第5幕 発情乙女と生理現象と純情少女

 薄暗い部屋の中で、木目のある天井が見える。

 窓を遮るカーテンの隙間から、うっすらと光が僅かに差し込んで来ている事から、夜明けである事がうかがえる。


 星海燕は、その瞳にそれらを朧げに映すと、眠そうに布団の中で身動ぎをした。

 その後、暫く黙ったまま、また、天井を見上げた。

 まだ身体も意識も、眠気に魅了されてはいたが、呟く様に「……そこで……何をしているの……?」と、普段なら真っ先に、視界に入って来る相手に、問うた。

 そして、気怠そうに、自分の上にある、掛け布団を剥ぐ。


 そこには――悪戯っ子の、悪戯が暴露た時の様な笑みを浮かべた――織乃宮紫慧の姿があった。

 丸くなるようにして、星海燕の布団の中に、潜り込んでいたのだ。

 その手は、星海燕のお腹に伸びている。

「おはようございます」

 まるで、自分の悪戯を誤魔化す様に、朝の挨拶をする。


「……おはよう。紫慧さん」

 眠たそうに、やれやれと溜め息を吐きながらも律儀に、星海燕は挨拶を交わす。

「……あのね。……寝てる間に、布団に入っちゃ、ダメだって……言ったでしょう」

 そう諭しながらも、寝起きで、思考が覚束無い状態の星海燕は、視線と首を、だるそうに感触の元に向ける。


「……だって、星海さんが寝ている間は、寂しいんですもん。……こうしていると、なんか、安心出来ますし。……それに、疲れとかも取れるんですよ。……知りませんでした?」

 織乃宮紫慧は、白々しい言い訳をする。

 最近は、何かにつけて言葉巧みに言い訳をしてくるのだ。

「それに、『寝てる間に、お布団に入っちゃ、ダメ』ならば、星海さんが起きている、今なら良いんですよね?」


 毎日ではないにしても、結構な頻度で、布団に潜り込んでくる。

 最近は、「仕方がない」の一言で済ませてはいるが、年頃の女の子がする行動ではない。


 星海燕はまだ眠そうな目を擦り、つい、噛み合わない問いをしてしまう。

「……どうして、今日も、お布団の中に居るのかな?……」

 年が離れていたとしても、星海燕だって男である。こう頻繁に、布団に入られては、堪ったものじゃない。


「だって、寒かったんですもん!」

 そう悪びれもせず、織乃宮紫慧は言った。


「……1人用の布団だから、2人で入れば、身体のどこかは食み出るし、隙間が出来るから、あまり変わらないんじゃない?」

 まだ眠い為、あまり頭が働かないが、星海燕は、取り敢えず、思いついた反論をしてみる。

「……だいたい、紫慧さんは何にも干渉されない身体なんだから、俺に触れなければ、寒く無いんじゃない?」


 確かにそうである。

 織乃宮紫慧は、星海燕に触れ、更に、幾つかの条件を満たしている事で、この世界に干渉出来る。それらの何か一つでも欠ければ、物質的にも精神的にも、外的影響がないという事である。いや、触れていたとしても、寒さなど感じないのかも知れない。


 再び、まだ眠い目をこすり、「だから、布団から出てね」と、織乃宮紫慧を見る。


 様子が変である。

 雰囲気が変わった事に気付いた星海燕を、写す瞳は、先程迄の、子供の様な言動を、微塵も感じさせない、何かがあった。

 織乃宮紫慧は、顔を近付ける様に、もぞもぞと体勢を変える。


「――!?」


 身体を星海燕に密着させてきたのだ。

 柔らかい感触が、生々しく伝わってくる。

 制服とパジャマが間にある筈なのに、その感触は、直接の肌が触れ合っているかの様に、感じられる。

 星海燕の腕に、擦り寄せて押し当てている織乃宮紫慧の胸は、トップ部分の突起が少し硬くなっているのが分かる。

 下腹部から下にかけては、下着越しの丘部分が妙に柔らかく、それが、星海燕の腿から腰に擦り当てられ、僅かにスライドしつつ吸い付いてくる。

 潤んだ瞳と、微かに赤らんだ頰と、僅かに濡れて艶やかな赤い唇から漏れる吐息。

 吐息は、少女特有の甘さに、いつも以上の甘さを香らせて、星海燕の理性を大きく揺さぶる。

 脚を絡ませてくる織乃宮紫慧は、美しい蛇の様に、妖艶な雰囲気を醸し出していた。


 織乃宮紫慧の柔らかい手が、星海燕の腹部から、ゆっくりと這う様に、下に伸びて行く。

 空いている手は星海燕の手を捉え、絡み付く様に握る。

 甘い吐息が耳元にかかり、「……す、ずめ……さ、ンッ」と、軽い喘ぎ声をあげる。


 そんな織乃宮紫慧に、星海燕は、眠気が一気に飛び去り、今や、蛇に睨まれた蛙の如く固まっていた。

「――紫慧さん!そんなにくっついたら、駄目だって!」


 星海燕は、理性を保つ事に必死になりながら、抵抗を試みるも、織乃宮紫慧の力は意外に強く、獲物を離そうとはしない。

 それどころか、星海燕の下腹部を弄っていた、織乃宮紫慧の手は、もっと下へ伸び、今や彼の男性器に触れようとしていた。


「――!!」

 その時、急に、何かに駆り立てられたかの様な表情を、星海燕は見せた。

 そして、突き飛ばしながらも、体を捻るようにして、織乃宮紫慧からの束縛から逃げる。


 すると、星海燕の体から離れてしまった、織乃宮紫慧の姿は消えてしまった。


 星海燕は立ち上がろうと、廊下への出口となる襖に、体を向ける。

 その両手は股間を押さえていた。

 しかし、ふと、思い出した様に振り返り、織乃宮紫慧が居る筈の、空間を見つめる。

 そこには誰もいないように見えるが、星海燕の目には見えている。

 それは、突然の星海燕の行動への驚きと、その後に押し寄せた悲しみの表情を浮かべた、織乃宮紫慧を映し出していた。

 そして、織乃宮紫慧に対して咄嗟にとってしまった自らの行動を、瞬時に把握し、星海燕は反省する。

 今や、人間とは言えない存在になったとはいえ、好意を抱いている相手に、拒否の様な態度を取られ、ショックを隠せないのは、当然の反応である。

 星海燕自身にその意がなかったとしても、今の行動は軽率過ぎた。

「……ごめんなさい」

 星海燕は織乃宮紫慧に謝罪の言葉をかける。


 しかし、織乃宮紫慧は座り込み、俯いたまま、星海燕を見ようとしない。


 僅かな沈黙が続き、「……本当に、ごめんなさい」と、再度、星海燕は謝った。


 すると、俯いたままの織乃宮紫慧が、“「……紫慧の事……嫌いですか?」”と、重い口を開いた。


「そんな事ないよ!」


 星海燕のその言葉に、僅かに反応した織乃宮紫慧だったが、少し間を空けて、俯いていた顔を上げると、その瞳には涙が溢れていた。

“「――じゃあ何で、ギュッてしてくれなかったんですか⁈」”


 そんな織乃宮紫慧を見て、星海燕の心は痛くなった。

 星海燕に触れていない間、織乃宮紫慧は、何も無い空間に居るのだ。

 絶対に干渉出来ない世界――。

 普通、そんな場所に居たら、おかしくなってしまう。

 織乃宮紫慧と再会を果たした時、その事を身を以て知った。

 それ故に、自分自身の存在が、織乃宮紫慧にとって、いかに大事であるかをも、知っていた筈なのに……。

 今とった星海燕の行動は、そんな織乃宮紫慧の心を、傷付けるに値するものだったに違いない。

 星海燕は罪悪感を感じ、織乃宮紫慧に対し、何て言ったら良いのか、どんな顔をすれば良いのか、分からなくなってしまう。

「本当にごめんなさい」

 涙ぐむ織乃宮紫慧に、星海燕は戸惑いながらも、星海燕にしか見えない織乃宮紫慧に、近付いて、手を伸ばす。


 すると、俯いたままの織乃宮紫慧の姿が、また現れた。


 星海燕の手が、その頭に優しく乗せられ、そして、ゆっくりと撫でる。


「紫慧が裸になれないからですか?エッチな事が出来ないからですか?」

 俯いたままの織乃宮紫慧は呟くように、星海燕に問う。

 その声からは、哀しみが伝わってくる。


 確かに、織乃宮紫慧は、今着ているセーラー服姿以外の外見になれない。

 今の姿自体が、織乃宮紫慧そのものだからだ。

 織乃宮紫慧のセーラー服や下着は、脱いだり、ずらしたり、破ったりする事さえも、出来ない。

 生地の柔らかさはあるものの、皮膚と同化しているのだ。

 唯一、触れる事が出来る星海燕や、織乃宮紫慧自身でさえ、どうにも出来ない。

 故に、織乃宮紫慧が『エッチな事』と表現した――『生殖行為』は、出来ないのである。


「……いや、そういう事じゃなくて……」

「――じゃあ、どういう事なんですか!」

 何とか説得しようとする星海燕に、間髪入れずに、言い返す織乃宮紫慧。


 この様な態度を、滅多に取らない織乃宮紫慧に、たじろいでしまう星海燕。

「……し……が……たかっ……から……」

 少し頰を赤らめ、軽く外方を向きながら、星海燕は小さな声で、織乃宮紫慧に答える。


 織乃宮紫慧は、その声に、半泣きの顔を見せ、「何をいっているかわかりませんっ!」と、強い口調で星海燕を責めた。


 織乃宮紫慧の、そんな態度に押されるように――星海燕は唐突に、「しーしがしたかったんですっ!突き飛ばして、ごめんなさいっ!!」と、大きな声で謝る。


『しーし』とは、おしっこの事である。

 幼い頃から、動物と接する生活を送っていた星海燕は、動物達に話し掛ける事も、ごく普通の事だった。

 その際、どうしても、ニュアンスでわかる、赤ちゃん言葉の様な、言語を使う事が普通で、今だに、ついつい出てしまう。

 簡単な話、星海燕は、おしっこがしたいという生理現象によって、織乃宮紫慧の誘惑を拒まざる得なかったのだ。

 仕方がないかも知れないが、苦笑してしまう様な理由である。


 星海燕のそんな言葉に、泣き顔だった織乃宮紫慧は、一瞬、虚を突かれた顔になり、そして、つい、吹き出してしまった。

 流した涙を手で拭うと、「もう、仕方がないんだから」と一言呟き、「紫慧を泣かせたんだから、償って下さい」と、上目遣いで星海燕を見てくる。


「う〜ん……H系な事じゃなければ良いよ」

 取り敢えず、泣き止んだ織乃宮紫慧に安心し、少し考えながらも、返事をする星海燕。


「――じゃあ、ギュッてして下さい!」

 待っていましたとばかりに、織乃宮紫慧は、星海燕に抱き付く。

 少女の身体の感触が、再び、星海燕の体に押し付けられる。


 少し赤面しながらも、たどたどしく手を回し、織乃宮紫慧の体を、優しく包んでやる。


 すると、安心したかの様に、織乃宮紫慧は目を瞑り、星海燕の体に、身を預けた。


 暫く、そんな時間が続き、「……あの、紫慧さん?」と、身震いを一つして、星海燕が開口する。


「……なんですか?」

 幸せそうな織乃宮紫慧が聞き返す。


「……しーし」

 恥ずかしそうに、星海燕は、身震いの理由を話す。


「――ああ、そうでしたね。ごめんなさい」

 織乃宮紫慧はそう言うと、慌てて、星海燕の体から離れる。

 更に、星海燕の手を引きながらも、立ち上がる。

 そして、星海燕を引っ張る様に、畳の寝室の出口となる、襖へ歩みを進める。


「……あの、1人で行くから」

 星海燕はまた恥ずかしそうに、引っ張る織乃宮紫慧の歩みを止める。


「なんでです?一緒行きますよ。お手伝いしますから」

 そう言う織乃宮紫慧の顔には、小悪魔の様な笑みが広がっていた。






「ここ、だよね?」

 誰に尋ねるというわけでは無い――独り言を呟き、南條優奈は、目の前の家屋を見た。


 その古い造りの平屋の家は、星海燕の家である。


 携帯電話という俗物の持つ代物など、持っていない令嬢は、星海燕という人生で初めての友人と、日曜日という休日に、スマートフォンを見に行くという約束をしたのだ。

 そして、初めて街中を歩ける嬉しさから、早く目覚めてしまった南條優奈は、予定時間よりも大幅に早く、屋敷を出て来たのだった。

 そもそも、待ち合わせ場所は学校だったが、日々の会話の中で、星海燕の家の場所は、大体知っていたので、直接、迎えに行く事にしたのだ。


「……起きているかな?」

 朝日が上がり始めた空を軽く見やり、また呟く。

 引き戸の玄関に近付くと「……あの、おはようございます」と声をかけてみる。


――しかし、返事は無い。

 家の中からは、何やら声は聞こえるものの、南條優奈の声に、気が付いた様子はない。


 友人を迎えに行く事など、経験が無い南條優奈は、どうしたらいいか、わからなかった。

 暫く待ってみたものの、いっこうに、入り口の引き戸が開くどころか、磨りガラスに人影さえも見えない。

 考えた末、南條優奈は、取手に手をかけてみた。

 すると、鍵はかかっていなかった様で、横にスライドしながら開いていく。

「あの、おはようございますっ!」

 引き戸を開け、先程よりも大きな声で、挨拶をした――。


「だから、お手伝いするって言ってるじゃないですか!」


「お手伝いって、何をするつもりなの⁈」


「いやぁ〜、持って上げたりとか、摩ってあげたり〜とか」


「何を持つの?摩るつもりなの⁈」


「それを女の子に言わせるなんて、星海さんもHなんですね〜」


「言わなくても良いから、1人で行かせてよ!」


「そんな、『独りでイク』だなんて、紫慧が手伝いますよ」


「そういう意味じゃなくて!トイレに行かせてよ!」


「だから、紫慧が色んな意味で、『イカせ』ますから!」


「何か、上手いように言っても、ダメだからね!――ってか、手、離して!!」


 そんな星海燕と織乃宮紫慧のやり取りの最中に、南條優奈は、出会してしまったようだ。


 織乃宮紫慧の手は、星海燕の股間付近とパジャマのパンツを引っ張っていた為、織乃宮紫慧の姿は、南條優奈の目にも見えていた。

 余りの唐突な光景に、会話はハッキリと聞こえていなかったらしく、キョトンとした表情である。

――と言うか、固まってしまっている。

 ゆっくりと、南條優奈の視線が、星海燕のお尻を捉えていき、その顔が赤くなっていく。


 程なくして、性別の違う2人の悲鳴が、星海燕の家中に響き渡ったのは、言うまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る