第三十四幕 怒闘(6)
「あれは、何……?」
ポーリーンは、フウィト村の周辺に広がる田畑を、凄まじい速度で突っ切ってくる巨大な影を目にした。
否、それは影ではない――馬。巨大な馬が走ってくる。
「はーっはっはっは!
さぁて、すっきりしたところで都へ戻るとするか」
燃え上がる身届け人の人形に満足して、ゴライアスは馬車へと踵を返した。
「ほれ、ポーリーン。お前は早く後ろに乗りなさい」
呆気に取られた表情で村の外を見るポーリーンを目にして、ゴライアスも釣られて同じ方向へと向き直る。
彼もまた、田畑をこちらへと向かってくる馬に気がついた。
「……? なんだあれは」
ダダン、ダダン、とひづめの音が近づいてくるにつれ、村民達がゴライアスへと向けていた非難の視線は、音のする方へと向けられる。
村へと迫りくる異様な黒馬を目にした村民達に、動揺が走った。
「ひっ!」
「なんだ、あの黒い馬は」
「でかい……馬、なのか!?」
巨大な馬――黒き獣が村を取り囲む生け垣を飛び越え、村の中へと侵入する。
ドォン、という着地音と共に周囲に伝わる衝撃は、炎に包まれてバランスが崩れていた身届け人を煽り、地面へと押し倒した。
飛び散る火の粉を浴びそうになったゴライアスは悲鳴をあげながら、その場に尻もちをついた。
「な、なななな……!?」
あまりの事態に、口がまわらない。
それはゴライアスだけでなく、周囲の村民や、ポーリーンも同じだった。
ブルルルル、と鼻ラッパを鳴らし、村を見渡す黒き獣。
数いる人間達の中から、目と鼻の先に尻もちをついているゴライアスを目に留めると、ゆっくりと彼へ向かって歩き出した。
「ひっ! く、来るなぁっ!!」
すっかり腰を抜かしてしまったゴライアスは、ステッキを拾って石突を地面に叩きつけた。
その音を合図として、彼の後ろにいたライガーが激しく体を揺さぶる。
ジャラジャラとこすれ合う金属音が鳴り響き、体に巻き付けられていた箱馬車と繋がる鎖をすべて振り解くと、即座に主人の隣へと駆け付けた。
「おのれ化け物馬、この無礼者め!
ヴァクン、やつを八つ裂きにしてしまえっ」
ライガーは主人の命令を聞き入れ、黒き獣へと飛び掛かった。
牙は折れても、爪は健在である。その鋭い爪が獣の体を引き裂――
「ブギャッ」
――くことはなく、獣の前足から繰り出された強烈な蹴りを顔面に食らって、間抜けなうめき声をあげた。
その蹴りの威力は凄まじく、ライガーの頭を粉砕し、数百キロはあろう巨体を家屋の壁へと突っ込ませた。
家屋はたちまち崩壊し、中から人の悲鳴が聞こえてくる。
壁に頭を突っ込んだライガーはぴくぴくと痙攣していたが、そのうち微動だにしなくなった。
コロコロと、ゴライアスの足元に小さな丸い物が転がってくる。
それは、ライガーの頭が粉砕した際に飛び散った、目玉の片割れだった。
「あ……あ……」
ゴライアスは人目もはばからず、その場で失禁した。
金縛りにあったかのように動くこともままならず、今もじっと自分を見下ろす黒き獣に、息の仕方も忘れてしまうほどの恐怖を覚えた。
「あ……ひ……ひぃ」
極度の緊張と恐怖から、ゴライアスはぶくぶくと泡を吹き気を失ってしまった。
黒き獣は、大の字になって倒れたゴライアスへ向かって一歩踏み出す。
そこへ突風が吹き、火のついていた身届け人の残骸が獣の足へとぶつかった。
「!!」
火に驚いたのか、獣はとっさにその残骸を蹴り上げた。
空中へ飛び散った破片はさらに風によってさらわれ、火の粉と共に周囲の家屋へとぶつかって木造りの屋根や壁に火を点けていった。
「うわあああああ!」
「火事だ、みみみ水をっ」
「馬鹿野郎、そんなことより逃げろぉーっ!」
黒き獣が村へと現れて十数秒――
何軒もの家屋に火が燃え移り、村民達は恐慌状態となって村内を逃げ惑った。
「グルアアアァァァッ!!」
恐慌する村民達を追い、獣は咆哮をあげながら村の中を駆け回る。
逃げ遅れた者の首を噛み千切り、立ち向かおうとした者達の頭を蹴り砕き、また剣のように研ぎ澄まされた角で胴体を切り裂いた。
それは、地獄絵図だった。
「何……何が起こっているの……!?」
身の危険を感じたポーリーンは、とっさに箱馬車の後ろへと隠れていた。
手あたり次第に近くにいる村民を虐殺していく黒き獣の姿に、ポーリーンは震えが止まらない。
「あれは……あれは、サウスグリフィンで噂になっていた魔物だわ!」
ポーリーンは遠征していた副都サウスグリフィンのレンジャーズ・ユニオンにて、二角獣の魔物が描かれた手配書を見たことを思い出した。
深淵のように暗い瞳で獲物を見据え、黒曜石のように黒く煌めく二本角を持ち、鮮やかな血に似た赤いたてがみをなびかせ、蛇のように妖しく蠢く尻尾を持つ。
数百年の昔より人類を襲い、喰い殺し、帝国の派遣した討伐隊をことごとく全滅に追いやった、もっとも畏怖すべき魔物の一匹。
その名を、バイコーンという――
「正真正銘の化け物……バイコーンが、ウエストガルムの領土へ入り込んでいたなんて!」
ポーリーンは震える体を何度も深呼吸することで無理やり落ち着かせると、すぐそばの物陰で怯えている警護兵の男達へ向かって叫んだ。
「この村の伝書鳩をすぐにウエストガルムへ放って!
バイコーンがフウィト村に現れたと!!」
「ポーリーン様、あの化け物が何なのか知っておられるのですか……?」
「いいから早く伝書鳩を捜して、今、私が言ったことを書簡に添えて!
このままじゃ、取り返しのつかないことになりますよ!?」
ポーリーンの剣幕に気圧され、二人の警護兵が手分けして伝書鳩の入った鳥かごを探すこととなった。
二人を見送ると、ポーリーンは馬車の陰から顔を出して広場の様子をうかがう。
バイコーンは離れた場所で村民を追い回しており、広場にはいくつもの死体と一緒にゴライアスが無傷のまま失神しているのが見えた。
「……悪運の強い人だわ、まったく」
あんな男でも、ポーリーンにとっては親戚の人間だ。見殺しにはできない。
もう一人、その場に残っていた警護兵にゴライアスを物陰に引っ張り込むように命じた。
その一方で、村民達が弓に矢をつがえて身構えているのが視界に入った。
彼らは、村を守る自警団の男達だった。
「射てーっ!」
その号令を合図として、バイコーンの背中に向けて一斉に矢が射られた。
しかし、すべての矢が直撃しているにも関わらず、たったの一本も獣の体に食い込むことはなかった。
バイコーンは足を止め、首を傾けて自警団を見やる。
「無謀な! バイコーンへの攻撃は怒りを煽るだけなのにっ」
ポーリーンがそう漏らした矢先、バイコーンは瞬く間に自警団の男達を見るも無残な肉塊に変えてしまった。
あまりにも残虐な光景にポーリーンは思わず目を背けた。
「ぎゃああっ」
「ぐぶぁーっ」
男達の断末魔と共に、何かが彼女の隠れている箱馬車の車体へと飛んできて、ぶつかった。
音に驚いて目を開くと、それは噛み千切られた男の腕で、その手には弓と矢が握られたままだった。
ポーリーンは、弓を取って戦え――そう言われているような気がした。
「私にできることは……矢を射るだけ」
意を決したポーリーンは、車椅子から立ち上がり、傷の治りきっていない足で弓の元へと歩き出した。
痛みに震える足で何とか弓の元までたどり着き、それを拾い上げる。
その際、男の手はポロリと力なく弓から指を離した。
「生存者の証言によれば、バイコーンの体表は鋼鉄以上の強度だと言う。
ならば、狙うは眼球――上手い角度で当てれば、矢じりは眼球を突き破って脳幹へ届くかもしれない……!」
弓に矢をつがえると、喧騒の中、村を駆け回るバイコーンの姿を捜した。
そして、ポーリーンは生け垣へと追い詰められた村民を蹂躙するバイコーンを見つける。
数秒後には、広場に立つ自分の姿をやつは視認するだろう。
これ以上犠牲を出さないためにも、イチかバチかの賭けに出るしかない。
「神様……どうかご加護を……!」
バイコーンの気を引くために叫ぼうとした瞬間――
生け垣を飛び超えて、広場にクロエとサルカスが現れた。
「!? あなた達は!」
村の惨状を見渡しながら、二人はポーリーンの存在に気がついた。
「あれ? 君は……ポーリーンじゃないか」
「ポーリーン、まさかまた会えるなんて。
しかもこんなところで……!」
クロエとサルカスは、意外すぎる人物との再会に驚きを隠せなかった。
クロエにいたっては、心なしか嬉しそうな顔色すら見せている。
「あなた達は、ユニコーンを追跡しているものとばかり」
「そうだよ。追跡の結果が、あの化け物さ」
「え、どういうことです?」
「……村には、君以外にレンジャーはいないのか?」
「ええ。わけあって今は私しか――」
家屋が崩れる音がポーリーンの言葉を遮る。
音のする方向へと顔を向けた三人は、生け垣の袋小路へ追い詰められた村民を二本の角で貫くバイコーンの姿を目にした。
「あの化け物!」
クロエがハルバードを構えて駆け出そうとすると、ポーリーンが行く手を阻んだ。
「待って! 私にあなた達の力を貸してください。
バイコーンをここで倒さなければ、都にも被害が出るかもしれない」
「バイコーン?」
「あの二本角の獣のことです。
アレは以前からサウスグリフィンで悪名を轟かせている魔物なんです」
「サウスグリフィンて、帝都の南にある副都だろ。
そこの魔物がなんでウエストガルムの領土にいるんだ?
と言うか、そもそもアレはユニコーンじゃないのか?」
「……ちょっと状況を整理させてください」
ポーリーン達三人は箱馬車の裏へと隠れ、情報を共有し合った。
ポーリーンは、突然外からバイコーンが現れたこと。
サルカスは、かいつまんで今日の出来事の説明を。
「……ユニコーンが変異して、あの姿になったのですか。
バイコーンとユニコーンが同一の存在だなんて、信じられない」
「アレが伝説の生物に擬態していたのか、それとも元から同一の存在だったのかは、わからないけどね」
「何にせよ、私達レンジャーは無謀な任務に務めていたことになりますね……」
ポーリーンとサルカスの会話に痺れを切らしたクロエが、ハルバードの刃を地面に突き刺す。
「話はそのくらいでいいだろう!
そろそろ仕掛けないと、村の人間が皆殺しにされちまうよ」
「そ、そうですね!――」
ポーリーンはバイコーンを倒せる可能性がある作戦を二人に説明する。
「――私がバイコーンの眼球を射抜き、脳を破壊します。
あなた達には、そのための囮になってもらいたいのです」
「……あの化け物は不死身だよ。
やつの体は異常な硬さの上、傷つけてもすぐに再生しやがる。
矢なんかで倒せるとは思えないけどね」
「そ、それは私も聞いています。
けれど、それに賭ける以外にやつを倒す方法なんて――」
ドォン、という轟音がまたもポーリーンの言葉を遮る。
それは、バイコーンが倉の壁へと勢いよく人間を叩きつけた音だった。
人だったものの肉片が飛び散り、ガラガラと崩れ落ちる倉の壁。
壁に開いた穴からは、袋に詰められた麦や豆が隙間からパラパラと地面に転がり落ちている。
「! 村の倉には、たしか……」
ポーリーンは、倉を見てはっと閃いたことがあった。
「もしかしたら、あの方法ならばバイコーンを倒せるかも」
「何か閃いたの?」
「はい。今この場では、おそらくこの方法でしかやつは倒せない。
でも、ひとつ間違えれば……」
「どっちにしろ真っ向勝負じゃ打つ手はないんだ。
どんな作戦でも付き合ってあげるよ」
「命がけですよ」
「そのつもりじゃなきゃ、ここには居ないよ」
「わかりました。
では、作戦を説明します――」
クロエもサルカスも、ポーリーンの作戦を聞いて息を呑んだ。
そして、バイコーン討伐の可能性をたしかに感じた。
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