第四十七幕 後始末(2)
中央区のオペラハウスは、その日も盛況だった。
球状の館内には正面の舞台と向かい合うようにして、壁一面に貴族専用のボックス席が並んでおり、そのひとつひとつの天井には宝石のように輝く高価なランプが灯っている。
階下には都民(裕福層)のための座席が敷き詰められるようにして並んでおり、ボックス席から貴族達が見下ろす構造になっている。
その光景は、まさに帝国の階級社会を如実に表していた。
「おお、ユニコーン!
そなたの美しい角を。気高きたてがみを。
私は永遠(とわ)に愛でて暮らしていきたい!」
舞台に立つ女優の透き通った声が館内に響き渡った。
白いウェディングドレスに身を包んだ彼女は、ユリの花園の中央に立ち、その足元には角を生やした白馬がひざまずいている。
それは、ユニコーンの童話をモチーフにした歌唱劇だった。
「しかし、貴様も本当に悪運の強い男だな」
舞台を真正面に見据えられるベストな位置のボックス席で、男が唐突に口を開いた。
「……恐縮です」
バツが悪そうな顔で答えたのは、男の斜め後ろで車椅子に腰かけている初老の男性だった。
彼の顔は痛々しく腫れあがっており、頭や首には包帯が巻き付けられている。
それだけでなく、右腕に巻かれた包帯は石膏で固められ、布で肩から吊り下げられた状態だ。両足も同じような有り様である。
「ユニコーンの歌唱劇に招待したのは、まずかったかな?
この時間しか副都に滞在できなくてな」
「い、いえ……。
私が恐ろしい目にあったのは、黒い方でしたから……」
「くくく、そうだった。
貴様が煮え湯を飲まされたのはバイコーンだったな、ゴライアス?」
腫れた顔に脂汗を滲ませながら、初老の男性――ゴライアスは、自分を小馬鹿にするように笑う男の後ろ姿を見据えた。
「し、しかし、なぜ私をこのような場に招いていただいたのか……。
恥ずかしながら、演劇の類は疎く……」
「ここなら誰に邪魔されることなく話せることもあるだろう」
「はぁ」
「何を話すために貴様を呼んだか、わからんか?」
「えっ、な、なんでしょう!?」
男の声にわずかな怒気が混じっていることに気づいたゴライアスは、途端に顔を引きつらせる。
「魔物バイコーンの都への侵入。
調べてみれば、なんと貴様が招き入れたそうじゃないか」
ゴライアスは全身が粟だつのを感じた。
もっとも恐れていたことを、これから追及されるのだと悟ったからだ。
「今回の騒動で、ウエストガルムの五分の一が損害を受けた。
再起させるのにどれだけの金と時間がかかるか……」
ゴライアスは閉口したまま、今にも失神しそうな程の恐怖を必死に耐え忍んだ。
「この俺の都が、汚らわしい魔物に蹂躙されたのだぞ?
枢機卿たる俺の面目は丸潰れだ」
男は少しずつ怒気を露わにしながら、肘掛けに備えつけられているミニテーブル上のワイングラスを手に取った。
「俺の趣味はな、ゴライアス。
いい女と、使える男を、都中から選りすぐって搔き集めることだ――」
グラスには金色に煌めく酒が入っており、一口含んだところで男はグラスを高く掲げた。そして――
「――だが、価値が無くなればその日にでも処分する」
グラスを傾けて、中身を床にぶちまけた。
「はっ、はっ、はっ……」
ゴライアスは動悸を感じて、額から流れ落ちる汗が一向に止まらない。
しかし、男の後ろ姿を見据えたままの目はどうしても逸らすことができない。
「だが、まぁ、結果論ではあるが――
帝国が何百年も殺したがっていた魔物を殺したという成果には結びついた。
何か言いたいことはあるか、ゴライアス?」
「わ、私の、ゴライアに貯め込んだ、か、金で、都の損失は補填、でき、ます……。
ここは、仇敵の死を、よ、喜ぶべきかと……ぞ、存じます……」
ゴライアスは息も絶え絶えに、腹の底から声を吐き出した。
「くくく……言うじゃないか。
やはりと言うべきか、貴様のようなタフな下僕は重宝する。
これからも俺への忠誠を違えるな。だが、二度目はないぞ?」
「は、はっ、はい、重々承知して、おりますっ」
ゴライアスがほっと胸を撫でおろしたその時、館内に盛大な拍手が沸き起こる。
すでに劇はクライマックスを終えようとしていた。
「……終幕だな」
男は肘掛けに頬杖をつきながら、退屈そうに舞台を眺めている。
舞台では、乙女がユニコーンに乗って楽園へと旅立つラストシーンが進行していた。その情景を彩るため、舞台脇に並ぶ合唱隊が一斉に歌唱を始める。
「ユリの花に送り出され、従順なユニコーンと共に乙女は楽園へ。
彼女は清く美しい姿のまま、愛する白馬と共に永遠の時を過ごす……か。
実に滑稽だ。茶番だな、これは」
「は、ははは……おっしゃる通りですな!」
「なぜ滑稽なのか。なぜ茶番なのか。貴様にわかるか?」
「はへっ!?」
男の言葉を待って、ゴライアスはピンと背筋を伸ばして固まっている。
「ユニコーンは乙女に心癒されもしないし、愛することもしない――」
言いながら、男は席を立った。
彼は赤い刺繍で帝国のシンボルが描かれた黒いローブをまとい、頭には深々とフードをかぶっている。
「――やつには、つがいもいないし、子どもも産まない。
アレは産まれて死ぬまで、たった一匹で孤独に人殺しを続ける化け物だ」
「それは……私が聞き及んだ話と、若干、異なる……ようですな」
「そうだろうな。
バイコーンを殺すために帝国が流布してきたデマは多い」
「え……? 帝国がなぜ……」
「伝説には尾ひれがついた方が価値が高まる。
民衆が価値を認めれば、値札につく額も上がる。
金になるから、人は狩りに動き出す――」
男は踵を返し、フードの下につけた黒い仮面をゴライアスにさらした。
それは鳥のくちばしのような円錐状の筒がついた不気味な仮面で、二つ空いた穴からは、ランプの灯りが反射して金色に輝く双眸が煌めいている。
ゴライアスはその金色の瞳に睨まれ、心臓を鷲掴みにされるような錯覚に陥った。
「――羊飼いは、羊の群れを巧みに操らなければならない。
貴様も貴族の端くれならば覚えておくんだな」
仮面の男がボックス席から姿を消した頃、ちょうど舞台の緞帳が下り始めた。
劇は、終わった。
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