第三十一幕 怒闘(3)
遠くから、黒き獣の咆哮が聞こえてくる。
その声は次第に遠ざかっていき、ついには聞こえなくなった。
「……とりあえず、危機は脱したな」
バスタを始めとしたユニコーン捕獲計画の面々は、ほっと息をついた。
五人は林の近くにあった段丘を下り、少し離れた茂みの中へと身を隠していた。
そこは湖からひっそりと繋がる沢の流れる静かな場所で、ククの姿もなく、追われる者が身を隠すにはちょうどいい場所だった。
当初は湖の西にある森へ向かうはずだったが、湖畔のぬかるみを渡るのが躊躇われたため、サルカスの機転で急遽この場所が選ばれた。
知恵の働く黒き獣には、ぬかるみの足跡から追跡される恐れがあったからだ。
「捕獲計画は失敗だ。くそっ……!
まさか噂のユニコーンの正体があんな無茶苦茶な化け物だったとは」
バスタは岩の上に腰をかけながら、口惜しさを露わにした。
その手には、刀身のへし折れたツーハンデッドソードの柄が握られている。
「ねさま、だいじょうぶ?」
「……ええ。大丈夫、で、ありんす……」
ディンプナはセンカの左腕にそえ木をし、ワンピースの裾を破って包帯の代わりに彼女の腕へと巻き付けている。
「ディン……せっかくの服を」
「きにしない、だいじょうぶ」
そう言いながら、ディンプナは申し訳なさそうな様子でクロエを見た。
「……服なんてまた買えばいいさ。
包帯代わりに使っても罰は当たらないよ」
クロエは笑みを見せながら言った。
が、それが作り笑いであることは、その場の誰にでもわかった。
いつものクロエなら、地面へと突き刺したハルバードに寄りかかるものだが、そのハルバードは芝生の上に放り出され、本人は木に寄り添うようにして休んでいる。
それほどの疲労をクロエは抱えていた。
「姉御、うつ伏せに寝てください。
背中の傷の応急処置だけでもやりますから」
「ああ、うん。悪いけど、頼むよ……」
サルカスの言葉に従い、クロエは痛みに苦悶しながらうつ伏せになった。
彼女が寄りかかっていた木には、血の跡がべっとりと付着している。
「あたし、背中開きのコーデは趣味じゃないんだよねぇ」
「何馬鹿なこと言ってるんです。
手当てするんで、じっとしててください」
サルカスは、沢で水につけた布をクロエの背中に当てる。
ゆっくりと血をぬぐった後、薬草が調合された塗り薬の入った小瓶の蓋を開けた。
「センカさん、薬、分けてもらいますよ」
薬をつけたサルカスの指先が背中の傷に触れると、クロエは歯を食いしばった。
サルカスの指先が傷をなぞり終わるまでその痛みは続いたが、薬の効果ですぐに傷口の熱と痛みは引いていった。
「皮袋を見たら少し包帯が余っていました。
使い古しで悪いんですが、これで傷口を覆いますよ」
「ああ。この緊急時じゃ、それで我慢するしかないね……」
そう言うと、クロエは身を起こして上着を脱ぎ始める。
あちこちに古傷が残る筋肉質な裸体が露わになり、彼女の乳房が目に入るやいなや、サルカスは視線を逸らした。
「姉御、急に何を……っ!?」
「馬鹿。服の上からそれを巻く気かい?」
「ああ、いや、そうですね」
サルカスはクロエの背中の傷を覆うようにして、包帯を巻き付けていった。
背中の傷がひとしきり隠れるほどに包帯を巻き終えると、クロエは再び上着をまとって、サルカスに礼を言う。
「ありがとね」
「いえ……」
その一方で、センカも左腕の応急処置が済んでいた。
ディンプナはと言うと、頭の傷にワンピースの裾から破った布を巻き付けようとしているところだった。
見るに見かねて、サルカスは残りの包帯をすべてディンプナに渡してやった。
「バスタくんも傷を見せてくれ。
擦り傷や打撲くらいならセンカさんの薬がよく効くから」
「ああ……」
バスタはユニコーン捕獲計画の失敗に気を落としていた。
今まで自分の立てた計画に失敗なしという自負があったが、その自負心は今回、完膚なきまでに打ち砕かれた。
人間の手に余る魔物の類は今まで何匹も見てきたが、ユニコーン――否、あの黒き獣はまったく次元の違う存在だった。
刃を通さない強靭な体。
不死身とも言える異常な再生力。
あんな化け物がなぜユニコーンなどと呼ばれ、童話の主役として人々に語り継がれているのか、まったく理解できない。
「お前ら……すまなかったな」
バスタの口から自然と漏れたのは、謝罪の言葉だった。
「バスタくん……」
サルカスは相棒の言葉を聞いて、悔しそうに唇を噛んだ。
「ばぁか、パスタ野郎。
あたしはあたしの意思でお前らを手伝ってんだ。
謝られても迷惑だよ」
クロエはうつ伏せに寝転がりながら、軽口を叩いた。
しかし、いつものようなハキハキとした口調ではない。
「バスタ殿。わっちもディンも、クロエ殿と同じ。
自ら望んで協力した身ゆえ、謝罪の言葉など不要でありんす」
センカはディンプナの頭を撫でながら、静かに言った。
ディンプナも頷くことで同意を示した。
「……そうか」
バスタはその後、無言のままサルカスから傷の手当てを受けた。
四人はそれぞれ一番傷を刺激しない体勢で休み、サルカスがセンカの薬を使って皆の応急処置を引き続き行った。
手当の最中には誰の会話もなく、気まずさが漂う。
サルカスは、何よりも相棒にかける言葉が見つからない自分を不甲斐なく思った。
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