第二十八幕 ユニコーンのひづめを追え(7)
ユニコーンが行動不能となってからしばらくした頃、草むらを突っ切るようにしてふたつの人影が躍り出てきた。
「真打ち登場ーっ!」
「とうじょう」
クロエとディンプナである。
二人はそれぞれ得物を構えて臨戦態勢だったが、ユニコーンが倒れているのを目にして困惑した。
「しろうま、ねてる」
「何? もしかして……もう終わったの!?」
無表情で頷くセンカ。
その一方で、バスタは苦笑しながら二人を出迎えた。
「ちょっと遅かったな、お前達」
「どういうことよ、あたし達の出番はないわけ?」
「お前達の手を煩わせずに済んだんだ。
むしろ喜ばしいことじゃないか」
「拍子抜けだよ、まったく。
ヤバそうだと感じたあたしの見立ては間違いだったかな……」
クロエは倒れているユニコーンを足で小突きながら、反応をうかがう。
しかし、本当に身動きの取れない状態だと確認して、大きく溜め息をついた。
息巻いていた手前、クロエの落胆は存外大きかった。
「メインディッシュを食べ損ねた心境だわ」
その時、クロエの耳にわずかばかりのうめき声が聞こえた。
倒れているユニコーンの口から漏れてきたものだったが、クロエはその顔を一瞥した際にギョッとした。
ユニコーンの眼がギョロリと自分の顔を見据えていたのだ。
その漆黒の瞳は、ユニコーンの神々しい容姿とは対極的なもので、同時に底知れぬ不気味さを漂わせていた。
「……薄気味悪い目してるわね」
クロエはそう吐き捨てると、ユニコーンから離れて行った。
それと入れ替わりにユニコーンへと近づいたのは、ディンプナだった。
「これが、ユニコ」
ディンプナはフラフラとユニコーンのそばに寄ると、さっそく観察を始めた。
剣のように長く伸びた角から、首、腹、前足、後ろ足、そして尻尾と、舐めるようにその体を見渡していった。
厩舎で働いていた彼女にとって馬は間近な存在だったため、伝説の白馬と謳われるユニコーンに興味を惹かれるのは至極当然のことだった。
「ふぅん……」
ディンプナは目による観察だけでは飽き足らず、横倒しになっているユニコーンの体を力任せに引き起こした。
全身の筋肉が弛緩しているユニコーンは、体は起き上がったものの芝生の上に腹をつけたまま、寝転んでいるような格好となった。
首を支える筋肉も力を失い、自慢の角と美しい顔は無様に地面を舐めている。
「さすがと言うか、ほんと怪力だな……」
「体幹のバランスや筋肉の強さならば、ディンは影の中でも指折りでありんした」
過剰な観察行為にバスタは呆れる。
その一方で、センカはハラハラした面持ちでディンプナを見守っている。
「これ、じゃま」
ディンプナは両手に装着していたジャマダハルを乱雑に放り投げ、ユニコーンの体をペタペタと触り始める。
ユニコーンは黒い瞳をギョロリとディンプナへ向けるが、彼女はユニコーンの肉付きやたてがみに夢中で、その視線に気づいていない。
「大したタマだね。ユニコーンにあそこまでベッタリできるなんて」
「玉はついてないだろ」
「うるさいね」
クロエとバスタの取るに足らないやり取り。
すでに場の空気は緩み、警戒心を維持している者はもういなかった。
「それにしても、よくここがわかったな」
「丘陵からユニコーンを追ってきたら、ここへ逃げ込むのが見えたのよ。
それより驚きよ、この馬。湖のほとりで何してたと思う?」
「止め足のことだろう。もう解けた謎だよ」
「……ああ。
だからあんた達、ここにたどり着いたわけね」
ユニコーンの背中をさすっていたディンプナが、唐突にバスタに声をかけてくる。
「バス、ユニコ、のっていい?」
それはユニコーンの背にまたがりたい、という要求だった。
バスタとしては、元からそのつもりでディンプナを仲間に引き入れたのだ。
彼女の要求を断る理由はない。
「構わない。伝説のユニコーン様の背中、存分に味わいな」
バスタの許可を得て、ディンプナはニンマリと口元を緩めた。
彼女がここまで喜びの感情を露わにするのは、滅多にあることではない。
クロエもセンカも、そのことに内心驚いていた。
「……しかし鞍も鐙もないが、大丈夫なのか?」
「だいじょうぶ、なれてる」
バスタの指摘をよそに、ディンプナは嬉々としてユニコーンの白い背中へとまたがった。
非処女がユニコーンの背中に乗った瞬間である。
「…………」
ディンプナはしばらくユニコーンの背中でじっとしていたが、落ち着きなくたてがみや耳をまさぐり始めた。
「うぅん! てざわりよし」
たてがみに頬をこすりつけたり、太い首に抱きついたり、子供がオモチャで遊ぶようにユニコーンの背中ではしゃいでいる。
「……サルカスが荷馬車を持ってくるまでは、全員ここに待機だ。
お前達もユニコーンにまたがって遊んでていいぜ」
「何言ってんのよ、あんた。
あたしがこの馬に乗るメリットなんてないでしょ」
「わっちも遠慮させてもらいんす。
この美しい光景を見るだけで、わっちは満足でありんす」
樹冠の隙間から日が差す中、角の生えた白馬にまたがる黒髪黒装の娘――
黒い羊毛のワンピース姿に、長い黒髪を揺らすディンプナ。
まるで主人にひざまずくように、頭を垂れる伝説の獣ユニコーン。
対照的なその光景は、まさに神々しい宗教画を彷彿とさせる。
しかし、その娘は――非処女である。
「ユニコーンの背に乗れるのは、清らかな乙女だけ。
だが、現実はどうだ?――」
バスタが眺めている間、ユニコーンにはこれといった変化はなかった。
ほんの少しだけ、バスタは何かを期待していたのだが……。
「――ま、現実は得てしてこんなものか」
「終わってみれば、ユニコーンも気性が荒いだけのただの馬だったわね。
伝説や神話の真実ってのは虚しいもんね」
「まぁな。噂は尾ひれがつくもんだ。
……それにしたって、面白みのない結果だったがな」
「はぁ?」
「どうだクロエ。お前もユニコーンにまたがってみろよ」
「はっ! ごめんだねっ」
クロエにそっぽを向かれたバスタは、次にセンカへと声をかける。
「センカ、お前はどうだ?」
「……それは、先の質問と何か関係ありんしょうか?」
「いやぁ、別に」
「ならばお断りさせてもらいんす」
「なんだよ。女どもはつれないじゃないか」
センカとクロエに睨まれて、バスタはそそくさと目をそらす。
「ディンプナ。乗り心地はどうだ?」
「せなか、おおきい」
「そうか。
サルカスがここに到着するまでは、ユニコーンのことは任せたぞ」
「うん」
バスタは茂みの中に隠してあった皮袋を肩に提げると、女達に言う。
「クロエ、センカ。俺はこれからサルカスを迎えに行く。
戻るまでユニコーンを監視しててくれ」
「それは構わないけど……。
ここからクク笛を使えば済むんじゃない?」
「ユニコーンが暴れまわったせいで、この林にいたククは全部逃げちまったらしい。
ここからじゃサルカスに合図を送れない」
バスタはクロエからクク笛を受け取り、ユニコーンを一瞥してから林を出る道を歩き出した。
その際、バスタはかすかなうめき声のようなものを耳にした。
どこから?――背後からである。
「……?」
足を止めて振り返ると、バスタを見送るクロエやセンカと目が合った。
「どうかしたの?」
「いや……」
バスタは踵を返すが、やはりかすかなうめき声が耳につく。
あらためて振り返ると、クロエとセンカが怪訝な表情を浮かべた。
「さっきからどうしたのよ」
「何か気になることがありんすか?」
バスタはユニコーンを見て、不意に妙な違和感を抱いた。
「なぁ、ユニコーンの様子がおかしくないか」
バスタの言葉を受けて、クロエとセンカもユニコーンを見やる。
ユニコーンは頭を垂れたまま顔を伏せており、一見すると先ほどと様子が変わっているようには見えない。
「……別に何も――」
何も変わっていない、とクロエは最後まで言うことができなかった。
変化はあった。それも著しい変化が。
「ディン……すぐに……それから離れなんし」
センカは懐のクナイを掴み、異様な変化を見せ始めたそれを睨みつけた。
「ねさま、クロ、バス――」
ディンプナはユニコーンの背中の上で肝を冷やした。
「――これ、馬じゃない」
ユニコーンは全身を震わせていた。
弛緩剤による痙攣ではない。
ユニコーンだけが地震に揺らされているかのように、ガクガクと全身が震え出しているのだ。
「グゥゥオオオオオォオォ……」
馬のいななきとは明らかに違う、猛獣のようなうめき声。
バスタが期待していた異常が、彼の想像を遥かに超える形で現実になりつつあった。
「ディンプナ! さっさとそいつから離れろっ!!」
バスタが叫ぶ。
それを合図とするかのように、ユニコーンがずっとうなだれていた首をもたげた。
異形、である。
ユニコーンの顔面は血管が浮き出て、元の美しい顔立ちからは遠くかけ離れた状態になっていた。
口を大きく開き、端正な歯並びが肉食獣のような鋭い牙の列に置き換わっている。
変化があるのは顔だけではない。
前足が、首が、胸部が、その全身がビキビキと軋んだ音を立てながら、筋肉の隆起を起こし始めた。
「こいつがただの馬じゃない。
それは薄々感じていたことだが……これは……!」
筋肉の隆起が収まるのを待たず、ユニコーンがゆっくりと腰を上げ始めた。
「!? 馬鹿な、動けるわけが……」
毒クナイを受けて立ち上がるユニコーンに、センカは驚愕した。
筋弛緩を引き起こすクナイの毒は、センカ自身が暗殺者としての技術と経験則から調合して仕上げたたしかなものである。
一本でも人間を昏倒させ、二本でも熊や虎を倒す。
三本もあれば、それ以上の大型の猛獣すら身動きを封じることができる。
その常識をたった数分で覆すユニコーンは、すでにセンカの理解を超えていた。
「グウウゥゥゥ……」
筋肉の肥大化は続く。
足や胴体が一回りも二回りも膨れ上がり、白い体は赤黒くおぞましい色へと変わっていった。
白い角は黒曜石のように煌めく漆黒に、金色のたてがみは鮮やかな血のような赤に、尻尾にいたっては蛇のように長く伸びた末、やはり赤く変色を遂げている。
センカが撃ち込んだ三本のクナイも筋肉に押し返されて抜け落ちた。
「ちょっと、何の冗談よ……!?」
クロエはさらなる変異を目の当たりにして、思わず口走った。
黒に染まりきった角が、バギン、と割れるような音を響かせながら、真っ二つに裂けたのだ。
容貌が醜悪なものへ変わり果てただけでなく、額から生えた角までもが二本となってしまい、もはや目の前の生物はユニコーンとしての定義を満たさなくなってしまった。
「グオオオオオオッッッ!!!!」
その黒き獣は、積もり積もった鬱憤を吐き出すかのように雄たけびをあげた。
もはや馬の鳴き声などではない。
大気を震撼させるほどのシャウトが響き渡り、それが終わる頃には――
黒き獣の体は変態を終えていた。
――ああ、これはまずい。実にまずいやつだ。
バスタは経験則で知っていた。
世の中、怒らせると取り返しのつかない事態を招く者がいる。
今までは慎重さと狡猾さでそれらの逆鱗に触れることはなかった。
しかし、今回はとうとう逆鱗に触れてしまったようだ。
筋肉の隆起が収まり、バスタ達が遥か見上げるほどの巨躯となった黒き獣は、口から紫色の吐しゃ物を吐き出した。
芝生にそれが触れると、一瞬で芝が枯死し、鼻につく悪臭を放った。
「わっちの調合した毒の香り……?
まさか、そんな。あの毒を自力で体外に排出するなど……」
センカもまた、事態の深刻さを感じ取っていた。
影の者でも決して殺すことができない生き物がこの世にはいる。
目の前の存在こそがそれなのだろうと、センカは自然と納得していた。
「グルルル……」
ディンプナを背に乗せたまま、二本角の黒き獣はバスタ達を見下ろしている。
この時にバスタは初めて相手と視線を交わした。そして、気づいた。
おぞましくどす黒い瞳が、鈍く暗く煌めいているのを。
漆黒の殺意の炎が、瞳の奥にたしかに燃えているのを。
「きっかけは何だ」
死への恐怖か?
「そうなった原因があるはずだ」
狩猟者への憤りか?
「そういや、お前は潔癖な性格だったな」
非処女に背中を許した屈辱か?
「俺を殺しても、晒した無様は消せねぇぞ!!」
――彼らは人間を憎んでいる。
無理に関わろうとすれば、彼らは殺意を持って応えるでしょう――
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