第三十五幕 怒闘(7)

 バイコーンは、倒れてピクリとも動かない村民の体を足蹴にしていた。

 石ころを転がすように、無感情な顔で、足元の死体をゴロリと仰向けに転がす。

 その死体は、首から上が千切れ飛んでいた。


「グルルルル……」


 怒りが収まらない様子で、バイコーンは周囲を見回した。

 バイコーンが走り回ったことで、民家はその多くが炎に包まれ、黒い煙がそこら中から天へと立ち上っている。

 村の外へ逃げ出そうとしていた者が優先的に狙われていたため、生きて村の外に出た者はいまだいなかった。

 生き残った村民は、震えながら建物の陰に隠れているのだ。


「二棟ある倉のうち、一棟は壁が破壊されている。

 けれど、まだ一棟が無事――」


 ポーリーンは水車の陰に隠れながら、バイコーンの様子をうかがっていた。


「――バイコーンを、なんとか倉の中に閉じ込めることができれば……!」


 バイコーンは生け垣の手前から動こうとしない。

 逃げようとして姿を現す標的を待って、静かに周囲の気配を探っている。


「やっぱり知恵が回る。

 気配を殺して、隠れている人達の油断を誘う気なんだ」


 彼女は物陰に隠れている村民がこのまま大人しくしていることを祈りつつ、これから広場に躍り出る人物の身を案じていた。

 倉の入り口は中央広場に面している。作戦を実行しようにも、まずはバイコーンを広場まで誘導しないと話にもならない。


「クロエさん。

 無茶なことを頼んでいるけど、無茶はしないで……!」


 ポーリーンがつぶやくのと同時に、バイコーンの頭に石つぶてが当たった。

 石が地面に落ちるよりも早く、黒き獣は石を投げた人物を見つけ出した。

 その双眸には、ハルバードを持つ女の姿が映る。


「よう。あんたが一番殺したいのは、あたし達じゃないのかい?」


 クロエはハルバードを抱えながら、バイコーンを指差して挑発する。

 それを受けて、獣は表情に怒気を剥き出しにし、ゆっくりとクロエとの距離を詰めていく。


「あたしを喰い殺したけりゃ、かかっておいで!」


 クロエがハルバードを大きく振りかぶる。

 バイコーンが地面を蹴って駆け出すのは、それとほぼ同時だった。


「グルオオオオッッッ!!」


 咆哮をあげながら、バイコーンがクロエに突撃する。

 彼女が振り下ろしたハルバードの刃はバイコーンの顔面へと直撃するが、その肉を裂くには至らず、顔の側面をずり落ちて地面へと突き刺さった。

 刃と交差するようにバイコーンの牙がクロエの体に迫ったが、間一髪、彼女は身を屈めることで辛うじてその脅威を避けることができた。


「ぐっ!?」


 が、すれ違い様に、クロエは首をバイコーンの尻尾に絡めとられた。

 凄まじい力で首を締め上げられ、一瞬、意識が飛びかける。


「やばっ……いっ」


 クロエの顔が青ざめかけた時――

 ズバッと、目の前で尻尾が切り裂かれた。

 とっさにポーリーンが射た矢が、クロエの首を絞めた尻尾を切断したのだ。


「さすが、レンジャー期待の新星っ!」


 クロエは首に巻かれた尻尾を振り解くと、バイコーンの顔が自分に向く前にハルバードを振りかぶった。


「グルオオオォッ!」


 バイコーンの怒気混じりの声が響いた瞬間、クロエはハルバードを回転させて地面を薙ぎ払った。

 空中に舞い上がった土埃は、バイコーンの視界に入ったクロエの姿をたちにどころに覆い隠す。


「!!」


 土埃が消えると、そこにはもうクロエの姿はなかった。

 バイコーンが首を回してその行方を追おうとした時、ガタンッという音と共に、近くにある倉の扉が開いた。

 怒りに駆られたバイコーンは、風を切るように駆け出し、倉の中へと押し入った。


「いらっしゃい!」


 倉の中でバイコーンを待っていたのは、高く積み上げられた麦袋の上に乗って、バサバサと小麦粉の入った袋を振り回しているサルカスだった。


「ごほっ、ごほっ、これで準備は完了だ」


 倉の中には小麦粉の粉塵が飛散していた。

 サルカスは空になった袋をバイコーンの顔めがけて放り投げる。


「姉御!」


 サルカスが叫ぶやいなや、倉の扉が閉まった。

 外で身を隠していたクロエが、とっさに扉を閉めたのだ。


「ポーリーン、今だーーっ!!」


 クロエの合図を聞いて、ポーリーンは弓につがえていた矢を射た。

 その矢じりには炎が灯されており、クロエの頭上を通り過ぎ、扉の隙間を縫って倉の中へと潜り込む。

 倉の隙間から洩れる赤い光を目にして、ポーリーンは作戦の成功を確信した。


「炎の裁きを受けなさい、バイコーン」


 ドオオォォォォン!!!!


 それは凄まじい轟音と共に起こった大爆発だった。

 倉の屋根は爆風で吹っ飛び、四方の壁もバラバラになって弾け飛んだ。

 扉に背を当てていたクロエは、広場の地面を何メートルにも渡って転がり、彼女が吹っ飛ぶよりもわずかに早く倉の窓から脱出を図ったサルカスは、背を丸めたまま爆風で押し出されるかのようにして飛び出てきた。


「や、やった……!」


 ポーリーンは緊張の糸が途切れ、力が抜けてその場に座り込んでしまった。

 倉のあった場所には建物の残骸が丸焦げになった状態で散らばり、そこからは赤い炎が吹き上げ、黒煙が天へと立ち上っている。

 クロエもサルカスも尻もちをついたまま、ポーリーンと同じように黒煙を見上げて唖然としている。


「こりゃあ……すげぇや」


 サルカスは起き上がった後、燃え上がる残骸の周囲を回ってクロエと合流した。

 一方のクロエは、サルカスの肩を借りてようやく立ち上がれる状態だった。


「これが粉塵爆発かよ……。

 大砲並みの威力……いや、それ以上かも」

「いくら打撃や斬撃に強かろうと、数百度の熱で焼かれればあのバケモンも――」


 サルカスが期待を込めて言ったそばから、焼け焦げた残骸が不穏な動きを見せる。

 残骸をかき分けて出てきたのは、二本角が突き出した黒い首だった。


「くっそ……!」

「……嘘だろう。

 どうすれば殺せるんだ、このバケモン!」


 クロエとサルカスは揃って苦い顔を見せながら、残骸の中から姿を現した黒き獣を見上げた。

 ところどころ肉は弾け飛び、分厚い筋肉の下から白い骨が露出している。

 焼け爛れた皮膚は崩れ、黒い血が体表を伝って流れ落ちている。

 が、その傷も少しずつ元通りに修復していくのが、目に見えてわかった。


「こいつの再生力は、生物の常識を超えてるよ。

 こんなやつ、殺す方法なんてあるのか……」


 クロエは歯ぎしりしながら、再生していくバイコーンを睨みつける。

 サルカスも同じ気持ちだった。


「二人とも、すぐに隠れて!

 もうこの場でバイコーンを倒す手段はありません!」


 遠くから聞こえてくるポーリーンの声を聞き、二人は建物の陰へと隠れた。

 幸いなことに、バイコーンは視力を失っているようで、その場を離れる二人に反応する素振りは見せなかった。


「……どうすればいいの」


 両手を握りしめながら、ポーリーンは思案した。

 が、どんな手段を脳裏に思い浮かべても、すぐに不可能であると自ら結論づけてしまう。もはや打つ手がなかった。


「もう、都の機動憲兵隊になんとかしてもらうしか……」


 この場で出来ることはもう何もない。

 自分の役目は終わったと悟るポーリーン――

 しかし、そんな彼女の前に、不安を逆なでするような人物が姿を現した。


「ふははは、化け物馬め!

 わしがとどめを刺してやるわっ!!」


 それは半狂乱で引きつった笑みを浮かべているゴライアスだった。

 その手には小型のクロスボウを握り、なんとバイコーンへと矢先を向けている。


「伯父様!?」


 ポーリーンがその存在に気づいて声をかける間もなく、ゴライアスはクロスボウの矢をバイコーンめがけて狙い撃った。

 矢は首に当たり、当然ながら硬い皮膚に弾かれて刺さることはなかった。

 その衝撃を受けて、視力を取り戻しつつあったバイコーンは自分を狙い撃ったゴライアスの姿を視界に入れた。


「ぐっ……ぐぬぬ、も、もう一撃……!」


 ゴライアスは自分を睨むバイコーンの殺意に気づかず、クロスボウに次の矢をはめ込もうとしていた。

 そんな彼へと向かって、黒き獣が足元の残骸を蹴って動き出す。


「へ……?」


 バイコーンが自分に狙いを定めたことにようやく気がつき、ゴライアスは顔を引きつらせた。


「ふわああっ……。

 く、くく来るなっ……来るな化け物ぉっ!」


 クロスボウを放り出し、バイコーンに背を向けて走り出す。

 その背中を追って地面に足を踏み出すバイコーンだったが、一気に駆け出すことはなかった。


「……!

 まだ十分に動けるほど回復していないんだ」


 ポーリーンはバイコーンの状態を看破するが、炎から離れたバイコーンの再生力は急激に高まり、瞬く間に焼け爛れた皮膚を修復していった。

 その間、ゴライアスは燃える民家の黒煙の中に紛れて姿を消していた。


「グルルルル……」


 全身の傷を修復しながら村を見渡すバイコーンは、村から離れていくある音に気がついた。

 それは、馬のひづめの音だった。


「伯父様、村から出たの!?」


 ポーリーンが耳を澄ませると、ひづめの音は村の入り口にあるアーチを越えた先から聞こえてきていた。

 そして、それはバイコーンもすでに認識していた。


「あ……」


 村のアーチへと向かって、バイコーンが歩を進め始める。

 足元に落ちていたクロスボウを踏み砕き、馬のひづめの音を追って生け垣を突き破ったバイコーンは、一直線にそれを目指して駆け出した。

 地平線の彼方、馬に乗って逃げるゴライアスを目にして、その走り去る方角を察したポーリーンは思わず叫ぶ。


「馬鹿なっ!

 バイコーンを都に連れて行く気っ!?」


 ゴライアスが馬を走らせる先には、都の外縁を覆う外郭壁が見えていた。

 彼の向かう先は、まさしく副都ウエストガルムだった。

 バイコーンが都へ達すればどうなるか。想像することすら躊躇われる事態に、ポーリーンの顔は真っ青になった。


「なんてことに……このままじゃ……」


 その時、もう一頭の馬が村の生け垣を飛び越えて外へ出た。

 辛うじて馬にしがみついているサルカスを乗せ、クロエが馬を走らせている。


「あの馬鹿野郎、バケモンに気づかず都に向かってやがるのか!?

 姉御、急いでっ!」

「わかってるよ、振り落とされるなよ!」


 逃げるゴライアス。

 それを追うバイコーン。

 そして、やや遅れて二人の冒険家が街道を疾走する。


「あの二人、まだ立ち向かう勇気があるの?」


 地平線の彼方へと走り去る二人の姿を見送りながら、ポーリーンは嘆くようにつぶやいた。


「ポーリーン様――」


 バイコーンの脅威が去り、物陰から出てきた警護兵が告げる。


「――ご要望の伝書鳩は先ほど放っております。

 すでに都の憲兵練館にはたどり着いていると思いますが……」

「……そう。ありがとう」


 ポーリーンは報せを聞いて肩を落とした。


「もう私には、彼らと……都の人達の無事を祈ることしかできません」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る