第三十三幕 怒闘(5)

 時はわずかに遡る――


 フウィト村の広場には、絢爛豪華な装飾の箱馬車が止まっていた。

 その馬車を引くのは馬ではなく、虎とも獅子ともつかない巨大な体躯の動物――ライガーだった。

 全身を覆う黄色い剛毛に、凛々しいたてがみを持つ顔、そして獰猛な鳴き声から、村民達は恐れをなして近づこうとする者は一人もいない。

 鼻が曲がり、上下の歯がところどころへし折れている顔にどことなく愛嬌を感じた子ども達が、遠くから面白おかしくせせら笑っているのみである。

 惰眠を貪っているライガーは、そんな声に時折反応して子ども達の方を向き、子ども達はそんなライガーにびっくりして、蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。

 人知れずそんな平和な攻防が続いている中――


「なんだ、メイズはまだ収穫前だと言うのか!」


 停車している箱馬車のすぐ手前の家屋から、ヒステリックに叫ぶ声が聞こえてくる。

 ライガーはその声にピクリと耳を立てるも、すぐに顔を付して惰眠を再開した。


「時を無駄にしたわっ!」


 バン、と乱暴に扉が開かれ、中から出てきたのはステッキを持つ小太りの貴族だった。

 その後を警護の男達が囲むようについてくる。

 続いて外へ飛び出してきたのは、フウィト村の村長だった。

 焦燥した面持ちでひたすら頭を下げ続けるものの、貴族の男は冷ややかな目でそれを見ている。


「申し訳ございません、ゴライアス様!

 収穫祭を直前に控えておりますゆえ、他の穀物とまとめて収穫する予定で……」

「新大陸から持ち帰られた光輝く穀物だと言うから、ぜひ賞味してやろうと足を運んだと言うのに……とんだ無駄足だ!」

「ご足労いただいたにも関わらず、ご期待に沿えず申し訳ございません。

 収穫の折には、ゴライアのお屋敷へ届けさせていただきます」

「ふん!」


 ゴライアスはステッキの石突で数度、地面を叩く。

 その音に反応して、今まで眠りこけていたライガーがすっと立ち上がった。


「ひっ、ひいっ!」


 ライガーのひと睨みを受けて、村長は腰を抜かした。


「よしよし。つまらん時を過ごさせたな、ヴァクン」


 ゴライアスは、自分が見上げるほどにも大きいライガーの頭を撫でる。

 ライガーも、まるで猫のように主人であるゴライアスに顔をこすりつける。


「おい、帰るぞ!

 いつまでもそんな芋臭い部屋に留まっているんじゃない、ポーリーン!」


 ゴライアスの声がした少し後、家屋から車椅子に乗った少女が出てきた。

 少女は非常に整った顔立ちで美しかったが、その美貌を曇らせるほどの暗い表情をしている。


「……村長さん。

 どうか伯父の無礼をお許しください」

「い、いえ……」


 車椅子に乗ったまま頭を下げる少女――ポーリーンの言葉を受けて、飛び起きるようにして立ちあがった村長は、深々と彼女に頭を下げた。


「ポーリーン、はよせい!」

「今、参ります」


 改めて村長に一礼すると、ポーリーンは箱馬車の前へと車椅子を動かした。

 箱馬車の後ろには幌に囲われた荷台が繋がれている。

 それには、車椅子も登れるようにスロープと取っ手が備え付けられ、中には革張りの腰かけ椅子が固定されていた。


「副都に帰るぞ、ポーリーン。

 ……まったく、お前を励ますための旅でもあったものを」

「伯父様。私は別にこんなことを望んでは……」

「何を言う! 可愛い姪っ子が沈んでおるのを黙って見ていられるか!

 お前を殺そうとした賊も、正体がわかれば縛り首にしてやるものを……」


 ゴライアスは不満そうな表情を浮かべ、箱馬車の扉に手をかける。


「ん?」


 遠目に、民家の陰から覗き見る子ども達が目に入ったゴライアスは、さらに不機嫌な顔になった。


「ガキ共が……このわしの顔をジロジロ見おってからに……。

 不快でかなわん!」

「伯父様? どこへ……」


 ゴライアスはステッキを振り回しながら、子ども達の方へ向かっていった。

 罵詈雑言を怒鳴り散らすことも忘れずに。


「下層労働者の子ども風情が、珍獣を見るような目をわしに向けるんじゃないっ!

 野菜臭くて芋臭い貴様ら農民は存在自体が気に食わんっ!!」


 子ども達は突然の罵声を浴びせられ、大慌てで逃げ出した。

 それを見て、ポーリーンは溜め息をついた。


「……大人気ない人」


 ゴライアスは怒りが収まらず、ステッキで近くにある桶や壺を殴り飛ばした。

 それを繰り返しながら馬車へ戻ろうとした時、広場の中央に立っている案山子の存在に気がついた。


「なんじゃ、これは? 案山子にしては……」


 その案山子は、十字に組まれた薪に麦を束にして添えつけて胴体とし、枯れ草を持ち寄って作られた頭を据えられていた。

 さらにその足元には、大量の麦が山積みされている。


「これは、今年の収穫祭で捧げる身届け人(みとどけびと)でございます。

 太陽の恵みをもたらしてくれた天におわす竜の神への貢ぎ物として、毎年採れる麦を束ねて人の姿を模し、火をかけて煙に乗せて神へ捧げるのです」

「ほお。竜の神、か。

 下層労働者というものは実に信心深くて感激するわい」

「はは……。この身届け人は村の子ども達が精魂込めて作ったものです。

 その想いはきっと竜の神様にも届くでしょう」


 ゴライアスは物珍しそうな目で身届け人を見回すと、小さな溜め息をついた。


「なるほどなぁ、村の子ども達の想いが込められておるわけか。

 なるほどなるほど――」


 そう言うと、懐から葉巻を取り出して口にくわえた。


「――それはそれは。なんとも感動的な話であるな」

「? ゴライアス様、何を……」


 ゴライアスはさらに火打ち金を取り出すと、それを葉巻の前で打ち鳴らした。

 激しく散った火花によって葉巻にぼうっと火がつく。


「伯父様……?」


 ポーリーンが胸騒ぎを感じて、車椅子をゴライアスに近づける。

 彼女が伯父へと声をかける前に、事は起こった。


「そんな物に見下されるとは、非常に不愉快極まりない!」


 ゴライアスは、火のついた葉巻を身届け人の足元――山積みの麦へと投げ入れた。


「なっ!」


 葉巻の触れた麦は途端に火が点き、周囲の麦、そして身届け人へと燃え移った。


「なんてことをっ!!」


 村長が燃え上がる身届け人を見て、悲鳴をあげる。

 ゴライアスはまったく悪びれる様子もなく、襟元を正しながら言う。


「このわし直々に、竜の神とやらに貢ぎ物を送ってやるわ!

 わはははは、こんな不出来な人形で喜ぶかは疑わしいがなっ」


 収穫祭を祝うはずの身届け人は、火あぶりにされた人間のごとく十字の形に燃え上がった。

 村長を始めとした村民達は、唖然とした面持ちでその光景を見上げていた。


「なんてひどいことを!

 伯父様、あなたという人は……っ」


 ポーリーンは、燃え上がる身届け人を見て高笑いをあげる伯父を心底嫌悪した。

 亡き母の兄であるこの男を、あらためて救いようのない男だと思った。


「ポーリーンよ、いい機会だ学べ!

 これが権力よ! 持つ者と持たざる者の決定的な格差よ!」

「なんですって……?」

「私やお前は、血筋も素質も天より与えられた持つ側の者。

 しかし、こやつらは泥にまみれて働くことでしか食い扶持すら稼げない、持たざる者よ!

 持たざる者は、持つ側の者に何をされようとも、逆らうことはできんのだ!」


 あまりに傲慢な言い分。

 ゴライアスの言葉には、村民も口を閉じてはいられなかった。


「ふざけんな! 貴族だからって何でも許されると思うなよ!」

「クソ野郎、何様のつもりだ!!」

「麦ひとつ育てる大変さを、温室育ちの人間が理解できるものか!」


 村民達が馬車を取り囲み、まくしたてる。

 ゴライアスを守ろうと彼の盾になる警護兵も、村民達の興奮した様子に焦燥を隠せない。


「ふん、虫けら共が――」


 村民達を鼻で笑いながら、ゴライアスはステッキの石突を地面に打ち付ける。

 その直後、ライガーがうめき声をあげながら村民達に睨みを利かせた。


「うっ……」


 村民達はライガーに恐れをなし、押し黙ってしまう。

 それも当然だ。農具でこんな獣とまともに戦えるわけがない。


「ふはははは、ほれ見ろ!

 貴様ら、わし一人にすら何もできんではないか。だが、それが正しい選択だ。

 わしがその気になれば、そこに広がる野畑一面、火の海にすることも造作もないのだからなぁ!」


 ゴライアスは、村の外に広がる麦畑へとステッキを突き出した。

 村民が力を合わせて育て上げた田畑が燃やされるとなれば、取り返しのつかない大打撃を被ることになるだろう。

 自分達を守るためにも、農民である彼らは平伏するしかなかった。


「……この、外道め」


 ポーリーンは唇を噛みしめながら、伯父の――傲慢な貴族の傍若無人な振る舞いを目の当たりにしていた。

 しかし本人を前にしながら、何もできない自分を許せなかった。


「まただ……私は……また何もできない……!

 悪意を前にしながら、私は……見ていることだけしか……」


 燃え続ける収穫祭の身届け人から、黒煙が天へと立ち上る。

 それを見上げながら、彼女は大粒の涙をこぼした。







 丘陵には、足踏みする巨大な獣の姿があった。

 怒りをぶつける対象を見失い、苛立ちを蓄えたまま前足で丘陵の芝生をえぐり続けるその獣は、近くの空に煙が上がっているのを目にした。

 煙を目でたどると、そこには人間の集落が見える。

 彼は、そこにたくさんの人間が居ることを知っていた。


「グルルルル……」


 黒き獣は、まるで人が笑うかのように口元を緩めた。

 そして青い空の下、自分を招き寄せるかのように立ち上る煙の火元へ向かって駆け出した。

 もう誰にも破壊の衝動は止められない。

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