第三十六幕 立ち向かう者達(1)
何のために怒るのか?
彼はただ怒りに身をゆだねることで生を実感していた。
人間を憎み、怒りをぶつけることで、この世界に存在している理由を求めていた。
初めて大地に立った時、彼は純粋で世の理(ことわり)を何も知らなかった。
怒りも憎しみも、何も知らなかった。
乙女の膝の上に安らぎだけがあった。
しかし、その安らぎは裏切りによって失われ――
人を愛する代わりに、人を憎むことを、彼は覚えた。
幸か不幸か、彼は身を守る術があった。人を殺す術もあった。
視られるだけなら良しとしよう。
つきまとうだけなら我慢もしよう。
しかし、我が身に辱めを与える者は許さない。
殺す。殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す――
そうやって幾年月も生きてきた。
それしか、彼は生き方を知らなかった。
フウィト村から街道を5キロほど東へ進むと、都の外郭壁に沿って水が流れる外堀にぶつかる。
堀には跳ね橋が掛けられ、グニパヘリル丘陵周辺区域に隣接するその橋の先には、都へ入場するための扉が設けられた場所――通称・西門と呼ばれる入り口があった。
扉は楼門より下ろされる落とし格子に守られており、その下では憲兵達が入場者の確認と検問を行っている。
国家間の戦争というものが過去の歴史になりつつある昨今、憲兵達の間ではこの出入り警備は非常に退屈で昇進から程遠い配属として嫌われていた。
特に、南と北の副都から離れた位置にある西門は、近隣の村や町からの行商、あるいは旅人の往来しかないため、尚更である。
「おーい、何かくるぞ!」
楼門の見張り台に立つ憲兵が双眼鏡を覗きながら叫んだ。
「なんだよ、また入場者か?」
「おいおい。今さっき門を閉めたばかりだぜ」
辟易した面持ちで跳ね橋を見張る憲兵達がぼやいた。
「かなりでかい馬が来る!
しかし背中には誰も乗っていないみたいだ」
見張り台の憲兵の言うことに疑問を抱きながら、跳ね橋の憲兵達は近づいてくる黒い影を見入った。
「さっき通した貴族の馬か?
置き去りにされたやつが、律儀に主人を追いかけてきたのか」
「……なぁ、おい。
貴族が乗るには、どうもでかすぎるような気がするんだが」
近づいてくる馬の巨体を認識すると、憲兵達は冷や汗を滲ませる。
跳ね橋に乗った時点でまったく足を止める気配がなく、扉に向かって突っ込んでくる巨大な馬を前に、憲兵達は慌てふためいた。
「おい……おい!
こっちに突っ込んでくるぞ!!」
「待て待て待て!
このままじゃ西門に――」
言い終える間もなく、巨大な馬の強烈な体当たりを食らった憲兵達は空中を舞って堀へと落ちていった。
そして次の瞬間――
ドゴォォォォンッ!!!!
爆弾が炸裂したかのような轟音と共に、閉じられた西門の扉をブチ破り、黒き獣――バイコーンは、人の都ウエストガルムへと踏み入った。
その破壊力は凄まじく、帝国のシンボルが施されたウーツタイト製の扉に深い窪みを作り、蝶番が弾け飛んで両の扉が門の奥にある広場へと吹っ飛んでいく。
扉を固定していた支柱には大きく亀裂が走り、衝撃が楼門にまで及んだことで、見張り台の憲兵が地面へと放り出された。
「ブルルルル……」
バイコーンは鼻ラッパを鳴らしながら、目の前に広がる光景を見入った。
門の先には広場があり、小さな噴水の周りには都の出入りのために手続きを行っている商人のキャラバンや、出立申請待ちの冒険家、そしてそれらを管理する憲兵の姿がある。
バイコーンは、数十人はいるであろう彼らの視線を一手に集めた。
「きゃあああっ!」
「なんだ、あの怪物は!?」
「門をブチ破って入ってきたぞ!」
バイコーンは逃げ惑う大勢の人間達を見下ろして、歓喜に打ち震えた。
高ぶる感情を爆発させ、騒然とする広場を颯爽と駆け出す。
最初に、背を向けて走る男の首を薙ぎ払った。
次に、つまずいて転んだ女の腹を踏み潰した。
並んで馬に乗っていた男達が、武器を手にして正面から向かってくる。
馬の首に噛みついて、思いきり空中でぶん回すと、首がもげた馬の胴体ともども男の体が吹っ飛んでいき、墜落と同時に破裂した。
もう片方の馬に乗っていた男は尻尾で首を締め上げ、首の骨をへし折った後に切断した。
「化け物だぁーー!!」
「憲兵は何をしているんだ!?」
「助けて、こんな悪夢があり得るのか!」
わずか数秒で広場は血に染まり、悲鳴や絶叫がこだまする。
そんな中でも、バイコーンに向かってくる者達は数多くいた。
勇気ある憲兵、キャラバンを守る雇われ傭兵、血気盛んな武闘派冒険家――
彼らは今日、この場に居合わせてしまった一様に不幸な者達だ。
「グルオオオォォーーッ!!」
バイコーンは咆哮をあげた。
それは彼にとって、歓喜の叫びと言ってもよいものだった。
ここは素晴らしい。人間達がよりどりみどり。
思う存分、溜まりに溜まった怒り(ストレス)を発散できる。
殺し放題のパラダイス――
「……バイコーンだと?」
西門から程なく近い憲兵練館の士官室では、ゴットフリートが葉巻に火を点けながら火急の報せに耳を傾けていた。
「アレは、サウスグリフィンで討伐隊に追われているはずだが」
「南の討伐隊の成果について報告は受けていませんが……。
どうやらギャラルホルン山脈を抜けて、西まで出てきていたようです」
「出現地区は?」
「伝書鳩はフウィト村からのものです」
「近いな……」
煙を吐き、ゴットフリートは眉間に皺を寄せた。
かねてより帝都中枢でも問題視されていた魔物バイコーンは、いくつか存在する最危険指定生物の一匹に数えられている。
サウスグリフィン領で暴れまわり、討伐隊を何度も全滅させた曰くつきの魔物。
ただ本能で暴れるだけならば、さして問題はない。
困ったことに、そんな低俗な魔物と違って、バイコーンは人間以上に知恵が回る。
厄介な存在が目と鼻の先に現れた今、ゴットフリートは事の解決に必要であろう労力の消耗に頭を抱えた。
「槍射砲車両を六両、すぐに用意させろ。
指揮はヴィルヘルムの隊に取らせる。西門から村へ向かわせろ」
「はっ!」
若い憲兵は敬礼すると、部屋から足早に出て行った。
バタン、と扉の閉まる音が聞こえると、ゴットフリートは椅子の背もたれに深く寄りかかった。
「村民には悪いが、村の中で派手な戦闘になるだろう。
しばらく都ではパンの品不足が続くことになりそうだな」
ゴットフリートは以前に訪れたフウィト村の光景に想いを馳せ、窓の外を眺めた。
ガラス仕立ての窓からは、絢爛豪華な都の景色が見える。
しかし、立ち並ぶ建物の向こう側――青い空に不審な煙が立ち上っているのが目に入った。
「……なんだ?
火葬場ではないな。西門の方角で火事でもあったのか」
椅子から立ち上がろうとした時、廊下からドタバタと騒々しい足音が聞こえてくる。
バン、と部屋の扉を開けたのは、先ほど命令を与えた憲兵だった。
「た、た、たた大変です、ゴットフリート兵将補っ!」
「落ち着け。一体どうしたと言うんだ?」
「ば、ば、バイコーンが――」
憲兵は激しく取り乱し、泡を食った顔で続けた。
「――都で暴れております!!」
「なんだとぉ!?」
この日は、ゴットフリートの生涯を通して最悪の日となることに、疑いの余地はなかった。
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