第三十七幕 立ち向かう者達(2)

 ――なんてことだ。


 ゴライアスは都に到着して早々、冷静に自分の状況を振り返って血の気が引いた。

 フウィト村で遭遇した巨大な馬の化け物にパニックを起こしたゴライアスは、後ろからバイコーンが自分を追跡していることに気づきながらも、都へ馬を走らせたのだ。


 ――よもや、門を破ってまでわしを追いかけてくることはあるまい。

   ……あるまいな? ……あるまいよ!


 ゴライアスは跳ね橋の憲兵達に腕章を見せると、貴族の立場を笠に着て強引に正門を開けさせた。

 爵位持ちの貴族は権限が強く、一介の憲兵などが意見しようものならどんな報復があるかわからないため、素直に従うのが暗黙の掟だった。


「どけ、どけぃっ!」


 ゴライアスは広場で馬を乗り捨てると、すぐさま乗合馬車の停留所へと走った。

 背後に感じる化け物への不安から少しでも遠ざかろうと、彼は副都の中央に戻ることに必死だった。


「わしはゴライアスだ! 伯爵だぞっ!

 そこをどかんか、下層労働者どもっ」


 わめき散らしながら、停留所に並ぶ人の列へと割り込んでいく。

 爵位の意匠が施されたゴライアスの腕章を見ると、誰もその横暴に口を出すものはいなかった。

 順番待ちをする者達を押しのけ、強引に馬車に乗ろうとするゴライアスに驚きながら御者が言う。


「お、恐れながら申し上げます、ゴライアス伯爵様。

 御身に相応しい爵位専用の箱馬車は、この先の停留所に――」

「黙れっ!

 今すぐわしを乗せて、中央区の屋敷へ迎え!!」


 御者の言葉を遮って、ゴライアスが叫ぶ。

 御者が困り果てていると、爆弾が炸裂したかのような轟音が響き渡った。


「!?」


 停留所だけでなく、その周辺の人間は全員、音の聞こえた方向――西門へと目を向けた。

 そして、その目はすぐに驚愕と恐怖が混在したものに変わる。


「う……馬?」


 誰かが漏らしたその言葉に、ゴライアスは背筋を凍らせた。

 同時に、西門の方から聞こえてくる人々の怒号と悲鳴が彼から理性を奪い去った。


「ひっ……ひいいぃぃっ」


 御者を突き飛ばし、ゴライアスはなりふり構わず走った。

 状況を把握していない周囲の人々は、悲鳴のする場所から少しでも離れようと走る彼を怪訝な顔で見送るだけで、反対側の騒ぎにすぐに興味が移った。

 その時、その場に残る危険を理解していたのはゴライアスだけだった。


「こ、こ、殺されてしまう!

 このわしが……ゴライアの領主であり、伯爵であるこのわしが!!」


 普段ろくに運動もしないゴライアスは、すでに体力の限界に達していた。

 おぼつかない足取りで街路をさまよった後、ガルム小川沿いに繋がれていたラクダの太い足へと休憩のためにもたれかかる。

 それに驚いたラクダがとっさにゴライアスを押しのけたことで、バランスを崩した彼は川縁から足を踏み外してしまう。


「えっ」


 ゴライアスは、そのままガルム小川に落ちた。


「あがっ……!

 ガボガボ、誰か、たす――」


 パニックで泳ぐこともままならないゴライアスは助けを求めるも、その声は川の流れる音によってかき消され、川沿いの街路を歩く人々には届かなかった。

 ましてや、人々は一様に西門から聞こえてくる騒音に気を取られている。そんな中、川から聞こえてくる声など、誰が聞いていようか。

 結局ゴライアスはそのまま川を流されていき、直に助けを求める声も聞こえなくなった。







 西門の広場で大惨事を引き起こしたバイコーンは、そのまま足を止めることなく、街路に沿って街中を進撃していた。

 狭い路地裏に逃げ込む人間は無視し、広い表通りを走りながら逃げ損なった人間を見境なく襲っていく。

 広場から街路にかけて、バイコーンが移動してきた道伝いには血溜まりが止めどなく続いている。


「逃げろ、逃げろ、逃げろーーっ!」


 憲兵が避難をうながすも、すでに民衆は恐慌状態に陥っており、街中は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 屋内に潜んでいても安心はできず、道沿いに並ぶ店頭には、バイコーンが人の気配を感じる度に首を突っ込んでは、人間をくわえて引きずり出した。

 突然の怪物の襲来に驚いたパン屋に至っては、窯の火をひっくり返して火の手すらあげてしまう始末だった。

 パン屋から出火した炎は隣の建物にも少しずつ燃え移っていき、バイコーンが都へ侵入してからのわずかな時間で、西門から中央区へ続く大通りの四分の一は火災と大恐慌に見舞われてしまっていた。


「きゃーっ」

「うわあああぁぁーっ」

「助けて、誰か助けてぇー!」


 さらなる進撃を続けるバイコーンは、大通りを逃げる人の波を追いかけていく。

 結果として、騒動はどんどん都の内側へと浸食していき、中央区までの距離を半分まで費やしたところで、ようやくバイコーンの進撃を止める事態が起こった。


「撃てぇーっ!」


 街路に響くかけ声の直後、獣に向かって複数の槍が叩き込まれた。

 衝撃にぐらりと巨体を揺らしたものの、槍は体表を深く貫通することはなく、わずかに刃先が皮膚に突き刺さった程度だった。

 すぐに筋肉が刃先を押し出し、わずかな傷を残して槍が獣の足元へと落ちる。

 当然、その傷痕も時を待たずして塞がってしまう。


「……」


 獣が足を止めて視線を前に向けると、そこには槍を火薬で射出するための砲座を荷台に備え付けた戦車――戦闘用馬車(チャリオット)――が並んで大通りを封鎖していた。


「槍射砲、次の槍を装填せよ!」


 号令がかかるやいなや、槍射砲車両の砲兵が竹のように太い槍を砲台の筒へと挿しこみ、点火準備を始めた。

 三両並んでいる戦車の裏には、手持ち槍と甲冑で重武装した憲兵達が待機しており、その中心で指揮官が声高に部下へと指示を出している。


「槍射砲は点火準備が整い次第、標的へ向けて発射せよ!

 弓兵はやつが近づき次第、矢を射て!」


 弓兵達は大通りを挟む建物の屋根の上に陣取り、バイコーンへと弓を構えていた。

 陣形が整ったことを確認した弓兵のリーダーは、眼下にいる上官へと叫ぶ。


「ヴィルヘルム中尉、いつでも射てます!」


 小隊の指揮官――ヴィルヘルムは、足を止めてから微動だにしないバイコーンを訝しんでいた。

 そのまま突っ立っていれば格好の的になると言うのに、なぜ攻めることも引くこともしないのか……?

 装填が完了した槍射砲が、耳をつんざくような発射音と共に次々と標的めがけて槍を射出する。

 三両ある槍射砲の槍はすべて撃ち出され、すべてが命中したが、そのいずれもバイコーンに致命傷を与えることはかなわなかった。


「そうか……!

 恐れるに足らんから、観察に徹すると言うわけか!!」


 あらためてすべての槍を受け切ったバイコーンは、わずかな傷を治癒させた後、ようやく進撃を再開した。

 警戒するに足る武装がないことを悟ったからである。


「弓兵は頭部に一斉射撃!

 重装歩兵はやつを取り囲んで胴回りと足を突け!」


 ヴィルヘルムの号令を受けて、憲兵達が動き出した。

 屋根の上からは弓兵が一斉にバイコーンの頭部をめがけて矢を放ち、地上からは重武装した歩兵がガチャガチャと音を立てて獣を取り囲んだ。


「グルアアァァァァ!」


 バイコーンはひとつ咆哮をあげた後、首を回して憲兵達を威嚇し始める。

 飛んでくる矢はことごとくその皮膚に弾かれ、胴体と足を集中的に突いてくる槍にも動じず、最寄りの人間を額に生えた二本角で次々と串刺しにしていく。

 バイコーンの角は、ウーツタイト製の甲冑など物ともせずに軽々と重武装の憲兵達を貫き、その体を宙へと舞い上げた。

 角先に獲物を突き刺している姿は、まるで速贄(はやにえ)のようだ。


「な……なんてやつだ……」


 ヴィルヘルムはその光景を見て言葉を失った。

 バイコーンは首を回し、その反動で貫かれた憲兵の体は角から離れ、建物の壁へと激しく叩きつけられた。

 その一方、尻尾は蛇のように蛇行して歩兵の槍を奪い取り、その槍を器用に操って憲兵達の甲冑の隙間へと刃を刺し込んでいった。

 次々と憲兵を刺殺していく尻尾は、熟練の歩兵の技に勝るとも劣らない滑らかで精密な動きだった。


「うがあっ!」

「ぐはっ!」

「な、なんだこいつぅぅ」


 憲兵達が目の前の魔物の異常性に気がつくのに、さして時間はかからなかった。

 バイコーンが効率的に人間を殺傷することを覚え、目の前でそれを実践しているのだと悟ると、恐怖におののいた憲兵達は倒れる仲間を見捨てて我先にと遁走を始める。

 小隊を指揮するヴィルヘルムも、部下の敵前逃亡を叱責する余裕などなかった。

 事前に得ていた情報で驚異的な怪物であることは理解していたが、実際に目の当たりにするそれは、あまりにも人間を殺し慣れていた。


「撤退だ! 撤退せよーーっ!!」


 撤退命令を叫んだ直後、バイコーンの体当たりを受けて、ヴィルヘルムは屋根の上まで跳ね飛ばされた。







 ……憲兵達がバイコーンによって蹴散らされる光景を、大通りから少し離れた櫓(やぐら)の上から見守る二人がいた。


「ありゃあ、もう始末に負えないわね」


 クロエはうんざりした表情で隣にいるサルカスに双眼鏡を渡した。

 双眼鏡で大通りを眺めて早々、サルカスも同じ顔になった。


「機動憲兵隊がまったく歯が立たないなんて……」

「もうあいつには驚き飽きたわ」


 双眼鏡を懐にしまうと、サルカスは梯子を伝って櫓を下り始めた。


「どうする気よ!?」

「こうなったら、質より量!

 アドベンチャーズ・ユニオンに戻って、武闘派の冒険家全員に声をかけまくるんですよ!」

「そんなことして意味あるわけ?」

「一騎当千のバケモンを倒すには、こっちの兵を数千用意すりゃいいんですよ!

 ……千人どころか百人もいませんけど」


 サルカスの言に深い溜め息をつくクロエ。

 直後、櫓の支柱を抱きしめて地上へ向かって落下する。


「姉御っ!?」

「あんたの言いたいことはわかったよ。

 さっさと下りてきな!」


 一足先に地面へと着地したクロエは、フウィト村から勝手に借りてきた馬に颯爽とまたがった。


「今なら街中を馬ですっとばしても、憲兵に文句は言われないわね」

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