第四十一幕 立ち向かう者達(6)

 ゴットフリートは自分の腕を掴む何者かの手を振り払った。

 しかし、その人物の正体を知って目を丸くする。


「お前は、サルカス! ……クロエもか!?」

「老体に鞭打って無茶するもんじゃないっすよ」

「年寄りが死に急ぐ国は長続きしないって、昔の偉人も言ってるだろう」


 もっともこの場に相応しくない人間――冒険家。

 その急先鋒とも言うべき二人に助けられたことに、彼は驚きを隠せない。


「俺達、あのバケモンに借りがありましてね」

「あたし達のやり方で、その借りを返してやるのさ。

 これからいろいろ無茶やるけど、目をつぶっててもらうよ!」


 そう言うなり、二人は広場へ飛び出していった。


「待て! お前達、何をするつもりだ!?」

「あんたは部下を指揮して、弾をつめ直して待機してな!」


 それは、クロエから憲兵への共同戦線の提案と汲み取れた。

 ゴットフリートは歯噛みするが、もはや手段など選んでいる場合ではない。

 彼は返答する時間も惜しんで、即座に生きている部下を探しに走った。


「野郎ども、煙が晴れるまでが勝負だ!

 しくじるなよ!!」


 クロエの号令がかかると、煙幕に覆われた広場のあちこちから「おうっ」という男達の声が聞こえる。

 その声が、周囲をうかがうバイコーンの警戒心をさらに引き上げた。

 複数の人間が、自分の周りで、何かを仕掛けている――

 賢しい獣はすぐさま状況を理解したが、視覚を封じられた状態で早急に動くようなことはしなかった。


「うかつに動かず、まずは見(けん)か。慎重だな――」


 煙の中、聞き覚えのある声を耳にしたバイコーンは、声の方へと首を傾けた。


「――でも、人間を舐めすぎだよ」


 突如、バイコーンの首にロープが絡みついた。

 煙幕に潜んだ何者かが、先端に分銅を結び付けたロープを投げ、その重みを利用して首回りへと巻きつけたのだ。

 それも一本で終わらず、二本、三本と次々と首へロープが巻き付けられていき、さらには前足や後ろ足も同様だった。


「!!」


 バイコーンは体にまとわりつくロープを振り払おうと試みるが、外れない。

 そうしている間にも、広場から煙は晴れていった。

 そして、バイコーンの視界の中にはサルカスの姿が映った。


「副都(ここ)は外と違って、俺達のホームだ。

 地の利を活かした戦いなら負けねぇ!」


 サルカスは言いながら、バイコーンの顔に小石を投げつけた。

 それを挑発と受け取った黒き獣は烈火のごとく怒り、目の前の小男へとすぐさま襲い掛からんと足を踏み出した。

 が、その足は後ろからロープに引っ張られて動かすことができない。

 まさか人間の力で――?

 否、背後へと振り返ると、バイコーンは自分の首や足に巻き付けられたロープがどこへ繋がっているのかを目にした。

 それらのロープは、建物の柱やモニュメントの土台など、頑強な建造物へと固く結び付けられていたのだ。

 まさにそれは、バイコーンの行動範囲を制限する"ロープの結界"だった。


「グルアアアァァッ!」


 バイコーンはロープを引き千切ろうと、首や足を激しく振り回したが、獣の目論見通りに事は運ばなかった。

 ロープはすべて鋼鉄製で、バイコーンの膂力を持ってしても容易く千切れる代物ではない。それを見越してのチョイスなのだ。


「お前、意外と頭に血が上りやすいタチなんだな――」


 まんまと罠に掛けられたことに苛立ちを隠せないバイコーンは、ますますいきり立っていた。

 血管が浮き出るほどに全身を力ませてサルカスへと迫るものの、ピンと張ったロープが肉に食い込むだけで彼との距離は縮まらない。


「――そういうのはよぅ、付け入りやすいぜ」


 サルカスは、バイコーンの生臭い鼻息を避けるように後ろへ飛び退いた。

 なおもサルカスに追いすがろうと牙を剥くバイコーンだったが、直後に砲弾を横顔へと浴びた。


「ググッ……ガハッ」


 転倒こそしなかったが、砲弾が直撃したバイコーンの顔は、鼻がもげ、前歯が粉々に砕け散り、顎もろとも舌が千切れかけた無残な状態へとなり果てていた。


「おい、勝手に点火するな! 危ないだろうがっ」

「ナイスショット!

 さぁ憲兵君、さっさと次弾を装填しなっ!!」


 クロエが砲手を務める憲兵に怒鳴りつけると、彼は渋々砲弾の装填作業に入る。


「砲身が無事な大砲は、それを含めて三両だけだ!

 まともに動ける砲手も二名を残すのみ! 狙われれば反撃も危ういぞ!?」


 別の大砲車両で砲弾を詰めながら、ゴットフリートが叫んだ。


「そうはならないさ。

 やつの注意を引きつける最高の餌があるからね!」


 クロエはハルバードを背負い、あえてバイコーンの視界の中へと身を晒した。

 そしてそれは、獣の身動きが制限されないロープの結界の"内側"だった。


「また会ったね。

 いつになったら、あたしを殺してくれるのさ!?」


 クロエはチョイチョイと指を動かして、バイコーンを挑発する。

 かかってこい、すでに戦いは始まっているぞ、の合図だ。


「グルルルル……!!」


 バイコーンは目の前の女を目にするや、怒り心頭に発した。

 丘陵、村、そして都と、行く先々で現れるクロエに対して、バイコーンは耐え難いストレスを蓄積していたのだ。

 ましてや、自分の背中にまたがった人間……殺す以外の選択肢はない。

 顔面がいまだ再生途中ということも忘れて、激情に駆られた黒き獣はクロエに向かって床を蹴った。


「うわっ!」


 間一髪、バイコーンが突き出してきた二本角を転がり避けると、クロエは身をひるがえして建物の並びへ向かってわき目もふらずに走り出した。

 剣のような二本角を振り回しながら、バイコーンはその背中を追う。


「捕まるかぁっ!」


 角の切っ先が届く寸前、クロエは建物と建物の隙間へと滑り込んだ。

 若干遅れて、バイコーンがその隙間へと首を突っ込む。

 が、横幅が狭いせいで、太い首の筋肉が両脇の壁にぶつかってしまい、クロエのもとまで首を押し込むことができなかった。


「滑稽だね、その姿。

 でも、あんたにはもっと恥を晒してもらうよ!」


 クロエは路地の奥から助走をつけて飛び上がり、遠心力で勢いづけたハルバードをバイコーンの鼻先めがけて振り下ろした。

 傷が治りきっていない鼻先への攻撃は、再生しつつある獣の硬い皮膚の隙間を縫って、筋繊維をズタズタに引き裂いた。


「グギャアアアアッ!!」


 うめき声でも、咆哮でもない。

 バイコーンの口から、明確な悲鳴とわかる声が初めて響き渡った。


「やっぱり……!

 傷さえ負わせれば、その上から攻撃が通る!」


 クロエは、バイコーンが持つ再生能力の唯一の弱点を看破した。

 頑強、かつ分厚い皮膚さえブチ破れば、その下の筋繊維はウーツタイト製の武器でも傷つけることができるのだ。

 バイコーンは血まみれの顔に怒気を剥き出しにし、筋肉の引っかかる両脇の壁へと首を激しくこすりつけながら、無理やり路地へと押し入っていく。


「あたしばっかりに気を取られてていいのかい?」


 黒き獣の双眸を見据えながら、不敵な笑みをたたえるクロエ。

 その直後、バイコーンの隙だらけの背中へと砲弾が一発、二発と浴びせられた。

 立て続けに背中へと直撃した砲弾は、体表を陥没させ、筋繊維を露わにするには十分な威力だった。


「グウウウアアアァッ」


 バイコーンは痛みにもがき、たまらず首を建物の隙間から引っ張り出した。

 とっさに壁際から離れようとするも、石畳の上を足が滑って横転してしまう。


「ガハッ!?」


 地面には、バイコーンの気づかぬ間に大量の油が巻かれていたのだ。

 自分のそばで油を足している冒険家達に気づき、バイコーンは身を起こそうとするが、ひづめが滑って立ち上がることができない。

 一方、ドバドバと袋から油を注いでいた冒険家達は、獣の意識が自分達に向いたことを知るやいなや、蜘蛛の子を散らすように逃げ出していった。


「頭に血が上ると、周りが見えなくなるだろ?」


 結界の内側へと入ってきたサルカスが、油の上を這うバイコーンへ向けて言った。

 その手には火打石が握られていたが、獣はそれが何か知る由もない。

 バイコーンが身を起こすよりも早く、サルカスは火打石を油の上へと力いっぱい投げつけた。

 火打石が石畳にこすれて火花が散り、獣の体を一瞬にして炎が包んだ。


「グウウオオオオッ!!」


 全身を火にあぶられ、たてがみや尻尾が熱に耐えられず焼け落ちていく。

 再生が終わっていない顔や背中の傷口は熱を防ぐことができず、内側の筋繊維を直接焼かれて、肉が焼ける臭いを漂わせた。

 が、炎に包まれても化け物は化け物――


「ググッ……ガアアァァァッ!!」


 バイコーンは地べたを転げまわりながら火の海から脱出し、膝を折りながらも足腰を這わせて腹ばいのままサルカスへと襲い掛かった。

 驚いて反射的にのけぞったことが幸いし、突き出された角はサルカスの鼻先をかすめただけで済んだが、間髪入れずにバイコーンは彼へと詰め寄っていく。

 サルカスはあわやと言うところで建物の間の路地へと飛び込んだ。


「……!!」


 サルカスが路地へと身を隠すと、バイコーンは彼を追う足を止めた。

 クロエを追いかけてしっぺ返しを受けたことを思い返して、路地の隙間へと首を突っ込むことがはばかられたのだ。


「憲兵、やつの鼻先か背中の傷を狙え!

 再生中の傷口は脆い!!」


 隣の路地から顔を出したクロエが、大声で憲兵達に呼びかける。

 即座にゴットフリートが狙いを指差し、憲兵へと発射の指示を送る。


「狙えるか!?」

「当てます!! 何年、あなたの下にいると思ってるんです!」


 憲兵は砲身を微妙に傾け、火門へと針を差し込んで点火した。

 轟音を轟かせながら砲弾が飛び、地団駄を踏んでいたバイコーンの鼻先へとピンポイントで命中する。


「グブァッ!!」


 バイコーンの鼻や顎は今度こそ粉々に粉砕され、黒い血が噴き出した。

 よろめきながらも、獣は地面へと倒れずに踏みとどまった。

 そこへさらにもう一発、ゴットフリート自らが操作する大砲の弾が、獣の背中へと直撃した。


「ガッ……グアァァッ!!」


 背中にめり込んだ砲弾は肉を深々とえぐり取った。

 砲弾が地面に落ちると、獣の背中にはクレバスのように大きく開いた肉の裂け目が表れ、内側から白い骨が剥き出しになった。


「よし、動きが鈍い!

 畳みかけるぞ、三射目撃てーっ!」

「くたばれ、化け物ぉーっ!!」


 砲手の怒りの咆哮と共に三両目の大砲も火を噴き、わずかに露出した白い骨へと砲弾が突き刺さった。

 芯へと響く攻撃を受けて、さしものバイコーンも横転し、もがき苦しむ。


「今だっ!」


 それから間を置かずに、大柄な冒険家達が長槍を持ってジタバタ暴れているバイコーンを取り囲んだ。

 彼らの持つ長槍の刃は火であぶってあり、獣が剥き出しにしている三箇所の傷口へと突き刺した。

 再生する時間は決して与えない。


「グギャアアアッ!!」


 鼓膜が破れんばかりの悲鳴をあげるバイコーン。

 顔面にひとつ、背中にふたつ、三人の冒険家がそれぞれ槍を突き刺しているが、獣のあまりにもひどい暴れように、傷口へ槍を突き立ててふんばるのも一苦労だった。


「くそっ、このままじゃヤバイ!

 今すぐ腹に矢をぶち込んでくれぇっ!!」


 一人が叫ぶと、待機していた弓持ちの冒険家達が一斉にバイコーンの腹めがけて矢を射た。

 それはただの矢ではなく、矢じりに火薬の詰まった袋と火打石を巻き付けてあり、獣の硬い腹に当たった瞬間に小さな爆発が起きるように細工されていた。

 何本もの爆裂矢を受け続けたバイコーンの腹は、小さいながら皮膚を破って血が噴き出していた。

 くぐもったうめき声をあげた後、バイコーンはぐったりと大人しくなった。


「ははっ! これでてめぇもお終いだぁっ!」


 勝利を確信した冒険家は、顔の傷に突き刺さっている槍をさらに強く押し込んだ。

 が、バイコーンが首を傾けたことで槍の刃はバキンと折れてしまう。

 そして、押さえがなくなった獣の首は――


「……はれ?」


 一瞬、キラリと剣閃が空を走った。

 冒険家は腰から上をバッサリと切り裂かれ、立ち尽くす下半身から、分断された上半身が地面へと滑り落ちる。


「うおおおっ!」

「くそっ、やりやがったなこの化け物!」


 仲間が殺されたことで二人の冒険家は激昂した。

 二人揃って、背中の傷口へと槍を押し込もうとするも――


「あがっ!?」


 一人は、いつの間にか再生していた尻尾に絞め上げられ、首の骨をへし折られた。

 尻尾はその首から離れるとすぐに、彼の握っていた槍を奪い取り、隣に居たもう一人の冒険家の喉を一突きにした。


「嘘だろ、なんだよこいつ!?」

「う、うわああぁぁぁーーっ!」


 仲間三人をいともたやすく殺害したバイコーンを見て、弓持ちの冒険家達はすくみあがって遁走してしまう。


「転んでもただじゃ起きないってか……。

 人殺しの才能があり過ぎて、反吐が出るわ!」


 一部始終を路地から視ていたクロエは、獣の殺傷本能に呆れ果てていた。

 彼女が路地から顔を出したことを察すると、バイコーンは尻尾に持たせていた槍をクロエに向かって放り投げた。

 自分の顔めがけて飛んできた槍をギリギリのところで躱したものの、クロエはとっさの回避のために広場へと転がるはめになった。


「しまっ――」


 急いで身を起こそうとするも、不意に頭部へと石つぶてを受け、クロエはその場に突っ伏してしまう。

 バイコーンが転がっていた小石をひづめで弾き飛ばし、彼女に直撃させたのだ。

 クロエは完全に意識を失い、ピクリとも動かない。

 そんなクロエを視界に収めたまま、バイコーンは悠々と立ち上がった。


「姉御ーっ!!」


 考えるよりも速く、体が動いた。

 サルカスは双剣を抜き放ち、跳ねるようにして路地から飛び出した。

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