第二十七幕 ユニコーンのひづめを追え(6)

 ドン、ドン、と重い足音が芝生を踏みつける。

 林の中へと入りこんできたその足音の主――ユニコーンは、ブルルルという鼻ラッパを鳴らしながら、周囲の気配を探っていた。


 ――来た、か。


 念願のユニコーンを目と鼻の先に捉えて、バスタの緊張が高まる。

 思えば、酒場の下世話な話題から始まったユニコーン捕獲計画。

 その集大成――ユニコーンの捕獲を実行する時が、いよいよ来たのだ。


 ――しかし、なんてぇ……姿だ……。


 長く、鋭く、まるで輝いているようにすら見える白い角。

 風になびく金色のたてがみ。

 童話に語られる通りに美しく、そしてたくましい白い肉体。

 非現実的な光景と、圧倒的な現実の入り混じる希少生物を目にして、バスタはらしくもなく興奮している自分に気がついた。


 ――伝説の獣を前に、気が高ぶる。

   この俺が……この俺にも、未知の生物への憧れがあったわけか。


 バスタは静かに深呼吸すると、高鳴る鼓動を落ち着かせた。

 するべきことはすでに決まっている。

 あとは、のるかそるか、だ――


「ブルルルル……」


 危険がないと判断したユニコーンは、そのまま無造作に歩を進める。

 樹冠の隙間から日が差す場所で足を止め、ユニコーンは奇妙な行動を始めた。

 ひづめを芝生へとこすりつけているのだ。


「あれは……ひづめの泥をぬぐっているのか……?」


 バスタの推測は的を得ていた。

 ユニコーンはひづめにこびりついた泥を嫌い、芝生でそれをぬぐい落としていた。

 雨の降らないこの時期、丘陵で泥のある場所は湖のほとりくらいのものだ。

 ユニコーンは、今回もレンジャーの追跡を撒くために湖畔のぬかるみで止め足を行ってきたのだろう。

 バスタはその様子を茂みの隙間から覗き見て、なんとも神経質な馬だと思った。

 もしもこの落ち着きのないユニコーンを檻に閉じ込めようものなら、ストレスで憤死してしまいそうな印象すら受けた。


「ブルルルルッ」


 ユニコーンはしきりに鼻ラッパを鳴らす。

 ひづめで芝生を叩く粗暴な姿には、はっきりとした苛立ちが感じ取れる。

 ユニコーンの地団駄はしばらく続き、前足と後ろ足のひづめについた泥をすべてぬぐい終えたところで、ようやく静かになった。

 気分を良くしたのか、金色の尻尾を振っている始末だ。


「もう一歩――」


 バスタは手元のロープを強く握りしめながら、前のめりに身構えた。


「あと一歩だけ、前に出ろ――」


 誰にも聞こえないような小声で、ユニコーンへと命じる。

 ちょうどユニコーンのいる場所には、事前にバスタが仕掛けたトラップが張り巡らされていた。

 先端を輪っか状に結んだロープ――俗に言う足くくり罠――が何本も芝生の上に伸びており、それらはすべて茂みに隠れるバスタの手元へと繋がっている。

 あとはユニコーンが輪っかの内側に足を置いてくれれば、手元のロープを引くだけでその足にくくり罠を巻き付けることができる寸法だ。


「ブルルッ」


 バスタの念が通じたのか、ユニコーンは片方の前足をドン、と踏み出した。


「今だっ!」


 バスタがロープを力いっぱいに引くと、芝生の上を蛇行していた緑色のロープがピンと張り、ユニコーンの前足へと巻き付いた。

 突然、足を引っ張られたことに驚いたユニコーンは、反射的に前足を上げて屈とうする。

 それによってロープはユニコーンに引っ張り返され、黒い影が茂みの中から引きずり出された。

 ユニコーンが目にした影は――人間の胴体ほどもある巨大な重石だった。

 バスタは事前に、くくり罠と重石をロープで結びつけていたのだ。


「そら、もういっちょう!」


 バスタはもう一本のロープを茂みの中から引っ張り、ユニコーンの後ろ足へと新たにロープを巻き付けることに成功した。

 ユニコーンが屈とうした際、後ろ足が別のくくり罠の内側に入ったことをバスタは見逃さなかったのだ。

 ロープが伸びる茂みから離れようと、ユニコーンはとっさに反対側へと回頭する。

 が、その行為がまたロープを引っ張ることとなり、茂みの中からは別の重石が転がり出てくる。


「お前の前足と後ろ足は封じた。

 これでもう走って逃げることはできないぜ」


 明らかに動揺するユニコーンを見て、バスタは茂みから姿を現す。

 人間の姿を視界に入れたことで危機を察したユニコーンは、すぐさまその場を離れようとするも、自分の足に繋がれた重石の重量は強靭な脚力を封じるに事足りていた。


「そのロープは鉄製のワイヤーを仕込んであるんだ。

 お前の怪力でも簡単にはぶっちぎれねぇさ」


 バスタは背中に背負っているツーハンデッドソードの柄を掴む。

 それを見たユニコーンは重石に抵抗するのをやめ、バスタに向かって頭部に生えた鋭い角を突き付けた。

 逃げられないのなら殺すまで――ユニコーンからたしかな殺気を感じ取ったバスタは、不敵な笑みを浮かべる。


「お前と真っ向勝負をする気はない!」


 バスタは唐突に指先を鳴らした。

 すると、ユニコーンの背後からいくつものクナイが宙を飛び交い、木や壁に突き刺さった。

 それはただのけん制ではない。

 クナイには握り手の部分に穴があり、そこにはロープが結び付けられている。

 ユニコーンが気づいた時には、まるで蜘蛛の巣に捕らわれたかのように周りをロープの檻が覆っているというわけである。


「ブルルルルッ!」


 逃げ道を探してその場をぐるぐると回るユニコーンだったが、張り巡らされたロープの檻に隙は見つからない。

 それどころか、前足と後ろ足にくくられたロープが他の足にまで絡みつき、ますますユニコーンの行動を封じる手助けとなっている。

 ユニコーンは激しく首を振り回し、周囲に張り巡らされたロープを押しのけながら脱出する方法を選んだ。

 体に食い込むロープをものともせず、力任せにロープの檻を破ろうと突き進む。


「だから、無駄だって――」


 バスタが言い終える間もなく、ユニコーンはその場に膝を折って転倒した。

 檻の役割を担うクナイのロープにも、抜かりなく重石が結び付けられているのだ。

 それらは人間の頭ほどの大きさだったが、クナイの数だけ重石を引きずることになれば、ユニコーンの怪力でも抗いきれない重量となる。


「ギュイイイイイッッッ!!」


 異様ないななきをあげ、ユニコーンはなおも立ち上がり抵抗を見せる。


「センカ、打ち込めっ!」


 バスタの合図で、茂みの中から黒い影が飛び跳ねる。

 影は空中を舞うと共に、ユニコーン目掛けて三本のクナイを撃ち込んだ。


「ギュイイッ」


 苦しそうな声をあげて間もなく、ユニコーンは横倒しに転倒した。

 転倒後も、四つ足をバタつかせて抵抗を諦めていないユニコーンだったが、次第に動きは鈍くなっていき、ついには動かなくなった。


「さすがの効き目だな。

 もう身動きが取れないほど痺れがまわったか」

「二本も打ち込めば、熊や虎とて起き上がることはできんせん。

 それが三本ともなれば昏睡に陥ることもありんす」


 筋弛緩剤がたっぷりと塗られたクナイを三本、動脈のある首筋目掛けて撃ち込まれたユニコーンは、なす術もなく無様な姿をさらしている。

 それどころか、全身を痙攣させながら口からは泡を噴き出し始めた。


「おいおい、こいつ大丈夫なのか?」

「逃げられないよう確実に動きを封じろ、と言ったのはバスタ殿でありんす」

「そうは言ったが……ずいぶんヤバそうに見えるぞ……」


 二人は、ユニコーンの首や胴体に食い込んでいるロープを引きはがし、足にくくられていたロープも外してやった。

 がんじがらめの状態から解放されたユニコーンの白い体は、あちこちに擦過傷ができて血が滲んでいる。


「……これはやり過ぎだったかもしれんせん」

「ま、生きて捕獲できれば十分だ。目的は果たせるからな」

「闇市で競売にでもかけるつもりでありんすか?」

「ああ、まぁ、それもやるつもりだが……もっと大事なことがな」

「?」


 バスタは倒れているユニコーンの体に手を触れた。

 毛並みも、体温も、滲み出る赤い血も、普通の馬と大差ないように感じられる。

 それがバスタには達成感と同時に、妙な虚しさをもたらした。


「思っていたより、あっさり終わったな……」

「捕獲は成功したも同然。嬉しくないのでありんか?」


 ユニコーンは、筋弛緩剤の効能によって完全に身動きの取れない状態に追い込まれていた。

 あとはサルカスの荷馬車が到着するのを待てば、事実上、捕獲計画は達成となる。

 しかし、二人が見落としていることがひとつだけあった。

 ユニコーンの見開かれた眼だけは、力強くバスタとセンカを見据えているということだ。

 その眼には、おぞましくどす黒い瞳が、鈍く暗く煌めいている。

 漆黒の殺意の炎が、瞳の奥にたしかに燃えていた――

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