第三十幕 怒闘(2)

 土埃が完全に消え去ると、荷馬車ダイブという荒業の凄まじさがはっきり見て取れる光景が広がっていた。

 周囲の樹木は風圧によって薙ぎ倒され、芝生は吹き飛び、めくれ上がった地面には深い窪みが出来上がっている。

 窪みの内側には荷馬車の残骸が散乱しており、バラバラになった荷台の破片が黒き獣を下敷きにしていた。


「ユニコーンを運び出すために、でかくて頑丈な荷台を借りてきて正解だったね。

 墜落の威力も大砲並みだ」

「ああ。さすがにあの化け物も、これを食らっちゃただじゃ済まねぇだろう」


 残骸の下敷きになっている獣は、ピクリとも動かない。

 生きているのか死んでいるのか、現時点では判断のしようがなかった。


「……ねぇ、サルカス。もうそろそろ下ろしてよ」


 サルカスに抱き上げられたクロエが、気恥ずかしそうに言う。


「はは。そのままお姫様だっこしていてもらえよ。

 たまにはそういうのもいいだろう」

「ば、馬鹿野郎っ!」


 とっさにバスタを殴りつけようとするも、背中が痛くて腕も上がらない。

 クロエは仕方なく、もうしばらくだけサルカスの腕の中でぐったりしていることにした。


「助かったぜ、サルカス。

 合図も出していないのに、よく来てくれたな」

「合図ならあったよ」

「? クク笛は鳴らしてないぜ」

「それじゃあ、ユニコーンが暴れていたせいかな。

 湖で立ち往生していたら、この林の中から大量のククが飛び出してきてさ。

 もしやと思ったんだ」

「じゃあ、なんで丘の上からきたんだよ」

「相手はあのユニコーンだろ?

 念には念を入れて、まずは状況を把握しようと上から見下ろせる場所を探したわけさ。そうしたら――」


 言いながら、サルカスは窪みの奥に見える岩壁――その斜面の上を指さす。


「――あの丘の上にたどり着いてね。

 下を覗いたらとんでもない状況だったもんで、馬には悪いけど、あの手段を選ばせてもらったんだ」

「お前、良い勘してるぜ相棒!」


 バスタとサルカスはお互い拳をぶつけ合った。

 物事が都合よく動いた時の、自分達だけのルーティンである。


「終わったんでありんすか……?」

 

 窪みを見据える三人の背中に、センカの声が届いた。

 三人が振り返ると、彼女が潰された左腕をかばいながら歩いてくる。


「腕は……大丈夫なのか?」

「……いいえ、まったく。

 これじゃ少しばかり使い物にはなりんせん」


 バスタの隣で足を止めると、他の三人に習ってセンカも窪みの中へと目を向ける。

 黒き獣は未だに動きを見せない。

 何にせよ、行動するなら今がチャンスだ。


「ひとまず撤退だな。みんな想像以上の深手を負っちまった」

「ディン! ……ディンを探さねば」


 センカは茂みの中へ消えたディンプナを探すために駆け出した。

 そして、窪みの横を小走りで通り過ぎようとした時――

 残骸を吹き飛ばし、黒き獣が立ち上がった。


「こやつ、やはり生きて――」


 黒き獣に向き直ってクナイを構えるセンカ。

 が、彼女は獣の顎から何かが滴り落ちているのを見て、その顔を見上げた。

 すると、獣の頭部に激しい損傷があるのを目にした。


「やつの血か……!」


 二本角の後方――頭頂部に、まるでクレバスのようにバックリと開いた傷口が露わになっていたのだ。

 その内側からは、どす黒い液体――血液であろう――が零れ落ちている。

 ハルバードでも鎌でも傷つかなかった獣の皮膚が、荷馬車ダイブという超重量攻撃によって、ようやくダメージを与えられたのだ。


「バスタくん、バケモンの頭に傷が!」

「……あいつの限界強度がだいたい見えてきたぜ。

 さっきまで身動き取れなかったのも、ド頭に強烈なのを喰らって脳震盪でも起こしていたんだろうよ」


 獣は首を真上に伸ばして、全身をビクビクと痙攣させ始めた。

 その間も、傷口から流れ落ちる黒い血は留まることを知らない。


「……今度は何をしようってんだ!?」


 バスタ達が様子をうかがっていると、なんと頭頂部の傷の周りが泡立ち、少しずつ体表の再生を始めた。

 鼻の上を伝い落ちていた黒い血液も逆流して、傷口の中へと戻っていく。

 驚異的な――否、異常な再生力である。


「センカ! 今のうちに茂みの中に入ってディンプナを探せ!

 見つけ次第ここから離脱だ、急げっ!!」


 バスタの声で我に返ったセンカは、再生を続ける獣の横を通り過ぎ、茂みの中へと飛び込んだ。

 その間、たったの数秒ほどで獣の頭頂部にあった傷は完全に元通りに治癒してしまった。

 獣はブルブルと首を振り、次にバスタ達へと顔を向けた。


「ちっ……。結局、元通りピンチかよ……!」

「どうする、バスタくん!?

 馬車はもうない。林を出れば障害物のない丘陵が広がるのみ。

 俺達に逃げ場は――」

「湖の東に森がある。

 そこにさえたどり着ければ、なんとかやつの目を眩ませることも……」


 バスタ達を睨むように視線を釘付けにしたまま、黒き獣は窪みを駆け上がった。

 そしてそのまま、バスタ達のもとへ一直線に突撃してくる。


「そうはさせちゃくれねぇか!」


 バスタはサルカスを押しのけて、ツーハンデッドソードを振りかぶる。

 全身に軋むような痛みが走るが、今はそれどころではない。

 迫りくる獣に向かって、渾身の一撃を振りぬく――


「グルオオオォォォッ!!」


 獣は威嚇しながら、鋭い牙を剥き出しにした。

 バスタが振りぬいたツーハンデッドソードは、その強靭な牙によって噛み止められてしまう。


「行儀の悪い口だな、この野郎っ」


 獣はツーハンデッドソードの刃に噛みついたまま、圧倒的な膂力でもってバスタの体を押し潰そうと迫り寄ってくる。

 負けじとふんばるバスタだが、満身創痍に近い状態の彼には、もはやその猛攻に耐えきる余力は残されていない。


「くそっ、化け物め……このまま殺られて……たまるかよっ」


 地面の上にふんばっていた足が、ズルズルと押し込まれ始める。

 それでもバスタが抵抗を続けていると、今度はツーハンデッドソードの刀身にビシビシと小さな亀裂が走っていく。


「おいおい、マジかよ……!」


 それから間もなく、限界を超えたツーハンデッドソードの刀身は獣の牙によって粉々に噛み砕かれてしまう。

 刀身の破片が宙を舞ったその時、バスタは死を覚悟したが――


「!?」


 カツン、と頭に石つぶてが当たったことで、獣の意識はバスタから離れた。

 足を止めて、石の飛んできた方向へと振り返ると、そこにはセンカに寄り添われたディンプナの姿があった。


「ねさまの腕、こわしたの――」


 ディンプナは髪の毛をかき上げ、醜い傷痕の残る素顔をさらしていた。

 額からは血が流れ落ち、その顔はおぞましいほど真っ赤な色に染まっている。

 センカの酷い怪我を目にして、ディンプナはかつてないほどの怒りに身を焦がしていたのだ。


「――お前かぁっ!!」


 ディンプナは地面を蹴ると、目にも止まらぬ速さで獣へと迫る。

 途中、地面に転がっていたジャマダハルを掴み取り、それを手にはめるのと地面を蹴って空へ舞い上がるのは同時だった。


「きいぃやぁぁぁっ!!」


 耳をつんざくような奇声をあげながら、ディンプナは獣の頬を薙ぎ払った。

 傷こそ負わせていないが、その衝撃は獣の巨体が大きくよろめくほどだ。


「あああぁぁぁぁっ!!!」


 さらなる追撃。

 ディンプナは着地と同時に地面を蹴り、瞬時に獣の背後へと回り込んだ。

 が、死角から伸びてきた尻尾がすぐさま彼女の首へと絡みつく。

 獣はディンプナの体を吊るし上げると、またも壁へ投げつけようと狙いを定める。


「二度は、ないっ」


 対するディンプナも、同じ手は食うほど間抜けではない。

 ジャマダハルの刃で尻尾を切断して危機を脱するやいなや、獣の腹の下へと潜り込み、真下から刃を突き立てる。


「……っ! ここ、だめ」


 腹への一撃は効果がなく、逆に太い足に潰されそうになったところを地面を転がりまわって回避する。

 尻もちをついた瞬間、ディンプナは全身にヒヤリとした悪寒が走るのを感じた。

 獣の攻撃範囲から脱出することはかなわなかったのだ。

 ディンプナが起き上がるのと同時に、獣は大口を開いて彼女の頭へと噛みついた。

 ズシャッ、と肉が切り裂かれる嫌な音が聞こえ――


「グアアァアァァァッ!!」


 悲痛な叫び声をあげたのは、黒き獣のほうだった。

 間一髪、ディンプナは獣の口へとジャマダハルを突っ込み、舌と口内の一部をこそぎ落としたのだ。

 すかさず獣から距離を取り、ギリギリの攻防をなんとか生き残った。


「はぁっ、はぁっ……。ユニコ、つよい」


 時間にしてほんの数秒の攻防だったが、ディンプナの体力を削るには十分だった。

 彼女が息を整え終わる頃には、獣の口から滴り落ちる黒い血も消え、舌が再生し、口内の傷も治癒してしまう。


「ダメだ! ディンプナがいくら互角にやりあえても、決め手に欠ける。

 あの化け物の皮膚をもっと深くブチ抜かないと、致命傷は与えられない!」


 バスタの推測は間違ってはいない。

 ディンプナのジャマダハルが傷つけたのは、口内と尻尾のみ。

 その尻尾も、すでに切断面から再生してしまい、元通りになっている。

 黒き獣に致命傷を与えるには、その強靭な体表を貫き、内臓まで届くほどの傷を与えなければ話にならない。

 あくまで、異常な再生力を度外視した上で、だが。


「ディンプナ!――」


 バスタが叫ぶ。


「――そいつは体表は硬いが、体内は外ほどじゃねぇ!

 眼球を潰せ! 逃げるための時間くらいなら稼げるはずだっ」


 ディンプナは獣を見上げたまま頷くと、すぐ近くに転がっていたもう片方のジャマダハルを回収する。

 そして左右の手にジャマダハルを握り、黒き獣へと突撃する。


「あああああーーーっ!!」


 絶叫しながら、ディンプナは地面を蹴って空高く飛ぶ。

 獣は空中のディンプナを狙って二本角を斬りつけようとするが、辛うじて空中でそれをかわしたディンプナは、左右のジャマダハルを獣の両眼めがけて突き刺した。


「グアアアァッッッ!!」


 左右の眼それぞれにジャマダハルの刃を深く刺し込んだ後、ディンプナは空中に弧を描きながら着地する。

 視力を失った黒き獣は窪みの斜面に足をとられて、横倒しに倒れた。


「今だ! 走れみんなーっ!!」


 バスタの合図で、センカとディンプナ、クロエを抱きかかえたサルカスは、一斉に林の中から退散した――







 ……ガシャン、と金属が地面に落ちる音がした。

 ジャマダハルが深く体内に食い込んでいたために、黒き獣は両目を再生する前に、まずはその刃を体外に押し出す必要があった。

 そのため、両目の再生を始めるまでに思わぬ時間が生じていた。

 当然、視力を取り戻した頃には、彼が憎むべき五人の人間はすでに視界から消え去っていた。

 溢れ出んばかりの怒り。憤怒。憎悪。

 黒き獣は全身を打ち震わせ、天に向かって絶叫を轟かせた。

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