第9話 過去八

 ボーン……ボーン……


 鳴らされる音が反響する。最前では僧侶が誦経し、続いて後ろには数珠を掛け合掌する黒服の参列。花祭壇の中央に飾られている写真には、爽やかな笑顔の英二が写っていた。


『小田切さん家の息子さん、お婆さんを助けたんですって』


『まあ、それじゃ代わりに? 正義感の強い子だったのねぇ……』


 事情を知らないおばさん達が、ひそひそと話している。


 俺は現場にいたから知っている。歩道に投げ出されたように倒れているお婆さん。轢いたと思われる車は路肩に止まってドライバーが出てきていた。大勢の人だかりの中心には……全身血だらけの……英二。


『陵君……』


『あ……英二のお父さん』


 英二のお父さんの傍らには泣いている英二のお母さんがいた。一人息子が死んだんだ。涙を流すことは当前だ。


『英二と……いつも遊んでくれて、ありがとう』


『こちらこそ、英二といつも、楽しく過ごさせて頂きました。本当に……残念です』


『……英二に何か……言葉を掛けてやってくれないかな……』


 線香や花、思い出のサッカーボールなどが置いてあるその奥に棺が置いてある。


 俺は頷いて、静かに棺の前に行った。顔の部分だけ小さな扉が付いている。そっと開けば、記憶にある元気な顔は無く、白くて、血色の悪い、冷たい顔しかない英二がいた。


『英二……お前、そんなに顔白かったか? いつも男くさい顔してるクセに……白くて、……あんまり綺麗になってるなよ……』


 ただただ落胆する。胸の中はすっかり空で、頭の中はお前のことばかり。出てくるのは思い出と、これからの幻想の未来。


『教え方が上手いって……言ってたな。俺は、お前だって上手いって思っていた。サッカー……俺は全然出来なかったのに、お前に教えてもらって少しは出来るようになった。またサッカー教えてくれよ。それから、俺が甘い物好きだって分かったら、男二人で喫茶店に入ってパフェを頼んだ。美味かったけど凄く恥ずかしかった。お前とならまた行ってもいいなって思ってる』


 ポロポロと言葉と涙が流れていく。水のように止めどなく溢れてきて、そんなものを塞き止める術は今の俺には無かった。


『受験……、お前がいつの間にか同じ所を受けているなんて知らなくて、知らずに暢気に遊んでた阿呆な奴だと思っていたこともあった。……そんなこと八つ当たりで……俺は、寂しかった。お前と勉強したいのに、お前ともっといたいのにって……、そう……思っていた。お前といると……楽しいんだ。お前と会ってから楽しくなった。これからも同じ大学で一緒に過ごせるって期待して……ワクワクするって、お前言ってただろ?俺だってそうだったんだ……なのにっ、お前は……ッ!』


 悔しい。悔しい。悔しい。


 この気持ちを何にぶつけたら解消されるのか見当がつかない。


 俺を見かねてか、英二のお父さんに『ありがとう』と肩を叩かれ止められた。 目元の皺を深く刻み、滲んだ瞳を伏せて柔らかく笑う。その顔は確かに英二の影を思わせた。


 葬儀が終わり、俺は家に直帰して布団に倒れこんだ。


 何をすればいいのだろうか。これからどうすればいいのだろう。英二との関係が続くことを諦めていた筈なのに、まだ続くのだと希望が見えて、そして、その希望はもう閉ざされてしまった。


 もう、この世にお前はいない。唯一の友達……親友。

 英二…………


『英二……英二ッ……』


 空の筈の胸が苦しくなる。どうにでもなれと、そう思っても、何も出来ない。これから何をしようかなんて考えがまとまらない。俺はこの現実から逃避したくて、力の入らないげんなりとした体を休めることにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る