第25話 石を積む人
蛙のように鳴いていた人たちの死体が散らばっている。僕は黙って見ていた。耳の中では蛙の鳴き声がしている。
すると、後ろでかさり、音がした。振り向くと一瞬小さな子供の顔が見え、藪が揺れた。藪の中を走って行ったようだ。
僕は子供が走って行ったと思われる方に行って見ることにした。
藪の中の細い獣道。しばらく行くと藪が途切れ、わずかな平地があって、その先は土手になっている。土手は3メートルくらいの高さで、短い草がびっしりと生えている。誰かが手入れしているのかもしれない。
僕は土手を登った。広い河原、大小の石が敷き詰められたような河原が広がっていて、ずっと向こうに細い川が流れている。
僕は土手に立ってその風景を見ていた。なんだか、ここに来たことがあるような気がする。「賽の河原」?
右手の方の河原、かなり遠いところで動くものがある。ゆっくり動いている。前屈みの人間のようだ。
僕は土手を降り、その動いている人間の方に行ってみることにした。
その人間は前屈みになってのろのろと動きながら、石を物色しているようだった。両手を伸ばして石を拾い上げ、腰を伸ばして目の高さまで掲げる。手のひらで擦ったり、指先でなぞったりしている。
僕はゆっくり近づいていった。
それは貧相な痩せた爺さんだった。水色のポロシャツ、カーキ色のコッパン、白のスニーカー。頭はすっかり禿げ上がっている。剃っているのかな。顔が黄色っぽい。肝臓が悪い人がこんな顔色だった気がする。
爺さんは手にしていた石を河原に置いた。気に入らなかったらしい。のろのろと足下を見渡している。
僕は声をかけてみることにした。
「何をしているんですか」
爺さんはひどく驚いたようだった。
「あんたは誰だい」小さく細い、そして高い声だ。
「たまたま通りかかっただけなんですけどね。何をしているんですか」
爺さんは僕の顔をじっと見た。細い小さな目だ。目の色は弱々しい。鼻は細くて高い方だ。唇は薄くて紫色。どう見ても病気だ。
「見てみるか」爺さんはそういうとのろのろ土手に向かって歩き始めた。僕も後ろからついていった。
土手の中程で、爺さんは荒い息で肩を揺らして立ち止まった。どう見ても尋常じゃない。
「大丈夫?背中押そうか?」僕は言った。
「すまない。押してくれるかい」爺さんは荒い息の中、とぎれとぎれに言った。
爺さんの背中に手を当てて驚いた。背骨とあばら骨に直に触っているようだった。肉がない。
あえぐ爺さんの背中を押して、ようやく土手の上に着いた。
「見てみろ」爺さんが指差した。土手下の平地に石が並べられている。円を描くように。まだ完全な円にはなっていなくて、四分の三くらいが並べられている。
「何ですか?あれ」僕は尋ねた。
「円じゃ」爺さんは小さいけど誇らしげな声で言った。
「円?」僕は聞き返した。
「そうじゃ、円だ」爺さんは繰り返した。
「何で石並べて円を作ってるの?」僕は聞いた。
爺さんは驚いたような、呆れたような目で僕を見た。憐れみを含んだような声で言った。
「円の意味がわからないのか」
意味?地べたに河原の石を並べる意味?人間訳の分からないことに夢中になるものだけど、意味?
「意味なんてあるの?」
爺さんは心底驚いたようだった。爺さんにとってはあまりにも想定外、突拍子もない問いかけだったのだろう。
「円だぞ。円なんだぞ。円なんだぞ」
爺さんは僕の目を見据えている。
「だから、石を並べて円を作りかけているのは分かるよ。だけど、何で石を並べて円を作るのさ。その意味が分からないんだよ」
爺さんは愕然としたようだった。一層蔑みを深めた目で僕を見た。そして、諭すように静かに話し始めた。
「円というのはな、始めもなく終りもない。無限なのだ。この宇宙の現れなのだ。昔の高僧はその姿を
どうだ分かったかという目で僕を見た。
「石を並べて円を作ると悟れるの?」僕は聞いた。
「だから、そう言ったじゃろう」爺さんはちょっと苛ついて言った。
「なら棒で土に円を書きゃいいじゃん」
「あのな、そんな楽しては悟れん。毎日毎日石を吟味し、河原からここまで運ぶということが尊いのじゃ」
僕もイライラしてきた。
「そんなに時間と手間をかければ円月相とかになれるの。円月相って何さ」
爺さんは、うっと詰まった。口をもぐもぐさせている。
「円月相ってなに?変身するの?」僕は重ねて聞いた。
「変身ではない。つまりだな、その、な、な、完全な姿じゃ」
「完全な姿って何さ。お爺さんの今の姿だって別に問題はないんじゃない?」
「いや、だ、だから悟りを開いた姿なのだ」
「悟りって開くと姿が変わっちゃうの?おたまじゃくしが蛙になるように?」
爺さんは口をつぐんでしまった。唇はもごもご動いている。
僕は重ねて聞いた。
「悟りってなにさ?」
爺さんの目から涙がこぼれ始めた。
「わしは苦しい。体がひどくだるい。食欲はない。突然ひどい腹痛が起こる。息がきれる」
「それは病気じゃないの?」
爺さんの目に怯えが浮かんだ気がした。涙はもう止めどなく流れている。
「死にたくない」
「お医者さんに診てもらえばいいじゃない」
「助からんと言われた」
爺さんはしゃがみこんだ。
「だから、だから、石を運んで並べて円を作っているんだ」
何だか爺さんが可哀そうになってきた。
「石を円に並べると病気が治ると誰かに言われたの?」
爺さんはびくんとした。しゃがみこんだまま体が固まった。
「どうしたの?」
爺さんは答えない。
二人ともしばらく口をつぐんでいた。
「じゃ、僕は行くよ。お大事にね」
僕は爺さんに背を向けて歩き始めた。
「待ってくれ」呻くような爺さんがの声がした。僕は振り返った。爺さんはよろよろと立ちあがった。
「石を並べろと言ったのは」爺さんは喘ぎながら話し始めた。
「そ、それは」その瞬間、爺さんは大きくむせた。口から血が溢れた。
僕は駆け寄ったが、その前に爺さんは仰向けに倒れた。口から血が吹き上がった。
「おい、しっかりしろ!」僕は爺さんを抱き起した。
爺さんの顔は土気色で、激しく喘いでいる。
「ま・・・・お・・」そう言って爺さんは僕の腕をぎゅっと掴んだ。びっくりするくらいの力だった。
「まお?」僕は聞き返した。
爺さんは必死に次の言葉を出そうとするが、口が震えるだけで声が出ない。そして、うーっと呻いて体を硬直させ、げぼっと大量の血を吐いた。
僕は爺さんを地面に横たえた。息は止まっていた。まおって何だろう?爺さんを見下ろしながらぼんやり考えていた。
すると、小石が飛んできて爺さんに当たった。僕は石が飛んできたと思われる方を見た。ちらり、と男の子の頭が見え、藪が動いた。
僕は爺さんに軽く手を合わせて、男の子を追うために歩き始めた。
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