第三十八幕 立ち向かう者達(3)

 慌ただしく駆け回る憲兵の姿と、遠くの空に立ち上る黒煙を交互に見やって、街路を行き交う人々は騒然としていた。

 焦燥する憲兵達の顔を見て人々は不穏な気配を感じ取ったのか、街路からは徐々に人の姿が消えていく。

 いつしかその街路には、街灯の柱に寄りかかって眠っている酔っ払いの姿しかなくなった。

 時折その前を通り過ぎる憲兵は、彼の存在などには目もくれない。


「……」


 人気のなくなった街路に、フードを深々とかぶったマント姿の人物が現れた。

 その人物は、いびきをかいて眠っている酔っ払いのすぐ隣にあるベンチへと腰かける。


「昼間から飲んだくれの酔っ払いというのは、少々無理があるのでは?」


 フードの人物は、小さな声でつぶやくように口を開いた。

 その声色は、女だった。


「……お前の突然の呼び出しに応じてやったんだ。文句を言うな」


 酔っ払いのいびきが突然止み、男の声が聞こえてきた。

 その声は酔っ払いのものに違いないのだが、はたから見れば、その酔っ払いが喋っているようにはまったく見えない。


「冒険家の妙な火遊びに付き合っているそうだな」

「それには、理由(わけ)がありんす」

「ディンプナの件だろう。

 アレの身請けの証文をお前が持っていることも聞いている。

 影の者としてあるまじき行為だと、党首がご立腹だ」


 わずかに怒気が含まれている男の声に、フードの女――センカは冷や汗を滲ませる。


「白面金毛女楽のローシュは、お前が戻ってくると思っている。

 ……どうなんだ?」

「自由に生きる者達の姿を見て、わっちは……その世界に惹かれんした。

 もう、暗闇には戻りたくない」

「俺達は俗世では生きていけない。

 ディンプナを連れて行くなら、尚更だ」

「わっちもディンも、頼れる仲間が作れることを知りんした。

 外の世界も悪くはない」

「無事に都を出られると思っているのか?

 影はどこからでもお前達を見ているぞ」

「この渦中でも、同じことが言えるのでありんしょうか」

「……お前、妙な駆け引きを覚えたな」


 わずかな沈黙の後、突然、男が柱から横に転んだ。

 地面に倒れ伏した際、懐から小さな包みがこぼれ落ち、センカの足元まで転がっていった。

 彼女は無言でそれを拾うと、包みを開く。


「最寄りの武器庫の鍵だ。

 銀等級以上の任務の際に使われる道具が保管してある」

「恩に着りんす」


 センカはベンチから腰を上げると、男には一瞥もくれずに街路を歩き始める。


「同郷のよしみに、もうひとつ――」


 背後から聞こえた声に、センカは足を止める。


「――俗世で暮らそうと思うなら、直した方がいいぞ。その口調」


 センカは口元を緩めると、再び歩き始めた。







 アドベンチャーズ・ユニオンの酒場にて――

 二十数名の冒険家が、二人の男女へと視線を集めていた。

 その男女――クロエとサルカスは、ユニオンに居た冒険家を搔き集め、バイコーンを迎え撃つ同志を募っていたのだ。


「……だから言ってるだろう!

 あたし達で、あの魔物を狩るんだよ!!」


 クロエは苛立った様子で冒険家達に叫んだ。


「今、都で暴れてるって魔物のことは聞いているがよ。

 そんなのは憲兵の仕事だろうよ」

「うんうん、そうだねぇ。

 そいつは俺達が手を出すヤマじゃねぇなぁ」


 クロエの申し入れに首を縦に振る冒険家は誰一人いなかった。

 そもそも冒険家というのは手前勝手な連中で、他人のために何かをする、といった考えを持つ者は少ない。

 利益になればこそ動く……ゆえに仕事には命を懸けられる。

 旨みのない話に容易に飛びつくような若輩者には、冒険家は務まらないのだ。

 クロエもサルカスも、この場にはいないバスタも、その例に漏れない。


「でも、このままじゃ副都がダメになっちまう!

 そうなったら、みんなの食い扶持が減るかもしれんでしょう」

「そうなったらそうなったで、俺は別の町へ行くよ。

 ユニオンがあるのは都だけじゃないからな」


 冒険家の一人がサルカスに反論すると、それに同調したかのように周囲の冒険家達も続く。


「そもそもおめぇらよ。

 話を聞きゃあ、そのバイコーンってのに先に手ぇ出したのはお前(サルカス)と、その相棒のバスタだって言うじゃねぇか。俺達に尻ぬぐいさせんじゃねぇよ!」

「そ、それは……そんなつもりで言ったんじゃない」

「いいや、俺にはそう聞こえたね。

 クロエの姉さんも、こんなのと付き合うなんてらしくねぇんじゃねぇかい」


 他の冒険家達も同じようなことを声高に叫ぶ。

 もはや取り付く島もない。


「ちっ……こりゃあダメか。

 アテが外れちまったね……」


 クロエは溜め息交じりにサルカスへと漏らす。

 サルカスも自分の考えが甘かったことを痛感していた。

 冒険家達がクロエとサルカスを糾弾し始め、収拾がつかなくなってきた中――


「……皆さんっ!」


 女性の声が酒場に響き渡り、男達の声が止んだ。


「あの、ごめんなさい。

 このお二人の言っていること、私はおかしいとは思いません!」


 それは、酒場の看板娘――セシリアだった。


「その魔物のせいで、都が危機に瀕しているんです。

 たくさん人が亡くなっているかもしれません。

 当然、都を守るのは憲兵さん達のお仕事ですが――」


 全員の視線を一身に集めたセシリアは、緊張に身を強張らせながら、なおも続けた。


「――冒険家の皆さんも、この都には思い出があるでしょう?

 恩があるという理由で、ユニオンにパンを差し入れてくれるパン屋さん。

 武器や防具を融通してくれる、志半ばで引退した元冒険家の方々。

 皆さんの活躍と発展を願って、資金援助をしてくださる後援者の貴族の方。

 他にもたくさんの人達の応援で、ユニオンは成り立っているんです。

 そして、その人達が助けてくれるのは、冒険家の皆さんが、この都で、このユニオンで、たくさんの冒険の日々を送ってきたからこそなんですよ!」


 か細い女性が精一杯声を張り上げ、屈強な冒険家達へと投げかける言葉。

 誰一人口を挟む者はおらず、男達はただじっとその言葉を聞き入っていた。


「……私のような小娘が生意気言ってごめんなさい。

 でも、私はこの都が好きです。

 もちろんユニオンも、そこに集まって色んな武勇伝を聞かせてくれる皆さんも」


 セシリアは、感極まって涙が滲んだ。

 涙を拭うと、今度は目いっぱいの笑顔を見せながら言う。


「都で暴れる魔物をやっつける皆さんの武勇伝、私に聞かせてください!

 冒険家の皆さんが帰ってくる、大切な場所を守るためにもっ!!」


 セシリアの口上が終わった。

 シーンと静まり返っていた酒場は、彼女が気恥ずかしそうに顔を隠すや――

 喧騒が沸き起こった。


「てめぇら、看板娘にここまで言われて引きこもってちゃ冒険家の名折れだぜ!」

「おおよ、セシリアちゃんに俺の武勇伝をいの一番に聞かせてやらぁ!」

「馬鹿野郎、一番は俺だ! そのクソ馬の角ブチ折ってやる!」

「そもそもそんな魔物を討ち取った日にゃ、憲兵省からたんまりと報酬が貰えるんじゃねぇか!?」

「ま、でかい事件に絡めば名も上がるしな」

「暴れてるのは西門の方だろ?

 贔屓にしてるパン屋があるんだ、放っておけねぇ!」

「大枚はたいて手に入れた剣の切れ味を試してやろうじゃねぇか」


 セシリアの言葉が、冒険家達の心に火を点けたのだ。

 彼らを見てセシリアは思わず涙が滲む。

 そんな彼女の肩をポン、と優しく叩いたのは、受付嬢の娘だった。


「よく言ったね、セシリア。感動したよ」

「うん、ありがとう」


 サルカスは微笑むセシリアに見惚れながら、しみじみと思う。


「はぁ。やっぱり可愛い。

 絶対に処女だよ、セシリアちゃん」

「……心の声が漏れてるぞ馬鹿。

 だけど、この酒場で毎日のように馬鹿(冒険家)を見てきたあの子だからこそ、心に響く言葉になったんだろうね」

「ですね。俺も俄然やる気が出てきましたよ!」


 クロエもサルカスも、セシリアの言葉には胸が弾んだ。

 さすがは看板娘。彼女の人気の秘密がうかがい知れた出来事だった。


「まったく火付きの悪い連中じゃわい!」


 勢いづく冒険家達の前に、毛むくじゃらの大男が現れた。

 両腕とも丸太のように太く、全身筋肉質でくすんだ作業着に身を包むその男は、ユニオンの専属工房の親方だった。


「この都の一大事!

 てめぇらのナマクラじゃ力不足よ!」


 親方はそう言うと、指を鳴らした。

 すると、後ろから車輪のついた収納箱を鍛冶師の男達が引いてくる。

 箱の中には、剣や斧など、様々な武器が収納されていた。


「使えぃっ!

 どれもウエストガルム最高の鍛冶師達が魂をこめた力作よ!」


 親方の粋な計らいに、あらためて冒険家達の士気が高まる。

 彼らはこぞって収納箱に群がっていった。

 その様子を見守るクロエとサルカスに、親方が声をかける。


「おい、黒い血の! おめぇさんはいいのかい?

 おめぇ好みの戦斧もいくつかあるぜ」

「ああ。あたしは使い慣れた得物があるから遠慮しとくよ」


 クロエはもたれ掛かっていたハルバードを指差して言った。


「小さいの! おめぇも同じか?」

「あ、それじゃあ俺は短剣をいくつか貰おうかな」


 満足な武装が手元にないサルカスは、収納箱に群がる冒険家の中に混じって、自分の手に馴染みそうな短剣を探し始めた。

 クロエはそれを見守りながら、セシリアに向き直って彼女に告げる。


「あんた、本当にいい女だね。

 あいつらが気に入るのも無理ないな」

「え?」

「あたしも惚れそう」

「はい?」


 要領を得ない言葉に、疑問符を浮かべるセシリア。

 クロエはそれに笑顔で返した。 


「盛り上がるのはいいけどね、あんた達!

 相手は本物の化け物だよ。

 殺す努力をしながら、生き残る努力も忘れんじゃないよ!!」


 クロエの鼓舞を受け、男達は館内から外へと漏れ出さんばかりの鬨(とき)の声をあげて答えた。

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