第4幕 南條優奈は小さなナイトに出会う

 県立西峰第二高等学校の裏手には、国有林が広がり、その先には、存在感ある山が鎮座している。

 その林の中を少し歩くと――鬱蒼と茂る木々を、まるで、くり抜いた様な場所がある。


 そんな浮世離れした様な――この場所で、昼休みを過ごす事が、南條優奈の日課となっていた。

 不思議と、他の生徒達が来る事の無い場所であり、過ごし易くも、友達作りには不都合な場所であった。

 天気の良い日は、太陽の光が差し込み、日差しが強ければ、木陰の下で過ごす事が出来る。また、天気が悪い日は、木々が開けた場所の真ん中にある――比較的小さい御堂の堂宇を借りて、昼休みを過ごす事が出来た。

 何が祀られているかは知り得なかったが、その御堂は、不思議と古さを感じさせず、小綺麗な雰囲気に、自然と不気味さも感じさせない。


 今日は天気も良く、日差しも強くない。そよ風が気持ち良い天候であった。


 そんな中、南條優奈は、木陰にある切り株に腰を下ろし、お弁当を広げていた。

 小さなお弁当箱には、色彩豊かなおかずと白米がつまっている。

 それは、南條家の使用人が作った、お弁当である。


 南條優奈は、元々南條家の別荘であった邸宅に、『南條家の使用人』であるところの若いメイド――如月茉由【きさらぎまゆ】と、現在、2人で暮らしている。

 明るい性格で、叱る時さえ優しさを忘れないという人柄を持ち、その容姿も、健康的な女性といった感じで、年齢は22歳という事もあって、面倒見の良い、メイド姿の姉の様な存在であり、南條優奈は、実の血縁者よりも信用している。


「茉由さん、今日も作り過ぎだよ……」


 病弱気味の南條優奈に、如月茉由は沢山の食事を作る。

 邸宅での食事の際も、多めに作り、何時も食べ切れない南條優奈の横で、残した料理も食べてみせる。まるで、沢山食べないと元気になれないぞとばかりに、ペロリと平らげるのだ。

 そんな姿にも慣れてはきたが、それでもスタイルが良い如月茉由には、驚かされている。

 小さなお弁当箱でありながらも、それでも「多い」と言う南條優奈自身、少食過ぎるとも言えるのであるが……。


 おかずのタコさんウインナーに箸を付けようとした時――不意に、草木が擦れる音がした。


 南條優奈は箸の手を止める。

 そして、音のする方向を見て「……何方かいらっしゃいますか?」と、恐る恐る尋ねた。


 暫しの間をおいて「……驚かせてしまって、すいません」と、聞き覚えのある声で、返事が返って来た。


 今迄、他の人が訪れる事など一度も無かった為、返事が返ってきた事に、心なしか身構えてしまう。


 そんな南條優奈など御構い無しに、声のした茂みを掻き分ける様にして現れたのは、見馴れた人物――最近、転校して来たクラスメイト――星海燕であった。

 よく遅刻をして来る、隣の席のクラスメイトは、茂みから出ると、必要以上に全身を払い始めた。

 星海燕の苦手なものの一つに、『虫』がある。

 何しろ、虫が潜んでいそうな茂みの中を、進んで来た星海燕にとって、それは恐怖のなにものでもなかったのだ。

 その様子を、ポカンとして見ている南條優奈に対し、「ちょっと、こういう茂みは苦手で……」と苦笑してみせた。


 一旦満足する迄払った星海燕は、「美味しそうなお弁当ですね」と、南條優奈の膝に乗ったお弁当に視線を移す。


「……ありがとうございます。でも、量が多くて食べきれなくて……」

 内心、初めて現れた来訪者に少し驚きながらも、南條優奈は「お昼、もう、済ませてしまったんですか?早いですね」と、付け加え、作り笑いも浮かべた。

 転校して来てから何日か経つが、星海燕と話を交わす機会が無かった。

 隣の席に座って様子を見てると、他のクラスメイトと話している姿を見た事が無い。

 声を掛けてみようと思ってはいたものの、友達をつくった事の無い南條優奈にとっては、ハードルが高かった様である。

 だから、こんな会話を交わして見たものの、つい、“私、変な事、言っていなかったかな?”と、自分の言葉を思い返す南條優奈。

 そんな事もあり、笑顔も何処か不自然なものになってしまっている。


「あ、いえ。普段から昼は食べないので」

 あれだけ全身を払った後も、チラチラと自身の体の各部を見ながら、星海燕は返答をした。


 ごく当たり前の事の様に話す星海燕に、つい「――えっ!?食べてないんですか?」と鸚鵡返しをしてしまう南條優奈。


 南條優奈の鸚鵡返しの言葉に、星海燕は「はい。朝と昼は食べないんですよ」と付け加えるも、意識は“虫が付いていないか?”という不安感に再度向きかけていた。


 星海燕の言葉を聞き、南條優奈は更に驚いて「お腹、空かないんですか?」と、当たり前に浮かぶ疑問を彼に問う。


「まあ、慣れれば、特には……」

 やっぱり、まだ不安を拭い去れない星海燕は、空返事をする。


 星海燕にそう言われて、南條優奈は会話に詰まってしまった。

 頭の中では“「ちゃんと食べないとダメ」とか言ったら、厚かましいよね?……そうだよね。だって、殆ど話をした事も無いし……。大体にして、それは、私が茉由さんに何時も言われている事だもの……。自分の事、棚に上げて、そんな事言うのも、おかしいじゃない!……っ⁉︎――じゃあ、一体、何を話せば良いの?…………。あっ!――そっ、そうだ!天気の話とか……。――っ!いやいや!それは駄目だよぉ〜。天気の話をするなら、最初にしないと変な感じになっちゃうよぉ〜”等と、思考の会議に囚われていた。


 そんな南條優奈を、星海燕はチラリと不思議そうに見る。


「……………………」

 沈黙が、僅かな時間――漂う。


 そんな間が、今の南條優奈にとって、何よりも辛く感じた。

 会話に順番等無いが、“今度は自分の番だ”と南條優奈は思い込んでしまっている。何しろクラスメイトと話をした事等無いのだ。そう思ってしまうのも仕方がない。

“兎に角、何か喋らなきゃ!”

 しかし、そう思えば思う程、自分を追い込む形になり、正しい答えが出せなくなるのが、世の常である。

 そして、或る答えを導き出し、南條優奈はついた様にその言葉を口にした。

「――もっも、もし、よっ、良かったら、わっ私のお弁当、たっ沢山在るんで、す、少し……食べませんか?」

 しっかりと噛みまくりで、少し声が裏返ったりしていたが、“これが最善の答えだ”と、南條優奈は内心、安堵する。

 話の流れからも変ではない。ましてや、友達作りの切っ掛けとしても悪くは無い。自分を褒めてあげたいと思ってしまう程、彼女の思考は高揚していた。


――しかし、ある事を忘れていた。


「有難う御座います。でも、頂けないです」


“……まあ、こういう時は一旦は遠慮するのが、礼儀だよね。……こっちから「こうして貰えれば助かります」って感じに話をすればいいんだよね?”

「――そんな、遠慮しなくても大丈夫な位、有りますから、食べて貰えれば――」

“ほ、ほら、私だってちゃんと――”


「いえ、箸……それしか無さそうだし」


 星海燕の言葉に、ハッと膝の上のお弁当箱に目を落とした。


 確かに、現在、箸は一膳しか無い。

 その状況で勧めるという事は、『その箸を使え』という意味になってしまう。

 他人にそれを強いるのは失礼になる事もある。

 ましてや、同世代の男子にそれを強いる女子ともなれば、それなりの親しい間柄でもなければ、中々無いであろう。

 女性の方に意が無くても、世の中の男共は、こんな些細な事でも、誤解をしてしまうというロジックは、今や、周知の事実となっている。


 そんなロジックなど知らない南條優奈ではあったが、間違った選択をした事は判った。

 失敗をしてしまった事に、焦りを通り越し、完全なパニックを顔に出してしまっていた。

「――あっ、あの……」


 そんな南條優奈を見て、「御気持ちだけ、頂きますね」と、星海燕は失笑に近い作り笑いを浮かべてしまう。


 それが南條優奈にとっては、自らの言動の稚拙さを実感させる結果となってしまう。情け無いやら、申し訳無いやらで、半泣きの南條優奈。


 そんな女の子を目の前にして、自らもパニックを起こし、困る様な星海燕では無い。

「あっ、この卵焼き、美味しそう!」

 そう言って、ひょいと、南條優奈の膝に乗ったお弁当箱から、卵焼きを摘むと、口に入れた。

 モグモグと口を動かしながら、「あんまり美味しそうなんで、頂いちゃいました!」と、満面の笑みを浮かべる。


 そんな星海燕の突然の言動に、虚を突かれ、半泣きの表情が一変して、瞳を涙で潤ませながらも、驚きの表情となっていた。

 あまりの笑顔に、自らの失敗等、どうでもいい事の様に感じてしまったのだ。


 星海燕は、『無邪気な笑顔の魅せ方』を自然と熟知していた。

 笑顔にも様々あるが、この笑顔程、他人も幸せな気持ちにさせるものは無い。

 赤ん坊の笑顔を見ると、自然と笑顔にさせられてしまうのは、この『無邪気な笑顔の魅せ方』である。

 イケメンである必要もない。

 ただ、何も考えず、心のままの笑顔になるだけなのだが、これは、現代の人間社会で生きていると、難しくなっていく。

 そういう意味では、40歳の星海燕が、その笑顔が出来るという点に、問題が有るとも言えるが、強力な武器に成り得るとも言えるだろう。

 それを意図せずに出来るのは、流石、年の功といったところである。


「良いな〜。俺なんか、料理、上手じゃないし、簡単な料理しかしてないから、こんな美味しい料理は、久々だなぁ」

 星海燕はそう言って、今度は、摘まんだタコさんウインナーを片手に持ち、まるで僧侶のように空いた手で「頂きます」と拝み、それを口に運んだ。


「えっ?ご飯を作ってくれる方とかいないんですか?」

 今や、『無邪気な笑顔の魅せ方』に、すっかり笑顔を取り戻した南條優奈は、少し、驚いた様に尋ねた。『ご飯を作ってくれる方』という表現は、まさに御令嬢らしい言葉と言える。


「ええ、独り暮らしなんで、ご飯は自分で作らなくてはいけないんですよ」

 そう返す星海燕は、つい、行儀悪く、摘んでいた指を舐めて、気が付いて、バツが悪そうに笑って、その手を後ろ手にした。


 そんな星海燕の様子に、つられてクスクスと笑う南條優奈。

 そして、「――あっ、そう言えば、お菓子が有るんだった」と、膝の上の弁当箱を横に置き、弁当箱が入っていた布製のバスケットから何やら出し始めた。

「この、『柿の種』って言うんですけど――」

 そう言いながら、柿の種の入った袋を出そうとした。


 その瞬間、星海燕の表情が一変した。

 驚きと「マズイ」という感情が混ざった表情であった。


 一瞬、星海燕の学生服のポケットが、僅かに光ると――それは飛び出してきた。

 星海燕の手が、素早く反応するも、物凄い速さで飛び出したそれは、彼の手を掻い潜るかの如く飛んでいる。

 何度か、それの起動状を捉えて掴んだかに見えたが、空を切った。

 そして、それは、南條優奈に向かって飛んできた。


 運動神経があまり良くない――典型的なお嬢様である南條優奈は、慌てて両手を、それの前に突き出した。

 いきなりの出来事に驚きながらも、咄嗟に出た行動であった。顔を背け、恐怖の対象を突き放す様な――当たり前の行動であった。

 当然、飛んできたそれにぶつかって、衝撃もあるだろうと、南條優奈は覚悟をした。


――しかし、それは無かった。


 南條優奈は恐る恐る目を開き、衝撃を受ける筈だった先に、目を移す。


 そこには、取り出そうとした柿の種の袋があった。咄嗟の出来事に、手に力が入って、柿の種の袋ごと、前に突き出していたのだ。

 そして、その柿の種の袋の後ろに――何かが見える。

 それは、柿の種の袋に、しがみ付いている様に見える。


 南條優奈は目を凝らし、それを、はっきりと捉える。


 頭には、黒髪から見える動物の耳。

 瞳は、綺麗な薄い赤色がかった色。

 その下には、ピンクの鼻と口があり、まるで猫の、それに、酷似している。

 顔自体は、動物の様に、毛むくじゃらではなく、人間の肌の様。しかし、両方の頰辺りに、2本ずつ髭が生えている。

 そして、人間の肌の様な小さな両手が、柿の種の袋にしがみついている。


 南條優奈はゆっくりと、突き出した手を近づけて、改めて見る。


 人間の形をしてはいるが、3頭身で、掌の平に乗せる事が、出来るサイズ。

 服を着ていて、全身タイプのパーカーで、リスをイメージした服。


「……か、かっ、か、可愛い‼︎」

 南條優奈がそれを見て、初めて発した言葉であった。


 そんな南條優奈の声に、小動物の様に反応して、それは、目を輝かせた南條優奈を見た。まるで、今迄、南條優奈がそこに居た事等、気が付いていなかったようである。

 そして、「しまった!」という表情をして、顔を動かす。


 その視線の先には、頭を抱えた星海燕の姿があった。


 その姿に、自らの失敗を自覚したらしく、表情が曇ると、ゆっくりと、柿の種の袋から手を離し、ふわふわと宙に浮かんで、南條優奈に背を向け、星海燕の元へ向かっていく。


 その姿に、視線が釘付けになっていた南條優奈自身も、何だか悲しくなり、つられて表情を曇らせながら、尚も、視線はそれを追っていた。


 星海燕は黙って、片手を差し出し、それを迎えた。


 すると、星海燕の差し出した掌に、それはチョコンと乗った。失敗を悔いて、俯いたままである。


 そんな様子を、黙って見つめていた星海燕は、口を開く。

「イェン君。これからは、不要意に人前に出たらいけないよ」

 その声は優しい声だった。


 星海燕に『イェン君』と呼ばれた――それは、俯いたままである。

 見ると、目に涙を溜めていた。


 星海燕は、差し出した手を、自分の顔の位置まで上げると、イェンの顔を覗き込む様に話す。

「失敗したら、反省して、次はしないようにすればいい。……もし、また、同じ失敗したとしても、それは必要な失敗だと思うんだ。……だって、反省をして、次はしたくないって思ったのに、してしまったんだから……。その時は、また違う反省をして、成功に備えればいい……。失敗出来ない事だってあるけど……そういう時の為に、様々な反省をして、成功に備えるんだよ」

 そう諭す様に話すと、空いている手の人差し指で、頭を優しく撫でる。


 すると、イェンは顔を上げて、わんわんと泣き出してしまった。


 それを優しく見つめている星海燕。まるで、母親の様である。


 そして、それを見ていた南條優奈も、ついつられて、ポロポロと涙を流し、泣き出してしまう。


 こんな時こそ、『年の功』を発揮して欲しいものだが……星海燕は、情け無い事に――驚いて、オロオロと動揺するしか出来ないのである。






 そもそも、『イェン』とは、何であるかを説明しなくてはいけないだろう。


 MMORPGというものをご存知であろうか?

『大規模多人数同時参加オンラインロールプレイングゲーム』の略称で、言わば――皆んなで、インターネット内で遊ぶ、冒険型ゲームである。


 半年前に、或るMMORPGが、サービス終了を迎えた。つまり、そのゲームで今後遊べなくなるという事である。

 その『或るMMORPG』が大好きであった星海燕にとって、それは、大きな衝撃を与える程の、大事件であった。

 何しろ、仕事以外の時間を、それに費やして、長時間でも、苦とも感じなかった。生活の一部と化していたのだ。

 何故、それ程までに入れ込んでいたのか?

 それは、その『或るMMORPG』の売りでもある――可愛らしい自分だけのアバターを作り、冒険出来る点にあった。

 因みに説明するならば、『アバター』は、操作する、自分だけのキャラクターの事であり、言わば、ゲーム内の自分自身の分身の事である。

 星海燕は、自分で作成したアバターを、いたく気に入り、そのアバターとの冒険という時間を、共に分かち合った。まるで、我が子のように可愛がっていた。

 しかし、サービス終了という、ネットゲームでは有りがちの終焉は、星海燕にとって、我が子との死別の如く、その悲しみは計り知れないものであった。

 そんな星海燕を、黙って見て居られなくなった織乃宮紫慧は、インターネット上に漂う、そのアバターデータと、星海燕の心のエネルギー(人間の現代科学では、解明されていないエネルギーである)を使い、その存在を『デジタル式神』と命名し、『イェン』を生み出したのだ。

 その名前であるところの『イェン』は、『或るMMORPG』内で、星海燕自身のアバターに付けた名前であり、『燕』を中国語読みした『イェン』から来ている。


 そんなイェンは、普段、インターネット内に居るが、星海燕の身に危険があれば、ネット回線を通り、織乃宮紫慧が手を加えたスマートフォンをゲートとして、実体化するのであるが……。

 星海燕の身に危険が迫っていた訳でもないのに、何故、出て来たのであろうか?

 察しの早い方なら分かると思うが、イェンの大好物は柿の種である。――つまりは、食い意地を張ったデジタル式神は、南條優奈が発した『柿の種』という言葉に、つい、釣られて出てきてしまったのである。

 イェンは、電気エネルギーを媒体・変換をしているので、人間の様に食事は必要無い。

 それなのに、柿の種を大好物とするのは、イェンの存在を作成する際に、星海燕の心のエネルギーを使った為である。

『食の好みも親子で似る』といったところであろうか。




 星海燕は、イェンを南條優奈に知られてしまった事に、悩んでいた。

 人間の現代科学ではあり得ない、イェンの存在をどう説明すべきか?

 皆さんなら、どう解決するであろうか?


 星海燕は、南條優奈の涙が落ち着いたのを確認して、核心となる内容を話し始めた。

「あの、イェン君の事……他の人には秘密にして欲しいんですけど」


「?……そう……いえば、『不要意に人前に出たらいけない』って……」

 南條優奈は、涙をハンカチで拭いながら、星海燕の言葉を思い出していた。

 余程、大事な約束事であったのだろう――と、南條優奈は、漠然と理解していた。

 何しろ、あんなに可愛くて良い子が、自らの失敗を自覚した上、優しく叱られた事に泣いたのだから……『不要意に人前に出たらいけない』という約束は、余程、大切な事に違いない――と。

「……はい。分かりました。……他の人には……この子の事は話しません」

 しっかりと星海燕を見ながら、そして、彼の手の上のイェンに視線が移る――流れる涙を懸命に手で拭うイェンの姿があった。


「……あの、……触っても良いですか?」

 星海燕にそう尋ねる南條優奈。


「はい。構いませんよ」


 その答えに、南條優奈は少ししゃがむように中腰の姿勢になり、イェンに目線の高さをあわせる。

「……さっきは、なんか、ゴメンね。……驚いちゃったけど……ねっ、涙を拭こうか」

 そう言うと、自分が使ったハンカチの端の部分で、イェンの涙を優しく拭う。


 泣き顔のイェンの、涙を止めようとする仕草が、とても愛らしく、愛おしく感じた南條優奈も、また、感涙しそうになって、それを押し留めようと、僅かに表情が崩れる。

「ねっ、私も泣かないように……するから……ね……」

 声がくぐもりながら、涙を堪える。

 そして、星海燕がやっていた様に、人差し指で、イェンの頭を、優しく撫でる。


 イェンも、そんな南條優奈を見ながら、泣き顔にならないように、涙目で、笑顔を作ってみせる。


 そんなイェンに、同じ涙目になりながらも、南條優奈は、笑顔で自己紹介をする。

「あっ……そうだ。私の名前は……南條優奈っていうの……よろしくお願いします」


 そんなイェンと南條優奈を見ながら、星海燕は優しく微笑んだ。






 イェンの存在を南條優奈に知られてしまったという問題が――安易ではあるが、一時的に――解消された頃、昼食時間を半分以上も経過していた。


 南條優奈にとって、イェンという存在が何であるかは、重要では無かった――これが、星海燕にとって、幸運であったと言えるであろう。

 とは言え、完全に安心出来るとは言えない事態である。

 下手すれば、依頼を遂行出来なくなるどころで済まない――有り得ない技術の存在は、全人類に大きく影響を与えかね無いのだ。

 現状の、あまりのタイトロープさを自覚した星海燕の頭の中では、混乱が渦巻き始める。

 どうしたら、穏便にこの問題を解決する事が出来るであろうか?

 結果的に、悩みの種は潰えてないのである。


 そして、ただでさえ大きなそれに、今や、輪をかけて、星海燕にのし掛かってきている。

 現に、星海燕にしか見えない織乃宮紫慧は、先程から、完全にイライラとしているからである。

 機嫌を損ねる事は、比較的避けるようにしてきたつもりであったが、水泡に帰したようだ。

 やっと、最近になって、機嫌が良くなってきていただけに、ショックは大きい。

 だからといって、それを表に出すような事はしたくない。

 星海燕の、大人としての分別であった。

 だが、先程迄の優しい微笑みが、次第に苦笑に変わり、それを取り繕う様に、更に、作り笑いへと変わってしまっている。

 これも、大人としての分別によるものであろうか。


 そんな事等知る術も無く、南條優奈は、残りの昼食時間を有意義に過ごそうと、また、木陰の切り株に座り直すと、その隣の切り株に、星海燕を促した。


 南條優奈の目線は、星海燕の手の上に居るイェンの姿を捉えていたが、何やら様子がおかしい。

 イェンは、チラチラと、南條優奈と柿の種の袋を見比べるようにしては、星海燕を見上げているのだ。

 それに気付いた南條優奈は、暫し、不思議そうにイェンを見ていたが、その意味を察して、柿の種の袋をジッと見ていたイェンに「食べる?」と尋ねる。


 すると、ハッとしたイェンは、頭をブンブンと横に振り、また、星海燕を見上げた。

 その顔が切なそうに見え、星海燕を責める。


 そんな顔を目の前でされ、南條優奈も釣られて、切なそうな顔をし、星海燕を見る。


 流石に、そんな顔で責められては、多数決的にも、分が悪い。

 自らの悩み等は、再度、棚上げし、半ば言わされるように、その台詞を口にする。

「……あの、南條さん。……申し訳ないんだけど……その柿の種を少し貰えないかな?」


 申し訳なさ等、必要無いとばかりに、南條優奈は「はい!全然、構いませんよ!」と、いそいそと柿の種の袋を手にし、袋を開放する。


 そんなやり取りを見ていたイェンは、驚いたように、2人の顔を見遣る。

 そして、開放された袋から、カサカサと音を立て、出て来る柿の種に釘付けになる。


 南條優奈は、中身を自らの手の平の上に、山盛りに乗せ、「はい!どうぞ!」と、イェンの目の前に差し出した。


 更に驚きつつも、もう一度、星海燕を見上げる。


「イェン君。お礼を言ってから、貰うんだよ」

 満更でも無い苦笑を浮かべ、星海燕はイェンに頷いた。


 すると、イェンは、南條優奈の目を見て、「……こりす、がり、じゃあ」と、ペコリと頭を下げ、山盛りの柿の種の一番上の一粒を取り、また、頭を下げた。


 その仕草を見せられ、声を聞いた――南條優奈は、手が震えてしまい、その顔には、歓喜の表情が見て取れた。

 イェンの、あまりの仕草の可愛らしさと、愛らしい声と、リスの全身パーカー姿での『こりすがりじゃあ』という言葉に、完全にやられたらしい。




 さて、何故、イェンは、『こりすがりじゃあ』という台詞を言ったのか?――については、更なる説明が必要となる。


 先に説明した『或るMMORPG』では、各プレイヤーのアバターをクリックすると、そのプレイヤーのゲーム内での情報が見る事が出来た。

 その情報の中に、吹き出しの項目があり、その項目には、プレイヤーのコメント欄等になっていた。そして、その欄に書き込んだ言葉は、まるで、そのアバターが話しているかのようにプログラムされており、プレイヤー達は、他のプレイヤー達への、アピールツールとしての役割を果たしていた。

『こりすがりじゃあ』は、サービス終了時、イェンの吹き出し項目に書き込まれていた言葉であり、そのデータを使用して、イェンは命を吹き込まれた為に、実体化した状態で話す言葉は、全て『こりすがりじゃあ』となってしまったのである。

 つまり、サービス終了時のデータと星海燕の心のエネルギーで生まれた為に、イェン自身は、人間の言葉を理解出来るが、人間の言葉を話しているつもりで、発音は出来ないという、複雑な副作用を持ってしまったのだ。


 だからといって、星海燕は、否定的には考えなかった。むしろ、そんな風に生まれたイェンを、ありのままに受け入れた。

 それは、自らの子供を想う親のような――そんな気持ちが強いからであろう。


 因みに、何故、『こりすがりじゃあ』という台詞を、星海燕が吹き出し項目に書き込んでいたかについて、真相を究明するならば――。


 ネットゲームのサービス中に、国際的某アニメーションのキャラクター達との、コラボの定期イベントクエストがあった。

 選りにも選って、そのキャラクター達の、2匹の某リス達が、ラスボスだったのだ。

 そのイベントクエストのタイトルは『イタズラ仔リスをやっつけろ!』と、国際的某アニメーションに対して、挑戦的とも思える企画であった事は、間違いない。


 星海燕は、いつもは脇役扱いをされがちの、その某リス達のキャラクターが、大好きだった。

 それ故に、まるで準主役扱いの、ラスボスという役を演じる、その某リス達によるイベントクエストが嬉しかったのだ。

 だから、つい、ノリと勢いで、『こりすがりじゃあ』等と書き込んでしまったのだ。


 そんな、ツッコミどころ満載の企画の為に、まさか、『或るMMORPG』はサービス終了へ追い込まれる事になる――とは、つゆ知らずに……。




 それでは、話を戻す事にする――。


 山盛りの柿の種は、今にも崩れそうで、星海燕はつい、「南條さん!」と声をかけてしまった。


 すると、その声に、我に返った南條優奈が「はい⁈」と返事した瞬間、山盛りの柿の種は崩れてしまったのだ。

 柿の種は、南條優奈の手の平から、無情にも零れ落ちていく。

 皆の口に入らずして、地面に落ちて、その生涯を終える――かに思われた。


 しかし、そうはならなかった。


 残像を残して、イェンは素早く反応していたのだ。

 その姿は目にも止まらず、南條優奈には、何が起きたか――いや、手の平から零れ落ちた柿の種さえも、気が付いていないうちに――イェンは、宙を舞う。

 そして、柿の種を受け止め、南條優奈の手の平と星海燕の手の平に、その全てを均等に乗せ終えると、その愛らしくも凛々しい姿を、南條優奈の手の平の上に見せた。


 そんなイェンの、その突然の出現に、遅れて驚いた南條優奈の、手の平の上で跳ねた柿の種をも、素早くキャッチしてみせる。

 そして、イェンは、抱えた柿の種を、再度、南條優奈の手の平に優しく乗せると、今度はその小さな手で、南條優奈の指を押して、握らせる。

「こりす、がりじゃあ」

 南條優奈を見上げながら、そう話しかけるイェン。


 その時、南條優奈には、しっかりと、その言葉の意味がわかった。

“「今度は落とさないようにね」”

 その声は、心にしっかりと響き、南條優奈は、返事を返し、何度も頷くのであった。






 すっかり打ち解けたイェンと南條優奈は、今や、仲良く、柿の種を食べている。


 そして、星海燕は、そんな南條優奈の隣の切り株に座り、改めて話をする事にした。

 しっかりと理解を得るように、腹をくくって話をしなくてはいけないと、考えたからである。


 話をして、わかった事だが――南條優奈は、イェンの事を『妖精』と、思っていたらしい。

 確かに、宙を飛ぶのを目の当たりにしていたとはいえ――今時の高校生が、未知の存在に対し、何の疑心も無く『妖精』と解釈するとは……。

 やはり、お嬢様ともなると、感覚が違うのであろうか。

 南條優奈も、星海燕に負けない位の『お花畑脳』である。


「う〜ん。……似たような感じかな?」

『アバター式神』は、織乃宮紫慧によって創り出された存在であるから、説明に困る。

「知り合いに、凄い頭の良い科学者さんが居て、イェン君を創ってくれたんです」


「?……造る……ですか?」


「はい。この子は……凄い科学者さんが創り出した、世界の何処にも居ない、新しい存在なんです」

 そう言うと、星海燕はイェンを見遣る。


 釣られて、南條優奈もイェンに視線を送ると、当のイェン自身は、2人の視線に対し、不思議そうな態度を示した。


「だから、他の人には知られたくないんです」


「?どうしてですか?」


「こういった新しい技術は、本人達の意に反して、悪用されたり、争い事を生むんです」


「……?」

 あまりの抽象的な説明で、南條優奈は理解出来ずにいる。


「イェン君みたいな存在に、速く飛び回れる事を利用して、窃盗をさせたら?」


「イェン君は、そんな悪い事はしないと思います」

 南條優奈は力強く言う。

 僅かな時間で、イェンは、南條優奈の絶対の信頼を得たようである。


「そうですね。でも、人質を取られていて、悪い事を強要されたら?」


「助けに来てくれると思います」


「沢山の人質が、いろんな場所で囚われていたら?」


「…………」


 こんな仮説的問答という方法を使った、星海燕は、狡いかもしれない。

 しかし、ここで南條優奈に、イェンという存在が公に曝される事に対する危険性についての、理解をちゃんと得なければ、後々困る事になるであろう。

「イェン君が他の人に知られるのはマズイ事なんです」


「……私は、良いんですか?」


「他の人に教えたりしなければ、構わないですよ。イェン君も南條さんの事、信用しているみたいだしね」


「私、絶対に秘密にします!」

 しっかりと理解が得られようである。


 安心して、笑顔でそれに返す、星海燕。


「やっぱり、イェン君って、凄いんだね!」

 そう言って、南條優奈もイェンに笑顔を送る。


「何しろ、俺の事を守ってくれているからね。凄く強いんですよ」


 アバター式神であるイェンの役目は、星海燕を危険から守る事であり、仕事上、危険が伴う星海燕には、頼もしい存在である。


「そうなんですね。……イェン君は、立派なナイトさんなんだねっ!」

 南條優奈の言葉に、イェンは嬉しそうに、且つ、誇らしげに「こりすがりじゃあ!」と返した。


 そんなやりとりを温かく見守る星海燕であったが、ふと、何かを思い出し、ポケットの中のスマートフォンを取り出す。

「――っ!!しまった!お昼休み、もう、終わりだっ!」


 そう言われて、驚いた南條優奈は、慌てて、自分の腕時計を見る。その顔は青ざめている。


 そして、5時限目の鐘の音が聞こえている中、慌てる2人と1匹であった。

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