第三十二幕 怒闘(4)
「……けむり」
沈黙を破ったのは、ディンプナだった。
彼女が南の空を見上げていると、遠目に黒い煙が立ち上っていることに気づいた。
それがきっかけとなり、その場の全員が同じ方角の空を見上げる。
「狼煙……のようでありんすが」
「焚き火でもやってるやつがいるっての?
化け物が徘徊する丘陵で呑気なやつがいたもんだ」
サルカスは茂みを出て斜面を登っていき、煙の立ち上る方角へ向けて双眼鏡を覗き込んだ。
そのさなか、センカは思い出したようにバスタに話しかける。
「そう言えば、丘の下には農村がありんしたね」
「麦や豆の産地として有名なフウィト村だ。
ウエストガルムの店に並ぶパンは、だいたいそこの麦で作られている」
「パンか……わっちはどうも好きになれんせん。
あのパサパサした食感がどうも苦手で」
「……お前の故郷ではライスが一般的か?」
二人の会話に、サルカスが割り込んでくる。
「バスタくん、フウィト村のパンはもう食べられないかも……」
「なんだって?」
「煙が上がってるのは、フウィト村だよ。
しかも、いくつも煙が立ち上がって……家屋が燃えてるみたいだ!」
「何ぃ!?」
サルカスが双眼鏡で見たのは、火の手が上がる村の中で、村人が何かから逃げ惑う光景だった。
何から逃げているのか?――
「あ、あああ!
あのバケモンが……村にっ!!」
「なんだと……!」
バスタは斜面を駆け上がり、サルカスから双眼鏡を奪い取って煙の立ち上る方角へと向けた。
たしかに民家が火元となって煙が上がっており、その周りでは村人が黒き獣らしき動物から逃げ回っている様子がうかがえる。
「なぜ、あいつが農村を襲っているんだ!?」
「まさか俺達を捜して、人間の集まる村へ下りて行ったんじゃ」
「今のアレは人間なら見境なしってわけか……」
黒き獣が農村に現れた理由がどうあれ、フウィト村がこの後どうなるかは容易に想像がつく。
バスタもサルカスも、大量の死体が転がる光景を想像して背筋を凍らせた。
「まったく、始末の悪い化け物だね」
クロエがハルバードを持って立ち上がった。
表情こそすましているが、額には脂汗が滲んでいる。
「姉御! もうしばらく安静にしていたほうが」
サルカスはよろめくクロエの腕を支える。
彼女はそれを振り払い、重たそうにハルバードを肩に担いだ。
「あたしは仕事の達成に必要なら、他人を利用するのも厭わない。
冒険家ってのはエゴの塊だからね――」
クロエはハルバードの重量によろめきながらも、口上を続けた。
「――だけど、てめぇのミスが原因で不必要な人間を巻き込むのは、正直言って、目覚めが悪い。すこぶる悪いね」
「待てよ!」
村の方角へ歩き出したクロエを見て、バスタはとっさに彼女の肩を掴んだ。
「あの化け物をどうにもできないのは、お前もわかっているだろう」
「てめぇのケツはてめぇでふく。
あたしが冒険家の道を選んだ時に誓った信条だ。反故にはしない」
「結果はわかりきっているだろうが!」
「その結果は、今はお前の頭の中にしかないだろうが」
クロエはバスタの手を払いのける。
「ユニコーン捕獲計画は終了だろ?
あたしはこれから、勝手にやらせてもらうよ」
バスタを一瞥した後、クロエは農村へ向かって丘陵の斜面を下り始めた。
「……馬鹿が。
あの化け物が村を襲ったことに責任を感じたのか?」
「姉御は負けず嫌いだしね」
「冒険家は死んじまったらそれで終わりだ!
いちいち感情的になりやがって……女ってのは非合理な生き物だぜ」
サルカスがバスタの顔を見上げる。
「なんだよ?」
バスタを見上げるサルカスの表情は、非難する類ではなく、何かを憂慮するようなものだった。
「姉御は大事な局面でも勘で動く人だよね」
「ギャンブル好きだからな。
だが、ここぞと言う時に勘だけで勝てるほど世の中は甘くない」
「まぁね、その通りだ。
だから勘以外を働かせる人間がそばにいる必要があると思う」
「はぁ? まさかお前――」
サルカスは相棒の肩をポンと叩くと、クロエを追いかけて歩き出す。
「馬鹿野郎、サルカス!
冒険家が情にほだされてどうする!!」
「惚れた女の前でかっこつけたいと思うのが男ってもんでしょ!」
サルカスはそう言い残すと、足早に丘陵を下って行ってしまった。
「アレは本物の化け物だぞ!?
みすみす殺されに行くつもりかよ……」
丘陵を下りていくハルバードの女に、その後ろを小走りでついていく相棒。
バスタは、二人をもどかしい気持ちで見送ることしかできなかった。
そして――
「バスタ殿」
背後からセンカの声が聞こえた。
振り向いた先には、ディンプナに寄り添われて立っているセンカの姿があった。
「お前らも……村へ行くなんて言い出すんじゃないだろうな?」
センカは少しの沈黙の後、答えた。
「……否。今のわっちらでは、あまりに準備が足りない」
「ああ、その通りだ。お前は冷静じゃないか」
「だから、準備をしてくるのでありんす」
「なんだって?」
「バスタ殿もわかっているはず。
あの化け物は、生かしておいて良い存在ではありんせん。
そして、それを起こしたのは、わっちらでありんす」
センカの気迫に気圧され、バスタは思わず目を逸らした。
「まずは都に戻り、やつを殺せる可能性のある武器を見繕いんす。
間に合うかどうか危ういが、闇雲に突っ込むよりはいいでありんしょう」
センカは一礼して、ディンプナと共にバスタの横を通り過ぎていく。
すれ違い様、ディンプナがバスタに言った。
「たのしかった」
それは今生の別れの言葉のように聞こえた。
結局その場にはバスタだけが残され、一組はフウィト村へ、もう一組は副都へ、丘陵を下って消えて行った。
四人は再び黒き獣と相まみえる覚悟だ。
「お前ら、それが非合理な選択だってわかってるのかよ……!」
独り取り残されたバスタは、苛立ちに耐え兼ねて歯噛みした。
振るえる手で握っていたツーハンデッドソードの柄を力なくその場へ落とし、空を見上げる。
すでに正午を過ぎ、青い空には白い雲がいくつも浮かんでいた。
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