第24話 蛙は船に乗る

 薄暗い藪の中の細い道を歩く。どうも山を下っているようだ。藪は腰くらいまでだけど水を含んでいる。高く太い木の間を細い道が続く。誰が、何が、通るのだろう。

 何だか少し頭がはっきりしてきた。立ち込めていた霞も薄らいできたような気がする。

 次第に辺りが明るくなってきた。

 そして、ぽっかりと視野が開けた。

 そこは平らな土地。草が生い茂る。どうも荒れ果てた田んぼのような気がする。

 というのは、蛙の鳴き声が途切れることなく、あちこちから聞こえるのだ。

 しばらく眺めていて、僕は驚いた。おそらく荒れる前は畦道だったと思われるところ、今は雑草が大人の腰の高さまで生い茂っているのだけれど、そこに人がいるのだ。最初に見えたのは髭を生やした老人だった。それを皮切りに、あちらにもこちらにも子どもも大人も老人も男も女も見えてきた。たくさんいる。

 みんな蛙のように這いつくばってけろけろ、げろげろ鳴いている。みんなこちらの方、山の方を向いている。そして休む暇なく鳴いている。

 蛙?人間?の鳴き声以外僕の耳には入ってこない。

 何故鳴いている?何故動かず一心に鳴いている?

 僕は立ち尽くす。

 幽かに地面が揺れているように思った。いや、確かに揺れている。地鳴りも幽かに聞こえる。

 あっと思った。地平に黒いものが見える。近づいてくる。どんどん近づいてくる。それは船だった。まだ遠いけど、次第にその姿が見えてきた。木造のようだ。大きな渡し船みたいだけど、大きな帆を張っている。地面を揺らしながら近づいてくる。地鳴りと揺れは大きくなる。土を掘り起こし、掻き分け、草をなぎ倒す。けれど人間たちは変わることなく鳴き続けている。

 船はとうとう僕の近くまで来た。僕の右手方向、ちょっと離れたところで停まった。大きな船だ。長さは20メートル、高さは3メートルくらいあるように見える。

 すると、鳴き声がぴたりとやんで、人間たちが一斉に立ち上がった。ぞろぞろと船に向かって歩き出した。僕に見えていたよりずっとたくさんいる。驚いた。

 船の中程からばらりと縄ばしごがおろされた。船には誰か乗っているようだ。

 蛙のように鳴いていた人間たちは、黙って一列に並び、縄ばしごを登って船に乗り込んでいく。一言も発しない。今まであれだけ鳴いていたのに。

 最後の一人、婆さんが縄ばしごを登り始めた。ゆっくりゆっくり。なんとか船端に近づくと二人の男が婆さんの腕をとって引っ張り上げた。

 船が細かく左右に揺れ始めた。揺れは次第に大きくなり、地面が軋む音が次第に大きくなる。と、船が動き出した。舳先は僕が降りてきた山を向いている。山に向かい、土を掘り起こし、掻き分け、草をなぎ倒し、少しずつ速度を上げて、地鳴りをさせ、地面を揺らして、山に向かっていく。

 山の麓まで進んだ。そして船は止まることなく山を登り始めた。さすがに速度は下がったが、それでも登っていく。地鳴りと船のきしむ音が大きくなる。

 気付くと霞はすっかり消えて山の頂上もくっきり見える。そして、山の頂上に赤い服を着た爺さんが立っているのが小さく見えた。

 船は軋み、震えながら山を登る。帆はあるけど風を受けて進んでいるようには見えない。とにかく船は山を登る。

 山の中腹辺りまで登っている。そのあたりで舳先が浮き始めたように見えた。船は登り続ける。

 はっきりと舳先が浮いているのがわかってきた。でも船は登る。危ない。僕は思う。

 船は山の三分の二くらいまで登った。もうその頃には船はのけ反るような感じになり、船の中程までが地面を離れている。やめろ、やめろ。僕は心の中で叫ぶ。赤い服の爺さんは両手を上げているようだ。馬鹿な爺だ、僕は罵る。

 船はゆっくりゆっくりのけ反る度合いが強くなる。

 ああもうだめだ、僕は胸が苦しくなる。

 のけ反った船は一瞬止まった。そして。

 仰向けに船底を空に向け、最初ゆっくり、そして、速度を増してで真後ろに倒れこんだ。山の頂の赤い服の爺さんが転げ落ちるのがちらと見えた。

 船は反動でさらに1回転、もう1回転。山の麓に叩きつけられ、船は平たくひしゃげた。

 音と砂埃がすごい勢いで僕に向かってきた。僕はしゃがみこみ、頭を抱えて丸くなった。

 静かになった。僕は立ち上がった。船の破片の木材が四散していた。そして乗っていた人たちも広範囲に散らばっていた。手足や首のないのもある。僕のすぐ近くにもうつ伏せになった婆さんが倒れている。ぴくりともしない。

 静寂。

 でも、僕の耳の中では蛙が鳴いている。幸せそうに鳴いている。 

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