い。

 それを普段は星海燕が制している。しかし、今回、その甲斐も無く、攻撃どころか、消し去ってしまった。


 目の前で起きた惨劇を目の当たりにした星海燕は、それに相応しい表情をしていた。

 そして、自分を責めた。

 何故なら、自分には、織乃宮紫慧という相手に対して、人間としての、極当たり前の道徳さえも、理解させてあげられなかったからだ。


 しかし、そんな様子を知ってか知らずか、織乃宮紫慧は平然と言う。

「あれは只のエネルギー体です。生命体ではないんですよ。攻撃したところで、元に戻るだけなんですよ」


 その言葉を聞き、「えっ?」と、驚きの表情になる星海燕。

 そして、いまいち理解が出来ないといった顔になり、組み付く織乃宮紫慧の方をつい見ようとした。


 その瞬間、頬同士が触れる。

 すると、途端に2人はその顔を赤らめる。

 幾ら童顔とは言え、良い歳をして、これしきの事で赤面する星海燕もどうかと思うが、意外にも、抱き付く様な事を平然とする織乃宮紫慧が、不覚にも不意を突かれた為に動揺している。


「――か、かっ、簡単に言えば、あっ、あの、蒼鬼姫の、つっ、創り出した分身ですっ!」

 動揺を隠そうと、慌てて説明をする織乃宮紫慧。

 先程のツルペタ幼女が『蒼鬼姫』という説明を事前にしていなかった事は頭になかったようである。

 今度は、それを思い出してか、更に慌てて「さっ、さっきの、ろっ、露出変態メスガキの、こっ、事ですっ!」と、口の悪さが露呈するような発言をする。


 そんな発言を横にしながらも、星海燕は、只、頷くだけで、何とも情け無いばかりである。


 僅かに、刻が、静寂に包まれる――。


 それを破ったのは、聞き慣れない声が放つ言葉である。

「其方等は、何者じゃ‼︎」

 幼さが感じられるが、それに相反する言葉遣い。

 その主は、水浴びをしていた星海燕達に裸を見られた『露出変態メスガキ』の蒼鬼姫であった。


 その声に反応した2人は、我に返り、声のした方へと見遣る。

 その視線の先には、艶やかな青色の着物姿の幼女が居た。


「主らは何者か?と訊いておるのじゃ!」

 扇子で口元を隠し、もう一度、尋ねた。


「――決して、怪しい者ではありません!」

 星海燕は、まるでお約束の様な台詞を口にした。

 森羅万象、この様なシチュエーションで、口にしてしまう台詞は、説得力に欠けるのが、常である。

 それに漏れる事無く、非常にまずい状況である事は確かであった。


「何が、『怪しい者ではありません』じゃ!儂の蒼鬼等をいとも簡単に遇らい、消滅させる人間の、何処が「怪しく無い」と言うのじゃ!しかも、その面妖な女子はなんじゃ!姿を現したり、消したりしおって!……それに、よりにもよって、儂の禊を覗きおってからに――怪しい事だらけじゃ!」

 顔を真っ赤ににして、地団駄を踏む姿が愛らしくも感じるが、今はそれどころでは無い。


「あの、蒼鬼姫さんを探していたら、ばったりというか、たまたまというか……態とじゃないんです。ごめんなさい!」


 そう言って、頭を下げる星海燕に「あんな、俎板みたいな裸、見たところで、謝る必要ありませんよ」と、織乃宮紫慧は憎まれ口をたたく。


「高貴な儂の裸のどこが、『俎板みたいな裸』じゃ!」

 そう言って睨むも、織乃宮紫慧は、蒼鬼姫等、相手にもしていない。


 蒼鬼姫はつかつかと近づいて、星海燕と織乃宮紫慧を見上げる。

「そもそも、ここに辿り着く事自体、あり得ん事じゃ!しかも、見たところ、鬼化でもないどころか、その気配もありゃあせん。お主らが、この地に居る事自体、異常じゃ!」

 そして、2人の周囲を歩き回る。扇子で表情が読み取りにくいが、その目は、観察というよりは、値踏みをする商人の様である。

 一周回ったところで、星海燕の前でその歩みを止め、扇子をパチンと閉じる。

「お主!儂の小姓になれ!」

 再び見上げた蒼鬼姫の視線と、扇子で指し示さられた先には、星海燕が居た。


 指された本人は、キョトンとした顔をしている。意味が分かっていないのであろう。


「――はあァ〜ぁッ⁈何言ってるんだよッ!この腐れメス餓鬼がァ!」

 無視を決め込んでいた織乃宮紫慧だったが、烈火の如く、激怒した。

 その眼光は激しく、蒼鬼姫を威嚇している。


 しかし、蒼鬼姫は涼しげな表情をし、扇子で口元を隠す。

「何を言っておるのじゃ。女子の裸を見たのじゃから、其れ位、当たり前じゃろうが。然も、『鬼神』の小姓なぞ、そうそう成れるものじぁありんせん。何も、『いちもつを落とせ』等と、物騒な事を言うておらん。側に仕えて居れば良いのじゃから、大層な事でもなかろう?」

 その裏には、きっと、強かな笑みを浮かべているのは確かであろう。


 それが、一層気に食わない、織乃宮紫慧は完全にブチ切れた口調で、食って掛かる。

「何が『其れ位、当たり前』だァ⁈てめぇの裸なんか、見たくて見たんじゃねェ〜って、言ってるじゃねェか!この、『ませ餓鬼発情鬼神』がァ!」


 今にも掴み掛かりそうな織乃宮紫慧を押さえつつ、「えっ?蒼鬼姫さんも、神様なの?」と、星海燕は悠長にも驚いている。


 そんな織乃宮紫慧の事等、目にも入らないかの如く、「ほぉ?儂以外の『神』を、見た事でもある口振りじゃの?」と、星海燕に流し目を向けた。


「ええ、まあ、そういった知り合いが多いもので……。――ああ、そうだ!蒼鬼姫さんに会いに来たのも、それが関係してまして……」


「……?お主の知り合いの『神』と、儂に、何の関係が有るというんじゃ?」


「はい。よくは分からないんですけど、何か『前世の因縁』とかで、今、こっちに向かっているみたいで……」


「⁇……益々分からんのぅ。お主がよく分からんのでは、儂もわかりゃあせん」


「何言ってやがるっ!テメェの所為で、病にかかった出来損ないの神の事だよッ!そこまで耄碌してねェだろッ!あの『八尺』の事位はよッ!」


 その途端、蒼鬼姫の表情が変わる。扇子越しでも、その驚きは、隠せなかった。

「――何っ⁈『八』じゃと?……奴が生きておるのか?」


「覚醒転生したんだよッ!だから、ここに来てるんだよッ!其れ位分かんだろッ⁈」


 その様子から深刻さが伝わってくる。

「……そうか……そうじゃったか……。あい、わかった。……付いて来い!」

 そう言うと、踵を返し、蒼鬼姫は歩き出す。


 星海燕と織乃宮紫慧も、その後に続いて、歩き出したのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る