第二十九幕 怒闘(1)
「来るぞ! 構えろっ!!」
バスタはツーハンデッドソードを構えて臨戦態勢を取った。
それに続いて、センカはクナイを、クロエはハルバードを構えて、目の前にたたずむ巨大な黒き獣の一挙手一投足を注視した。
が、獣は微動だにしない。
否――すでに獣は動き出していた。
「うがっ!?」
黒き獣にまたがるディンプナの首に、突然、縄のようなものが巻きつけられた。
それは獣の赤い尻尾だった。
「ぐっう……っ」
まるで意思のある蛇のようにディンプナの首にからまった尻尾は、ギリギリと首を絞めつける。
ディンプナの腕力でさえも、締め付ける尻尾を引きはがすことはかなわない。
黒き獣は首を締め付けたまま空中に彼女を持ち上げ、背後の岩壁へと放り投げた。
ディンプナの小さな体が弧を描いて飛んでいく。
ドンッ、という鈍い音と共に頭から岩壁に激突した彼女は、血飛沫を散らしながら茂みの中へと落ちて行った。
「貴様ぁーーーっ!!!」
センカは激昂し、左右の手に握っていたクナイを一斉にユニコーンの首へと投げつける。
が、クナイの刃は隆起した首の筋肉によって弾かれてしまう。
先ほど毒クナイを突き刺した傷痕も、首筋からはすっかり消えてしまっている。
肉体が変態した結果、古い傷は閉じてしまったのだろう。
「ちぃっ!」
次にセンカは、腰に丸めて提げていた縄を振りほどき、踊るように身をひねった。
縄の先端には鋭く研がれた鎌が結び付けられており、二度三度と回転して出来た遠心力を利用して、最大速度の鎌を獣の首へと叩きつけた。
しかし――
「か、硬い……っ!」
首に突き刺さったかに見えた鎌は、獣を切り裂くどころか衝撃に耐えられず粉々に砕け散ってしまった。
獣はわずかによろめいた程度で、かすり傷ひとつ負ってはいない。
「逃げろ、センカ!」
バスタの声よりも早く、黒き獣はセンカに狙いを定めて身を乗り出していた。
その攻撃範囲から脱出する前に、センカは前足による強烈な蹴りを受けて吹き飛ばされてしまう。
「がっはっ!」
センカの体は十メートルほど地面の上を転がってようやく止まった。
彼女の左腕には蹴りこまれたひづめの跡がくっきりと残っており、二の腕から下はぐしゃぐしゃに潰れてしまっている。
「こぉの、化け物がぁぁぁーーーっ!!」
隙をついて獣の側面に回り込んでいたクロエは、死角からハルバードを無防備の背中へ向けて振り下ろした。
しかし、その結果もセンカのクナイと同様だった。
鋼鉄をハンマーで叩いたような衝撃音と共に、クロエのハルバードは獣の背中に弾き返されてしまう。
「あたしの一撃は鉄柱だってひん曲げるのに……こいつ!」
衝撃で両手が痺れるクロエは、ハルバードでの防御もままならない。
すぐさま獣の尻尾がクロエの喉元に向かって蛇行してくるが、間一髪、転がってかわすことができた。
「はぁっ、はぁっ。
くそっ! バスタ、こいつをぶっ殺す方法はないのかっ!?」
「殺しちまったら意味がないだろうがっ!
こうするんだよ!!」
バスタはツーハンデッドソードを振りかぶり、獣の前足を薙ぎ払った。
足を潰すことで、動きを取れなくするのが狙いである。
しかし、強烈な衝突音の後にバスタはその選択が失策であったことを思い知る。
足元への攻撃ですら、わずかばかり後ろへと押しのけただけで、表面には切り傷ひとつ残せなかったのだ。
「……そうくると思ったぜ」
自嘲気味につぶやいた直後、バスタは獣の前足で蹴り上げられた。
体勢を立て直す前の攻撃ゆえに、避けようがない。
「ぶがぁっ」
血の雨を降らせながら、バスタは数メートル先の地面に頭から落ちた。
「おいおい、死んじゃいないだろうね!?」
「……心配には、およばねぇ」
バスタは全身を襲う痛みに耐えながら、ツーハンデッドソードを杖代わりにしてなんとか立ち上がった。
幸い、今の一撃は武器がクッションとなって衝撃を和らげていた。
もしも顔面に直撃していたら、おそらくバスタの顔は見るも無残な肉塊となり果てていただろう。
しかし、脳震盪を起こした上に、体の自由がきかないほどダメージは深刻だった。
黒き獣は周囲を見渡すと、次の標的を最寄りのクロエに定め、首をもたげたまま歩き出した。
「この野郎……! 来るならきやがれっ!!」
「無駄だ、クロエ。
今この場にそいつの硬い皮膚をブチ抜ける武器はない……!」
「じゃあ、このまま嬲り殺されろってのかっ!?」
「ごほっ、突破口がないか、今……考えてる……!」
せき込みながらも、黒き獣の打開策を講じるバスタ。
しかし――
「俺の剣や、クロエのハルバードによる重量攻撃がダメ。
センカのクナイや鎌のようなピンポイント攻撃もダメ。
……火薬でもなけりゃ、あの装甲みてぇな皮膚はブチ破れねぇ……!」
バスタが考えあぐねている間も、黒き獣はクロエをじわじわと追い詰めていた。
一気に襲い掛かればいいものを、一歩一歩ゆっくりと近づいていくのは、明らかに意図的な行為だ。
「こいつ、おちょくってるのか……!
馬面の化け物が……舐めやがって!!」
そう強がりながらも、獣に気圧されて後ずさるクロエ。
彼女の背中が木に突き当たると、とうとう逃げ場もなくなった。
「ちくしょう、こうなりゃ破れかぶれだ!」
クロエが捨て身の特効に身を投じようとした時――
「待て、クロエ! 俺に考えがある!!」
「何だって!?」
クロエを思いとどまらせると、バスタはこの場を切り抜けられる可能性のある最後のプランを伝える。
「お前が背中にまたがれ!
ユニコーンは処女だけに背中を許す!
お前が乗れば大人しくなるかもしれねぇっ!!」
バスタが苦心の末に見出した最後のプランを聞いたクロエは……。
「ふざけんな、てめぇぇぇーーーーっ!!!」
……激昂した。
「まともに動けるのはお前だけだ、やれっ!!」
「背中に乗ってどうしろってんだ!
こいつをブチ殺せる方法を考えろっての!!」
「ブチ殺す方法がねぇから、お前がユニコーンを誘惑しろってんだ!」
「無茶言うなぁぁぁぁ!」
「処女のお前にしかできないんだよっ!」
「はっきり言うなぁーーーーっ!!!」
耳まで顔を真っ赤にしたクロエは、覚悟を決めて黒き獣へと突っ込んだ。
「バスタァ、てめぇ生きて帰ったら絶対にぶん殴るからなっ!」
ハルバードを大きく振りかぶった後、地面を蹴って空中から渾身の一撃を振り下ろす。
獣の顔面に届こうかというところで、ハルバードの刃は惜しくも鼻先をかすめ、地面へと突き刺さった。
決定的な隙――
獣はそれを見逃さず、鋭い牙の並ぶ口を開いた。
「よし、それでいいっ!」
クロエの渾身の一撃が外れたのを見て、バスタはプランの成功を確信した。
渾身の一撃はブラフ(はったり)――
クロエの狙いは、ハルバードの重量を利用して、地面に突き刺さった刃を軸に反動で飛ぶことだった。
まんまと獣の虚を衝き、空に跳ね上がったクロエは狙い通り獣の頭上を飛び越えて背中へとたどりついた。
「大人しくしろ、このじゃじゃ馬め!」
背中にまたがったクロエを振りほどこうとして、獣は激しく首を振り回し始める。
尋常ではない揺れに耐えながら、辛うじて背中にしがみつくクロエ。
ユニコーンは一向に大人しくなる気配がない。
「くそっ!
あたしが乗っても変わらないじゃないか!!」
振りほどかれまいと必死に獣のたてがみにしがみつくクロエだったが、突如として背中に鋭い痛みが走った。
「うあああっ!」
それは獣の尻尾の仕業だった。
まるで鞭のようにしなりながら、ビシ、バシ、とクロエの背中を激しく何度も打ち付ける。
背中の布は破れ、露出した肌に刻まれた傷痕からは鮮血が飛び散っていた。
尻尾でクロエを打ち付ける間も、獣は彼女を振り落とそうと全身をよじって暴れている。
「く……ダメ、だ」
背中を何度も打ち付けられ、さらに激しく体を振り回されたクロエには、これ以上その猛攻を耐え忍ぶ体力は残っていなかった。
鞭が首筋を打つと、クロエはたてがみを掴む指の力を緩めてしまい、とうとう地面へと振り落とされてしまう。
「う……うぅ……」
背中をしこたま打ち付けたクロエは、呼吸もままならず、意識が飛びそうな状況で自分を見下ろす獣を見上げていた。
「くそったれ、この、馬面の、化け物、が……」
最後の力を振り絞って毒づくが、もはや後がないことも自覚していた。
クロエは目をつぶって、覚悟を決めた。
「く、クロエ! 逃げろ!! 馬鹿野郎ーっ」
バスタはまだ足がおぼつかず、歩くこともできない。
ただクロエに黒き獣の顔が近づいていくのを見届けることしかできなかった。
クロエが、死ぬ――
「姉御から離れろ、このバケモンがぁーーーっ!!!!」
突然、辺りに響いたのはサルカスの声。
しかし、バスタはその声の出所がわからなかった。
地面に寝転んでいたクロエが目を開いた時、彼女だけがサルカスの居場所を把握することができた。
「あの、馬鹿」
横たわるクロエの視界には、青い空が見える。
丸い太陽も見える。
そしてもうひとつ、黒い塊が降ってくる様子も――
ドォン!、という轟音と同時に、一帯に土埃が舞い上がった。
それはまるで大砲が爆発したかのような轟音だった。
芝生は吹き飛び、木片が周囲へと飛び散る。
「こ、これは……」
茫然とするバスタの前に、土埃の中からコロコロと転がってくる物があった。
それは、荷馬車の車体を支える車輪だ。
「無事でよかった」
土埃の中から出てきたのは、クロエを抱きかかえたサルカスだった。
「はは。まさか……その手でくるとはな」
サルカスの顔を見て安堵したのか、バスタはその場に膝をついて脱力した。
バスタ達がいる場所は、切り立った丘の内側に隠された林の中だ。
当然、丘陵の道をたどれば、切り立った丘の上に出る道もあるだろう。
サルカスは馬車馬を暴走させて、荷馬車もろとも丘の急斜面――絶壁と言い換えてもよい――から、黒き獣に向けてダイブしてきたのだ。
土埃が静まっていくと、全身を打ち付けて死んでいる馬車馬の姿が露わになった。
「ごめん、バスタくん。
借り物の荷馬車、馬ごと返せなくなった」
「いいさ。いつもみたいにバックレちまおう」
サルカスが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
とんでもない相棒を持ったもんだと、バスタは感激した。
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